日本の、世界の、食の常識を超えていく。 -9ページ目

エコノミックヒューマン

香港の外食マーケットを視察してきた。圧倒的な活気に度肝を抜かれた。早朝から満席の料理屋、高級車だらけの道、セールでもないのに大行列のルイヴィトン、深夜まで宴が続く盛り場、20億円を超えていても買い手がつくマンション、日本の閉塞感とは正反対な世界がそこには広がっていた。


迷走を続ける日本。私は日本の未来を思うと暗澹たる気持ちになる。香港はなぜ景気がいいのか?それはシンプルに「金持ち」の企業や個人が集まりそこで消費や投資をするからだ。それと正反対なことを日本はしているから景気が悪い。それだけだ。政権が変わってからさらにそのような動きが加速している。そういえば長妻大臣が介護などのビジネスを優遇していき、そのビジネスモデルを海外へ輸出していくと語っていた。介護という拡大再生産がきかないビジネスを輸出してもビッグビジネスにはなりづらいということは誰にでもわかりそうなもの。大臣の「ビジネスセンス」に愕然とする。


ファーストリテイリングの柳井正氏が「正常に縮むということはあり得ない。縮めばすなわち衰退、あるいは病気になる」(Voice12月号)と述べている通り、経済が「縮む」ということは衰退であり病気なのだ。この発想を我々日本人がもう一度持つべきなのではないだろうか?

もちろんまたエコノミックアニマルと揶揄されていた時代のような、無秩序な経済発展を目指せと言っているわけではない。アニマルではなくヒューマンとして、新しい形の経済発展を目指すべきである。例えば都市作り。これまでのように小さく狭い家やビルを無計画に建てるべきではない。森ビル社長の森稔氏が「人口比率に対して少ない土地を有効活用するには建物を超高層化して地下を有効活用し建ぺい率を抑え、地表面を緑と人間に解放する。そうすれば町はコンパクトになり移動や空調などのエネルギー効率も上がる。」と語っているが、このような新しいグランドデザインを描いて日本を再構築しなくてはならないのではないか?

日本は十分経済発展を果たし、衣食は十分足りた、だからこれからは経済発展に汲汲とすべきではない、といった意見がまかり通っているが、私は間違っていると思う。日本も資本主義社会の国際競争というゲーム、勝負の1プレイヤーであるのだ。そんな中で日本が現状維持でいい、多少順位が下がっても苦しい事はしたくない、では「衰退」し「病気」になるのは当然の帰結だ。もう一度日本が「エコノミックヒューマン」として国際競争に勝ち抜き、強くかつ賞賛される国になってほしい。


香港滞在期間中、空はずっと厚い雲に覆われていた。日本に降り立ったとき、空は晴れ渡っていて、その抜けるような青さに心を奪われた。過去の首相や党首が言っていたように、この美しい国日本を絶対にあきらめてはいけない。今、日本人の覚悟が問われている。



「少しの事」

その日、私は山手線内回りに乗っていた。

朝のラッシュ時。渋谷駅に到着すると、下車する人と乗車する人で車内の扉付近は大変な込み具合となった。そして発車を知らせる音楽が鳴り、電車のドアが閉まりかけた。その瞬間、手にエクセルシオールカフェのアイスカフェラテを持っている若い20代の女性が、いわゆる駆け込み乗車をしてきた。しかし彼女の試みは無謀であった。乗車することはできず、彼女の体は電車の扉に挟まれてしまった。と、その時だった。彼女の持っていたアイスカフェラテが、「爆発」したのだ。彼女は閉まる扉から無意識に体を防御しようとしたのだろう。アイスカフェラテの容器が電車の扉に圧縮され、中の飲み物が半径3メートル程の範囲に飛び散ってしまったのだ。近くにいた初老の男性のスーツに、40代くらいのキャリアウーマン風の女性の背中に、女学生の制服に、その全てに茶色の液体が飛び散った。閉まりゆく扉の向こう側で、その20代の女性は「すみません」という詫びの言葉はそこそこに、自らの時計をチェックしていた。彼女は電車へ乗れなかったことが悔しいようだった。電車は発車し、初老の男性の舌打ちだけが車内に響いた。


