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まのっちゃお! season3

真野恵里菜&カントリー・ガールズ&神社巡りが大好きブログ

吉田神社の次は、安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)に行ってきました

 

 

一の鳥居をくぐり、左右が駐車場になってる参道を歩いて行くと、

 

 

道路を挟んで二の鳥居があります

 

 

二の鳥居をくぐると、茅の輪がありました

 

 

ただ、残念ながら、翌日からくぐれる様で、この日はまだくぐれませんでした汗

 

そんな茅の輪の奥に、拝殿と本殿があります

 

 

御祭神は、天照皇大神(アマテラススメオオカミ)

 

 

天慶三(940)年、平将門の乱平定の報賽として、朱雀天皇より伊勢神宮に三河国の飽海荘(あくみのしょう)が寄進されました。その際、伊勢神宮祭主の庶流大中臣基守がこの地の司として赴き、天照皇大神を奉斎して地域の繁栄を祈願したのが当社の始まりと伝えられております。【安久美神戸神明社公式HPより

 

 

境内には、境内社や神楽殿があります

 

 

他に、東照宮御腰掛松というのありました

 

 

安久美神戸神明社には、鬼祭という例大祭があるそうで、

 

 

神戸の繁栄と五穀豊穣を祈る祭りみたいです

 

 

安久美神戸神明社の御朱印

 

白山比咩神社・吉田天満宮の次は、吉田神社(よしだじんじゃ)に行ってきました

 

 

鳥居をくぐり、松の木が並んでいる参道を50メートルほど歩いて行くと、

 

 

正面に、拝殿と本殿があります

 

 

御祭神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)

 

 

天治元年(1124)に疫病が流行した際、牛頭天王(ゴズテンノウ)を勧請し、疫病退散を祈願したのが始まりとされてるそうです

 

 

吉田神社には、京都の八坂神社のように、祇園祭があるみたい

 

 

祇園祭では、手筒花火を奉納するそうで、手筒花火発祥の地なんだそうです

 

 

境内には、金柑丸稲荷社(きんかんまるいなりしゃ)という境内社がありました

 

 

吉田城の東側の細長い地形を金柑丸というそうで、

 

 

吉田城内にある5ヶ所の稲荷社を金柑丸に合祀し、吉田神社の境内に移したそうです

 

 

吉田神社の御朱印

 

 

この他に、見開きの御朱印と、金柑丸稲荷社の御朱印もあります

 

羽田八幡宮の次は、白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)に行ってきました

 

 

鳥居をくぐると、すぐ拝殿と本殿があります

 

 

御祭神は、菊理姫神(ククリヒメノカミ)、伊弉冉尊(イザナミノミコト)

 

 

白山比咩神社は、当初は白山権現という名前で、魚町の安海熊野神社(やすみくまのじんじゃ)の脇宮として祀られ、保延二年(1136)には札木町に移動しました。天文二十三年(1554)に、この地を納めていた駿府(静岡市)の今川義元から熊野白山二社に永銭十貫二十四文の奉納がありました。これに続き、永禄六年(1563)に今川氏眞が社領を寄進し、神事祭礼修理等怠慢なきことを命じられました。
天正十八年(1590)吉田城主池田輝政が城を拡張するため、魚町に遷座しようとしたのですが手狭のため、宮司邸があった現在の地に遷りました。(白山比咩神社・吉田天満宮公式HPより)

 

 

そして、白山比咩神社のすぐ隣には、吉田天満宮(よしだてんまんぐう)があります

 

 

御祭神は、菅原道真公(スガワラノミチザネ)

 

 

吉田天満宮は、往古、菅原道真公の神像が鹿菅(現在の下地・横須賀・下五井・清須町一帯)の海辺に漂っていたのを里人が石塚(現在の花田町)の辺りに小社を建てて祀っていたのだが天文元年(1532)に岩崎玄朝(いわさきげんちょう)が奉祀したことに始まる。

 

昭和二十年(1945)6月20日の戦災で社殿を始め焼失しました。昭和二十四年の市復興計画整理に伴い、吉田天神社を現在の所に遷座し、昭和三十年に白山比咩神社相殿に合祀される。(白山比咩神社・吉田天満宮公式HPより)

 

 

本殿の両側には、境内社がありました

 

 

 

 

白山比咩神社の御朱印

 

 

吉田天満宮の御朱印