ようこそ、ひでちぇろブログへ!!

 

今回は、「音程」と「音律」です。

 

 

私は、アマチュアのチェロ弾きですが、

チェロで特に難しいのは、「音程」を取ることです。

 

「音程」を自分で調整できる楽器、

中でもヴァイオリンを始めとする弦楽器にとって、

正しい音程を取ることは永遠の課題かと思われます。

 

さらに、

勉強すると分かりますが、

正しい「音程」にも

正解が複数あったりして、

難しくて複雑なのが「音程」です。

 

特にアマチュアは、

間口の小さいムービングゴールポストみたいな

「音程」に対して、

イマイチの精度で合わせようと試みるので、

結果が悲惨なことになりがちです。

 

繰り返しますが「音程」は永遠の課題です!

 

 

 

ということで

音程の考え方である「音律」と、

「音程」について考えるのが、

今回のテーマです。

 

 

 

ルールである「音律」から始めます。

 

まずは、「ピタゴラス音律」から。

 

紀元前500年頃のギリシャの数学者であり哲学者でもあった、

ピタゴラスが考案したのが、

ピタゴラス音律です。

 

振動数が2:3となる完全5度を並べていって、

♭、♯が付いた音も含めて

全ての音階の音を作るのが、

この音律です。

 

5度ずつに取った音でで音階にすると、

全音広め、半音階狭めとなり、

全音と半音の効果が強調されて

音階やメロディ美しくなるという長所があります。

 

また、当時使われていた和音は

5度が主役だったため

ハーモニーも美しく響きました。

 

ただし、現在の主流である3度の和音が

綺麗に響かないという欠点があります。

 

 

 

次は「純正律」です。

 

古代の音律はピタゴラス音律でしたが、

ルネサンス期以降には5度だけでなく、

3度の和音や主要三和音が重要視されるようになって来ました。

 

この為、周波数の割合が4:5:6である

主要三和音が完全に響く音階を作ったのが、

純正律です。

 

和音には非常に優れており、

「純正律教」の信者のごとく、

純正律だけが素晴らしいという感じの人を

多々見かけます。

 

しかし弱点もあり、

 

音階にすると、

ミとシという緊張感音のある音が低めなのと、

 

全音が2種類できて音階が均等でないこと、

 

常に正確な純正律で弾くのが難しい等、

 

完璧というわけではありません。

 

 

 

そして、「平均律」です。

 

全ての半音を12等分したものが、

平均律です。

 

16世紀頃からある、

フレット付きのリュートやギター辺りから

実用化された様です。

 

完全な和音もなく、

旋律もまずまずですが、

 

明確な欠点はなく、

折衷案的で使いやすいのが特徴です。

 

 

主な音律はこんなところです。

 

 

 

ここで、私のやっているチェロなどの弓で弾く弦楽器は、

5度(コントラバスは4度)で調弦をします。

 

5度調弦なので、

ピタゴラス音律が自然に弾けます。

このままで、メロディも目立ちやすいです。

 

なので音階はピタゴラス音律で練習して、

メロディを目立たせるときはピタゴラス音律、

主要三和音の時にはミとシを低く取るようにすると、

だいたいつじつまが合います。

 

管楽器については詳しくありませんが、

特に金管楽器は倍音で音程を作っているので、

純正律や主要三和音を自然に響かせやすいです。

 

そして、オーケストラで、

弦楽器の旋律に合わせる時に、

ピタゴラス音律を意識できるとよいと思われます。

 

 

メロディで個性を出すピタゴラス音律、

主要三和音で協調性重視の純正律、

半音階進行や折衷案の平均律、

 

これらを、場面に合わせて使い分けるのが、

実践的な音程の取り方だと思われます。

 

 

だいぶ主観的ではありますが、

 

古代に5度で「神と繋がる」手段だった

ピタゴラス音律、

 

近代に神の存在理由である「成長」

とこれに伴う葛藤と喜びを表した純正律、

 

さらに新たな成長の先にある「未来への不安や葛藤」

を示す12音階に適した平均律。

 

 

それぞれの音律の内的世界に想いを馳せつつ、

チューナーを見ながら、

少しずつ、

自分だけの音程を育てていきたいと

思います。

 

 

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

今日は「和声」についてです。

 

 

まず「和声」の理論ですが、

たくさんの書籍やネット上の記事があります。

あえて私が語ることはあまりないのですが、

非常にザックリと書いてみます。

 

