石園座多久虫玉神社の次は、大和神社(おおやまとじんじゃ)に行ってきました
大和と書いて、「おおやまと」って読むんですね
普通に「やまとじんじゃ」って読むのかと思ってた
鳥居をくぐり、長ーい参道を歩いて行きます
めちゃくちゃ長い参道なんですけど、これには意味がありまして…それはまた後で
長ーい参道の先に、二の鳥居があり、ここから約100メートルほど先に拝殿があって、
拝殿の奥に、本殿が三つあります
御祭神は、中央の本殿に、日本大国魂大神(ヤマトオオクニタマノオオカミ)
向かって右の本殿に、 八千戈大神(ヤチホコノオオカミ)
向かって左の本殿に、御年大神(ミトシノオオカミ)
日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)は大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)で、宮中内に天照大神と同殿共床で奉斎されたが、第十代崇神天皇六年に天皇が神威をおそれ、天照大神を皇女豊鋤入姫命をして倭の笠縫邑に移されたとき、皇女淳名城入姫命(ぬなきいりひめ)に勅して、市磯邑(大和郷)に移されたのが当神社の創建であると伝えられている。【大和神社公式HPより】
大和といえば、戦艦大和ですが、その戦艦大和の艦内には神社があり、この大和神社の神々を分祀されていたそうです
また、戦艦大和が沈没した時に亡くなった人々は、祖霊社に合祀されています
そして、参道がすごーく長かったんですけど、実は、参道の長さと戦艦大和の長さが、ほぼ一緒なんだそうです
字が細かくて読めないと思いますけど、最後の方に、「戦艦大和長さは大和神社の参道とほぼ同じ(270m)で、幅は参道の約5倍(40m)です。」と書いてある
という事で、二の鳥居から、一の鳥居の方を向いて写真を撮りましたけど、鳥居がほぼ見えない
戦艦大和って、こんなに大きいんですね~
この他にも、境内には、境内社がありました
他に、磐座や大黒様の石像がありました
そして、摂社の高龗神社(たかおかみじんじゃ)
古来6/1、10年に一度の大祭には、和歌山・吉野・宇陀などから、千人余りも参拝者の列が続いたそうです
先頭に丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)中・下社が金御幣を持ち、後尾には末社の狭井神社(さいじんじゃ)が勤めたそうです
狭井神社は、大神神社の摂社ことかな?
で、HPを見ると、『当社は古く、大倭神社注進状にも記載され丹生川上神社上社の本社でもある』と書いてある
丹生川上神社上社は、5年ほど前に行った事がありますけど、あの神社の本社がここなんですね
この高龗神社には、たくさんの絵馬が掛かっているんですけど、よく見ると…
いろんな神社の絵馬が!
高龗神社の全国総本社だから、いろんな神社の絵馬が集まってくるんですかね?
その他に、境内には、戦艦大和展示室というのがありました
入場無料だったので、入って見ると…
戦艦大和の模型がズラリ!
他にも、絵など飾られていました
戦艦大和カッコいい!
大和神社の御朱印