あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしていきたいと思います。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届けします。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日は「駿府城」(静岡県静岡市葵区)です。「日本100名城」に選定されています。

                

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

               ↓

城内の「城郭建造物」は、1996年に復元された「二の丸東御門」、1989年に復元された「巽櫓」、2014年に復元された「乾櫓」が建ちます。
 
復元「巽櫓」 ↓
復元「乾櫓」 ↓
復元「東御門渡櫓門」 ↓
 
それでは「その他の城郭建造物」を見ていきます。
 
案内図(赤丸は下記掲載の「土塀・城壁」「橋」の位置) ↓
 
まず前述の「二の丸東御門」の「桝形」を形成している「土塀」があり、「巽櫓」側へも延びています。
 
「土塀」は白漆喰の白壁で、上段には四角の「矢狭間」、下段には丸形の「鉄砲狭間」を並べ備えています。その裏側(桝形内)は「控柱」で支え、「雁木」を設けています。
 
復元「東御門」桝形を形成する「袖塀の土塀」 ↓
復元「東御門」の桝形周囲の「土塀」と「渡櫓門」から延びる「城壁」 ↓
復元「東御門」から復元「巽櫓」に延びる「城壁」 ↓
復元「東御門」桝形内の「土塀」(「雁木」が施されている) ↓
 
また、復元「乾櫓」にも短い「城壁」を設けてそれらしく演出しています。
 
復元「乾櫓」から延びる「城壁」 ↓
 
次に「橋」を見ていきます。「三ノ丸」跡南東隅には当時は「城代屋敷」が建っていましたが、「外堀」を渡り「城代屋敷」に入る橋が「城代橋」です。
 
「城代橋」 ↓
 
「城代橋」の北に位置する所に復元「東御門」が建ち、その「高麗門」正面の「中堀」に架かる「東御門橋」は、手摺部分や床部分が木橋となり「擬宝珠」が付いています。
 
「東御門橋」 ↓
「東御門橋」と「東御門」 ↓
 
そこから時計回りに見ていきますと、「新二ノ丸門」に繋がる「二ノ丸橋」が架かります。「新二ノ丸門」とは、元々の「二ノ丸御門」は1957年まで存在していましたが取り壊され、70m東へ新たに出入口が設けられた門のことで、その前には「二ノ丸橋」が架かって門らしくなっています。
 
「新二ノ丸橋」 ↓
 
復元「坤櫓」から北上すると、「中堀」を渡る「清水御門橋」が架かります。こちらも「清水御門」に直結していた橋ですが「清水御門」跡の石垣は見られますが、「橋」は当時の面影がありません。
 
「清水御門橋」 ↓
 
「清水御門橋」のやや北西には、外郭から「外堀」を渡り「三ノ丸」へ直結する「凱旋橋」が架かります。「三ノ丸」側にも門が有ったはずですが、遺構は残っていません。
 
「凱旋橋」 ↓
 
「中堀」の北端を東側に折れて暫く進むと「二ノ丸」北側の「北御門」跡に直結する「北御門橋」が架かります。当門は、朱色で「擬宝珠」を設けた当時の橋らしい雰囲気を出しています。
 
「北御門橋」 ↓
「北御門橋」 ↓
 
「北御門」から北へ進むと「外堀」を渡って外郭へ出る「草深御門橋」が架かります。この橋の色は茶色ですが「擬宝珠」を付けています。
 
「草深御門橋」 ↓
「草深御門橋」 ↓

 

 
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本日、「尼崎歴史博物館」へ行く用事があり、車で出かけました。

 

いつもは、バス、電車に乗り継ぎ、阪急「武庫之荘駅」で元会社の同僚に車で拾ってもらっていましたが、マップで経路と時間を確認すると、池田市からは約25分で着くことが分かりました。

 

以前その「博物館」で「富松(とまつ)城」のパンフをゲットしていたので、途中立寄ってみることにしました。

 