3度ずつ離れた三つの音を使うのが基本です。

単純化すると、以下の7つの和音があります。

 

Ⅰ :ドミソ (トニック)

Ⅱ:レファラ

Ⅲ:ミソシ

Ⅳ:ファラド (サブドミナント)

Ⅴ:ソシレ (ドミナント)

Ⅵ:ラドミ

Ⅶ:シレファ

 

このなかで、

Ⅰ(トニック)

Ⅳ(サブドミナント)

Ⅴ(ドミナント)

 

は、

主要三和音と呼ばれて重要な役割を果たします。

 

特徴としては、

 

Ⅴのドミナントは最も緊張感があり、

Ⅰのトニックは最も安定感があります。

Ⅳのサブドミナントはその中間です。

 

また、

Ⅲ、Ⅵはトニックの仲間、

Ⅶはドミナントの仲間、

Ⅱはサブドミナントの仲間、

 

として、主要三和音と似た使い方をされます。

 

この、緊張感のある和音とそうでない和音を

行き来して、

旋律とは違った「和声」固有の物語が作られます。

 

それから、

ドミナントの次には、トニックが来なくてはならないとか、

平行に8度、5度で動いてはダメとか、

 

和声による物語が美しく進行するように、

規則がすごくたくさんあります。

 

プロの演奏者の方は、実践で分かっているでしょうし、

作曲者なら、それに従って曲を作れるくらい、

体得されているのかもしれません。

 

私も勉強したいと思いつつ、残念ながらすべては勉強しきれていません。

 

 

ここで、

細かいルールは少し脇に置いておいて、

 

特徴的なのは、

3度の和音の組み合わせだけで

和声が成り立っているということです。

(オクターブ単位で離れたものを同じオクターブ内に読み替えた場合です)

 

また、

三和音は長三和音の上に短三和音で明るく(長和音)

入れ換えると暗く(短和音)なります。

 

緊張と弛緩、

明と暗、

を3度の組み合わせだけで作っているという、

非常に優れたシステムなわけです。

 

そして、

人間の感情を表すのに都合が良く出来ており、

単に感情の動きを表すだけでなく、

高度に組み合わせることで、

より規模の大きい成長物語を構築する事も可能です。

 

 

 

ところで、3度の和音が主役となる前は、

どうだったのでしょうか。

 

3度の前には、

5度の和音が主役の時代かありました。

 

3度の和音は、

ヨーロッパのルネサンス期以降に発達しましたので、

5度はそれ以前の古代に主役として使われていたと思われます。

 

 

この古代のものがまだ現代にまでそのままの形で残されているのが、日本の雅楽です。

 

雅楽で和音を奏でている笙は、

5度の組み合わせだけで和音ができています。

 

和音の進行での規則は特になく、

龍笛、篳篥(ひちりき)のメロディに合わせて、

笙がメロディの音の上に5度を重ねた和音を響かせるという、

非常にシンプルな和声です。

 

そして、

ここでは個人の感情とか成長とかは一切なく、

神や自然を畏敬の念を持って感じるのが、

音楽ということになります。

 

 

 

ルドルフ・シュタイナーによれば、

現代は3度の時代、

古代は5度の時代、

それ以前は7度の時代、

 

そして、未来には、

1度や8度の時代が来るのではないか、

と言っています。

 

超古代の7度の時代や、

未来の1度、8度の時代など、

想像も付きませんが、

 

超古代から未来まで、

音楽の形の移り変わりに想いを馳せるのも、

ロマンのある話ではあります。

 

 

 

また、シュタイナーは、音楽について次の様に言っています。

 

「神界のなかに人間の本来の故郷はあります。そして、この故郷、神的ー霊的世界からの残響が、物質界のハーモニーとメロディーのなかに響いています。」

 

 

旋律という物語、

リズムという生命体験。

 

「和声」はこれらに、

 

人間界の感情と、

神界という故郷にあるハーモニーで肉付けをして、

音楽を完成させます。

 

 

 

緊張と弛緩、

 

明と暗、

 

そして、

その向こうにある何者か、

 

を常に意識しながら、

音楽に向き合っていきたいと思います。

 

 

では。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

今回のテーマは、「リズム」です。

 

 

音楽の「リズム」は、

時間を区切ることで発生するものですが、

そもそも「リズム」は、

どこから来たものなんでしょうか。

 

