村井秀夫刺殺事件の真相を追って -20ページ目

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

徐裕行の拉致問題署名活動は本物か?

徐裕行のブログに以下の言葉が綴られている。


当ブログでは、読者の皆さんに朝鮮総連に拉致問題の解決を訴える署名への協力をお願いしています。赤色文字をクリックして、署名にご協力ください。


「JAPANISM09号」によれば、徐裕行は「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)を訪問し、活動を手伝わせてほしいと訴えたという。

救う会は徐を信用しなかった。

救う会「気持ちは分かりました。しかしわれわれは北朝鮮というテロ国家と戦う組織。あなたのようなテロリストと手を組むことはできません」

救う会は拉致被害者救出のため、マスコミよりも必死に情報収集に力を入れていた。
被害者を救出するためにも、北朝鮮の諜報機関や朝鮮総連、そしてその関係者が利用している施設や人脈についても調べていたのである。

「救う会」は既に、徐裕行が朝鮮総連や工作員の関係者であることを見抜いていたのである。

もっとも、徐は朝鮮総連時代の過去をほとんど語っておらず、経歴自体不透明なのだ。




徐は東京朝鮮第四初中級学校で四年間、北朝鮮式の教育を受け、その後も朝鮮総連足立支部に入会し、居候先の関係者が拉致事件の実行犯、シンガンスであることは事実であると認めてはいる。

だが、朝鮮総連の活動については具体的には語らず、保守系雑誌「JAPANISM」の取材では御茶を濁すような話でとどめている。

唯一明らかなのは、95年11月10日の東京地裁で、徐が朝鮮総連の活動で「指紋押捺拒否運動 」に参加していたことを明らかにしたことである。
しかし出所後行ったインタビューでは一度も「指紋押捺拒否運動 」に触れていない。


「イベントダイヤル」時代の徐について、当時の仕事仲間は「民族意識に誇りがある」「仕事仲間に在日の友人を紹介することはなかった」と証言している。
また、徐は交友関係や経歴については仕事仲間に殆ど語らず、紹介することもなかったという。

また定かではないが、徐が主体思想研究会の支部長をしていた話、出所後に工作員に仕立てられそうになった話、友人の高英雄が北朝鮮に渡航していた話、居候先の仲間M・Tの父親が朝鮮総連の幹部だった話、事件直前に渋谷のホテルで面会した女性の親族が主体思想研究会の行動隊長だった話など、北朝鮮絡みの情報が各媒体で報じられている。

また、現在徐と親しくしている在日朝鮮人女性、P・Yは朝鮮学校無償化運動のデモに参加したり、朝青龍の接待をしたりとただならぬ行動をしている。(詳細は伏せる)

徐が今も北朝鮮側の仲間に配慮し、何らかの秘密を隠しているのは確かである。

そんな徐の本性を窺える証拠が意外な所にあった。

「徐裕行のブログ」。



ブログの右下に「お気に入りブログ」が配置されている。



リストには

ushioga-iku
(旧)朝鮮問題をひも解く

gakuseikai2011
ハッセンフェ☆のブログ


が登録されている。



朝鮮問題をひも解く



ブログは日本語で書かれており、一見変哲のないようにみえる。しかし、文章には衝撃的な内容が綴られていた。



管理人はうしお、朝鮮大学出身とある(現在出身校は削除済み)



関東大震災直後の朝鮮人虐殺を主張
日本語で金正日、金正恩を延々と賛美







金王朝への狂信的な書き込みが延々と続く。


今上天皇に対する不敬な発言。▽



北朝鮮の核は人類最高の科学技術▽



ブログ主は独善的で主体思想に凝り固まった人物であることが伺える。

日本は犯罪国家▽





反日的な暴論が延々と続く。

また、毎リスト登録している閲覧者を調べると大半が在日朝鮮人であり、彼らのコメントも反日的な思想が垣間見える。

このように、「うしおくんのブログ」は、北朝鮮を支持する在日朝鮮人へ向けた、プロパガンダサイトなのである。

彼らは北朝鮮で暮らす貧しい朝鮮人民とは異なり、日本で裕福な生活を過ごしている。
にもかかわらず、彼らは邪な主体思想に取り付かれ、反日活動を繰り広げているのである。
(他にも、アメリカを非難する暴論や韓国を中傷するコメントが書き込まれているが割愛。)





徐が登録しているもう一つのブログ

ハッセンフェのブログ



画面には北朝鮮国旗



北朝鮮が鹵獲した米国艦船「プエブロ号」を見学する朝鮮学校の生徒。
「勝利の扇」「朝鮮人魂」「ウリナラが誇りに感じた」
北朝鮮賛美の書き込みをする朝鮮学校の学生たち。



日本の女子高生みたいな格好をした朝鮮学校の学生。
彼女が興味津々にのぞいているのは弾道ミサイルの展示資料だ。
弾道ミサイルの照準先は日本。彼らが望むのは日本の破滅なのである。

