深層レポート~日本の政治~「現実路線」へのシフト図る民主党の敵は「楽勝ムード」
衆議院が解散された七月二十一日夜、麻生太郎首
相は首相公邸で、河村建夫官房長官、松本純、浅野勝人両官房副長官に囲まれ、千賀子夫人の手料理に舌鼓を
打っていた。河村氏は、記念すべき衆院解散の日に、首相にゆっくりと夕食をとってもらえる店を予約しようと計画していたのだが、首相が「山口県で洪水被害
もあることだし、衆院議員四百八十人の首を切った後だし……」と断り、外出を控えて公邸での食事となったのだ。
この時の首相には、「苦戦が予想される衆院選に突っ込んでいくという悲壮感は感じられなかった」と同席者は言う。それよりも、むしろ高揚感に包まれ、「ブ
ランデーを持ち出して来て、乾杯する勢いだった」。何がそんなに首相の心を高ぶらせたのか。首相周辺はその胸中をこんなふうに解説した。
「達成感ですよ。解散、解散と言われ続けた一年でしたからね。ようやく成し遂げたという思いでしょう」
宰相が成し遂げるべき仕事は、外交、内政、他にいくらでもあるはずで、一年かけてようやく成し遂げたのが衆院解散だったというのは情けないかぎりだが、首相の気持ちはわからなくもない。なにしろ、この一年間、首相は解散の機会を逸し続けてきたのだ。
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小降りが本降りに……
自民党がそういう思いを一層強く認識することになったのは、やはり東京都議会議員選挙の結果だ。
解散詔書が読み上げられた衆院本会議の終了後に開かれた自民党町村派の総会で、乾杯の音頭をとった森喜朗元首相は冗談めかしたあいさつで場内を盛り上げた。
「乾杯のあいさつを勧められたが、今年一月一日に神様の前で『衆院選が終わるまで酒を断つ』と約束しました……が、こんなに長くなるとは思いませんでした。フフフ。半年以上、断酒しました」
振り返ってみれば、首相には何度も解散のチャンスがあった。まず、昨年秋の就任直後、そして年末年始、さらに今年度予算成立後の今年春にも機会があった。 だが、いずれの場面でも決断できなかった。その理由のひとつは、景気対策を優先させようとして、予算編成や予算案審議の日程を重視したために、選挙日程を 組みにくかったことだ。
首相は七月三十日、東京都大田区の工場を視察した際、こう語気を強めた。
「昨年九月に総理大臣になり、それ以降、すべての法律、すべての政策は景気回復……景気回復一本に絞ってやってきた。おかげで数字(経済指標)が上がってきた。私どもの政策は当たったんだ」
その言葉の裏には、解散時期を逃して麻生政権そのものが窮地に陥ったとはいえ、景気対策に全力を尽くしてきた十カ月間の努力については、誰にも文句を言わせないという強烈な自負があった。
しかし、解散に踏み切れなかった理由は、そんな格好の良いものばかりではない。解散できなかったもう一つの理由は、麻生内閣の支持率が低迷を続けていたこ とだ。低支持率では、戦っても勝てない。これが、首相の解散の判断を鈍らせた。今からみれば、首相就任直後は内閣支持率が約五〇%もあった。その後、支持 率は落ち込んだが、今年春には、民主党の小沢一郎代表(当時)の秘書が逮捕・起訴されて、一時的に支持率が三〇%台を回復したこともあった。ところが、今 は一〇%台である。
結果論になってしまうが、「こんなことなら、早く解散しておけばよかった」という思いを抱く自民党議員は多い。解散の日、首相と距離を置く自民党若手議員は記者団にこうぼやいた。
「小降りになるのを待っていたら、どんどん雨脚が強まって……。川柳にあるよな。『本降りになって出て行く雨宿り』って」
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麻生降ろし「情報戦」の内幕(1)
自民党両院議員懇談会の最後に「
ガンバロー」コールで気勢を上げる
麻生太郎首相(奥中央)ら=2009年7月21日、東京・永田町の同党本部【時事】
本降りの中へ出て行く自民党。そんな嫌なムードを断ち切るかのように、解散直後に国会内で開かれた自民党両院総決起集会では、威勢の良いあいさつが続いた。
衆院議員たちを選挙戦へと送り出す参院議員会長の尾辻秀久氏は故郷・鹿児島に伝わる剣術「示現流」の一撃必殺の作法を紹介した。
「薩摩には示現流がある。示現流に二の太刀はない。最初の一太刀にすべてをかける。渾身の一太刀を振り下ろそうではありませんか」
会場から、「よしっ」「そのとおりっ」「そうだっ」と、合いの手が入る。尾辻氏は最後に声を張り上げた。
