是非、理性的にお読みになっていただきたいのですが、「ハッ」とするコメントを頂戴しています…
これ、先週の土曜日、日本スーパーフェザー級タイトルマッチ、「矢代×三浦」における感想コメント欄の一コマ…
で、誤解を招くことのないよう、念を押しておきますが、これはそのコメントを残してくださったいずれの方をも貶めるものではないということを御了解いただければと存じます…
では、ちょっとそのコメントを抜粋…
■レフェリング
リングサイド生観戦です。この試合ではJBCレフェリーには珍しく主催大手ジムに媚びる事なく公平に裁かれた。打たれると弱気の虫が満開になる矢代は直ぐにクリンチに行く。三浦は構わず打ち続けブレークの際矢代はレフェリーに「後頭部を打たれた」と抗議。この試合の中でちょくちょく起こった事。普段の試合ならレフェリーは三浦に「後頭部を打つな」と注意を与える。勿論後頭部を殴る事は反則行為。しかし今日のレフェリー(土屋氏)は矢代の方に「抱え込むな」と注意。当然である。矢代がクリンチをしなければ後頭部を打たれることはない。むしろ突っ込み気味の三浦にバッティングの注意が与えられたかも・・・矢代の打たれ脆さと気の弱は今後に不安が残る。
と、「ねこ」さんからのコメントがあって、これに対して…
■RE:レフェリング
>ねこさん
同意です。矢代選手は気が弱いのかもしれませんね。顔から弱気がにじみ出てましたね。
最後は死ぬ気で打ち合ってほしかった。なみだ目でヘタリこんでのダウンは恥かしい。
と、これに同意した「masa2000」さんのコメントが届いてました…
で、恐らくはこれらのコメントに対しての、ちょっと、なんというか、「激情」に駆られたあるコメントがこれに反論…
■RE:RE:レフェリング
お前は、人と戦ったことねぇだろ!●ね
という、コメントが「じょl」さんから残されていました…
最後の「●ね」は申し訳ないですがいただけません…が、しかし、「経験者だからこそわかるボクサーの気持ち」っていうものがこの僅かなコメントに集約されているのだとすれば、これはズキン!!!っと来るものがある…
しかし、「プロボクサー」たるもの、ましてや、「チャンピオン」という肩書を引っ提げて戦うボクサーに多くの観客とファンの「期待」が想像以上に重く圧し掛かることはある意味で必然であり、このような期待、さらに、あらゆる批判さえ甘んじて受け止めるべきが「チャンピオン」でもあるとも思う…
が、圧倒的苦境に立ったチャンピオンの苦痛と恐怖に苛まれた表情を評して、「弱気」の一語で表現されると、確かに、あんまりのような気もする…じゃぁ、おまえは戦ったことあるのかよ!!! と、思わず憤怒したくもなる気持ちも理解できる…さて、重ねて申し上げますが、僕はこのどちらの「意見」も理解できる…
日本チャンピオンとして、矢代選手の未来に「世界」の二文字を透かして見つめた場合、その「弱点」を克服していただきたい、というファン心理はもっともな話で、また、それをこのような一般ブログのコメント欄に残し、そして、伝わるかどうかは別にして、鼓舞激励すること自体は何も間違ってはいない…
が、言葉尻ひとつ、言い方一つでその激励は厳しすぎる印象を残してしまうし、今回のコメントは確かに「手厳しい言い方」にも読める…
これに対して、「憤り」を感じる方がいるとして、支援者・応援者の立場であるとするならば、「ふざけんな!!」と叫びたくもなる気持ちもわかります…
しかし、「ケンカ腰」はいただけない…
で、僕はこのようなボクシングブログを運営しながら、ここに、「大きな溝」を感じ続けてきました…
「ボクシングファン」という立場と、「ボクサー」という立場の間に横たわる、巨大な溝…
どうしても相容れない「切実」というものの『温度差』…
非常に悩ましい一方で、しかし、これをどうにかして埋めようとしても、まぁ、はっきり言って「無理」かなぁ、っていうのが正直な気持ち…
でも、双方の立場が「一致」というか、「共感」できる場合も多い…
それは「感動」と呼ばれる心の揺れ動き…
これは老いも若きも男も女も分け隔てなく抱きとめられるモノであります…
ボクシングを愛するが故の厳しいファンの声、ボクシング経験者しか理解できない「領域」、それぞれ尊重したい…と、このやり取りを拝見して感じた次第であります。
で最後に、以前、皆さんと一緒に、「素人衆」と「玄人衆」の間に横たわるこの巨大な溝に、思い切って探究させてもらった「過去記事」を貼っておきます…
よろしければ目を通してください…
改めて、これはいただいたコメントの片側を貶めるためのものではない…と重ねて申し上げます。
とはいえ、「じょl」さんの最後の一言はあなたが悪いですよ…
最後に、なぜ、このような形でいただいたコメントを取り上げさせてもらったかといえば、それは、それだけ「ボクシング」というスポーツが切実にして究極的である、ということをお伝えしたいと感じたからであります…
御愛読感謝
つづく