そんな反日ブログを堂々登録しているのが徐裕行


まとめ

拉致問題の解決を呼びかける一方でお気に入りのブログは反日


村井事件や出生の捏造、暴力団との関わりも問題だが
今度は「救う会」の方々を騙そうとしていたわけだ

よって徐裕行の行為は拉致事件解決の妨害活動にあたる

もっとも、未だに朝鮮総連やシンガンスとの繋がりを明らかにしない
機密保護法反対=工作員の取り締り反対
外国人なのに自称右翼なのだから怪しくない筈もない

殺人鬼にして大ボラ吹き
やっぱり徐は北朝鮮人なのか
警視庁取調官 落としの金七事件簿



オウム事件から3年が経った98年5月15日。
ある人物が取材者と面会するため、新橋前のホテルの日本料理店に現れた。

小山金七。
95年当時、彼は捜査一課のオウム捜査の中心的な役割を果たしていた。

小山は1942年7月5日、宮城県石巻市に生まれた。 宮城県立飯野川高等学校定時制(現宮城県石巻北高等学校飯野川校)卒業。
1962年警視庁巡査。1963年上野警察署警邏係、1967年同署刑事課捜査係。1973年警視庁巡査部長、尾久警察署刑事課捜査係。1976年刑事部捜査第一課。
以後、丸の内警察署刑事課捜査係長、刑事部捜査第一課主任、小松川警察署刑事課長代理、刑事部捜査第一課係長、八王子警察署刑事課長、刑事部捜査第一課管理官を歴任。
巡査部長、警部補、警部、警視の各階級で通算17年間にわたり刑事部捜査第一課に所属し、ロス疑惑、坂本弁護士一家殺人事件、トリカブト殺人事件、地下鉄サリン事件、警察庁長官狙撃事件などを担当する。

98年、金七は八王子署刑事課長に就任したが、顔は青白く、頬がこけやつれ果てていた。

「俺な、胃を切っているからさ。あまり飲めないし、食えないから…そっちは自由にしてよ」
金七は好きな日本酒ではなく、グラスワインを注文した。
「去年十一月にも胃も膵臓も全部、取っちゃったんだよ。医者は大丈夫だと言うけど、びくびく生きてもしょうがない。そりゃ、人生でやり残したってことはあるさ。この仕事やっていればなあ。でも俺は満足だよ。生きているうちに精一杯やれば、それでいいんじゃないのかなって。そう思わないと、やり切れないよ」

金七の顔は暗い訳ではない。事件の話になると、金七の目は輝き始めた。

金七は村井秀夫刺殺事件について口を開いた。

村井秀夫。オウム真理教最高幹部で「科学技術省大臣」、ホーリーネームは「マンジュシュリー・ミトラ」。平成七年四月二十三日、東京・南青山の教団東京総本部に入ろうとしていたところを指定暴力団山口組系羽根組の徐裕行に刺殺された。

救急車で運送中、村井は「ユダにやられた」と言い残している。村井はテレビ番組で「第七サティアンで発生した異臭騒ぎはオウムが開発した農薬が漏れた」と発言していた。麻原はこの異臭騒ぎはオウムではない」を主張していたので、村井刺殺は「その処刑ではないか」という説があった。

「村井は麻原の右腕で、全てを知らされていたと思うんだ。しかし、”欠点”があった。生真面目なんだ。だから警察に追求されると耐えきれないという見方があったんだ」
そう言うと金七は「奇妙なことに、捨て切れないことがあるんだ……」と言葉をつないで語り始めた。

「静岡県富士宮市の土地の購入に関しての世話役は村井なんだ。さらに、上九には、富士の後で物色に入っている。つまり、ここで後藤組なり山口組が関与しているのではないかということなんだ」

暴力団と銃とオウム

後藤組は静岡県富士宮市に拠点を置く山口組系暴力団である。

「村井を殺したのは徐だよな。一課が調べようとしたが、幹部から『四課に渡せ』と指示が出た。俺たちはやれなかった。悔しかったよ。結果的には、実行犯の徐に指示したとされる山口組系羽根組の元幹部(上峯憲司)を捕まえたものの、結果は無罪さ。オウムの土地購入問題をめぐって後藤組の捜査も四課がやった。ここが大事だったんだよーー」

金七は辛そうに足を組み答えた。


(「ジョブチューン」2016年11月19日より)







「村井事件が起きる前から、教団と暴力団との関係のシグナルは出ていたんだよ。それは林が言った供述書だ。改造銃の入手の部分だよ。調べ官は、この部分を頭に入れておかないとだめだ。徐やその関係者周辺を調べるときにな」

「林」とは林泰男のことで、教団の科学技術省次官。平成八年に沖縄の石垣島で逮捕された。金七が指摘した「頭の中に入れておかなければならない部分」とは、林のこの供述だと思われる。

