日本の、世界の、食の常識を超えていく。 -3ページ目

15年目の誓い

経営者として今年で15年目を迎える。ここまで走ってくることができ、そして今も走り続けられているのは、多くの方のお力添えがあったからこそ。この場を借りて深謝申し上げたい。多くの方との出会いに支えられていることを、日々実感している。


多くの出会いの中には、多くの経営者との出会いもあった。その中で、私が「違和感」を感じる方も多くいらした。それは、企業規模が大きいからと尊大になっている方、もしくは高名な経営者との交流を誇らしく吹聴する方だ。またその逆に、起業規模の大きい経営者に嫉妬する方、もしくはアーリーステージにあることに劣等感を感じている方だ。


無論、企業はビジネスボリュームも利益も求める。それらを一切求めずして存在することはできない。むしろ徹底追及していくことも必要だろう。しかし、それで尊大になったり、劣等感を感じたりするのは違うと思う。そしてその感情は、経営者本人の様々な判断を誤らせるだろう。経営者が対峙すべきは「他者」ではない。「自分」だ。


最近つくづく思う。この世に生を受けたならば、その生を意義あるものとしなくてはならない、と。では意義ある人生とは何だろうか?人生を意義あらしめるものとは何だろうか?それは世の中への「貢献」だと思う。世の中が少しでも良くなる方向への「貢献」だと思う。その「貢献」ができているかどうかを自らに問い続ける。そういう意味で「自分」と対峙すべきなのだ。経営者が本気で自らと向き合っていれば、「他者」との差異などに目をくれている時間など無いはずだ。


かく言う私も、自己と対峙が出来てきたか不安だ。いや、まったく出来ていなかった時もあったように思う。しかし、今、全力でこの生を全うしたいと思う。そして食という分野で、世界を良くしていきたいと思う。15年目の、私の誓いである。


安全祈願

私は、そのタクシーを選んでしまったことを激しく後悔していた。


そのグリーンのボディのタクシーに乗り込んだ瞬間から、私は悪い予感がしていた。すえたような臭いのする車内。ドライバーは50代後半とおぼしき男性。股を広げ、シートを大きく倒した運転姿勢に、彼の自分本位な仕事観、さらには人生観が垣間見えた。時間は18時前頃だったろうか。まさにトワイライトと言えるような薄暗がりだ。朝から降り続いた雨は上がったばかりだった。路面はしたたかに濡れており、深い水たまりも散見された。タクシーはそんな中を異常なスピードで飛ばしていた。高樹町から西麻布の交差点を左折し、外苑東通りと外苑西通りを分かつ二股の交差点を左へ向かおうとした、その時だっだ。私は右手の暗がりから赤信号の横断歩道を渡り始めた男性を確認した。

「危ないですよ。」

私は運転手へ呟いた。しかし運転手から返答は無い。

「危ないですよ。」

二度私は呟いた。しかしそれでも運転手から返答は無かった。アクセルはさらに押し込まれ、車は加速してゆく。明らかに人を死に至らしめる速度だ。横断歩道の男はこちらにまったく気づかずに歩き続けている。私は語気を強め、

「危ないですよ!」

それでも返答が無い。

「危ないですよ!危ない!危ない!うわっ!!」

と私が叫んだ時、やっと運転手は気づき、急ブレーキをかけた。しかし濡れた路面にタイヤは虚しくロックする。歩道の男性はそれでもこちらに気づかない。

ぶつかる!!

そう思った瞬間、前輪がグリップを取り戻し、車は男性の右側を通りぬけた。

歩道の男性は驚いた様子もなく、こちらを一瞥し、そのまま西麻布方向に消えていった。


「本当に危なかったですよ。赤信号で渡ってくるなんて。」

運転手は言った。歩道の男性の違法行為が偶然の悲劇を巻き起こすところだった、と言わんばかりに。しかし、私にはそうは思えなかった。これは偶然なんかではない。「必然」だ。濡れた路面、薄暗がりでも異常なスピードを出し、交差点でも運転に慎重さを欠く運転手が、赤信号を渡る歩行者と出会ったら、これは当然の帰結と言うべきものである。


そしてもう一つ気になったことがある。運転手の「赤信号を渡る人間なんていない」という思い込みだ。


約束事が意味を成す場面、法律が役に立つ場面と、そうではない場面とがある。これは人生でも、ビジネスでも、そして国家運営でも、人が行う事全てにおいて言える。不正は違法、暴力も違法、盗聴も違法、戦争も違法。しかし、そのような行為が実際あるからこそ、約束で、法律で、条約で、禁じているのだ。逆説的だが、だからこそむしろそのようなことに対する備えが必要なのではないだろうか?そしてそれに対する想像力が必要なのではないだろうか?遵法精神の裏返しなのかもしれないが、日本人にこそ、このような部分への疎さがありはしまいか?


