オウムの裏に後藤組? | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

オウム真理教と後藤組

前回は後藤組の詳細について紹介した。
なぜ村井事件を扱うブログで、後藤組を紹介したのか疑問に思う方々も多いと思う。


「月刊日本」2011年5月号より

まず一つ目は、村井殺害犯、徐裕行が出所後、後藤組系組織「G –rise日本」の副リーダーになった事実がある。東日本大震災直後、徐は被災地に支援物資を送り届けているが、その背景には暴力団員の震災ビジネスが介在していた。


オウム真理教 富士山総本部(富士宮市)



二つ目は、「G –rise日本」及び後藤組の拠点が富士宮市に置かれており、付近にはかつてオウムの施設が存在していた事実。



3つ目にオウムの拠点上九一色村で、後藤組のフロント企業が、国土法利用計画法違反の事件を起こした事実。



4つ目に徐裕行の若頭、上峯憲司が所属していた右翼団体「九州雷鳴社」の命名者が後藤の親友、野村秋介である事実。更に、徐裕行を支援する政治活動家、鈴木邦男の恩師も野村秋介である。

そして5つ目に、後藤と関係があった遠藤誠弁護士が、麻原彰晃から弁護を依頼していたことである。

これだけオウムと後藤組に接点があるのも妙な話である。そして何より、後藤組長自身が、オウムと関係を持つ仲間がいたことを認めていた話がある。以下参照。

「憚りながら」著:後藤忠政 後藤組元組長
p271~273

「組織犯罪処罰法」は、宗教団体や政治団体などに擬装した団体や、暴力団やテロ組織など「反社会的集団」による組織的な犯罪に対する刑罰の加重と、犯罪収益のマネーロンダリング(資金洗浄)行為の処罰、犯罪収益の没収・追徴などを定めた法律。1995(平成7)年の地下鉄サリン事件をきっかけに制定された。適用範囲は広く、2人以上は「組織」と見なし、その罰則は、単独で犯行を行う者よりも厳しい内容となっている。

後藤忠政「実際にサツが、後藤組とオウムの間に、何か関係があるんじゃないかと見ていた時期もあったんだ。というのも、あいつら(オウム)は俺の地元(富士宮)にも進出してきたからね(それまで「オウム神仙の会」と名乗っていた教祖の麻原影晃=本名・松本智津夫死刑囚は87年、富士宮市内に「富士宮総合本部道場」を開設。以降、「オウム真理教」と改称した)。

 富士宮に進出してきた当初は、あいつら(オウム)も土地がいるんで、俺の知り合いの不動産業者の所に来たらしいわ。「農地を売って欲しい」とか言って。オウムとの「関係」といったって、その程度のことだ。不動産屋も、(オウム信者が)変な格好してるし、おかしな奴らだと思ってたようだが、宗教団体ってのは、だいたい土地を相場よりも高く買うんだな。広くてまとまった土地が欲しいし、そもそも「迷惑施設」といって、嫌われることが多いそうだ。だから農地でも宅地並みの値段で買ってくれるもんで、不動産屋にとってはいい客になるんだな。

 しかし、俺もあいつらが、あそこ(地下鉄サリン事件)までやるとは思わなかったよ。確かに、ウチの事務所よりも高い塀を作ってみたり(笑)、街の中を妙な格好して歩いたりしてたから、不思議な団体だな・・・・とは思っていたよ。そのうちに工場かなんか作り始めて、中でタイヤ何かをボンボン燃やして、地元じゃ「人を殺してやいてるんじゃねえか」っていう噂が立っていた。それがホントに殺してたとはなぁ・・・・。そんな奴らと「関係がある」って噂されたもんで、もう勘弁してくださいよって話だよ(笑)。

 坂本弁護士の一家が殺された事件でも、テレビで、あの「河上」(和雄・元検察官。現在は弁護士で、日本テレビ客員解説員などを務めている)とかいうヤメ検が、「あんな事件は素人ができるもんじゃない。ヤクザじゃないとできない。神奈川県警じゃ、後藤組の犯行と見ている」とか、堂々と言うんだもの。テレビのコメンテーターとかいう連中はホント、いい加減なこと言うよな。けど後から聞いたら、神奈川県警じゃホントに、ウチの関係者が関わってるんじゃないかって見てたオマワリも多かったそうだ。