人間の身体でいうと、

心臓の脈拍は非常に「リズム」に近いです。

 

物理現象では、

振子の一定感覚の動きなどと似ています。

 

また、音楽の「リズム」は一定ではないので、

自然界の1/fのゆらぎ的なものも関係しそうです。

 

 

似た物を並べてみましたが、

 

しかし、「リズム」とは何か、

分かった様で分からない感じです。

 

これは、「リズム」の元になる、

「時間」

という物の捉えどころの無さに

よるのかもしれません。

 

 

 

ここで視点を変えて、

「時間」というものについても

考えてみます。

 

 

物理学の話ですが、

 

相対性理論では、

光に近い速度になったり、

強い重力が懸かったりすると、

そうでない状態に比べて、

「時間」はゆっくり進みます。

 

「時間」が人それぞれで伸び縮みして、

相対的に異なるので

相対性理論なのですね。

 

また、量子論の世界的では、

 

相対的時間だけでなく、

絶対時間みたいなものが

存在するとも言われ始めていて、

 

まだまだ、解明には道半ばのようです。

 

 

物理学以外でも、

 

哲学のカント大先生曰く、

 

空間と時間は、

人間が物事を認識するための手段に過ぎないらしいです。

 

他にも、

 

時間は存在せず、

永遠の今のみしか存在しないとか、

 

時間があって初めて物質が存在できるとか、

 

時間そのものが、生命現象、

 

などと色々な考え方があります。

 

哲学や物理学などでは、

「時間」に関する議論は、

収束しそうにない感じです。

 

 

 

この深淵で捉えどころがなく、

不可思議な時間というものに、

 

意志を持って区切りと強弱を付け、

現実の世界に明確な時間感覚を与えるのが、

「リズム」です。

 

また、

1小節に4拍というような、

まとまりを持たせるのも

「リズム」です。

 

 

「時間」という切り口だと難解になりますが、

 

「リズム」は、

心臓の脈拍という生命現象に似ています。

 

ということは、人がリズムを刻むのは、

生命を創造する事に例えられるかもしれません。

 

「リズム」は、生命体験であるとも捉えることができます。

 

しかも、それは受動的ではなく

自律的な生命体験です。

 

 

 

内的なイデアの世界にある、

旋律と和声を、

この世に存在させる器として、

 

音楽に、

生命と物質性による身体性を代表しています。

 

クラシック音楽で、

リズムが前面に出ている曲といえば、

ストラヴィンスキー作曲者「春の祭典」

あたりかと思います。

 

凄まじい変拍子と有無を言わせない迫力で、

太古的な本能が自分の身体に宿っているのを

思い出させます。

 

このあたり曲が分かると、

リズムの身体性とか奥深さがさらに

良く理解できると思います。

 

 

「リズム」は、

まさに時間を、生命感覚を、

自ら作っていく、

一瞬ごとの創造行為です。

 

 

 

そして、演奏会での演奏は、

まさに人生と同じあり、

 

生命をすべて生き切った後に、

皆さんから拍手をいただける訳です。

 

演奏で拍を刻むことが、

命を生きる喜びであることと、

 

自分が演奏者であることに感謝しつつ、

 

音楽続けたいと思います。

 

 

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

今回のテーマは「旋律」です。

 

 

音楽の他のテーマに比べて、

「旋律」について書かれた書籍などは

非常に少ないです。

 

和声や対位法については

たくさんありますが、

「旋律」は、

話題にしづらいのかもしれません。

 

法則が少なくて自由度が高いので、

何とか論みたいな学問にしにくいのかもしれません。

 

 

 

ここで、少ない書籍から、

 

エルンスト・トッホ著「旋律学」によると、

 

 

・主音で始まらず、音階を完成させる、

上行か下降の音階

 

・上下の規則的な脈動がある

 

・ピークの音が最も重要で、ピークの音程が終わりから1/3から1/4で出る

 

等が経験上のきれいな旋律に見られる共通の特徴の様です。

 

 

 

がしかし、

これだけ聞いても、どうしようもない感じです。

 

という訳で「そもそも旋律とは」

ということについて、

もう少し掘り下げてみます。

 

 

 

ピアニストで作曲家のブゾーニによると、

 

ハーモニーとリズムは置いておいて、

音楽の中で、「旋律」を取り出して考えると、

 

「旋律」とは、

 

