昨日、私が働く会社に、貴州からお客さんが3人来ました。

お客様のことを悪く言うのは良くないですが、方言がきつく、服装もどんくさい。名刺すら用意していない。
見るからに田舎者という印象です。

中国人の同僚が「これこそ、中国の成金だよ」と耳元で囁きました。

ホテルの内装デザインをやってほしいとの依頼です。
話によれば、彼らは資源関係の仕事に従事していて、とてもお金持ち。
余ったお金で色々やっているようです。

我々の仕事を紹介すると、その実績に満足し、もう一人の共同出資者と相談して、後日再度連絡する、と言う話になりました。

彼らが帰ると、我が同僚二人が「拉致に気をつけないと」と言いだしました。

「?」と不思議そうな顔をしていると、「よくあるんだ」と同僚の一人が説明し始めました。

彼の友人が働く内装会社の副社長が、ある会社に内装の仕事を依頼され、現場視察に行くことになりました。彼らの車に乗ったところ、そのまま拉致され、ボコボコにされたあげく、「金を払わないと海に沈める」と脅迫されたというのです。身内に金を払ってもらい、やっと解放されたとか…。

「そんなの警察に通報すればすぐに捕まるじゃん」

そう私が言うと、彼は首を振ってこう言いました。

「中国は日本の面積の何倍あるの? そう簡単に犯人は見つからないんだよ」

「よくあるんだ。俺たちも気をつけないとね」


そんな単純な犯罪が頻繁に起こる中国って、なんというか面倒くさいな…。
家に戻り、あらためて「大方」創刊号に掲載されていたアニー・ベイビー(安妮宝貝)のエッセイを読んでみました。

そして、何となくわかりました。

このエッセイで彼女は京都や奈良を旅行しており、そこの街並みや工芸品にえらく感心しています。柳宗悦の本も愛読書のようです。そして景徳鎮を訪れて感じた事や「東京夢華録」と比較しながら、過去にあった中国の洗練された文化を、「日本」の中に見出しています。

余談ですが、最近、日本の南部鉄器を使ってお茶を飲むのが中国のセレブ層で流行しています。それも同様な感覚があると思われます。また日本を訪れた中国の友人は、「日本人はよくお辞儀するけど、唐の時代は中国人もそうだったんだ。中国の昔の良い文化が今は日本で生きている」と言ってました。

話を戻すと、彼女の「日本」に対する共感は、過去の日本だけにとどまらず、創刊号の巻頭カラーが桜だったように、現代を含む日本文化自体が持つ美意識に対する共感にまで拡がっているような気がします。

日本文化とはなにか?

日本を象徴する桜は移ろいやすく、もろく、淡い。これは日本の少女趣味にも通じます。また生活様式は簡素かつ細やかです。

こう考えると、日本文化の持つ美意識は、美学的な意味での「都市」の特徴と重なります。日本文化の持つ美意識はその本質において「都市的」なのかも知れません。だからこそ都市的な感受性を持つ安妮宝貝は、「日本」に注目し続けるのではないのだろうかと感じました。


話は全然変わりますが、上海のPuli Hotelは「中華」を極限にまで洗練させたデザイン。欧米客に人気ですが、中国の人々には人気がないようです。
$雲南・昆明に住む日本人の「2級都市」記録-Puli hotel
本屋に寄ったら、文芸雑誌「大方」の第二号が売っていました。アニー・ベイビー(安妮宝貝)が責任編集していて、広告ゼロの贅沢な雑誌です。

「大方」創刊号と第二号
$雲南・昆明に住む日本人の「2級都市」記録-文芸雑誌「大方」

安妮宝貝は若手作家のひとり。いや、もう中堅か。1990年代末、ネットを通じて作家デビュー。当時は、都市を描く若手女性作家が雨後のタケノコのように出ていた頃ですが、彼女もその一人でした。その中で唯一生き残っている作家のひとりが彼女なのです。

以前は都市に生きる若者をよく描いていましたが、現在はその都会的な感受性はそのままに、様々なものを題材にした作品を発表しています。

創刊号では、ほぼ一冊まるごと村上春樹特集のような内容。加えて冒頭を飾るカラー写真では、3ページにわたって桜の写真が掲載されていました。撮影者は中国人ですが、桜の持つ移ろいやすさ、もろさ、淡さを見事に表現していました。

そして第二号でも日本色が現れていて、竹久夢二の絵がたくさん掲載されているのと同時に、太宰治の「グッドバイ」の翻訳が載っていました。

今をときめく村上春樹を創刊号の特集にするのは分かるとしても、なぜこれほどまでに彼女は「日本」を取り上げるのでしょう?

さよなら、ビビアン/アニー・ベイビー

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昆明に住む、年配の日本人教師がいます。話はその奥さんのこと。
奥さんは、旦那様が昆明に行くと言うので仕方なく付いてきたクチ。

花を愛で、短歌を作るのが趣味の彼女にとって、中国という地は決してワクワクするものではありませんでした。

しかしこの地に慣れるために、中国語の勉強も続けてきたし、旅行もたくさんしたし、たくさんの素敵な人に出会いました。この土地の良いところもたくさん見つかりました。

そして、もう5年目。

そんな奥さんが、最近グチをこぼしました。

「もうそろそろ、日本に戻りたいなって思うことが増えたの」

「中国に住んでいて、どんなとき嫌だなと思いますか?」と、その理由を遠まわしに尋ねると、

「すべてがズサンなところ」

続けて、

「咲いている花もズサンなのよ!」

それを聞いて、呑んでいたビールを噴き出してしまいました。しかし分かる気がする!

確かに、日本でおしとやかに生きてきた人にはちょっと辛いかも。

私など、ズサンに生きてきただけに、割としっくりきちゃうのですが…。
また昆明のメイドカフェに行ってしまいました。

以前もブログに書いたアニメオタクの中国青年が数か月ぶりに昆明に戻ってきたので、「昆明でもメイドカフェができたんだよ」と言うと、案の定、「連れて行け」と言われたからです。

店に付くと、やはりオタクの習性なのか、彼はメイド以前にまず店内にディスプレイされているフィギュアに大注目

そして「これ全部ニセモノなんですよ」とダメ出し。

「でもよく出来てるじゃん。これがニセモノなの?」と聞くと、

「全然ダメだよ。ほらこれを見て」と、彼のカメラの中に保存された写真を見せます。

それは彼のフィギュアコレクションで、よーく見てみると、確かにこっちのほうが精巧でした。

そして彼は女性店長に「なぜニセモノを売るのか? 本格的メイド喫茶を目指すなら本物を売るべきだ」と、いらん主張をしました。

すると店長は、「これは全部商品なのよ。ニセモノを置いているのは、本物を買う人が少ないから」と答え、自分の家にあるフィギュアは本物ばかりであることを付け足しました。

その後、日本語の話になり、客が来たときには「おかえりなさい、ご主人さま」と言うが、客が店を出るときには何といえばいいのかだとかを聞かれました。

この店では日本語ができる人がいないのです。なんとなくキーワードだけを使っているだけなのです。中国人のお客さんは、よく分からないまま、その日本語をポカーンと聞いている感じだと思われます。

一応、「行ってらっしゃいませ、ご主人さま」と言うべきであると主張しておきました。

最初に「おかえりなさい」と言う以上、この店は自分の家なのである。となれば、出て行く時は当然、「行ってらっしゃい」となるのだ、などともっともらしく説明すると、「なるほど!」と言われました。


帰る時、メイドがさっそく「行ってらっしゃいませ、ご主人さま」と言ったのにはびっくりしました。