豊後の小兵衛:ことばを失った日本人(4)
さても、時季外れではあるが、新聞・テレビで日食、日食と大騒ぎだった。しかし「日蝕」が正しい。それも、皆既日食ではなく、「皆既日蝕」である。この括
弧括りをVistaで見ると私の意図通りに表記されるが、XPでも新フォントに置き換えられていないマシンは、略字体でしか表示されない。
前回、「WindowsXPからVistaに変わるなかで、字体が変わるものが多くあることを確かめよう」と書き、それを検証すべきと思案した
が、現在のネットとPCの環境では不可であり、恥ずかしながらの路線変更である。ただ、WEB上にはJIS2004として多様な情報があり、それを参照し
ていただくことで代替したい。結論として、「日蝕」や「皆既」など、多くの正漢字が標準で表示・印刷できるようになった。
一例として、再三登場した「阿辻哲次先生」の「辻」は、皆さんのディスプレイ上では一点之繞になっているはずだが、メモ帳などに貼り付けて見て頂く
(Vistaは標準、XPは新フォントに置換えが済んだもの)と二点之繞になる。阿辻先生が文化審議会の委員だから「辻」だけを正漢字に戻したのではな
く、「多くの漢字に書体変更がある」とだけここには記しておきたい。
さて私の手元に、明治10年8月29日版権免許と奥付に記された「小學習字本」全8冊揃いがあるが、その題名どおり、当時の尋常小學生のための習字手本で
ある。發兌所(発行所)には東京の回春堂を筆頭に京都・鳩居堂などの7社の老舗が並んでいるが、見開きには「文部省編纂拔萃」とあることから、本邦初の国
定教科書と思われる。
著者は「修史館一等編修官兼宮内省文學御用掛 従五位 長苂(草冠に火)公書」とあり、この人は大分県日田市天瀬町(旧日田郡天瀬町)出身の長三洲であ
る。幼少期には咸宜園で学び、後に官軍の奇兵隊に入り、大学少丞、文部大丞、教部大丞、文部省学務局長、侍読、宮内省の文字御用掛などを歴任した人でもあ
る。(詳細は(http://ja.wikipedia.org/wiki/長三洲)を参照)
またも前置きが長くなったが、序文には「三洲長先生書名甲於天下為世・・・・・」と漢文が記されていて、この教科書を現在に置き換えるなら、小学1年生
から中学3年生が使うことになるが、今では書の専門家でないとその読み下しすら難しい。題字は順を追って書くと、一・三條實美、二・岩倉具視、三・木戸孝
允、四・大久保利通、五・伊藤博文、六・土方久元、七・野村素介と並び、いずれも明治の元勲である。
でなにが言いたいか、もう諸兄には落が見えたと思うが、明治維新を成し遂げた先人たちは、くそ難しい「国語」を学んで欲しいと考えていたことの証ではないだろうか。
ことばは時代とともに変化する、それはどんな公権力をもってしても止めることはできない。しかし、その公権力で国語力を貶めたのが明治中期以降の「国語 教育」であり、昭和20年にはその命脈が断たれて今日がある。平均的な大学生ですら、森鷗外、夏目漱石の原文が読めないのを、はたして「普通の国」とか 「先進国」といえるだろうか。
読売新聞の正漢字書きは「讀賣新聞」だが、「読売」を流布したのは新聞社であり、それを後押しして、漢字学者から「誤字」と指摘される事態を招いたのは当時の通産省である。
このJIS漢字コードも、規格が制定された年によって、漢字の形に大きなちがいがあるという点が問題もある。平成12年当時のWindowsで入力した 「森鷗外」をそのまま印刷すると「森躾外」になる。ところが昭和53年のJISでは「鷗」となっていて、昭和58年のJIS改訂で「鴎」と改めた。
「躾」と「鷗」が入れ替わるのは、その後割り振るJISコードを変更したからである。
とここまでは国内問題で済んだが、初期のJIS規格には一部不備があり、マイクロソフトがShiftJISなる独自の規格を搭載したころから余計ややこしくなった。
以下関連資料:漢字制限による「同音の漢字による書き換え例」の拔萃(昭和31年7月5日発表「国語審議会の建議と報告」より)
愛慾→愛欲、闇夜→暗夜、意嚮→意向、慰藉料→慰謝料、遺蹟→遺跡、叡智→英知、叡才→英才、恩誼→恩義、恢復→回復、火焔→火炎、劃期的→画期
的、肝腎→肝心、徽章→記章、饗応→供応、魚撈→魚労、燻製→薫製、下尅上→下克上、元兇→元凶、交叉→交差、涸渇→枯渇、坐礁→座礁、撒布→散布、屍体
→死体、七顛八倒→七転八倒、終熄→終息、蒸溜→蒸留、訊問→尋問、尖端→先端、戦歿→戦沒、象嵌→象眼、褪色→退色、颱風→台風、歎願→嘆願、智慧→知 恵、長篇→長編、顛覆→転覆、倒潰→倒壊、曝露→暴露、叛逆→反逆、蕃殖→繁殖、叛乱→反乱、筆蹟→筆跡、辺疆→辺境、編輯→編集、繃帯→包帯、輔導→補 導、摸索→模索、熔岩→溶岩、輿論→世論、諒解→了解、煉炭→練炭などなど。
何とか意味が通じるものの見苦しい書替え例、語源から大きく離れその出自さへ不明となる書替え例など、およそ国語の専門家が例示したとは思えない書き換え例もあるが、「そんなこたぁ、どうでもいい」が世情の大勢なのだろうか。