・音の上下の集合体で意味を感じるもの

 

であり、

 

・上下を繰り返す音程の列である

・リズムを伴う

・潜在的に和声を含む

・ある気分の感情に答えている

・演奏においてピッチの選択と、

・楽器の選択が、

・その本質に影響を与えない

 

というものです。

 

説明として、

だいぶ網羅している感じがします。

 

 

 

次に、

「旋律」は、

どういう過程で出来てくるのかを

考えてみます。

 

 

 

表面では、「旋律」は

音が上下しているものです。

 

しかし、何もないところから、

突然「旋律」が現れることはあり得ません。

 

その内側に、

表面下に隠れた「本質」や、

「芸術的、美的現象」が存在します。

 

また、

「旋律」には音程を上下させる運動性があり、

この運動のエネルギーを与える、

「意志」が存在しています。

 

 

 

ここで、偉大な作曲家である

ワーグナーが「旋律」について書いた一節を引用します。

 

「内的なものが外的なものの根拠と条件であるのは事実だが、内的なものが初めて明白かつ確実に姿を現すのは外的なものにおいてである。これと同様に、音楽を形成する器官はたしかに「和声」と「リズム」なのだが、音楽そのものは「旋律」となって初めて真の姿を現すのである。」

 

※木村直弘、<絶対旋律>の系譜学(岩手大学教育学部付属教育実践総合センター研究紀要 第12号)

からの引用

 

内的な音楽は「旋律」によってはじめて

外的な音楽としてこの世の中に姿を現すと言っています。

 

内に秘めた想いが、

「旋律」となって初めて表に現れる感じですね。

 

 

 

そうすると次は、内的音楽とは?

となります。

 

これは、作曲者や演奏家の心の中ということになりますが、

その心の中のものは、どこから来るのでしょうか。

 

これは、

プラトンの思想で言えば、「美のイデア」、

 

シュタイナーの思想では、「霊界の中の事象の原像」、

 

から来るのかもしれません。

 

 

 

イデアについては、

音楽表現1 ー表現するとは?

 

で書いています。

 

興味があれば、お読みください。

 

 

 

ところで、

現代音楽のフレーズは、

一体どこからきているのでしょうか。

 

現代音楽の作曲家で

著作も残したハウアーによると、

 

ロマン派までの音楽が付き合ってきたイデア的なものからも

さらに自由になろうとするのが無調の現代音楽だと言っています。

 

イデアを否定すると現代音楽の旋律になるというのも、

参考になります。

 

 

 

「旋律」とは、

に話を戻します。

 

旋律は、

そこを基点で音楽ができてくるものです。

 

少しまとめると、

 

・何もないところから(内的世界のイデアから)

 音の上下ができ、

・ある地点から音楽としての意味を持ち

・「旋律」で世界に姿を現し、

・リズム

・和声

・歌詞

・ドラマ

・物語

・世界観

 

という風に発展していきます。

 

 

 

ここで、実際の曲も見てみます。

 

まず挙げたいのが、

ベートーヴェンのチェロソナタ第3番です。

 

まず、チェロのシンプルな旋律だけの

ニュートラルな感じで始まります。

 

この6小節弱の始まりの「旋律」が聴きどころで、

原初の音楽、美のイデアが、

「旋律」としてこの世界に

初めて姿を現した感じが良く分かります。

 

そこから、和声、リズム、対旋律が加わって音楽になり物語になっていきます。

1楽章の終わりに、和声の完成形の様な同じ旋律が繰り返されて、

曲が終わります。

 

 

 

次は、モーツアルトの魔笛です。

 

10小節程の葛藤を感じさせる序奏のあと、

主題が忽然と現れます。

まさに、壮大な物語が創造された瞬間を感じます。

創造って、一瞬なんだなと感じさせられます。

 

その後、

同じ主題がフーガとして発展し、

序曲が終わり、

歌詞が付き、

人の演技、

舞台装置も加わって、

神話的で壮大な物語に繋がります。

 

ここでも、やはり旋律から始まっています。

 

イデアの世界、原因の世界から、

 

個人の内的世界、

 

「旋律」、

 

ハーモニとリズム、

 

そして音楽、

 

物語、

 

世界観と、

 

連なっていく創造の連鎖。

 

 

彼岸の世界の「情報」が現実世界に演奏として現れ、

弾き手と聴き手の心の中、そして人類共有の彼岸の世界に帰っていく循環を考えると、

 

輪廻転生を連想させます。

 

その音楽が、

この世のなかに誕生した瞬間が、「旋律」です。

 

楽器を使って「旋律」を奏で、

その大きな流れのなかに

自分が参加できることの幸せに感謝したいです。

 

 

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!!