「富松(とまつ)城」のパンフ ↓

「富松(とまつ)城」のパンフ ↓

 

「首下がり病」発症以来、1年1ケ月ぶりのお城巡りです。お城巡りといっても、「富松城」は道路沿いにある平城ですし規模も小さいのでグルっと廻るだけのお城登城でした。

 

しかし、「富松城」は希少な「中世城館」跡で、歴史的には室町幕府三管領の一家で、畿内数ケ国を治めていた守護大名「細川氏」の分裂抗争が尼崎エリアに及ぶと、西摂津地域の重要拠点であった「有岡城(伊丹)」「尼崎城」「越水城(西宮)」のほぼ中間点に位置していたので戦略上の重要拠点となったお城だったようです。

 

1530年には「細川晴元」方の「薬師寺国盛」が「富松城」を守備をしていましたが、「細川高国」方の攻撃を受けて落城、その後は「高国」は当城に陣を構えて「晴元」方の勢力を一掃しました。更にその後、摂津を統治した「三好長慶」は「越水城」の支城として「有岡城(伊丹)」を攻める為に当城に入城しています。

 

しかしながら、「織田信長」の摂津進攻の時に「越水城」と共に放棄されたようです。

 

お城は、「土塁」と二重の「堀」を備えて、東西150m以上、南北200m以上の規模の城館であったと発掘調査より推定されています。

 

現在は、お城の西側の守りとして築かれた「土塁」の一部が、自動車道路に沿って幅11m、高さ4mにわたり残っています。また自動車道路と「土塁」の窪みは「堀」跡でしょうか。

 

北西方向から ↓

南側から北方向 ↓

「堀」跡の様 ↓

「土塁」(西側から) ↓

「土塁」(北側から) ↓

「土塁」南東裏側から ↓

南東から少し引いて見た「土塁」 ↓

「土塁」の東側 ↓

 

この北側にも自動車道路が通り、それを越えた所に「盛土」がありますが、そこは「櫓台」だったようでその上には「祠」が置かれています。

 

前述の場所と共に柵で囲われていて中には入れないようになっていました。

 

「櫓台」跡の「盛土」 ↓

「櫓台」跡の「盛土」上には「祠」 ↓

 

この後、「尼崎歴史博物館」へ向かって走行しましたが、「博物館」への集合時間にまだ時間が有ったので、脇道に車を置いて、久々の「尼崎城天守」や「城壁」の写真を撮影しました。

 

「尼崎歴史博物館」は、「尼崎城」の正に「本丸」跡内に建てられた「小学校」跡を使用した建物ですが、「天守」は「小学校」が建っていたことから「西三の丸」跡に建っています。

 

しかしいつ見ても美しい、四重層塔型で「付櫓」が両脇に付随した「複合型天守」です。今日は、青空に映えて一層雅な姿を楽しむことが出来ました。

 

「尼崎城天守」(南面) ↓

「尼崎城天守」(南西隅) ↓

「尼崎城天守」(北西隅) ↓

「尼崎城天守」(北東隅) ↓

「城壁」 ↓

 

久々のお城巡り(とはいうものの、車で立ち寄っただけでしたが)で、これからそろそろと「平城」巡りだけは始めようかなと言う気分になりました。

 

 

 

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あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしていきたいと思います。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届けします。

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本日は「福井城」(福井県福井市)です。「続日本100名城」に選定されています。

                