《長官事件当日は川越のマンションにいました。事件に私が関与したように言われていますが、関係していません。銃は入手しましたが、それは改造したコルトパイソンです。捨てましたので、使っていません。それに既に調べ官に言ってあります。拳銃のことは、大阪の暴力団に話したこともありました。事実です》

モデルガンのコルトパイソンは供述通りの場所で警視庁が押収した。その時、試射したが発射ができず、事件と無関係と判明している。
長官事件で使用されたとされる銃もコルトパイソンである。林との供述との”一致”は、偶然なのだろうか。モデルガンの入手目的は何だったのか。多くの疑問が解決されていないままなのである。金七はそこにこだわっている。

「コルトパイソンのモデルガンを入手した目的は何だったのか。村井事件とは別だが、『パイソン』と『山口組』と『後藤組』と『オウム』の関係……。全てを関連づけないと。それが村井事件の背景にも繋がるわけだろう?だから村井事件は、長官事件を関連づけて調べるのには実にいいネタだったし、いいタイミングだったんだ」

北のバッジ

後藤組は山口組の中でも「武闘派」といわれ、特に過激な組である。事件を敢行した後、「後藤組の犯行」を匂わせるものを”放置”する癖が警察当局では知られていた。

平成四年五月の映画監督、伊丹十三襲撃事件では、凶器として使用したナイフの刃先をわざと残した。
昭和六十三年三月の山口組内の抗争事件で、一和会会長宅にダンプカーで突っ込んだときは、わざわざ静岡ナンバーのプレートを付けていた。

平成元年四月の静岡県富士宮市の朝きり高原のゴルフ場開発を妨害した「オイルばら撒き事件」では、組員の運転免許証をわざと落としている。あたかも犯行を誇示するかのようである。
長官銃撃事件の現場には、北朝鮮のバッジと、韓国のコインが捨てられていた。実行犯の”陽動”だったのか、その真意は不明だが、犯人からの一つのシグナルだったことは否定できない。

このバッジは北朝鮮軍の赤旗前衛中隊のバッジのように見えたことから、様々な憶測を呼び、「北朝鮮犯行説」まで飛び出した。警視庁の幹部は「たしか労働党の機関誌を含めて関係方面を調べたはずだが、北朝鮮国が製造したバッジであるとの確認はとれていない」として「バッジは必ずしも軍人だけが持っているものでなく、家族など多くの関係者も入手できるものだったという見方がある」と語っていた。

北のバッジだとしても、工作員が日本国内で付けるようなものではないらしい。しかも仮に北朝鮮の関係者の犯行なら、プロの工作員がわざわざ証拠を残すのは考えにくい。
案の定、金七も素っ気ない。
「そんなものは、これまでの北朝鮮工作員の拉致事件を見れば分かるはずだよ」

それから約四ヶ月後、金七は八王子署から捜査一課の異動内示を受けた。その時の送別会での金七のあいさつは、次のような内容だった。

「捜査一課管理官で戻ることになりました。特別対策管理官はオウム対策の部署のようなもので、長官事件をやることになりそうです。公安が触った後の捜査なので、本当は途中で抜けたくなかったのですがーー」

2000年3月31日。小山金七は定年退職を前に、胃癌で亡くなった。


筆者の私見その1

小山氏の話が事実であれば、村井秀夫は暴力団と接点があったことになる。


上九一色村では後藤組関係者が、国土法利用計画法違反で逮捕される事件が起きている。また地元住民の間でも暴力団の存在が指摘されていた。これらの情報をまとめて考えると、村井刺殺の発端は土地取引から始まったのではないだろうか。


話は変わるが、地下鉄サリン事件の実行犯、林泰男は在日朝鮮人である。
林の祖父母は北朝鮮の秘密工作船支援の容疑で、日本の公安調査庁の重要監視対象者だった。

小山は林と徐裕行の背後にある在日闇社会にも注目し、暴力団、オウムの接点を紐解こうとしていたのだろう。しかし小山は志半ばで亡くなった。翌年の2001年には九州南西海域工作船事件、金正男密入国事件が相次いで起きた。いずれも北朝鮮と暴力団が関わった事件である。

小山が健在であれば、これらの黒い接点の解明が進んでいたかもしれないが、未だ闇に包まれたままである。

オウムと後藤組の接点も断片的だが明らかになっている。
オウム・村井を刺殺した徐裕行が、後藤組に合流したのも偶然にしては出来すぎた話ではないか。
徐がブログで裕福な私生活を誇示し、ヨットを披露した事実もまた、犯行側のメッセージである可能性も捨て切れない。