 

今回は、「感謝」と「音楽表現」についてです。

 

 

「感謝」を取り上げたのは、

「音楽表現」において重要と思われるものの、

一般的にはあまり話題になることが無い為です。

 

「感謝」は、

喜怒哀楽とは別で、受け身の感情ではありません。

 

自分から発信する情報であり、

行動にも繋がるものです。

 

非常に高度で、ポジティブな感情です。

 

 

宗教で考えてみても、

どの宗教でも「感謝」は重要です。

 

当然ですが、

神道でもキリスト教でも神への「感謝」は、

信仰の根本です。

 

仏教でも、

「有難い」という言葉が仏教語源ですし、

すべての存在は関係しあって存在していて、

それへの「感謝」は大本のものでしょう。

 

さらに老子の言葉にも、

「足るを知る者が富む」という言葉があり、

現状への感謝の重要性を指摘しています。

 

宗教で重要な「感謝」ですが、

どんなことに感謝するものでしょうか。

 

 

私自身の例で恐縮ですが、

思い付くままに挙げてみます。

 

・五体満足五感がある

・日本に住んでいる

・食べ物として、命をいただいたこと

・自然

・宇宙

・ご先祖様

・両親

・普段周りにいる人たち

・自分が生きていること

 

という感じです。

ここら辺りならば、

1日に一回以上は感謝してます。

 

生きててラッキー、ありがとう、得した~、

って感じです。

 

幸福のハードルを下げるほど、

「感謝」できるようになります。

 

と、少し話がそれました。

 

 

音楽の話に移ります。

 

 

具体的に、音楽で感謝を表現したものに、

どんなものがあるでしょうか。

 

まず、相当古いもので、

讃美歌の起源と言われるもので、

紅海を渡った後に、

エジプト軍から救ってくれた神への感謝として、

モーゼとユダヤの民が歌った歌があります。

(残念ながらどんな歌かは知りません)

 

同じく古いもので、

雅楽があります。

自然への畏敬の念も含んだ感謝が表されています。

 

クラシック音楽では、

これは感謝の音楽だ!

というのは少ない気がします。

 

個人的に感謝が現れているかなと感じるのは、

 

例えば、

ベートーベンの交響曲第6番「田園」でしょうか。

嵐の後の最終楽章の、

牧歌的かつ感動的な曲想の中に、

自然への感謝を感じます

(人によると思いますが)。

 

また、

マーラーの交響曲第3番の最終楽章

(愛が私に語ること)

なども、

自然とか神などに対する感謝を感じます。

 

パッと考えてみても、

意外と多くはない感じがします。

 

 

クラシック音楽では、

宗教から開放されて自由になってから

発展していることもあって、

 

もしかしたら「感謝」

することから自由になった

ということかもしれません。

 

 

良い悪いとは別として。

 

西洋の音楽や

影響を受けている

他のジャンルも似た感じだと思います。

 

 

曲という枠組みでは、

「感謝」が前面には出ているものは多くありません。

しかし、演奏ではどうでしょうか。

 

私が思うに演奏こそ、

実は「感謝」に満ちていると思います。

 

私にとって近しい、

チェリストで見ていきます。

 

例えば、

偉大なチェリストのヨーヨーマ。

 

音楽全体が光輝いている様に、

それも東洋的な光を感じます。

その光は、

世界や音楽や人類に対する「感謝」と「愛」

の様に感じられます。

 

同じく偉大なチェリストの、

ロストロポーヴィチ。

 

圧倒的な感謝のエネルギーに包まれた様な音です。

 

曲に書かれた喜怒哀楽とは別に、

そこに、感謝のエネルギーが吹き込まれています。

 

そして、カザルス。

高い魂の打点から音を出す、

と思想家の松岡正剛さんは書かれていましたが、

まさに、

感謝のエネルギーを高い魂の打点から表現して、

それが音になっています。

 

世界の頂点の演奏家たちとは、

同じにできるわけではありませんが、

 

 

自分の演奏の中で、

どうやったら

曲の中に感謝のエネルギーを降ろせるのか?