(筆者注:後藤は徐裕行を仲間に引き入れた事情について言及していない。)



山口敏夫と後藤組


(やや若い頃の山口敏夫)

1995年6月17日午前10時に開かれた「第132回国会 予算委員会 第33号」ではつぎの証人尋問が行われた。

証人は山口敏夫。元労働大臣。民族派右翼のカリスマ、野村秋介と親しく、一水会を鼓舞する会」の発起人の一員でもある。



山口の実弟で実業家の根本勝人が、後藤組系企業「リゾップ」から2億円を借りている、という話が登場し、その関係から山口と後藤が六本木で面会していたのではないか、という指摘がでた。

その中で、理事を勤めた錦織淳議員が、山口に以下の質問をしている。



錦織「ところで、この後藤組というのは、静岡県の富士宮市に本拠地がある団体である、こういうことでございます。そしてこの後藤組は、静岡県の富士宮市の狩宿にあるオウム真理教の印刷所の、いいですか、印刷所としてオウム真理教が使っている建物がございます、この建物は、オウム真理教が後藤組の関係をしている会社から借りたものである、こういう事実がございます。証人はそのことは御存じですか。」


オウムと後藤組が直接関わっていたのは事実のようだ。
更に、村井事件の背後では羽根組とは別の暴力団が糸を引いている、といった噂が流れていた。


迷宮入り!―昭和・平成未解決事件のタブー (宝島社文庫) [文庫]
宝島社2001-05


B組→羽根組→徐裕行!?
「暴力団緩傾斜以外に殺害の真の動機を持つものが存在したとすると、徐服役囚をめぐる人間関係のうち、組以外の者との関係はほとんど明らかにされていない。供述の信用性判断にあたっては、別のルートで徐服役囚と接触した人物が存在する可能性も視野に入れておかなければならない」

徐裕行に村井幹部殺害を指示したとされ、殺人罪に問われた元山口組系羽根組若頭の上峯憲司は、一審、二審とも無罪となったが、この控訴審判決で裁判長がこう指摘し、見えざる第三者の存在を匂わせたことは極めて異例に違いない。

別のルートで徐に接触した人物が本当にいたとしたら、それは誰なのか?

村井幹部刺殺事件から丸一年が経った九六年五月のある日、窮地の企業経営者の息子の結婚式に出席するため、都内の有名ホテルに出向いた時のことである。

「やぁ、奇遇だねぇ。こんな席で会うとは」
こう言いながら歩み寄って来たのは、東京のとある右翼団体の幹部だった。この人物はそのいかつい肩書きとは裏腹に、普段はソフトで話題も豊富だったことから、多くの企業経営者と通行的なつきあいがあったようだ。
 肝臓病を患っているとかで、彼はその時はほとんどアルコールを口にしなかったが、披露宴が終わった後、席を外したバーでさまざまな話をした。

「オウムが熊本県波野村の土地を取得しようとした時はね、地主は強く拒否したんですよ。しかし、オウムは売却を必要に迫り、嫌がらせまでするようになったので、困り果てた地主は地元のA組に相談した。で、そこの親分がオウムに乗り込んで『波野村から手を引け』と迫ったんだ。

突然、彼がオウム事件に関した話を持ち出したので意外だったが、さすがに有力な右翼団体の幹部だけあって、裏社会の情報には強く、その内容は詳しいものだった。

彼は話を続けた。
そこでオウムは、懇意にしていたB組に相談し、A組に話をつけてくれるように依頼した。それで二つの組の親分同士が直に会うことになって、B組が九州に乗り込んでいったんだが、その時、A組のほうは地主に対して『なんだ、オウムのバックにB組がいるなんて一言も言わなかったじゃないか』と、ちょっと面食らった様子だったそうだ

そして、結局、地主側は「地元ではトラブルはいっさい起こさない。万が一、起こったら金で解決する」という条件でやむなく了承し、オウムは波野村に進出できるようになったのだという。

「君がオウムのことに関心があるなら、私の知り合いに詳しいのがおるから、聞いてみたらいいよ。何だったら電話しとくから……」
別れ際にこの幹部が言ってくれたのを頼りに、数日後、私はその人物と赤坂の日本料理屋でテーブルを挟むことになった。

