9/4(月)~6(水)にかけて、「青春18きっぷ」を使っての恒例「夏のお城巡り二泊三日の旅」に出かけました。今回は、富山県と石川県にある山城(中世城郭)と近世城郭巡りです。

※「松倉城」「富山城」「増山城」「高岡城」「金沢城」「福井城」(雨やトラブルの影響で「末森城」「大聖寺城」は断念、「高岡城」「福井城」は計画外で訪城)

 

9/5(火)、今回のお城巡り三城目の「末森城」へ向かう為に、「増山城」からナビ設定をしました。しかし、結論から言いますと結果的に「末森城」へは行きつきませんでした

 

というのも、「末森城」へ向かって走行していましたが、踏切を渡る際にガタガタと揺れると同時に、レンタカーのナビが落下しました。ナビはオプションでしたので前窓手前に吸盤で取り付けているだけでしたから、吸盤が甘くなっていて衝撃で落下したようでした。

 

その後何度も吸盤を抑えますが、甘くなっている吸引力は全くダメ、置いている状態で走行しましたので、坂道になるとズレて斜めになったりして手で支えないといけない状態でした。

 

しかし、ナビの指示通りにどんどん山中に入っていくので、「末森城」がある「宝達志水町」へ向かっているものだと思っていたら、何と「高岡市内」へ舞い戻っていました。先程の衝撃で、ナビ設定がスタート地点の「ガッツレンタカー」所在地に変わってしまっていたのです。

 

本来なら「末森城」に着いて登城している時間である14時30分に戻ってきたので、「レンタカー」店で車を返却しようとしたら、一人しかいなかった担当者は離席中で店舗が閉まっています。電話をしても、中でベルが鳴っているだけの状態、仕方なく近くのコンビニで無駄に時間を過ごし、1時間後やっと連絡が取れて車を返却しました。

 

ナビの件を担当者に話をすると、申し訳なさそうにナビ代を返却はしてくれましたが、「金沢」へ向かう予定の電車まで2時間もあったので、以前訪城したことがある日本100名城の「高岡城」(富山県高岡市)へ向かいました。従って、今回のお城巡りの3城目は「高岡城」です。

 

高岡城」の歴史と城主についてお話をしておきます。

 

「前田家」二代当主の「前田利長」は、「守山城」の城主でしたが、1598年に「前田利家」の跡を継いで藩主となり、1605年には隠居して「富山城」に入城しました。

 

しかし1609年に「富山城」が大火で焼失したので、新たに「高岡城」を築城させました。築城に際して縄張りは築城名手の「高山右近」が行ったと言われていますが近年疑問視されているらしいです。

 

「高岡城」に入城して5年後の1614年に「利長」は亡くなり、1615年に一国一城の令によって廃城となりました。

 

高岡城」の縄張りは、「本丸」「二の丸」「三の丸(民部丸)」「明丸(あけまる)」「鍛冶丸」と、「御城外」と呼ばれる「小竹藪」「中の島」「梅林」があり、特に「御城内」は広大な「水堀」に囲まれた近世城郭です。

 

「本丸」の北西隅には「天守台」が絵図には記載されて「天守」の予定地でしたが築城はされていません。

 

そして城跡には、江戸時代通じて、米蔵、塩蔵、番所、本丸門、番人小屋、火薬庫などが絵図に描かれています。

 

「高岡城古図」(城内に掲出)↓

「高岡城城郭配置図」(城内に掲出)↓

 

さて私は、「高岡駅」から「高岡城」に向かう途中から雨に晒され、傘をさして「大手口」から入城しました。その後は雨が降ったり止んだり、時には太陽が出て喜んだのも束の間、再び雨が強まるといった状況下で城内を散策しました。

 

「高岡古城公園」内図(これで「縄張り」が良く分かる)↓

 

「大手口」には、前回無かった立派でよく目立つ「高岡城」碑が立っていて、その脇には「高岡城」の縄張りを行ったという伝説がある十字架を持った「高山右近」像が「顕彰碑」とともに立っています。

 

「高岡城」碑↓

「高山右近」像↓

 

彼は、「織田信長」「豊臣秀吉」に仕える12万石の大名でしたが、「切支丹禁令」を拒否して追放されました。そして「細川忠興」の斡旋により「秀吉」の許可を得たうえで加賀藩に高禄で迎えられました。しかし、徳川幕府の「禁教令」で国外追放となりルソン等へ渡り数奇多難の生涯を送りました。

 

現在「博物館」がある場所は「鍛冶丸」跡で「虎口」的な位置づけとなっていました。

 

「博物館」がある「鍛冶丸」跡↓

 

私は、左手へ折れて「護国神社」等が建つ「二の丸」跡内の道筋を「内濠」に沿って歩き、「本丸」跡へ渡る「土橋」へ右折しました。

 

「二の丸」跡内の道筋↓

 

この「土橋」は、当城の中で唯一「石垣」が使用されている場所として有名で、刻印も刻まれています(赤丸で囲んでます)。東側からの写真と共に、西側の側面にも石垣がありますので「濠」近くまで下りて写真に納めました。

 