「皇国の興廃、この一戦にあり。示現流の掛け声はこうです。チェストー!」
満場が大いに盛り上がった。だが、こんな勢いも見かけ倒しにすぎない。実際の自民党は、解散に至るまでのドタバタ劇で、深く傷ついてしまっていた。それを 象徴するような場面が、この決起集会が終わるころにあった。町村信孝前官房長官が「反麻生勢力」の急先鋒である中川秀直元幹事長に近寄って、こんなふうに ささやいたのだ。
「これから戦いが始まります。党や派閥の結束を乱すようなことを言うのはやめてください」
中川氏は無言で応じたが、解散に至るまでの約一週間を顧みて、その心中は複雑だっただろう。
中川氏の「麻生降ろし」の動きは七月十二日の東京都議選敗北後に加速した。首相は、都議選開票翌日の十三日、衆院解散を決断した。首相が設定した日程は、 七月二十一日解散、
八月三十日衆院選投票。それまで、首相の「名誉ある決断」(要するに退陣)を求めてきた中川氏ら反麻生勢力は、首相の解散宣言によっ
て、「麻生降ろし」のスピードを上げなくてはならなくなった。麻生首相ではない新首相のもとで衆院選を戦うためには、二十一日までに首相を退陣に追い込ま
なくてはならないからだ。
麻生降ろしのためには、党の議決権を持つ会合を開催す る必要がある。つまり、両院議員総会である。また、自民党内には、「麻生首相では衆院選は勝てない」という首相交代論者だけでなく、首相の口から地方選敗 戦の分析・総括が聞きたいという議員も多かった。このため、議員総会開催を求める中川氏らの署名集めは当初、順調に進んだ。
これに対して、麻生擁護派は情報戦を仕掛けてきた。十四日夜、中川氏が仲間とともに自民党を離党し新党を旗揚げするとの怪情報が政界を駆けめぐったのだ。
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麻生降ろし「情報戦」の内幕(2)

衆院解散の当日、硬い表情で
自民党両院議員懇談会を後にする
中川秀直元
幹事長(中央)=2009年7月21日、東京・永田町の同党本部【時事】
怪情報が指摘したとおり、その夜、中川氏は実際に、東京・赤坂の「ANAインターコンチネンタルホテル東京」で、麻生首相と距離を置く加藤紘一元幹事長、中谷元・元防衛庁長官、塩崎恭久元官房長官らと密談していた。
だが、メンバーにとって新党結成の話は寝耳に水だった。「反麻生」的な動きを強めているとはいえ、自民党離党―新党結成となると、今後の自分自身の選挙戦 のことも考慮して、もう一段強い覚悟が必要になる。政治生命がかかっているのだ。メンバーたちは、中川氏に真意をただした。中川氏は溜息をつきながら、静 かに答えた。
「俺は離党しない。官邸や派閥の上の方がそんな変な情報を流しているんだろ」
メンバーたちは、ほっと胸をなで下ろしたが、「派閥の上の方」とは誰か。その場にいた全員が暗黙のうちに、それは森元首相のことを指していると理解した。
中川、森両氏が対立関係にあるのは周知の事実だったし、偽情報を流して「麻生降ろし」の動きを封じるにはそれなりの政治力が必要であり、党内を見渡しても
それだけの影響力を持っている人物は森氏ら数人に限られるからだ。
中川氏周辺で は、「『麻生降ろし』まではいいが、中川氏が自民党離党まで決断しているのなら、ついていけない」(町村派若手議員)との声が大勢だった。このため、中川 氏離党情報で反麻生勢力は動揺した。情報戦を仕掛けたのが、本当に森氏だったのかどうかという真相は霧の中だが、いずれにしても、偽情報は効果覿面(てき めん)だったわけだ。
森氏は七月十九日に民放のテレビ番組に出演し、これまでの中川氏の数次にわたる造反行動や失態をほのめかしつつ、こう言った。
「政党にはルールがある。スポーツと同じだ。打席に立って三回空振りして、それで、もう一回打たせてくれというルールは政党にもスポーツにもない」
結局、二十一日まで開催を先延ばしにした党執行部の作戦は図に当たった。執行部と各派閥領袖たちの切り崩しによって、時とともに、署名した約百三十人の議 員たちの一角が崩れ始めたのだ。署名議員の中には、自民党離党どころか、「麻生降ろし」ですらなく、単に両院議員総会で首相の釈明を聞きたいというだけの 議員もいたわけだから、当然、その程度の覚悟の議員らは、派閥幹部からの圧力で簡単に寝返った。
とりわけ、切り崩しに効果があったのは衆院選での公認取り消しという脅しだったと言われる。加藤紘一元幹事長は「麻生降ろし」が失敗に終わった理由につい て、「激しい戦いをするだけのエネルギーが自民党に