その際、相手が差し出した名刺は「○○エンタープライズ代表取締役社長」。派手な格好といい、他を圧倒する雰囲気といい、とてもカタギの商売人には見えなかったが、強烈な関西弁から、話し始めるとなかなか気さくな人物だった。

「なんや、オウムとヤクザのことききたいんかいな」
彼は十数年前までは東京の有力組織で幹部を張っていたが、ある抗争事件で重傷を負ったのを機に稼業から足を洗い、金融業に転身したとのこと。それでも、さすがにその筋への情報は強いようだ。

「オウムと関係が深いB組いうんは、ほら、徐の友達やら、上峯がいた羽根組に金を貸しとったわけや。そやけど、バブルがはじけてしもうて、借金も返せんようになってな。そんな矢先に、オウムの事件が次から次へと出て来て、B組のことも取り沙汰されるようになったやろ。そらぁ、B組としては、警察の目をそらす工作をしたい頃や。で、羽根組に対して『借金をチャラにするから、何か事件を起こして警察の目を引きつけろ。組の名前が出たら、組をやめてしまえ。その後のことは考えたる』いう話になったわけや」

その金融業者はこう話すと、いっきにビールを飲み干した。
彼によれば、その時にB組から羽根組に一億円が渡され、それで起きた事件が村井幹部刺殺事件だったというのだが……。

私は半信半疑だったが、私はおの後も同じような話を各所で聞くことになった。
銃刀法違反などの罪で何度も”塀の中”と外とを往復しているある暴力団関係者も、私に次のように話したことがある。

「当初はオウムの人間だったら、(狙うのは)誰でもよかったんだ。とにかく、羽根組を動かして、警察やマスコミの人間をB組からそらせることが目的だった。その頃、B組はオウムとは関係なく、百億円単位の仕事を抱えていて、いつまでも警察の目が光っていてはやりにくくてしかたなかった、ということだろうな。それがなぜ村井になったかというと、奴はオウムとB組に関係する金の動きを細かく知っていたうえに、口が軽くて信用できん、ということやったな」

こうした危ない話が渦巻く”濁流の中”で、徐は単なる”捨てゴマ”にすぎなかったのだろうか?それとも、きっちりとした大きなシナリオがあり、その構図の中で用意された任務を果たしたということなのだろうか?


ある組織が右翼を排除する目的で後藤組を雇った前例は実際にある。
1989年、地産グループが不祥事を起こしたため埼玉県の右翼団体が抗議し、その排除に後藤組が関わっていた。

(AREA 1992年12月15日5巻51号67項より)


地産グループCM

(サンデー毎日1995年6月3日号)

そもそも”オウム帝国”建設の当初から、教団の「裏人脈」が見え隠れしていた。
サリンが製造されたとされる山梨県上九一色村のサティアンと呼ばれる施設群のことである。

オウムが「第一上九」と読んでいる施設を取得したのは一九八九年年7月のことだ。この七〇〇〇平方㍍の土地購入が、上九一色村での教団進出の発端となったのである。登記簿を見ると、現在の所有者は「松本智津夫」。いうまでもなく、教団教祖の麻原容疑者のことである。

まずは、その土地取得の経緯から見てみよう。
上九一色村の村民から直接土地を購入したのは、実は麻原容疑者ではない。その間に、静岡県富士宮市内の不動産会社が入っている。仮にA社としておこう。
A社は村民から八九年五月に購入、そのわずか二ヵ月後に麻原容疑者に売却していた。

地元の不動産業者が証言する。
その年の四月ごろでしょうか、富士宮市内の木材会社から『会社の保養所を建てたいから適当な土地はないか』と連絡があったんです。それで村のあちこちをあたって、坪三万円の土地を紹介したところ、関連の不動産会社A社が購入したと思ったら、あっという間にオウムに転売してしまった

この「第一上九」の土地取得をめぐって、上九一色村の住民は早くも教団に疑念の目を向けられることになる。オウムを単なる「宗教団体」とは見ることはできなかったのだ。なぜか。
地元住民の一人が言う。「このA社というのは暴力団と付き合いがあるといわれてたんです。ですから、オウム自体も何か関係があるのではと恐怖を感じました