そしてもう一人、村井事件に関心を示す人物がいた。




菅沼光弘氏。1936年、京都出身。

1958年(昭和33年)、国家公務員上級職甲種採用試験(法律職)合格。1959年(昭和34年)、東京大学法学部卒業後、公安調査庁入庁。近畿公安調査局調査第二部第一課長を経て、1977年(昭和52年)4月1日、和歌山地方公安調査局長。1979年(昭和54年)4月1日、中国公安調査局調査第二部長。1980年(昭和55年)4月1日、中国公安調査局調査第一部長。1981年(昭和56年)4月1日、千葉地方公安調査局長。1982年(昭和57年)4月1日、公安調査庁本庁総務部資料課長。1986年(昭和61年)4月1日、公安調査庁研修所長。1990年(平成2年)1月22日、公安調査庁本庁調査第二部長(同部は国際情勢分析担当)。1995年(平成7年)4月1日、退官。2006年(平成18年)4月29日、瑞宝中綬章受章。



2013年6月26日、菅沼氏は著書「日本を貶めた戦後重大事件の裏側」を上梓した。
主に中国海軍レーダー照射問題、下山事件、オウム真理教事件と数々の重大事件を取り上げている。

ここで菅沼氏は村井秀夫刺殺事件に強い関心を示し、
釈放された徐裕行の危険性について警鐘を鳴らしている。以下抜粋。


1995年4月23日、オウム真理教の村井秀夫(1958–1995)が教団東京総本部前で刺殺されました。村井を刺したのは、在日の、三重県伊勢市の神州士衛館とかいう事務所所属の徐裕行というヤクザです。

神州士衛館は本人の申告で、実際にはそういう団体は縁はあっても活動はしていない架空団体でした。彼は前日に五反田で北朝鮮工作機関の人と接触したと言われています。もちろん確証はありません。

この徐裕行は、もう刑期が終わって出てきています。警察もあとはなにも追求しないので、村井がなぜ殺されたのかも分かっていない。これも北朝鮮の覚醒剤と関係あるのではないかとか、いろいろなことが言われています。警察はやるべきことを全然やっていない。

日本政府は、あるいは警察は、オウム真理教事件を矮小化してしまって、その国際的な背景は全く追求していません。

 だから、北朝鮮との関連で調べなくてはいけないのは、「なぜ、村井が徐裕行に殺されなければいけなかったか」「この二人を結ぶ線は何なのか」「この二人の間にどういう人間関係があったのか」「これはオウム真理教と関係あるのか」です。そういうことを全然、なにも調べていない。

 国際的な背景を持ち、国際的な力を借りて、政府を転覆しようという意図を持った活動だったわけですから、オウム真理教事件は、まったく破防法の対象団体もいいところです。ところが、「破防法は憲法違反だ」とか、今でもまだ言っている人がいるけれども、当時はまだまだ、そういう考えの人が多かった。



筆者の私見その2

菅沼氏は、当時の警察の捜査態勢は杜撰だったと批判している。
当時対応したのは第四課、暴力団専門の捜査班だった。

未解決事件として名高い警察庁長官狙撃事件は、テレビや本などで捜査の問題点を検証する動きが度々あるのに対し、村井事件については全く動きがない。

一体何故、オウム最高幹部の暗殺がなぜそこまで軽視されるのか?

警察のセクショナリズム的事情が真相解明の支障になっているのか、それとも公にしてはならない深い事情でもあるのだろうか。これもまた、村井刺殺のもう一つの闇といえるだろう。


満期出所後も危険視され続ける男、徐裕行。
2016年現在、公安調査庁のHPをみると、徐裕行の名前、顔写真が掲載されている。
公的機関は今も徐の注視を続けているようである。

徐は暴力団とは別に、北朝鮮とも黒い関係を持っていた。
次回はその真相に迫って記事にしていく。
オウム真理教と後藤組

前回は後藤組の詳細について紹介した。
なぜ村井事件を扱うブログで、後藤組を紹介したのか疑問に思う方々も多いと思う。


「月刊日本」2011年5月号より

まず一つ目は、村井殺害犯、徐裕行が出所後、後藤組系組織「G –rise日本」の副リーダーになった事実がある。東日本大震災直後、徐は被災地に支援物資を送り届けているが、その背景には暴力団員の震災ビジネスが介在していた。


オウム真理教 富士山総本部(富士宮市)



二つ目は、「G –rise日本」及び後藤組の拠点が富士宮市に置かれており、付近にはかつてオウムの施設が存在していた事実。



3つ目にオウムの拠点上九一色村で、後藤組のフロント企業が、国土法利用計画法違反の事件を起こした事実。



4つ目に徐裕行の若頭、上峯憲司が所属していた右翼団体「九州雷鳴社」の命名者が後藤の親友、野村秋介である事実。更に、徐裕行を支援する政治活動家、鈴木邦男の恩師も野村秋介である。

そして5つ目に、後藤と関係があった遠藤誠弁護士が、麻原彰晃から弁護を依頼していたことである。

これだけオウムと後藤組に接点があるのも妙な話である。そして何より、後藤組長自身が、オウムと関係を持つ仲間がいたことを認めていた話がある。以下参照。

「憚りながら」著:後藤忠政 後藤組元組長
p271~273

「組織犯罪処罰法」は、宗教団体や政治団体などに擬装した団体や、暴力団やテロ組織など「反社会的集団」による組織的な犯罪に対する刑罰の加重と、犯罪収益のマネーロンダリング(資金洗浄)行為の処罰、犯罪収益の没収・追徴などを定めた法律。1995(平成7)年の地下鉄サリン事件をきっかけに制定された。適用範囲は広く、2人以上は「組織」と見なし、その罰則は、単独で犯行を行う者よりも厳しい内容となっている。