残っていない。理由は小選挙区制度だ」と述懐した。かつての中選挙区制では、首相に歯向かって、選挙で
の党公認をはずされても、無所属候補として当選することは今ほど難しくはなかった。しかし、選挙区で一人しか当選しない今の小選挙区制度では、無所属議員
の当選はかなり厳しい。まして、平成十七年の前回衆院選で、当時の小泉純一郎首相が郵政民営化で造反した候補に対して、「刺客」候補をぶつけ、次々と落選 に追い込んだことは、各議員の心に生々しい記憶として残っている。
結局、両院議 員総会は、議決権のない両院議員懇談会に格下げとなり、二十一日の衆院解散直前にわずか一時間にも満たない短時間で終了。中身も首相への「ヨイショ」ばか りが目立つ空疎な集会となった。中川氏らの完全敗北である。そんな経過を考えてみると、町村氏が中川氏に言った言葉は、町村氏の勝利宣言だったのかもしれ ない。
だが、今の自民党には身内でさや当てをしている余裕はない。本当の対戦相手である民主党は快進撃を続けているのだ。
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「選挙に絶対はない」
あまりの好調ぶりに楽勝ムードが漂う組織を引き締めようと、民主党幹部は懸命だ。輿石東参院議員会長は七月二十九日夜、東京・北品川の「ホテルラフォーレ 東京」で開かれた民主党の支持団体「日本労働組合総連合会」(連合)の総決起集会で、「選挙まであと四十日もあり、何が起きるか分からない。自民党はどう しても政権を維持しようと必死であるのに対し、民主党はどれだけ真剣にやっているのか。私自身も背筋が寒い思いがしないでもない」と警戒を呼びかけた。
民主党と連携する新党大地の鈴木宗男代表は七月二十二日、国会議事堂近くにある民主党の鳩山由紀夫代表の個人事務所を訪ねた。新党大地が強い地盤と集票力を誇る北海道の選挙対策で意見交換するためだ。話題が衆院選後の連立政権のことに及ぶと、鈴木氏がクギを刺した。
「鳩山さん。その前に、まず選挙で勝つことが先決ですよ。八月三十日の衆院選投票日まで、まだ四十日以上ある。政権構想の話をしたら、組織は浮き足立ってしまう」
さらに、鈴木氏は野党系が全勝すると言われている北海道の選挙情勢について、鳩山氏に忠告した。
「選挙に絶対はない。北海道一区から十二区までのうち、当選間違いないのは、鳩山さん、あなたの所だけだよ。他はすべて接戦だ」
選挙に絶対はない、というのは鈴木氏の言う通りだ。だが、それは本音というより選挙運動の上滑りを警戒してのことだろう。客観情勢としては、やはり民主党 はかなり優勢に戦いを進めている。最近の各種世論調査でも、民主党は政党支持率で自民党に大差をつけている。一部の週刊誌では、民主党が三百議席という大 量の議席に手が届くという、にわかに信じがたい記事もあるほどだ。このため、いくら幹部が引き締めても党内には楽観論が漂う。ベテラン議員秘書は言う。
「これから衆院選だというのに、組織が緩んでいて困る。でも、緩んでいても勝てるほどの楽勝だ」
政権の座が近づいているという実感が民主党全体を覆いつつある。七月二十七日に発表した衆院選マニフェスト(政権公約)にも、それがうかがえる。有権者の 心をくすぐるバラマキぶりがひどいと評されているマニフェストだが、よく読むと随所に政権奪取を視野に入れた現実路線が顔をのぞかせているのだ。
たとえば、在日米軍基地問題では、これまで普天間基地の県外移設を強く主張していたのだが、「在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」とあい まいな表現にとどめている。これは、いざ政権をとっても、基地問題の解決が一筋縄では済まないことを承知しているからだ。ほかにも海上自衛隊のインド洋で の補給活動について、これまで「憲法違反」とののしっていたにもかかわらず、最近になって、鳩山氏は政権をとっても自衛隊は即時撤退させず、来年一月の改 正テロ対策特別措置法の期限切れまでは活動を継続させることを表明している。
こ うした民主党の主張のぶれに対して、衆院選後に民主党との連立を予定する社民党は強く反発している。だが、主張の軌道修正は、裏を返せば、民主党が徐々に 現実に則した政権運営の準備を始めたという意味でもある。自民党内では、「民主党が政権をとってもすぐに行き詰まると言われていた。だが、現実的な対応に 転じた民主党政権は、意外に手強いかもしれない」(参院幹部)との危機感が広がり始めている。