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

               ↓

城内に建つ「城郭建造物」は、復元「山里口御門」、復元「舎人門」があります。また2029年の完成を目指して「坤櫓」の復元プロジェクトが立ち上がっています。
 
復元「舎人門」 ↓
「坤櫓」プロジェクトが立ち上がっています(福井県ホームページよりお借りしました) ↓
 
本丸復元絵図(現地に掲出、赤丸は下記の土塀、橋の位置) ↓
 
復元「山里口御門」は、「棟門」と「渡櫓門」で形成された「桝形門」ですので、桝形を囲う復元「土塀」が見られます。
 
「土塀」の上部は「白漆喰」ですが下部は「笏谷石(しゃくだにいし)」の板を貼る珍しい形式になり、そこに「狭間」が施されています。
 
復元「山里口御門」の枡形を囲う復元「土塀」 ↓
復元「山里口御門」の枡形を囲う復元「土塀」(下の白い部分が「笏谷石」)と通路部の「土塀」(赤瓦) ↓
 
更に、「棟門」を出て「廊下橋」に至る通路部分にも復元「土塀」が建ち、瓦は「赤瓦」を使用し、壁には「狭間」が並びます。
 
「廊下橋」に至る通路部分に建つ復元「土塀」(赤瓦) ↓
 
更にその先には「内堀」を渡り「御座所」が建っていた「二の丸」から藩主が登城する際に使用していた復元「御廊下橋」が架かります。2008年に完成しています。
 
橋の長さは8間(14.5m)、幅2間(3.6m)、上屋はヒノキ材で造り上部は「白漆喰」下部は「下見板り」となっていて、内壁には「腰板」を貼っています。
 
復元「御廊下橋」(奥に見えるのが「山里口御門」) ↓
復元「御廊下橋」 ↓
復元「御廊下橋」(奥に見えるのが「山里口御門」と赤瓦の「土塀」) ↓
 
その他、「二の丸」跡南側からは「本丸」正門である「瓦御門」跡に渡る「御本城橋」が架かります。
 
当時は「太鼓橋」風の「木橋」のようでしたが、現在架かる橋は、「石造り」で高欄を設け擬宝珠を付けていますが車が行き来できる道路端になっています。
 
本丸「瓦御門」跡に渡る「御本城橋」(右が「本丸」跡) ↓
本丸「瓦御門」跡に渡る「御本城橋」(左が「本丸」跡) ↓
本丸「瓦御門」跡に渡る「御本城橋」(「擬宝珠」が付くが現在は「道路橋」) ↓
本丸「瓦御門」跡に渡る「御本城橋」(「擬宝珠」が付くが現在は「道路橋」) ↓
当時の「御本城橋」(現地に掲出) ↓
 
更に、「本丸」跡北東の「北不明門」跡を通り抜けて、「二の丸」跡北側に渡る「北不明門橋?」が架かります。
 
「北不明門橋?」(「本丸」跡方向) ↓
 
 
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あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしていきたいと思います。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届けします。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

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本日は「金沢城(後編)」(石川県金沢市)です。「日本100名城」に選定されています。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

               ↓

城内の城郭建造物は多数あります。まず現存のモノは「石川門」「三の丸菱櫓」「三十間長屋」「鶴丸倉庫」がありいずれも重要文化財に指定されています。また「切手門」も移築現存されています。
 
更に復元のモノといえば、「石川門」を潜ると前面の広場に横たわる「五十間長屋」、右端に「二の丸菱櫓」と左手には「橋爪門続櫓」が付随しています。また広場の右手には「河北門」、「橋爪門続櫓」の下には「橋爪門」が建っています。
 
「橋詰門」を潜ると、現在「二の丸御殿」が復元工事が進んでいます。
 
「玉泉院丸」には御殿風の休憩所「玉泉庵」が建ち、2020年には「金谷出丸」との出入口に「鼠多門」が復元されています。また「金谷出丸」跡に現在建つ「尾山神社」の神門には「二の丸御殿唐門」が移築されています。
 
以上の様に、「城郭建造物」が多々ありますが、本日はこれ以外の「城壁・土塀」「橋」の「後編」です。
 
昨日のブログは「河北門」桝形を構成する「土塀」までを紹介しましたので、本日は、「五十間長屋」の南端にある復元「橋爪門」へ進みます。「橋爪門」も桝形を形成していて、その周囲は「土塀」で囲われています。
 
