安全祈願 | 日本の、世界の、食の常識を超えていく。

安全祈願

私は、そのタクシーを選んでしまったことを激しく後悔していた。


そのグリーンのボディのタクシーに乗り込んだ瞬間から、私は悪い予感がしていた。すえたような臭いのする車内。ドライバーは50代後半とおぼしき男性。股を広げ、シートを大きく倒した運転姿勢に、彼の自分本位な仕事観、さらには人生観が垣間見えた。時間は18時前頃だったろうか。まさにトワイライトと言えるような薄暗がりだ。朝から降り続いた雨は上がったばかりだった。路面はしたたかに濡れており、深い水たまりも散見された。タクシーはそんな中を異常なスピードで飛ばしていた。高樹町から西麻布の交差点を左折し、外苑東通りと外苑西通りを分かつ二股の交差点を左へ向かおうとした、その時だっだ。私は右手の暗がりから赤信号の横断歩道を渡り始めた男性を確認した。

「危ないですよ。」

私は運転手へ呟いた。しかし運転手から返答は無い。

「危ないですよ。」

二度私は呟いた。しかしそれでも運転手から返答は無かった。アクセルはさらに押し込まれ、車は加速してゆく。明らかに人を死に至らしめる速度だ。横断歩道の男はこちらにまったく気づかずに歩き続けている。私は語気を強め、

「危ないですよ!」

それでも返答が無い。

「危ないですよ!危ない!危ない!うわっ!!」

と私が叫んだ時、やっと運転手は気づき、急ブレーキをかけた。しかし濡れた路面にタイヤは虚しくロックする。歩道の男性はそれでもこちらに気づかない。

ぶつかる!!

そう思った瞬間、前輪がグリップを取り戻し、車は男性の右側を通りぬけた。

歩道の男性は驚いた様子もなく、こちらを一瞥し、そのまま西麻布方向に消えていった。


「本当に危なかったですよ。赤信号で渡ってくるなんて。」

運転手は言った。歩道の男性の違法行為が偶然の悲劇を巻き起こすところだった、と言わんばかりに。しかし、私にはそうは思えなかった。これは偶然なんかではない。「必然」だ。濡れた路面、薄暗がりでも異常なスピードを出し、交差点でも運転に慎重さを欠く運転手が、赤信号を渡る歩行者と出会ったら、これは当然の帰結と言うべきものである。


そしてもう一つ気になったことがある。運転手の「赤信号を渡る人間なんていない」という思い込みだ。


約束事が意味を成す場面、法律が役に立つ場面と、そうではない場面とがある。これは人生でも、ビジネスでも、そして国家運営でも、人が行う事全てにおいて言える。不正は違法、暴力も違法、盗聴も違法、戦争も違法。しかし、そのような行為が実際あるからこそ、約束で、法律で、条約で、禁じているのだ。逆説的だが、だからこそむしろそのようなことに対する備えが必要なのではないだろうか?そしてそれに対する想像力が必要なのではないだろうか?遵法精神の裏返しなのかもしれないが、日本人にこそ、このような部分への疎さがありはしまいか?


そんなことを考えていたら、タクシーは目的地へと到着した。その間、タクシーはついにスピードを緩めることは無かった。運転手は、今日は「偶然」にも見知らぬ人間の「違法行為」で迷惑を受けることとなった、ひどい一日だった、と思うことだろう。

私は今後の彼の「偶然」の安全を願うばかりだ。