後藤忠政「実際にサツが、後藤組とオウムの間に、何か関係があるんじゃないかと見ていた時期もあったんだ。というのも、あいつら(オウム)は俺の地元(富士宮)にも進出してきたからね(それまで「オウム神仙の会」と名乗っていた教祖の麻原影晃=本名・松本智津夫死刑囚は87年、富士宮市内に「富士宮総合本部道場」を開設。以降、「オウム真理教」と改称した)。

 富士宮に進出してきた当初は、あいつら(オウム)も土地がいるんで、俺の知り合いの不動産業者の所に来たらしいわ。「農地を売って欲しい」とか言って。オウムとの「関係」といったって、その程度のことだ。不動産屋も、(オウム信者が)変な格好してるし、おかしな奴らだと思ってたようだが、宗教団体ってのは、だいたい土地を相場よりも高く買うんだな。広くてまとまった土地が欲しいし、そもそも「迷惑施設」といって、嫌われることが多いそうだ。だから農地でも宅地並みの値段で買ってくれるもんで、不動産屋にとってはいい客になるんだな。

 しかし、俺もあいつらが、あそこ(地下鉄サリン事件)までやるとは思わなかったよ。確かに、ウチの事務所よりも高い塀を作ってみたり(笑)、街の中を妙な格好して歩いたりしてたから、不思議な団体だな・・・・とは思っていたよ。そのうちに工場かなんか作り始めて、中でタイヤ何かをボンボン燃やして、地元じゃ「人を殺してやいてるんじゃねえか」っていう噂が立っていた。それがホントに殺してたとはなぁ・・・・。そんな奴らと「関係がある」って噂されたもんで、もう勘弁してくださいよって話だよ(笑)。

 坂本弁護士の一家が殺された事件でも、テレビで、あの「河上」(和雄・元検察官。現在は弁護士で、日本テレビ客員解説員などを務めている)とかいうヤメ検が、「あんな事件は素人ができるもんじゃない。ヤクザじゃないとできない。神奈川県警じゃ、後藤組の犯行と見ている」とか、堂々と言うんだもの。テレビのコメンテーターとかいう連中はホント、いい加減なこと言うよな。けど後から聞いたら、神奈川県警じゃホントに、ウチの関係者が関わってるんじゃないかって見てたオマワリも多かったそうだ。



(筆者注:後藤は徐裕行を仲間に引き入れた事情について言及していない。)



山口敏夫と後藤組


(やや若い頃の山口敏夫)

1995年6月17日午前10時に開かれた「第132回国会 予算委員会 第33号」ではつぎの証人尋問が行われた。

証人は山口敏夫。元労働大臣。民族派右翼のカリスマ、野村秋介と親しく、一水会を鼓舞する会」の発起人の一員でもある。



山口の実弟で実業家の根本勝人が、後藤組系企業「リゾップ」から2億円を借りている、という話が登場し、その関係から山口と後藤が六本木で面会していたのではないか、という指摘がでた。

その中で、理事を勤めた錦織淳議員が、山口に以下の質問をしている。



錦織「ところで、この後藤組というのは、静岡県の富士宮市に本拠地がある団体である、こういうことでございます。そしてこの後藤組は、静岡県の富士宮市の狩宿にあるオウム真理教の印刷所の、いいですか、印刷所としてオウム真理教が使っている建物がございます、この建物は、オウム真理教が後藤組の関係をしている会社から借りたものである、こういう事実がございます。証人はそのことは御存じですか。」


オウムと後藤組が直接関わっていたのは事実のようだ。
更に、村井事件の背後では羽根組とは別の暴力団が糸を引いている、といった噂が流れていた。


迷宮入り!―昭和・平成未解決事件のタブー (宝島社文庫) [文庫]
宝島社2001-05


B組→羽根組→徐裕行!?
「暴力団緩傾斜以外に殺害の真の動機を持つものが存在したとすると、徐服役囚をめぐる人間関係のうち、組以外の者との関係はほとんど明らかにされていない。供述の信用性判断にあたっては、別のルートで徐服役囚と接触した人物が存在する可能性も視野に入れておかなければならない」

徐裕行に村井幹部殺害を指示したとされ、殺人罪に問われた元山口組系羽根組若頭の上峯憲司は、一審、二審とも無罪となったが、この控訴審判決で裁判長がこう指摘し、見えざる第三者の存在を匂わせたことは極めて異例に違いない。

別のルートで徐に接触した人物が本当にいたとしたら、それは誰なのか?