「橋爪門一の門」である「高麗門」脇の復元「土塀」は、今までの門と同様に「鉛瓦」が乗った「海鼠壁」で、「桝形」周囲は桝形内から見ると「唐破風付出窓」が美しいピンクがかった「戸室石」の「切込接・布積み」石垣上に築かれて格式を挙げています。
 
「河北門」桝形内の「土塀」は全く装飾がなかったのに比べて、当門枡形内は格式があります。
 
復元「橋爪門続櫓」、復元「橋爪門一の門」の袖塀 ↓
復元「橋爪門一の門」の枡形を形成する「袖塀」 ↓
復元「橋爪門一の門」の袖塀の裏側 ↓
復元「橋爪門」の「桝形」内から ↓
復元「橋爪門」の枡形を形成する「海鼠壁塀」と「出窓」 ↓
復元「橋爪門」の枡形を形成する「土塀」(鶴丸曲輪から、奥は復元「橋爪門続櫓」) ↓
 
更に、「橋爪門」から東に位置する「鶴丸曲輪」沿いに東へ向って掘られた「堀」沿いにも復元「城壁」が延びていて、同じ形式で築かれています。
 
「鶴丸曲輪」側に延びる復元「城壁」(手前は「橋爪門桝形」) ↓
「鶴丸曲輪」側に延びる復元「城壁」(奥に見えるのは「鶴丸倉庫」) ↓
「鶴丸曲輪」側に延びる復元「城壁」(「鶴丸曲輪」内より、奥に見えるのは「五十間長屋」) ↓
 
「二の丸」跡と「本丸附台」跡の間に深い「堀切」があり、それに架かっているのが「極楽橋」です。「金沢城」の前身「金沢御堂」があった時に、参詣する人は朝に念仏を唱えながら渡り、夕方に日本海に沈む夕日を拝んで極楽往生を願って帰ったといわれています。
 
「極楽橋」 ↓
 
「玉泉院丸」跡に復元された「玉泉院丸庭園」内には、池泉回遊式庭園内の池を渡る擬宝珠付きの「木橋」も見られます。
 
「玉泉院丸庭園」内に再現された「橋」 ↓

更に「玉泉院丸」跡には2020年に「鼠多門」が復元され、「金谷出丸」跡へ渡る立派な「鼠多門橋」が木橋で復元されています。
 
復元「鼠多門」から「金谷出丸」跡へ渡る立派な「鼠多門橋」 ↓
 
最後に、「石川橋」を渡ると「兼六園」が拡がっていますが、その東端には「成巽閣(せいそんかく)」が建ちます。この建物は、13代藩主「前田斉泰」の母「真龍院」の隠居所として「竹沢御殿跡」の一隅に造営された建物ですが、「兼六園」との境界に建ち、「赤門」から続く「塀」は風情が感じられます。
 
「成巽閣」の「赤門」に続く「塀」 ↓
 
 
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あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしていきたいと思います。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届けします。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日は「金沢城(前編)」(石川県金沢市)です。「日本100名城」に選定されています。

                

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

               ↓

城内の城郭建造物は多数あります。まず現存のモノは「石川門」「三の丸菱櫓」「三十間長屋」「鶴丸倉庫」がありいずれも重要文化財に指定されています。また「切手門」も移築現存されています。
 
重文「三十間長屋」 ↓
重文「鶴丸倉庫」 ↓
移築現存「切手門」 ↓
 
更に復元のモノといえば、「石川門」を潜ると前面の広場に横たわる「五十間長屋」、右端に「二の丸菱櫓」と左手には「橋爪門続櫓」が付随しています。また広場の右手には「河北門」、「橋爪門続櫓」の下には「橋爪門」が建っています。
 