という視点を持つことにも意味があると思います。

 

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

 

今回は、音楽表現についてです。

 

特に、表現するとはどういうことか、

考えていきます。

 

 

音楽をやっていて、

よく言われるけれど、

私的に疑問に感じるのが、

 

歌とか演奏で「感情を込める」

っていう言い方です。

 

テンポを少しずらしたり、

音量の強弱をつけたりして、

大袈裟にする事っぽいです。

 

否定はしませんが、

どこまで意味があるのか。

 

そもそも音楽において感情はどう表現されるのか。

 

そもそも表現とは。。。

 

というのが今回のテーマです。

 

 

 

感情を込めるより少しレベルが上がると、

作曲家の意図通りにと言われたりします。

 

国語の設問みたいなこの言い方、

感情を込めるよりは、

もう少し頭を使いますし、

結構役に立つ考え方です。

 

しかし、

作曲する時の作曲家の意図って、

どんなものなんでしょうか。

 

本人も、本当にすべて意図して

作っているのでしょうか。

 

 

 

ここで、プラトンのイデア論の考え方を見てみます。

 

イデア論では、

魂は不滅で輪廻転生を繰返し、

元々は彼岸の世界にいて、

イデア(まさにそのものの存在)

を見ていいました。

このイデアのみが時空を超えて非物体的な、

永遠の実在・真実在ということです。

 

このイデア、根本が善のイデアで、

美のイデアを含む他のイデアがあるそうです。

 

真実の音楽の美みたいなものも、

この世界イデアの世界にあるかもしれません。

 

 

 

今度は、

ルドルフ・シュタイナー著「神智学」

高橋巖訳 護摩eブックス 

より抜粋します。

 

「「霊界」の中に、すべての事象の原像が存在する、そして事象や生物の物質的形態は、この原像の模像に過ぎない」

 

と、

原像をイデアととらえれば、

同じことを言っています。

 

 

 

少々分かりにくいかもしれませんが、

 

イデアとは、

 

設計図だったり、

 

イミテーションではないオリジナルのもので、

 

彼岸の世界だけに存在します。

 

そして、現実世界には、

イデアの虚像だけがあると考えます。

 

 

 

ここで音楽の話に戻ります。

 

作曲家は音楽の世界では一応設計者です。

 

しかし、メロディとかハーモニーを、

0から作っているのでしょうか。

 

実際は、

曲が「降りて」来るのではないでしょうか。

 

音楽について勉強して、才能を磨き、

曲を強く欲すると、

あちらのイデア側の世界で、曲に相当するものが、

降りてくる感じではないでしょうか。

 

それを書き留めるのが作曲家だと思われます。

 

そして、

作曲家によって書き留められたものを弾くのが演奏家です。

 

シャーマンとかと同じで、

自分が情報ソースなのではありません。

 

 

 

ということで、

 

音楽における表現とは、

彼岸の世界から降ろされたイデアの共有です。

 

作曲者は卸業者で、

演奏家は小売り業者、

のようなものと言えます。

 

そして商品を作っているのは、

神か精霊か、

現実世界の存在には分かりません。

 

登場人物としては、

さらに聴き手が加わって、

イデアの共有が完成します。

 

 

 

感情を込めるとか、

作曲家の意図とかよりも、

 

もうひとつ上の次元のものが存在し、

演奏家と作曲家には、

それほど上下はなく、

イデアに向けて協力する関係なのだと考えます。

 

今回は以上です。

 

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

 

今回は、少し間が開きましたが、

生命と音楽の4回目で

「生命と魂」というテーマです。

 

 

当たり前のことですが、

我々は生命を持って生きています。

 

肉体を持って時間の中で生きている感覚を持って生きています。

 

心臓が脈打ち、呼吸をし、五感で様々なものを感じ、頭の中で思考が発生したりするのを統合した感覚、

生命を生きている感覚とでも呼べるようなものを感じています。

 

これが生命を生きることです。

 

 

 

一方、生きている感覚とは異なり、永遠性を感じ、空間の縛りもない、神と繋がった感覚が魂です。

 

試しに、永遠に続く時間、

無限に広がる空間想像すると、

生命とは違った感覚を感じませんか。

 

また、星を見上げてみると、

悠久の時間と想像できないくらいの

空間の広さを感じます。

 

自分がちっぽけな感じがします。

 

これが、魂の感じる永遠性です。

 

 

 

そして、生命と魂の関係です。

 

生命だけだと、発展性がありません。

 

また、魂や永遠性だけだと、空虚です。

 

そこで、生命を感じながら、普遍的なストーリーを、描くことで、永遠性も感じられる、

 

両者を繋げるられるのが、

 

音楽です。

 

 

 

私個人の話で恐縮ですが、

 

弾いていて生命と魂が本当に繋がった!