村井幹部刺殺事件から丸一年が経った九六年五月のある日、窮地の企業経営者の息子の結婚式に出席するため、都内の有名ホテルに出向いた時のことである。

「やぁ、奇遇だねぇ。こんな席で会うとは」
こう言いながら歩み寄って来たのは、東京のとある右翼団体の幹部だった。この人物はそのいかつい肩書きとは裏腹に、普段はソフトで話題も豊富だったことから、多くの企業経営者と通行的なつきあいがあったようだ。
 肝臓病を患っているとかで、彼はその時はほとんどアルコールを口にしなかったが、披露宴が終わった後、席を外したバーでさまざまな話をした。

「オウムが熊本県波野村の土地を取得しようとした時はね、地主は強く拒否したんですよ。しかし、オウムは売却を必要に迫り、嫌がらせまでするようになったので、困り果てた地主は地元のA組に相談した。で、そこの親分がオウムに乗り込んで『波野村から手を引け』と迫ったんだ。

突然、彼がオウム事件に関した話を持ち出したので意外だったが、さすがに有力な右翼団体の幹部だけあって、裏社会の情報には強く、その内容は詳しいものだった。

彼は話を続けた。
そこでオウムは、懇意にしていたB組に相談し、A組に話をつけてくれるように依頼した。それで二つの組の親分同士が直に会うことになって、B組が九州に乗り込んでいったんだが、その時、A組のほうは地主に対して『なんだ、オウムのバックにB組がいるなんて一言も言わなかったじゃないか』と、ちょっと面食らった様子だったそうだ

そして、結局、地主側は「地元ではトラブルはいっさい起こさない。万が一、起こったら金で解決する」という条件でやむなく了承し、オウムは波野村に進出できるようになったのだという。

「君がオウムのことに関心があるなら、私の知り合いに詳しいのがおるから、聞いてみたらいいよ。何だったら電話しとくから……」
別れ際にこの幹部が言ってくれたのを頼りに、数日後、私はその人物と赤坂の日本料理屋でテーブルを挟むことになった。

その際、相手が差し出した名刺は「○○エンタープライズ代表取締役社長」。派手な格好といい、他を圧倒する雰囲気といい、とてもカタギの商売人には見えなかったが、強烈な関西弁から、話し始めるとなかなか気さくな人物だった。

「なんや、オウムとヤクザのことききたいんかいな」
彼は十数年前までは東京の有力組織で幹部を張っていたが、ある抗争事件で重傷を負ったのを機に稼業から足を洗い、金融業に転身したとのこと。それでも、さすがにその筋への情報は強いようだ。

「オウムと関係が深いB組いうんは、ほら、徐の友達やら、上峯がいた羽根組に金を貸しとったわけや。そやけど、バブルがはじけてしもうて、借金も返せんようになってな。そんな矢先に、オウムの事件が次から次へと出て来て、B組のことも取り沙汰されるようになったやろ。そらぁ、B組としては、警察の目をそらす工作をしたい頃や。で、羽根組に対して『借金をチャラにするから、何か事件を起こして警察の目を引きつけろ。組の名前が出たら、組をやめてしまえ。その後のことは考えたる』いう話になったわけや」

その金融業者はこう話すと、いっきにビールを飲み干した。
彼によれば、その時にB組から羽根組に一億円が渡され、それで起きた事件が村井幹部刺殺事件だったというのだが……。

私は半信半疑だったが、私はおの後も同じような話を各所で聞くことになった。
銃刀法違反などの罪で何度も”塀の中”と外とを往復しているある暴力団関係者も、私に次のように話したことがある。

「当初はオウムの人間だったら、(狙うのは)誰でもよかったんだ。とにかく、羽根組を動かして、警察やマスコミの人間をB組からそらせることが目的だった。その頃、B組はオウムとは関係なく、百億円単位の仕事を抱えていて、いつまでも警察の目が光っていてはやりにくくてしかたなかった、ということだろうな。それがなぜ村井になったかというと、奴はオウムとB組に関係する金の動きを細かく知っていたうえに、口が軽くて信用できん、ということやったな」

こうした危ない話が渦巻く”濁流の中”で、徐は単なる”捨てゴマ”にすぎなかったのだろうか?それとも、きっちりとした大きなシナリオがあり、その構図の中で用意された任務を果たしたということなのだろうか?