復元「五十間長屋」と復元「橋爪続櫓」 ↓
 
「橋詰門」を潜ると、現在「二の丸御殿」が復元工事が進んでいます。
 
「玉泉院丸」には御殿風の休憩所「玉泉庵」が建ち、2020年には「金谷出丸」との出入口に「鼠多門」が復元されています。また「金谷出丸」跡に現在建つ「尾山神社」の神門には「二の丸御殿唐門」が移築されています。
 
復元「鼠多門」 ↓
登録有形文化財「二の丸御殿唐門」 ↓
 
以上の様に、城内には「城郭建造物」が多々ありますが、本日はこれ以外の「城壁・土塀」「橋」を2回に分けて紹介していきます。
 
城内マップ(赤丸は下記掲載の「土塀」の位置) ↓
 
まずは「金沢城」の入城門(実際は「搦手門」)である重文「石川門」の両脇には重要文化財「太鼓塀」が現存しています。
 
この「太鼓塀」の特徴は、まず瓦は「鉛瓦」(「瓦葺」の箇所もある)であること、白壁下部は4段の「海鼠壁」を設け、壁には「狭間」は見えませんが途中に「唐破風」を付けた「出窓」を設けています。
 
しかし城内側を見ると、「出窓」裏側は「切妻造り」の部屋風になっていて、城外から見えなかった「隠し狭間」が、壁の下部に木枠の中にズラリと並んでいますので、いざという時は壁をぶち壊し対応できるような仕掛けになっているようです。そして壁を支える「控柱」も壁に平行の柱を立て、二本の木で支える強固なモノとなっていてそれが林立しています。
 
この現存「太鼓塀」は、「熊本城」の「長塀」に次いで二番目に長い現存「城壁」とのことです。
 
重文「石川門」「三の丸菱櫓」から延びる重文「太鼓塀」 ↓
重文「太鼓塀」と唐破風付き「出窓」 ↓
「石川門渡櫓門」脇の重文「太鼓塀」 ↓
重文「太鼓塀」(この辺りは「瓦葺」) ↓
重文「太鼓塀」(唐破風付き「出窓」の裏側、木枠の中が「狭間」) ↓
重文「太鼓塀」(唐破風付き「出窓」の裏側は「鉛瓦」) ↓
重文「太鼓塀」(「出窓」裏側の構築物と「控柱」、下部には「狭間」が並ぶ) ↓
 
「石川門一の門」である正面「高麗門」脇の「土塀」も、白壁に「鉛瓦」が乗り「海鼠壁」となっていて、裏側に「隠し狭間」「雁木」が施されています。
 
「石川門一の門」である正面「高麗門」脇の「海鼠壁」の「土塀」 ↓
「石川門一の門」脇裏側の「土塀」と「雁木」 ↓
 
次に復元「河北(かほく)門」に進みます。「大手門」から「三の丸」に入る「河北門」は「桝形」を形成する周囲に復元「土塀」設けています。ただ「河北門一の門」周辺以外は、城内側の「土塀」に「海鼠壁」は施されず、「桝形」内側もシンプルなデザインとなっています。
 
復元「河北門渡櫓門」と桝形を囲う「土塀」 ↓
復元「河北門高麗門」脇の「土塀」 ↓
復元「河北門」桝形内から見る「土塀」(復元「二の丸菱櫓」は見える) ↓
 
「河北門一の門」である「高麗門」脇には、江戸時代に「にらみ櫓」が建っていた櫓台が残り、現在は「土塀」で囲っています。
 
「河北門一の門」脇の「土塀」と「にらみ櫓」台跡に建つ「出窓」付き「土塀」 ↓
「にらみ櫓」台に建つ「土塀」と「出窓」裏側 ↓
 
次回「後編」では、「五十間長屋」の南端にある復元「橋爪門」へ進みます。「橋爪門」も桝形を形成していて、その周囲は「土塀」で囲われています。
 
 
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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届けします。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日は「高岡城」(富山県高岡市)です。「日本100名城」に選定されています。

                

