日本の、世界の、食の常識を超えていく。 -10ページ目

ホームベース

先日、実家の福岡に里帰りをした。

80歳をとうに超え、小さく、か細くなっていた大叔母から祖母や祖父のエピソードを聞いた。大好きな叔父達からは彼らの幼少の頃の話、私の幼少の頃の逸話などを聞いた。墓参りでは「祖母や祖父が生きていたら今の自分を見て何と言うのだろう」などと思いを巡らせた。今回の里帰り、私は胸がいっぱいになると同時に心の芯がじんわりと暖かくなるものを感じた。

今の自分がファースト(一塁)にいるのかセカンド(二塁)にいるのか、はたまたどこを走っているのかすら判らないが、今回の里帰りで「ホームベース」だけは確認できた気がする。自分には帰る場所があるのだ。


今から12年前、私はアメリカ国境にほど近いメキシコ・メヒカリで行われたサテライトテニストーナメントに出場した。この試合は、世界のトップクラスが出場するグランプリ大会、そしてチャレンジャー大会に次ぐ、いわば世界を目指すテニスプレイヤー達の登竜門となる大会だ。JOP(日本のテニスランキング)ポイントすら無い自分がATP(世界のランキング)のイベントに参加すること自体、今思えば無謀な試みであったが、テニスプレイヤーとして活躍していた妹のサポートもあり出場にこぎつけられた。しかしいざ試合が始まってみると、日本ランキング上位者はすべて予選1回戦で姿を消し、日本勢でただ一人勝ち残ったのが私であった。ドロー運とは面白いものである。2回戦の相手は地元メキシコの選手。地元では有名な選手だったのであろう、なんと試合はセンターコートで組まれていた。試合当日は日曜日、会場は超満員となった。我々選手がコートに入場するとそこにはメキシコ軍隊の楽隊がスタンバイしていた。そして、メキシコ国歌の斉唱が始まったのだ。楽隊のラッパが一吹きされるとそれまでお祭り騒ぎをしていた陽気な地元の人達全員が一瞬にして真顔になって起立をし、胸に手を当てて高らかに国歌を歌い始めたのだ。なんという日本との差だろう!日本は君が代を歌う歌わないなどというレベルで争われることすらあるというのに!私はメキシコの人達を羨ましく思った。


試合会場で知り合ったアメリカ人のケビン・アリアス、ホテルをシェアしたスペイン人のアルバロ・バレステロス、さらには海外で知り合った多くの人間から清々とした、家族を、地域を、そして自国を愛する心を感じた。日本で日本人がこの種の発言をすると「ライトウィング」「右翼」と揶揄されるのがおちだ。日本の思想的ニュートラルと海外のニュートラルには相当な違いがあるに違いない。もしかすると、日本の常識は世界の非常識なのかもしれない。


天に向かって唾するがごとき自虐史観は世界中見渡しても日本だけだろう。自分が好き、家族が好き、仲間が好き、地域が好き、そしてこの日本が好きと気負わずに言える、世界標準の国に私は住みたい。この日本こそ日本人の「ホームベース」なのだから。今のままでは日本人の精神に、帰る場所はない。



ある日曜の午後

彼女に出会ったのは、自宅近くの公園だった。紺色の「よそ行き」の服を着た少女、名をちひろちゃんといっただろうか。彼女がベンチに座る私に声をかけてくれたのがきっかけだった。娘の行動に「どうもすみません」と声をかけてきたお母さんも濃紺のスーツを着ていたので、たぶん「お受験」勉強をしてきたのであろう。公園で遊ぶちひろちゃんは「利発そうな」という言葉がまさにぴったりな子だった。大人が好むような(お受験で好まれるような)「人為的に作られた」受け答えが気になったが、こういう子が「いい小学校」に行き「いい中学校」、そして「いい大学」へと進み「いい会社」へ就職するのだろうと思った。

また、暫くすると向こうの方から、カメラマンとそのアシスタントを引き連れた小学校高学年と思しき少女が現れ、ブランコに乗りながら写真撮影を始めた。目鼻立ち、顔立ちともに普通ではない。子供タレントかモデルなのであろう。彼女の持って生まれた才能はちひろちゃんとはまた違ったものだった。見た目の美しさ、これもひとつの立派な才能だ。


いろんな才能があるものだと思うと同時に、先日バラエティー番組でタレントの郷ひろみさんが「ぼくは人との比較はしない。人との比較は無意味な劣等感やつまらない優越感しか生まないから」と答えていたのをふと思い出し、僕は考えることを辞めた。


これからの日本の教育はどうあるべきなのだろうか。2人は非常に才能に恵まれている。しかし、そんな2人が必ず幸せになるという保障はない。ちひろちゃんにとって「いい会社」へ進むこと、もしくは進んだことが必ずしも幸せと感じない日が来るかもしれないし、モデルの彼女も必ずしも人気モデルになるとは限らない。さらには人気モデルとなってもそれを幸せと感じないかもしれない。

「人生いろいろ」なのだ。しかし、刹那的、享楽的に考えるのは間違っていると思うし、「幸せは自分の心が決める」では宗教論だ。


教育とは、少なくとも教育に求められるものの大部分は、自分で人生の方向性、人生のベクトル、を決めることができるようにすること。すなわち自分で「考えることができる」ようにすることこそが重要なのではないだろうか。そして日々意欲的に生きられるようにすること。外食の経営の最前線にはいても教育の最前線にはいない自分が何事かを言うことは非常に僭越ではあると思うが、大人の鋳型にはめられた子供を見るたびに日本の教育に不安を感じてしまう。


そんなことを考えた、ある日曜の午後だった。


死に至る病

「死に至る病」。もちろん実存哲学ではなく外食の話である。


マスコミが昨今の外食不況に施す処方箋薬には「ホスピタリティー溢れる接客」「現場のモチベーションアップ」「お客様への気遣い」「笑顔の徹底」などが多い。もちろん一つ一つ大切な要素ではあると思うが、ビタミン剤程度の効用しかないだろう。死にそうな人間にビタミン剤しか処方していないとすると、この外食不況という病はまさに「死に至る病」である。


では求められる処方箋薬とは何か。様々な薬剤が必要であろうが、生産性を飛躍的に高める薬というものがあれば特効薬になるに違いない。


私は外食は、商品力を下げずに、もしくは上げつつも「物販型のビジネスモデル」にシフトしていくべきなのではないかと考えている。客席数に関係無く、お客様がいらっしゃったらいらっしゃられた分だけ、すぐに、大量に販売できるようなモデルに、だ。
物販型外食の雄マクドナルドのCEO原田泳幸氏はいみじくもその著作の中で、「ビジネスとは、売れるものを売れるタイミングで、利益が出るコストで作ることだ。」と述べている。今までの外食産業は「売れるものを利益が出るコストで作る」ことには執着してきたが、「売れるタイミング」を逃していた場合が多いのではないか。たとえば行列のできるラーメン屋。人気があるように見えるが大抵は商品の提供スピードが遅いから行列しているだけで、その分販売機会をロスしていると言えるようなお店が少なくない。商品のスピード提供を実現しているマクドナルドとは行列の質が違うのだ。


全ての外食企業が物販型にシフトする必要はない。物販型のビジネスモデルを指向する前に商品の磨き込みが必要な企業もあるだろう。しかし中食、内食との大競争時代に、生産性を高める努力は絶対に必要である。


セーレン・キェルケゴールは人が「死に至る病」とは「絶望」であるとした。21世紀の外食が「絶望」的な産業とならないよう今こそ我々は立ち上がらなければならない。