「武装化計画」と暴力団の密接な関係
オウムと「黒い影」ー六年も前から上九一色村の住民は、教団に対して”闇の部分”を感じていたのである。静岡県警幹部もこう話す。「そのA社は以前から悪評が取りざたされており、最初から教団に売却するつもりだったのではないかと見ている」

捜査当局では、A社からオウムへの転売は計画的だったという。つまり、上九一色村への進出当初から、オウム以外の”組織”が関与した形跡があったということになる。また、捜査当局はオウムが富士宮市内に購入した印刷所用地も、暴力団関係者にからむ土地だったことも確認している。土地取得に絡む「黒い疑惑」ばかりではない。

それと前後して、全国各地で信者の入脱会やその財産寄付をめぐって、教団と信者の家族との間にトラブルが目立つようになっていた。その際、暴力団員風の男が自宅に乱入し、強引に教団施設に連れ戻すといった声も聞かれていたのだ。
九〇年九月、オウムが熊本県波野村に進出し、地元住民とトラブルになった時も、暴力団の影がちらついている。九一年の『オウム真理教被害者の会』(筆者注:現在「オウム真理教家族の会」へ改称)会報には、こんなくだりがある。

〈平成三年一月、オウム教は元暴力団員と現役の暴力団員を伴って呼びかけ小屋に現れ、(略)「俺は何回も懲役に行ってるでなぁ。お前一人殺すくらいわけないぞ」という脅迫と暴力行為を受けています〉
オウムと暴力団との密接な関係を裏付けるのが、四月十三日に逮捕された中田清秀被告(恐喝の罪で起訴)の存在である。



複数の暴力団員が新証言!オウム製覚醒剤と村井刺殺の接点
文/鈴木智彦


証言や資料から統合すると、羽根組は組長直属の親衛隊のような存在だったと考えてよく、直接オウムとの繋がりがなくとも、下請けとして殺害のみを担当していた可能性は否定できない。

山口組には富士宮の後藤組(先頃、後藤忠政組長が引退し、組は藤友会、良知組という直参組織に二分した)など、他にもオウムとの関連を噂されてきた団体が複数ある。当時、山口組は「オウムに関わるな」という通達を出していたが、たとえば後藤組の場合、本部がオウムのサティアンがあった山梨県上九一色村と近いこともあって、組員個人が秘密裏に接触していたとも考えられる。
このあたりを掘り下げれば、今も解明されていないオウムの暴力団ルートが浮上するかもしれない。



週刊朝日95年8月11日36項

冒頭で唯一注目されたのは、徐被告が殺害を指示されたとき、上峯被告から、「ある人がお前を期待しているんだ」といわれたという点だ。冒陳では具体的な名前は挙っていないが、徐被告は「ある人」のことを直感的に組長のことだったと供述している。

組のナンバー2である上峯被告の上に立つ人物といえば、やはりすぐ組長が連想されるのだろうが、羽根組の上部団体、あるいは別の暴力団に属する人物との見方もある。

「四月十三日、麻原と教団幹部が御前会議を開き、口の軽い村井氏をほっておいたら教団の命取りになるから、口封じをすることで幹部の合意ができたといわれている。麻原周辺から、ある暴力団組織に依頼がいき、そこから上峯に指示がいったのだろう。上峯の手に二億円が渡ったという話も、複数の筋から聞いている。犯行を実行する前に、上峯が組長に報告していたのは、まず間違いない。組長本人が『東京の連中がオウムの幹部をやるらしいぞ』と組員にもらしているんです。裏はとれていないが、二億円のうち一億円は組長に渡ったという噂さえあります」(元山口組系暴力団長でノンフィクション作家の矢嶋慎一さん)


(村井刺殺事件の深層 文/一橋文哉)

J(徐裕行)は、若頭が羽根組長意外の何者かに依頼され、村井暗殺の仕事を請け負った、とでも言うのだろうか。
「確かに当時、羽根組に多額の資金を貸して焦げついていた暴力団の組長が企業舎弟を通じ、その若頭に『借金を棒引きにしたうえ、別に一億円の報酬を支払うから、村井を始末してくれ』と依頼したとの情報が流れた。覚醒剤密売や信者の資産処分を巡り、オウムと揉めた暴力団は山ほどあり、裏付けできると期待したが、当初はいい金づるになると見込んで黙り、最後は強制捜査が迫ってヤバいからと、どの組もなかなか尻尾を掴ませなかった」と暴力団担当刑事。こうも言う。

