「友愛と共生社会」の実現へ(6)── ユニテリアン思想の転換
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平野貞夫著:わが友・小沢一郎(幻冬舎)
明治時代の支配層たちが導入し、普及させたユニテリアン思想は、前回述べた大山巌のような形で心ある人たちの中で残っていた。しかし、有識者のほとんどは時代の流れとともにユニテリアン思想を放棄していく。
日本で衰退したかに見えたユニテリアン運動は労働問題や社会問題の解決を真剣に考える人たちによって、継承され発展していく。キリスト教社会主義に関心を 持つ人たちである。安部磯雄、鈴木文治、村井知至らがユニタリアンとなり、社会派の政治家・島田三郎が運動の協力者となる。
安部磯雄の指導で、鈴木文治がユニテリアン教会を足場に労働者救済のための組織「友愛会」を創っていく経過を述べておく。
鈴木文治は、明治18年(1885)、宮城県に生まれ、10歳で父とともに「金成ハリス正教」で洗礼をうける。苦学して東大政治学科に学び、卒業
して「秀英会」(現大日本印刷)に勤め、ここで労務管理にかかわった後、東京朝日新聞社会部記者となる。時代は明治末期、大逆事件やハレー彗星で社会は混
迷していた。スラム街のルポルタージュ「東京浮浪人生活」などで活躍する。その体験をもとに「浮浪人研究会」を組織するが、ある出来事で朝日新聞社を辞め る。
鈴木文治が三度目に就職したのが、東京芝三田にあるユニタリアン教会であった。米国か
ら来日していた宣教師やマコレーの秘書役をやりながら『六合
雑誌』の編集にあたるようになる。鈴木は、東京の工場街でさまよう大量の労働者をみて、救いの手をさしのべねばならないと感じ、「教会として何かなすべき
だ」と考え、ユニテリアン協会の中に「人事相談所」を開設した。
次いで、「労働者講話会」を開いたところ、ユニテリアン教会の中の「唯一館」の楼上に、職工や近隣の人たち約400人が集まったといわれる。この
講話会は毎月15日に工員たちを集め、知名人講師による労働者の修養論をはじめ労働問題の啓蒙運動を行った。これらはユニテリアン教会の付属伝道団体の社
会事業として行われるが、大逆事件(明治43年)の影響を受けて「通俗講話会」と名を変えた。
時代は社会運動や労働争議が頻発し、その取締りが厳しくなる中で、通俗講話会は労働組合結成へと動き始める。大正元年(1912)8月1日、明治 天皇崩御の3日後、「唯一館」の図書館で「友愛会」が結成された。友愛会は、鈴木文治が宣教師マコレーと弘道会・安部磯雄の協力で提唱した共済的親睦団体 であった。
この友愛会の綱領や活動について、次回に述べよう。