そんなことを考えていたら、タクシーは目的地へと到着した。その間、タクシーはついにスピードを緩めることは無かった。運転手は、今日は「偶然」にも見知らぬ人間の「違法行為」で迷惑を受けることとなった、ひどい一日だった、と思うことだろう。

私は今後の彼の「偶然」の安全を願うばかりだ。






「涙」のすすめ

昨日の夜は興が乗ってしまい、少し飲み過ぎてしまった。飲み過ぎた夜はMr.Childrenを聞くことが多い。それは15年前からだ。

スズキの新卒1年目のサラリーマンであった私が、いつものように営業に出かけた時にラジオから流れてきた曲、それがMr.Childrenの「終わりなき旅」だった。その「高ければ高い壁のほうが、上った時気持ちいいもんな」というフレーズを聞いた時、不意に涙が溢れてきた。「高い壁」に挑んでいない自分が恥ずかしかった。外食での起業を決心した私はその翌日、会社へ辞表を提出し、この業界の修行に入った。そんな私のきっかけを作ってくれた、Mr.Childrenが私は好きだ。


スズキを退社後、友人の伝手を頼りに、ある個店の居酒屋の厨房で修行をすることとなった。その店で初めて厨房に立った日に、板長から投げかけられた言葉を一生忘れないだろう。私は板長の指示の元、お通しの器に斜めに切った笹を載せていた。板長の指示は「切り口が右上に向くように載せろ。」だったのでそのようにして載せていた。50人分程載せ終えた時、板長が近づいてきて私を怒鳴りつけた。

「笹に表裏があることすらわかんねぇのか!下手に大学出ていやがるから頭で考えんだ!」

と罵倒した。指示通りにやっていたつもりだったが、これが職人の世界のルールなのかと私は自分を納得させた。しかし、包丁も持ったことの無かった私は、様々な場面で板長に迷惑をかけていたのかもしれない。その日以降、板長は一通り仕込みが終わると、ホールの女性を捕まえて私に聞こえるような声で私の愚痴を言うのが日課となった。1カ月目は我慢した。2ヶ月目も。しかし3カ月が経とうとした日に事件は起こった。その日、私はとろろを作成するために山芋をおろし金で擦っていた。いつものように板長が私の愚痴を言い始めた時、私の中の何かが爆発したのだろう。気付いたら、私は板長の無精ひげで山芋を擦っていた。


板長はその日で店を辞めた。普通であれば下っ端の私が辞めさせられる場面なのだが、板長は私以外に、その店にも不満があったのかもしれない。ただいずれにせよ、板長は私の行為をきっかけに店を辞めた。板長の代わりにはマスターと呼ばれていた、実質オーナーが厨房に入ることになった。私は、これまでの鬱屈とした3カ月とは違った明るい環境になると内心喜んだ。しかし、喜びは1週間と続かなかった。マスターは料理人ではなかったため料理を教えることはできない。私は愕然とした。料理修業のために、私は会社を辞め、全てを賭してその店で働いているはずだった。しかし私は、料理の師をあろうことか追い出してしまっていたのだ。私は自分の堪え性の無さを激しく後悔した。その2ヶ月後、退職を切りだした私にマスターが激怒したのも当然のことだった。



この経験から私は、実社会では、どんなに辛くとも、どんなに理不尽でも、師に反抗してしまっては学ぶことができないことがある、ということを知った。その店を退社後、大手居酒屋チェーンを挟んで、急成長中の居酒屋でも修行をさせてもらった。その調理場で私は多くの事を教えていただいた。もちろん「理不尽」なことはあった。いや、最初の店以上にあった。しかし、今のこの悔しさを噛み締めることこそが「高い壁」につながるのだと自分に言い聞かせた。


実はこの文章を、新卒入社1年目、もしくは2年目程度の全ての人に向けて書いている。耐えることが全てにおいて大切だ、とは言わない。しかし、実業の世界では、耐えなければ身に付かないこともあるということは知っておいて欲しい。多くの企業が「現場主義」を掲げ、新卒入社の人間の多くを現場に配属するのも、このあたりにあるのだろう。私の糧となっているのは修行時代だけではない。まだ当社が3店程度の資金繰りの厳しい時、1,2階40席が満席の店を、ドリンク場含めホール1人で営業した経験。200席以上の店で、人手不足もあり人時売上高(業界で使用されてる、売上÷労働時間の管理数値)が1万4千円以上という、恐らく外食産業史に残るような数字(笑)を出した経験。そんな経験一つ一つが私の血肉になっていると思う。ビジネスは数字だけでは決して語れない。少なくとも実業は語れないと思う。耐える経験、泣くような経験、そんなことに正面からぶつかり、逃げなかった人間のみ、成長という果実を手にするのだと思う。


「石の上にも3年」と言う。あなたの「高い壁」は、その涙の向こう側にある。