「山口組では関東に進出した暴力団で作る『関東親睦会』が中心になり、密かに村井排除を話し合っていたようだ。羽根組も会の一員で仕方なかったのではないか。関西が主流の五代目執行部は頼りにならんので、事後承諾の形で無理やり認めさせたらしい」

そうした組織の中で最も力が入っていたのが、静岡県に拠点を持つ武闘派で、山梨県の教団施設の近くにあったG組(〇八年に解散)だ、というのが捜査関係社の共通した認識である。

G組はこれまでオウム真理教との関係を否定して来た。
オウム真理教が教団施設建設のため熊本県波野村の土地を取得しようとした時のこと。断固拒否の姿勢を示した地主側は地元暴力団に対応を要請し、その組長が教団に乗り込んで「波野村から手を引け」と迫った。ところが教団側は懇意にしていた暴力団の幹部を派遣して協議した結果、地元で絶対トラブルを起こさないとの条件付きで、教団の波野村の進出が決まったという。

その教団側の暴力団がG組で村や県警が確認している事実である。

「あの頃、G組は大手宗教団体の本山の造営に絡んで総額一千億円以上という巨額な土地取引や建設工事、トラブル処理というダーティービジネスに入っており、警察や世間の目を自分たちに向けさせたくなかったんだと思うよ。そこで警察の目をオウムに向けさせるため、羽根組によるオウム攻撃を依頼し、どうせなら、G組とオウムの関係を熟知している村井の口を封じようとしたのではないか」と元警視庁幹部。これこそが当時の村井事件の捜査方針なのだという。


週刊現代1996年1月13日

また、事件前2週間ほどの上峯の行動にも奇妙なものがあった。
4月11日から事件2日前の21日まで、店の定休日を除いて連続9日間も、都内目黒区内にあるSというメンバーズクラブを訪れていたのだ。上峯はツケで飲んでおり、その額は142万円にもなっていた。

犯行直後に上峯が訪れた店
前途の目黒区内のメンバーズクラブで飲んだ後、深夜、上峯はある会員制バーを訪れたが、ここは、X組幹部が経営する店なのである。
犯行を指示した日に上峯がX組と関係のある店に行っていたー
これはなにを意味するのか。やはりX組は村井刺殺事件に深く関わっていたのか。

 実は、以上のような徐と上峯の行動については、捜査当局も確認している。(略)
では、このX組とオウムとは、いったいどういうつながりがあるのだろうか。
そもそも、X組だけでなく、オウム真理教と暴力団との関係は以前から囁かれていた。(略)
「オウムとX組とは、ある取引を通じて関係が深くなっていった。一次、麻原のボディーガードをX組の組員がやっていたという情報もある。さらに、これは確実な目撃者がいるが、X組の事務所には新実智光(音教団『自治省』大臣)が出入りしていた」(暴力団関係者)

当のX組関係者も本誌の取材に対し、「詳しいことはなにもいえないが、オウムからカネをもらったのは事実だ」と答えている。一方、X組と羽根組は友好関係にあり、羽根組はX組かた借金をしていたといわれる。またそれとは別に、上峯とX組も接点があったようだ。

「6年ばかり前、上峯は大阪にいたが、当時、大阪に右翼の大物がよく遊びにきていた。上峯はこの大物に取り入って、彼が大阪に来ると、いつもくっついて歩いていた。X組長はこの大物と親しかったので、それで上峯もX組組長と知り合ったんやろ」(大阪の右翼)

ともあれ、オウムーX組ー羽根組ー上峯ー徐を結ぶ繋がりが見えてきた。このX組を中心にした黒いラインが、村井刺殺を画策したという構図が浮かび上がるのである。








オウム真理教と後藤組。
黒い関係は警察の間でも注目を集めていた。


次回:オウムと後藤組…警察からの警鐘


追記
デイリースポーツ95年5月12日号に、衝撃的な記事が掲載されてた。
オウムと後藤組の直接関係が報道されていたのだ。

オウム真理教が上九一色村に進出してきた際、地元住民が抗議に訪れると教団とともに対応したのが後藤組だったというのだ。

オウムと暴力団は今なお深い闇につつまれている。
村井事件の”答え”は、上九一色村に存在しているのかもしれない。