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

               ↓

城内には、あいにく「城郭建造物」はありませんが、当城の特徴は「二の丸」跡から「本丸」跡に架かる「土橋」の側面に唯一石垣が積まれていることです。
 
「土橋」の側面の「石垣」 ↓
「前田利長」像 ↓
 
「その他の城郭建造物」では、城内に張り巡らされた「堀」を渡る「橋」が見られます。
 
「高岡古城公園案内」(赤丸は下記掲載の「橋」の位置) ↓
 
まず城外から「外堀」を渡って「二の丸」跡に架かる「駐春橋」が見られます。朱色で「擬宝珠」付きの幅広橋で、良く目立ちます。
 
「駐春橋」 ↓
 
もう一カ所、朱色で「擬宝珠」を付けた橋が架かるのは「朝陽橋」で、「本丸」跡北東部から「三の丸」内の「小竹藪」に向かう「内堀」を渡る橋です。
 
「朝陽橋」 ↓
「朝陽橋」 ↓
 
 
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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届けします。

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本日は「高田城」(新潟県上越市本城町)です。

                

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

               ↓

城内には、1993年に復興されたRC造りの「御三階櫓」が建ちます。
 
復興「御三階櫓」 ↓
城絵図(赤丸は下記掲載の土塀、橋の位置) ↓
 
この「御三階櫓」から東側に延びる「土塁」上に復興「城壁」が再現されています。下部は下見板張り風で、城内側には斜めに立て掛けた「控柱」で支えています。
 
「御三階櫓」から延びる復興「城壁・土塀」 ↓
「御三階櫓」から延びる復興「城壁・土塀」 ↓
 
「二の丸」から「本丸」の間の「内堀」に架かる「極楽橋」は、当時渡った所が「蹴出門」の「桝形」になっていました。1908年に城内に陸軍第十三師団が入城したことに伴い橋は取り払われ陸続きになりました。
 
しかし、2002年に発掘調査や古文献に基づき復元され、基礎部分はRC等ですが目に見えたり手に触れる部分は木や石を使用し、「擬宝珠」も付いた復元「木橋」になっています。
 
「内堀」に架かる復元「極楽橋」 ↓
「内堀」に架かる復元「極楽橋」 (奥が「本丸」跡) ↓
「内堀」に架かる復元「極楽橋」(奥が「本丸」跡) ↓
 
 
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あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしていきたいと思います。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届けします。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日は「与板陣屋」(新潟県長岡市与板町)です。

                

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

               ↓

現在「本丸」跡は、「与板ふれあい交流センター」となり「与板城」碑が建っていて入口には模擬「冠木門」が建てられています。
 
城図(赤丸は下記掲載の「土塀」の場所) ↓
 
「交流センター」の周囲は、模擬の「城壁・土塀」によって管理されています。「門」の袖壁から延びる「土塀」は「下見板張り」で壁には「狭間」は設けられていませんが、この「土塀」によって城下町の雰囲気を演出しています。
 
摸擬「冠木門」と「袖塀」 ↓
摸擬「冠木門」と「袖塀」(本丸内側から) ↓
「本丸」跡に建つ「与板ふれあい交流センター」を囲む模擬「土塀」 ↓
 
近くのお寺には、「城門」が移築されていますので写真を掲載しておきます。
 
大手門(現在「西本願寺与板別院表門」、長岡市文化財) ↓
切手門(現在「恩行寺」山門) ↓
 
 
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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届けします。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

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本日は「松本城」(長野県松本市)です。「日本100名城」に選定され、「天守群」は国宝に指定されています。

                

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

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城内の城郭建造物は、前述のように国宝の「天守群(大天守・小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓)」、現存の「二の丸金蔵」、復興の「黒門(高麗門・渡櫓門)」、復興の「太鼓門(高麗門・渡櫓門)」が建っています。
 