「土橋」の「石垣」(東面、二の丸側から)↓

「土橋」の「石垣」(東面、本丸側から)↓

「土橋」の「石垣」(西面、本丸側から)↓

赤丸内の3つの石に「刻印」(見にくいですが)↓

 

「土橋」を渡ると、「射水神社」の鳥居と本殿が見えますが、この敷地が「本丸」跡の東部分で、西側には広くて芝生が美しい「本丸広場」が拡がっています。

 

「本丸」跡に建つ「射水神社」の鳥居と本殿↓

「本丸」跡に建つ「射水神社」の鳥居と本殿↓

「本丸」跡の「本丸広場」↓

「本丸」跡の「本丸広場」(奥が「射水神社」)↓

 

「本丸広場」の南から西にかけて高くなった所が取り巻きますが、「土塁」が築かれていたと思います。

 

「本丸広場」西側の「土塁」上↓

 

雨が再び強くなってきたので「与謝野寛・晶子歌碑」等が立つ場所をパスして、「前田利長」が馬にまたがる「利長像」の前を横切り朱色が美しい「朝暘橋」へ向かいました。

 

「前田利長像」↓

 

しかし、帰宅して気が付いたのですが、「与謝野寛・晶子歌碑」等が立つ場所が「天守台」跡であったのを知り、勿体ないことをしてしましました。

 

「朝暘橋」から「天守台」下の方に進むと「朝暘の滝」が見られ、そこからは天気が良かったら綺麗だっただろう「内濠」越しの「中の島」が前に横たわります。

 

「朝暘橋」↓

「朝暘橋」から「内濠」を見る↓

「朝暘の滝」↓

「内濠」越しの「中の島」↓

 

「朝暘橋」を渡り、先程見えていた「中の島」へ石橋の「一の橋」を渡り休憩所で少し雨宿りをしました。「中の島」界隈は当時、藩主やその家族の遊興エリアだったのでしょうか。

 

「一の橋」を渡り「中の島」(左側)へ↓

 

「中の島」の北側には「二の橋」があり「小竹藪」跡に繋がりますが、雨がかなり降ってきたのでショートカットで「一の橋」に戻り「小竹藪」跡を見に行きました。ここは現在、芝生に覆われた広場になっています。

 

「小竹藪」跡↓

 

「小竹藪」跡から「梅林」を通過すると「三の丸」跡になります。ここで目を引くのが藁葺の「屋形」とその中にある「井戸枠」です。これは「民部井戸」と言われ、 「三の丸」に「今枝民部直恒」という1,500石の家臣の屋敷が建っていて、その屋敷内の井戸が残っているそうです。

 

「民部井戸」の「屋形」↓

「民部井戸」の「井戸枠」↓

 

「三の丸」は「民部丸」とも呼ばれ、現在は売店と駐車場になっています。「三の丸」跡周囲も「外濠」が囲っていて、「三の丸」跡の南側が「搦手口」になっています。

 

「駐車場」にもなっている「三の丸」跡↓

この先が「搦手口」↓

「搦手口」から「外濠」を見る(南方向)↓

 

「三の丸」跡の南側には、「本丸」跡東側の「内濠」と「外濠」の間に曲輪が設けられた「明丸(あけまる)」跡があります。そこは現在「動物園」となっていましたが、雨の為に誰一人いませんでした。

 

「明丸」跡(右側には「内濠」)↓

「明丸」跡内の「動物園」↓

 

またその南は「外濠」が西側に喰い込み、「明丸」と「鍛冶丸」が取り囲むような濠になっていて「枡形濠」と呼ばれています。

 

「明丸」(左)と「鍛冶丸」(右)が取り囲む「枡形濠」↓

 

雨が降ったり止んだりの中、1周してきた「高岡城」を後にして、来た道を「高岡駅」の方に進みました。もう一本西寄りの道を進めば「高岡大仏」を拝むことができましたが、パスをしました。

 

帰るころになってようやく、空には太陽の光が差し込んできて北東の空には「二重の虹」が出ていました。

 

北東の空に、「二重の虹」↓

 

「高岡」は、「高岡城」だけでなく「伝統的建造物群保存地区」や国宝「瑞龍寺」「勝興寺」、大名個人としては最大級の規模の「前田利長墓所」、前述した「高岡大仏」など、非常に歴史や文化や技が息づく街で見どころが一杯です。

 

これらをアピールする色々な可愛いキャラクター等の幟が駅構内に立っていました。

 

可愛いキャラクター等の幟↓

文化遺産をアピールする幟↓

文化遺産をアピールする幟↓

 

また、「市内電車」も「富山駅」同様に駅内に電停があって、「市内電車」が市民の足として大事にされているのが分かりました。「ドラえもん」が市電の正面に描かれているのは、「ドラえもん」の作者である「藤子・F・不二雄」の出身地でもあるからです。

 

「ドラえもん」が描かれた「市内電車」↓

「市内電車」の「高岡電停」↓

「ドラえもん」が描かれた「市内電車」が走る↓

 

私は、「高岡駅」17時35分発の電車で「金沢駅」へ向かいました。次回のブログからは「金沢城」をお届けしていきます。

 

 

 

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