只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。

「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

 

今回は「岐阜城」(岐阜県岐阜市)の「城門」をお届けします。

 

13世紀初頭に「稲葉山(現在は金華山)」に築かれていた砦を、15世紀中頃に美濃の守護代であった「斎藤家」が修復して居城としますが、その家臣であった「長井家」が城を奪います。その「長井家」の息子(後の斎藤道三)が1533年に城主になります。

 

「斎藤道三」の娘(濃姫)を妻としたのが「織田信長」でしたが、「道三」は嫡男の「義龍」に殺害されたことで、「岳父」を殺害された「信長」は「岐阜城(稲葉山城)」を攻めます。その後「義龍」の嫡男「龍興」が城主となり「信長」の攻撃を交わしますが、城内の謀反によって当城が「信長」のものとなりました。

 

1560年代後半に「信長」の天下統一(天下布武)の偉業に踏み出すお城となります。

 

その後「信長」は、拠点を「安土城」へ移すと、当城には息子の「織田信忠」が入城、そして「本能寺の変」で亡くなると、「織田信孝」「池田輝政」「豊臣秀勝」などが城主となります。そして、「関ヶ原の合戦」の前哨戦で東軍の「池田輝政」に攻められ落城して、1601年に「徳川家康」によって廃城となります。

 

「岐阜城」の立地と縄張りは、標高329mの「稲葉山(金華山)」山上の「山城」と、麓の「城館」で構成されていて、特に「織田信長」時代には、麓の拡充を行いました。

 

山上の「山城」の曲輪は、「稲葉山(現在、金華山)」の尾根を利用した「連郭式」のお城で、「天守」に向かって徐々に登っていきます。

 

山上の縄張図(現地に掲出、赤丸は後段で説明の門位置) ↓

 

一方、山麓の「信長居館」は、西側山麓の槻谷(けやきだに)入口に建てられ、この曲輪を「千畳敷」と呼ばれます。「信長」時代には、壮麗を極めた四階の「楼閣」があったことを、宣教師であった「ルイス・フロイス」が1569年に訪問した時の記録として「日本史」に記載があります。

 

ロープウエイから見下ろした山麓の「信長居館」(千畳敷) ↓

 

まず山頂の現在は、ロープウエイを降りて「天守」までの間に、2箇所に模擬「冠木門」が建てられています。

 

まず最初に「天下第一ノ門」の模擬「冠木門」が建ちます。

 

この門は門跡地に建てられたモノではなくて、「岐阜城」が天下統一に踏み出すお城となったことで、「信長」の大志を讃えて偉業を伝える為に建てらたれそうです。

 

「天下第一ノ門」の模擬「冠木門」 ↓

「天下第一ノ門」の模擬「冠木門」 ↓

 

次に建つのは「伝ニノ門」跡で模擬「冠木門」が建ちますが、この門は「下台所」の入口を担っています。「伝ニノ門」跡周辺では、「斎藤氏」時代の石垣と「信長」入城時の石垣が見つかっているそうです。

 

「伝ニノ門」跡で模擬「冠木門」 ↓

「伝ニノ門」跡で模擬「冠木門」 ↓

「下台所」跡 ↓

「下台所」跡から見える模擬「天守」 ↓

 

山麓には「千畳敷」と呼ばれる「信長居館」跡が拡がっています。

 

「織田信長居館」跡の入口にも模擬「冠木門」が建っていて、そこからの道には「斎藤道三」時代の遺構である大きな石積みが道に沿って並んでいます。これを抜けると「千畳敷」跡が目の前に拡がります。

 

「織田信長居館」跡の入口にも模擬「冠木門」と「織田信長居館跡」碑 ↓

「織田信長居館」跡の入口にも模擬「冠木門」 ↓

拡がる「織田信長居館」跡の「千畳敷」 ↓

 

 

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