その若い女性はなぜこぼれやすいドリンクを片手に電車に乗り込んできたのか?なぜ駆け込み乗車をしたのか?そしてなぜもっと心を込めて謝罪ができないのか?車内の空気にはそのような疑問、怒りが充満した。「近頃の若い者は」という言葉は使いたくないが、日本はいつのまにこのような国になってしまったのだろうか。日本人の若い世代や未来に失望を感じた人間は車内で私だけではなかったはずである。


しかし、しかしである。始まりは一人の30代の女性だった。

カフェラテを浴びなかった人達が自らに被害が及ばなかったことを内心喜んでいた、そんな中、彼女はバッグからハンカチを取り出すとキャリアウーマン風の女性の背中を拭きはじめた。その一人の女性の行為に、多くの人が被害に遭われた方を思いやることのできない自分達を恥じたのだろう。今度はまた別の女性がティッシュを取り出し初老の男性のスーツや靴を拭きはじめた。そうして車内にはそんな思いやり、いたわりの気持ちがどんどん伝播していった。最後にはその付近にいたほぼ全員で、床に残されたカフェラテの液体を拭き上げ、車内は何事もなかったかのように綺麗になった。そして車内は、全員が力を合わせ「災害」を解決したことへの心地よい充実感で満たされたのだった。


何かが良い方向に動く時、それはこの女性の行為のような「少しの事」がきっかけになるのではないだろうか。会社作りでも、国作りでもこの「少しの事」が大きなうねりにつながるのだ。恥ずかしいことかもしれない。向かい風が吹いているかもしれない。しかし、この最初の一歩を踏み出すことこそが重要なのだ。

そんなことを教えられた、朝の山の手線だった。



仇(かたき)

オバマ大統領が来日するらしい。来日時に広島に訪問するかどうかが話題となっている。広島と言えば原爆、我々世代で原爆といえば「はだしのゲン」だ。小学生の頃、図書室にあったものを読んだだけだが、原爆の悲惨さがリアルに描かれていた。ただ子供心に戦争責任を全て天皇に押しつけているところには疑問を抱いた。そういえば授業1時間丸々つかって、いかに天皇制度が無駄な制度かを力説する教師がいた事を覚えている。その頃の坂井少年は日教祖という言葉すら知らなかったが。。。


話が横道にそれてしまった。広島である。原爆の使用に対していまだにアメリカでは「戦争を終わらせるためにはしかたがなかった」というのが定説になっているという。しかし、そもそも市民の殺害は国際法上重大な犯罪である。広島長崎合わせ40万人近い市民を殺害しながら「戦争を早く終わらせたから合法」という発想はあまりに稚拙というか、ここまでくるとドラえもんの「ジャイアン」的発想である。


オバマ氏訪日に関する街頭インタビューを行っているニュース番組を見た。やはり少なからずオバマ氏に原爆使用の謝罪を求める声も上がっているようだった。そんな中で私には、被爆を体験した91歳のおばあちゃんがブラウン管(正確にはプラズマディスプレー)の向こうで語ってくれた言葉が胸に響いた。


「戦後日本はこれだけ復興しました。だから十分仇(かたき)を取ったんです。オバマさんに謝罪は求めません。」


被爆を体験され、戦争をくぐり抜けてきた91歳の大先輩が謝罪を求めないのに、体験していない我々が謝罪を求めるというのもおかしな話になってしまうと思ったし、また、あまりに希望的観測ではあるが「仇を取ってくれた」と40万人の犠牲者が考えていてくれたらどれだけ救われるだろうとも思った。さらに、自分がその犠牲者の一人だったら今日本に何を望むだろうと考えてみたが、けっして息子や孫の世代に「原爆を落とした国に謝罪をさせろ」とは求めないだろうと思った。それよりも息子や孫の世代がそのような悲劇にとらわれずに、伸びやかに、しなやかに、胸をはって生きていくことを望むだろう。


原爆で、先の大戦で、志し半ばで亡くなられた方々を思うと胸が張り裂けそうになる。しかし、自分がその亡くなられた方々だったら今の世代に何を望むか、という目線も時には必要なのではないだろうか。苦しみ、悲しみから逃避しているだけかもしれない。都合の良い発想をしているだけかもしれない。しかし過去は変えられないのである。変えられるのは今、そして未来だ。我々が、我々の子供達が、明るく、楽しく、胸を張って生きていける日本にしていかなければならない。

我々団塊ジュニアが、戦争の生の声を聞いた最後の世代となるだろう。団塊世代のような感情的なイデオロギーに左右されずに、今こそ我々が日本を良い方向へ引っ張っていかなければならない。