2024-05-25 20:16:16
2024-05-27 07:13更新
5月15日は沖縄が日本に復帰した日。
1972年(昭和47年)5月15日に返還されました。
日本に返還されてから52周年。
沖縄が返還されたのは1972年ですが高校野球の甲子園大会には沖縄の高校はそれ以前から出場して応援されていました。
沖縄は戦後米国の統治下に置かれたため、1946年に復活した全国中等学校優勝野球大会の予選には参加できませんでした。そんな中、「沖縄野球の父」と呼ばれる第二中学校出身の国場幸輝さん(沖縄県野球連盟会長や沖縄タイムス社運動部長などを歴任)らが主催者との折衝に奔走。1952年から再び全国大会の予選出場が認められ、高校野球が一早く「本土復帰」を果たし、その年の東九州大会に戦後初めて石川高校が参加しました。
1956年には沖縄に県高野連が誕生。
1958年に夏の甲子園大会に初出場。
沖縄の代表校が初めて甲子園の土を踏んだのは、その2年後の1958年夏です。
代表校は、県大会で出場17校の頂点に立った首里高校。それまで夏の甲子園に出場するためには、県大会で優勝した後に宮崎県の代表校に勝利する必要がありましたが、この年の全国高校野球選手権大会は第40回の記念大会で、各都道府県から一校が出場できることになったのでした。
春の選抜高校野球大会では1960年に那覇高校が県勢で初めて出場。
沖縄の高校が甲子園大会で上位に進出し始めたたのは1975年春に豊見城高校で初めて甲子園に出場し、準々決勝で原辰徳選手(後の読売ジャアンツ監督)を擁する東海大相模高校(神奈川県)に1-2で惜敗したものの、いきなりの8強入り。
さらに1976年からは夏の甲子園で3年連続ベスト8という好成績を残したころから。
その後沖縄水産高校に転任し、1990年と1991年の夏に甲子園で2年連続準優勝という快挙を成し遂げます。
甲子園弱小チームから強豪チームへ。
1999年春の甲子園でついに沖縄尚学高校が優勝。沖縄勢からの初の優勝!!
2008年春には同校が2度目の優勝旗を獲得。
沖縄は
春の甲子園優勝3回(1999/2008/2010)
(1960年初出場)
夏の甲子園優勝1回(2010)
(1958年初出場)
沖縄県代表校の甲子園での春夏通算成績は104勝87敗、勝率は54.5%。優勝回数4回、準優勝回数2回、ベスト4は5回、ベスト8は11回
平成以降に4度優勝、すっかり強豪校になった沖縄。
高校野球100年、沖縄の歴史。
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沖縄が返還された、その前の昭和43年(1968)6月に小笠原諸島が返還されています。
小笠原諸島の豊かで独特な自然の価値が認められ、平成23年6月に「小笠原諸島」が世界自然遺産として登録されています。
「ゲゲゲの鬼太郎」が昭和43年8月18日から3週に渡って、「少年マガジン」に「血戦 小笠原」(前・中・後編)のタイトルで小笠原を舞台に掲載されたのを覚えています。
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北方領土は返還される雰囲気は全くないですね。
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