ある組織が右翼を排除する目的で後藤組を雇った前例は実際にある。
1989年、地産グループが不祥事を起こしたため埼玉県の右翼団体が抗議し、その排除に後藤組が関わっていた。

(AREA 1992年12月15日5巻51号67項より)


地産グループCM

(サンデー毎日1995年6月3日号)

そもそも”オウム帝国”建設の当初から、教団の「裏人脈」が見え隠れしていた。
サリンが製造されたとされる山梨県上九一色村のサティアンと呼ばれる施設群のことである。

オウムが「第一上九」と読んでいる施設を取得したのは一九八九年年7月のことだ。この七〇〇〇平方㍍の土地購入が、上九一色村での教団進出の発端となったのである。登記簿を見ると、現在の所有者は「松本智津夫」。いうまでもなく、教団教祖の麻原容疑者のことである。

まずは、その土地取得の経緯から見てみよう。
上九一色村の村民から直接土地を購入したのは、実は麻原容疑者ではない。その間に、静岡県富士宮市内の不動産会社が入っている。仮にA社としておこう。
A社は村民から八九年五月に購入、そのわずか二ヵ月後に麻原容疑者に売却していた。

地元の不動産業者が証言する。
その年の四月ごろでしょうか、富士宮市内の木材会社から『会社の保養所を建てたいから適当な土地はないか』と連絡があったんです。それで村のあちこちをあたって、坪三万円の土地を紹介したところ、関連の不動産会社A社が購入したと思ったら、あっという間にオウムに転売してしまった

この「第一上九」の土地取得をめぐって、上九一色村の住民は早くも教団に疑念の目を向けられることになる。オウムを単なる「宗教団体」とは見ることはできなかったのだ。なぜか。
地元住民の一人が言う。「このA社というのは暴力団と付き合いがあるといわれてたんです。ですから、オウム自体も何か関係があるのではと恐怖を感じました

「武装化計画」と暴力団の密接な関係
オウムと「黒い影」ー六年も前から上九一色村の住民は、教団に対して”闇の部分”を感じていたのである。静岡県警幹部もこう話す。「そのA社は以前から悪評が取りざたされており、最初から教団に売却するつもりだったのではないかと見ている」

捜査当局では、A社からオウムへの転売は計画的だったという。つまり、上九一色村への進出当初から、オウム以外の”組織”が関与した形跡があったということになる。また、捜査当局はオウムが富士宮市内に購入した印刷所用地も、暴力団関係者にからむ土地だったことも確認している。土地取得に絡む「黒い疑惑」ばかりではない。

それと前後して、全国各地で信者の入脱会やその財産寄付をめぐって、教団と信者の家族との間にトラブルが目立つようになっていた。その際、暴力団員風の男が自宅に乱入し、強引に教団施設に連れ戻すといった声も聞かれていたのだ。
九〇年九月、オウムが熊本県波野村に進出し、地元住民とトラブルになった時も、暴力団の影がちらついている。九一年の『オウム真理教被害者の会』(筆者注:現在「オウム真理教家族の会」へ改称)会報には、こんなくだりがある。

〈平成三年一月、オウム教は元暴力団員と現役の暴力団員を伴って呼びかけ小屋に現れ、(略)「俺は何回も懲役に行ってるでなぁ。お前一人殺すくらいわけないぞ」という脅迫と暴力行為を受けています〉
オウムと暴力団との密接な関係を裏付けるのが、四月十三日に逮捕された中田清秀被告(恐喝の罪で起訴)の存在である。



複数の暴力団員が新証言!オウム製覚醒剤と村井刺殺の接点
文/鈴木智彦


証言や資料から統合すると、羽根組は組長直属の親衛隊のような存在だったと考えてよく、直接オウムとの繋がりがなくとも、下請けとして殺害のみを担当していた可能性は否定できない。

山口組には富士宮の後藤組(先頃、後藤忠政組長が引退し、組は藤友会、良知組という直参組織に二分した)など、他にもオウムとの関連を噂されてきた団体が複数ある。当時、山口組は「オウムに関わるな」という通達を出していたが、たとえば後藤組の場合、本部がオウムのサティアンがあった山梨県上九一色村と近いこともあって、組員個人が秘密裏に接触していたとも考えられる。
このあたりを掘り下げれば、今も解明されていないオウムの暴力団ルートが浮上するかもしれない。



週刊朝日95年8月11日36項

冒頭で唯一注目されたのは、徐被告が殺害を指示されたとき、上峯被告から、「ある人がお前を期待しているんだ」といわれたという点だ。冒陳では具体的な名前は挙っていないが、徐被告は「ある人」のことを直感的に組長のことだったと供述している。

組のナンバー2である上峯被告の上に立つ人物といえば、やはりすぐ組長が連想されるのだろうが、羽根組の上部団体、あるいは別の暴力団に属する人物との見方もある。

「四月十三日、麻原と教団幹部が御前会議を開き、口の軽い村井氏をほっておいたら教団の命取りになるから、口封じをすることで幹部の合意ができたといわれている。麻原周辺から、ある暴力団組織に依頼がいき、そこから上峯に指示がいったのだろう。上峯の手に二億円が渡ったという話も、複数の筋から聞いている。犯行を実行する前に、上峯が組長に報告していたのは、まず間違いない。組長本人が『東京の連中がオウムの幹部をやるらしいぞ』と組員にもらしているんです。裏はとれていないが、二億円のうち一億円は組長に渡ったという噂さえあります」(元山口組系暴力団長でノンフィクション作家の矢嶋慎一さん)


(村井刺殺事件の深層 文/一橋文哉)

