藤島大著 「キャンバスの匂い」 論創社刊
これ、面白い本ですねぇ…
現在休刊中の「ボクシングワールド」誌に連載されていたコラムの数々が一冊になった本ですが、この中の一節、彼の有名な「ドン・キング」にまつわる章を読んでいて、ちょっと感じたことがあります…
ちょっと、その中で取り上げられている、爆発ヘアーでお馴染みの、彼の声を抜粋させてもらう…
---- ジョージ・フォアマンは五億ドルもの富を生み出した。人々に愛されたからだ。モハメド・アリが想像を超える冨をもたらしたのも人々に愛されたからだ。
僕には、「ボクサーの才能を食潰す恐怖のボクシングプロモーター」…というイメージがあるこのドン・キング氏の言葉でありますが、しかし、ここにある「愛」という一語を読み、それを思うと強烈な説得力に飲み込まれてしまった…
何が愛だ、ドン・キングよ!!!
しかし、とどのつまり、あんたの言うとおり、「愛」なのかも知れない…
で、ここで改めて自らに問いたい、と感じたのだ…
なぜ、僕はボクシングを「愛している」のか…?
これ、簡単そうに思えますが、いざ、言葉にしようとすると意外と難しいものであります…
(…この行間が埋まるまでに約10分掛かってます…)
ビジネス的側面を含め、ドン・キング氏はこのような表現をしていることは十分承知ですが、しかし、僕の考えている「ボクシング愛」とは、まぁ、なぜ、こうも目が離せないか?あるいは、自分の時間を割き、敢えてリングの死闘を自分の人生の一部に取り込もうとまでするのか…?っていう意味であります。
まぁ、繰り返しになるのですが、それはやはり、命を賭けて戦うボクサーたちの、その「全身全霊」の、「美しさと尊さ」に打ちのめされたいからだ…
その「懸命」を胸に、いや、脳髄に刻み込みたいからだ…
それが「欲しい」からだ…
だなどと、書きなぐりながら、ちょっと恥ずかしくなるわけですが、しかし、まぁ、言葉にあえてする必要はないのかもしれませんが、でも、幾ら好きだからといって、ただ、惰性で好き…ってわけにもいかないので、こんな風に「活字」にしてみました…
…うぅぅむ、やっぱり、ボクシングって「ぐ…っ」とくるよなぁ。
なんなんだろうなぁ…
なんでこうも激しくメロメロになっちゃうんだろうなぁ…
「愛されるボクサー」か…
僕の中では一番は夢中になったのは坂本博之さんで、最近だと越本隆志さんかなぁ…
坂本さんは言わずと知れた「平成のKOキング」にして、なんというか、支援者・応援者の「想い」をあそこまで拳に載せたボクサーはいないだろう…って言う意味で、もう別格…
越本さんは僕と同い年なのですが、35歳での、まさに執念の戴冠に感動しましたし、なんと言っても、あの初防衛失敗の、満身創痍の、そのどうにもならない感じの陥落振りに思わず涙腺が緩んでしまいましたねぇ…
また、川嶋勝重さんの愚直の真髄も夢中になったし、あのミハレスの速射砲連打で釘付けになってしまったTKO負けもメチャクチャ痺れましたねぇ…
総じてやっぱり三十路ボクサーが僕は好きなわけですが、しかし、ボクシングってのは「異常」であると同時に、なんとこうまで一生懸命の「純度」が高いのかなぁ…って思いますね。
ボクシングと愛…
なんだかまとまりませんが、ドン・キング氏の「愛」とはちょっと違うかもしれませんが、いや、同じか…
ボクシングが好きで好きでしょうがない方々は、はやり、ボクシング「愛している」からにほかなりませんな…
で、この「キャンバスの匂い」を読むと、さまざまな形状の「ボクシング愛」に触れることが出来て大変勉強になりますです…
御愛読感謝
つづく