国宝「天守群」 ↓
 
今回の「その他の城郭建造物」は、上記の「黒門」「太鼓門」の枡形を構成する「土塀」、及び「本丸」と「二の丸」、「二の丸」と「三の丸」を繋ぐ「橋」をお届けします。
 
城内案内図(赤丸は下記掲載の土塀と橋の場所) ↓
 
まず1960年、1990年に復興された「黒門」の「桝形」を形成する「土塀」ですが、「天守群」と同様の「下見板張り」で「鉄砲狭間」と「矢狭間」が交互に設えています。桝形内から見ると、前面白壁で「控柱」が並び支えています。
 
復興「黒門」の「桝形」を形成する「土塀」 ↓
復興「黒門」の「桝形」を形成する「土塀」 ↓
復興「黒門」の「桝形」を形成する「土塀」(枡形内から) ↓
復興「黒門」の「桝形」を形成する「土塀」(枡形内から) ↓
 
次に1999年に復興された「太鼓門」の「桝形」を形成する「土塀」は、「黒門」の「桝形」と全く同形式となっています。ただ、北側の「太鼓楼」が置かれていた所が一段高くなっているので正面から見ると「土塀」が一段上に見えます。
 
復興「太鼓門」の「桝形」を形成する「土塀」 ↓
復興「太鼓門」の「桝形」を形成する「土塀」(右側は「太鼓楼」が置かれた場所) ↓
復興「太鼓門」の「桝形」を形成する「土塀」(枡形内から) ↓
 
続いて「橋」ですが、「本丸」と「二の丸」西側との間を繋ぐ「内堀」に架かる朱色の「埋(うずみ)橋」は、中央途中で折れ曲がった「折長橋」になっている橋です。黒い「天守群」と「朱色」のコントラストが美しく見える効果を果たしています。現在は、老朽化の為通行禁止となっています。
 
ただ「埋橋」は1930年に架けられた橋で、江戸時代にはこのような橋はなく、堀の中に塀を築き、敵の移動を妨げる「足駄(あしだ)塀」があったそうです。
 
朱色の「埋橋」と黒色の「天守群」 ↓
朱色の「埋橋」 ↓
「折長橋」の「埋橋」(天守から見下ろす) ↓
 
更に「二の丸」跡から「三の丸」跡に渡る木橋の「二の丸裏御門橋」が架かります。江戸時代からあった橋ですが現在は復元されたモノです。
 
木橋の「二の丸裏御門橋」(「二の丸」跡方向) ↓
 
 
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本日は「高島城」(長野県諏訪市高島)です。「続日本100名城」に選定されています。

                

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               ↓

城内には、復元「天守」を始め、復興「二重隅(角)櫓」、櫓門型式の復興「冠木門」、「御川渡門」跡に移築された現存「三之丸御殿裏門」が建ちます。
 
復元「天守」と「城壁」 ↓
「御川渡門」跡に移築された現存「三之丸御殿裏門」 ↓
当時の城郭図(赤丸は下記掲載の城壁と橋) ↓
 
「その他城郭建造物」は、「天守」から「冠木門」「二重隅櫓」にかけて「本丸」跡の北側に復興「城壁土塀」が建ち、お城の雰囲気を一層強調しています。
 
「本丸」跡北側の復興「城壁土塀」 ↓
復興「冠木門」と復興「城壁土塀」 ↓
復興「二重隅(角)櫓」と復興「城壁土塀」 ↓
 
復興「城壁土塀」は、「天守」等の城郭建造物の外観と同形式・同色の「下見板張り」が施されていますので、凄く一体感が図れています。また、屋根は「銅板」、壁は白漆喰部分は少なく、下見板張り部分に「狭間」を設けています。
 
屋根は「銅板」、「下見板張り」部分に「狭間」 ↓
 
また、「冠木門」前の「内堀」に架かる橋が「冠木(かぶき)橋」で、殆どが木で造られた「木橋」です。
 
木橋の「冠木橋」 ↓
 
 
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