J(徐裕行)は、若頭が羽根組長意外の何者かに依頼され、村井暗殺の仕事を請け負った、とでも言うのだろうか。
「確かに当時、羽根組に多額の資金を貸して焦げついていた暴力団の組長が企業舎弟を通じ、その若頭に『借金を棒引きにしたうえ、別に一億円の報酬を支払うから、村井を始末してくれ』と依頼したとの情報が流れた。覚醒剤密売や信者の資産処分を巡り、オウムと揉めた暴力団は山ほどあり、裏付けできると期待したが、当初はいい金づるになると見込んで黙り、最後は強制捜査が迫ってヤバいからと、どの組もなかなか尻尾を掴ませなかった」と暴力団担当刑事。こうも言う。

「山口組では関東に進出した暴力団で作る『関東親睦会』が中心になり、密かに村井排除を話し合っていたようだ。羽根組も会の一員で仕方なかったのではないか。関西が主流の五代目執行部は頼りにならんので、事後承諾の形で無理やり認めさせたらしい」

そうした組織の中で最も力が入っていたのが、静岡県に拠点を持つ武闘派で、山梨県の教団施設の近くにあったG組(〇八年に解散)だ、というのが捜査関係社の共通した認識である。

G組はこれまでオウム真理教との関係を否定して来た。
オウム真理教が教団施設建設のため熊本県波野村の土地を取得しようとした時のこと。断固拒否の姿勢を示した地主側は地元暴力団に対応を要請し、その組長が教団に乗り込んで「波野村から手を引け」と迫った。ところが教団側は懇意にしていた暴力団の幹部を派遣して協議した結果、地元で絶対トラブルを起こさないとの条件付きで、教団の波野村の進出が決まったという。

その教団側の暴力団がG組で村や県警が確認している事実である。

「あの頃、G組は大手宗教団体の本山の造営に絡んで総額一千億円以上という巨額な土地取引や建設工事、トラブル処理というダーティービジネスに入っており、警察や世間の目を自分たちに向けさせたくなかったんだと思うよ。そこで警察の目をオウムに向けさせるため、羽根組によるオウム攻撃を依頼し、どうせなら、G組とオウムの関係を熟知している村井の口を封じようとしたのではないか」と元警視庁幹部。これこそが当時の村井事件の捜査方針なのだという。


週刊現代1996年1月13日

また、事件前2週間ほどの上峯の行動にも奇妙なものがあった。
4月11日から事件2日前の21日まで、店の定休日を除いて連続9日間も、都内目黒区内にあるSというメンバーズクラブを訪れていたのだ。上峯はツケで飲んでおり、その額は142万円にもなっていた。

犯行直後に上峯が訪れた店
前途の目黒区内のメンバーズクラブで飲んだ後、深夜、上峯はある会員制バーを訪れたが、ここは、X組幹部が経営する店なのである。
犯行を指示した日に上峯がX組と関係のある店に行っていたー
これはなにを意味するのか。やはりX組は村井刺殺事件に深く関わっていたのか。

 実は、以上のような徐と上峯の行動については、捜査当局も確認している。(略)
では、このX組とオウムとは、いったいどういうつながりがあるのだろうか。
そもそも、X組だけでなく、オウム真理教と暴力団との関係は以前から囁かれていた。(略)
「オウムとX組とは、ある取引を通じて関係が深くなっていった。一次、麻原のボディーガードをX組の組員がやっていたという情報もある。さらに、これは確実な目撃者がいるが、X組の事務所には新実智光(音教団『自治省』大臣)が出入りしていた」(暴力団関係者)

当のX組関係者も本誌の取材に対し、「詳しいことはなにもいえないが、オウムからカネをもらったのは事実だ」と答えている。一方、X組と羽根組は友好関係にあり、羽根組はX組かた借金をしていたといわれる。またそれとは別に、上峯とX組も接点があったようだ。

「6年ばかり前、上峯は大阪にいたが、当時、大阪に右翼の大物がよく遊びにきていた。上峯はこの大物に取り入って、彼が大阪に来ると、いつもくっついて歩いていた。X組長はこの大物と親しかったので、それで上峯もX組組長と知り合ったんやろ」(大阪の右翼)

ともあれ、オウムーX組ー羽根組ー上峯ー徐を結ぶ繋がりが見えてきた。このX組を中心にした黒いラインが、村井刺殺を画策したという構図が浮かび上がるのである。








オウム真理教と後藤組。
黒い関係は警察の間でも注目を集めていた。


次回:オウムと後藤組…警察からの警鐘


追記
デイリースポーツ95年5月12日号に、衝撃的な記事が掲載されてた。
オウムと後藤組の直接関係が報道されていたのだ。

オウム真理教が上九一色村に進出してきた際、地元住民が抗議に訪れると教団とともに対応したのが後藤組だったというのだ。

オウムと暴力団は今なお深い闇につつまれている。
村井事件の”答え”は、上九一色村に存在しているのかもしれない。