全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。
御殿については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。
全国「御殿」を巡る”はじめに” ↓
今回は、「川越城」の現存で埼玉県の有形文化財「本丸御殿」をお届けします。
■「川越城」(埼玉県川越市)
当城の起こりは、1457年に「江戸城」を築城した「太田道灌(どうかん)」と父親の「道真(どうしん)」です。関東の覇権争いの中で、「上杉家」「北条家」による当城の奪い合いが頻発し、日本三大奇襲の一つと言われている「河越夜戦」で「北条家」が当城の支配を行います。
その後は、「豊臣秀吉」による小田原攻めによって「川越城」は、関東八州を治めることになった「徳川家康」の配下のお城となります。そして「江戸」の北の守りの為に、「家康」の重臣である「酒井重忠」が「川越城」に入城します。
「酒井家」の後は、「堀田家」「松平(大河内)家」「柳沢家」「秋元家」「松平(結城)家」「松平(松井)家」と、譜代大名のお城の例に漏れず目まぐるしく城主(藩主)が替わり、しかも幕府の要職に就くものも多く、老中に7名も就任しました。
この中で特に有名なのは、三代将軍「徳川家光」と四代将軍「家綱」の時に幕閣だった大老「酒井忠勝」と、知恵伊豆と言われたキレモノの「松平信綱」がいます。特に「信綱」は、「川越城」を近世城郭にするために拡張・整備を行いました。
現在「川越城」内に現存する県指定文化財「本丸御殿」は、現存では「高知城」と「川越城」しかなくて、非常に貴重な城郭建造物となっています。ただ、全体の建物面積の約1/5しか残されていないのは残念です。
「本丸御殿図面」(現地に掲出分、現存しているのは赤囲みの部分) ↓
まず「御殿」の玄関は、凄く風格を持たせ柱間が3間(約5.5m)もあり、屋根は「銅板葺き」の「大唐破風」を備えています。また、御殿玄関両脇の塀は「御殿前櫛形塀」で、屋根は瓦葺、櫛形窓には格子がはめられていて、整った形式美を見ることができます。
「本丸御殿玄関」(大唐破風と霧除け付) ↓
「本丸御殿玄関」と「川越城本丸御殿」碑 ↓
「本丸御殿」と「玄関」 ↓
「本丸御殿前櫛形塀」(御殿玄関両脇の塀) ↓
「本丸御殿」北面 ↓
「本丸御殿」の南側 ↓
「玄関」を入ると、南北に板張り廊下があり、廊下沿いには来客用の「使者之間」「使者詰所」や「大広間」、政務を行う「物頭詰所」などの6部屋が続きます。残された部屋だけでも、当時どのような役職があって仕事が行われていたかが解ります。
36畳の「大広間」には、3畳の長さがある「床の間」を設け、「使者の間」との間には「杉戸」で区切られ「松の杉戸絵」を見ることができます。
現存の「本丸御殿平面図 (右上は「家老詰所」)↓
「本丸御殿玄関」内部 ↓
「本丸御殿」内(「大広間」前の通路、北向き) ↓
「本丸御殿」内(「物頭詰所」横の通路、西向き) ↓
「本丸御殿」内(「中廊下」と「坊主当番詰」) ↓
「本丸御殿」内(「坊主当番詰」) ↓
「本丸御殿」内(「物頭詰所」) ↓
「本丸御殿」内(「老体番抜詰所」) ↓
「本丸御殿」内(「使番詰所」) ↓
「本丸御殿」内(「大広間」とその床の間、玄関式台奥に配され36畳の広さ) ↓
「本丸御殿」内(「大広間」の床の間) ↓
「本丸御殿」内(「大広間」と「使者の間」の間の「杉戸絵-松図」) ↓
「本丸御殿」内(「大広間」の「杉戸絵-竹図」) ↓
「本丸御殿」内(「大広間」の「杉戸絵」と「欄間」) ↓
「本丸御殿」内(「槍の間」) ↓
更には、北西には6部屋を持つ「家老詰所」の建物が繋がっていますが、こちらは、廃城後に他所へ移築されていた建物でしたが、元の位置近くに再移築されたもので、現在の「本丸御殿」を構成しています。
「本丸御殿」の「家老詰所」平面図 ↓
「本丸御殿」の「家老詰所」を北側から見た ↓
「本丸御殿」の「家老詰所」 ↓
「本丸御殿」の「家老詰所縁側」 ↓
「本丸御殿」の「家老詰所 記録方詰所」 ↓
「本丸御殿」の「家老詰所 年寄詰所と二之間」 ↓
「本丸御殿」の「家老詰所」 ↓
「本丸御殿」の「家老詰所 厠」 ↓
「本丸御殿」(「家老詰所」から「中廊下部分」を見る) ↓
「本丸御殿」(手前が「中廊下部分」と奥に見えるのが「家老詰所」) ↓
「本丸御殿」跡地を庭園化 ↓
この奥も「本丸御殿」跡(現在「川越高校グランド」) ↓
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