 

普段、生命を感じている意識が、

神の永遠性に触れた!

 

と思ったのは、

 

マーラーの交響曲第3番の最終楽章、第6楽章です。

 

 

元々付いていた副題が「神が私に語ること」で、

 

曲としては宇宙の創造段階の一番最後を示しています。

 

生命と魂の永遠性が矛盾せずに調和していて、

深い癒しが得られます。

 

こういう音楽を、

たくさんの仲間、聴き手とともに体験するのが、

まさに音楽愛好家としての、

無上の喜びです。

 

 

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

 

今回は、「自己啓発を音楽に」の最終回で、

「音楽とコーチング」です。

 

コーチングを、音楽に用いることを短く要約すると、

 

「音楽で自分を幸せにする覚悟」をする。

 

ということになると思います。

 

このベクトルをビシッと決めて、

行動し続ける為の手法が、

コーチングで示させる考え方や手法です。

 

以下復習として書いてみます。

 

 

・ゴール設定

本当にやりたいことを、現状の外側にゴールとして設定する。

 

・エフィカシー

自己評価を上げればパフォーマンスが向上する

 

・セルフイメージ

イメージや言葉で情動記憶をつくる

 

・アファメーション

肯定的な自己宣言の言葉を唱える

 

・ビジュアライゼーション

ゴールを視覚的に強くイメージする

 

・ドリームキラー

夢を話さない、否定されても相手せず離れる

 

 

いかがでしょうか。

 

取り入れやすいものからでも、

やってみると良いと思います。

 

 

 

ここで、「音楽」の話に移っていきますが

 

「宇宙」レベルから、少しずつ下って行って、

「音楽」の目的を考えてみます。

 

 

まず、私の立場ですが、

「宇宙」の目的は「愛と成長」と考えます。

 

そこから、宇宙よりは範囲をせばめて、

「地球」の目的は「生命を愛で育んで成長させる為」とします。

 

「成長」というのがポイントで、

人類に災害や厳しい気候条件を与えるのも、

成長を促す為だと考えられます。

 

地球に住む「人類」は、

「地球に生かしてもらいながら自分を幸せにして、

他の存在を幸せにすることを学ぶ」となります。

 

地球の意図を理解して感謝し、

自然(地球)にお返しできるくらいになれば、

やっと卒業でしょうか。

 

そして、

「人類」が「音楽」を行う理由は

 

「音楽を通して宇宙の愛を感じつつ、

人類の本来の目的を思い出すこと。」です。

 

人類の成長という問題集のヒントが、

常に音楽によって与えられています。

 

 

この音楽で人類にヒントを与える大役を先頭に立って、

無から有を生み出すようにしてやってきたのが、

 

「偉大な芸術家」たちです。

 

その偉大な芸術家たちの業績を理解しつつ、

自分達の周りの人たちと

宇宙の愛を知る為の問題集のヒントを、

共有しようとするのが、

音楽家であり、アマチュアの音楽愛好家ですね。

 

この宇宙の「愛と成長」と自分のゴール設定の方向が一致して、

自分の人生において行動が続けられた時に、

 

自分の魂に火がともって、

色々なことが輝きだすのではないでしょうか。

 

私自身の目標は、

 

・自分の演奏で大ホールのお客さんを幸せにすること

 

・ブログなどの情報発信で受け取った人を幸せにすること

 

・自然と触れ合え、演奏もしやすい住環境で自分の幸せ維持できること

 

みたいな方向性でゴール設定をしています。

 

みなさんも、

宇宙の目的を自分なりに想像(創造)して、

そこから自分のゴールを考えてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

このシリーズはこれで終わりです。

 

ここまで読んでくださった方、

どうもありがとうございました。

 

 

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

今回は、「ドリームキラー」です。

 

 

「ドリームキラー」とは、

 

自分の夢や未来の希望を、

否定する人、

止めようとする人、

妨害する人

 

等のことです。

 

特に身近な家族、恋人、友人がなりやすいです。

直訳すると「夢を殺す人」です。

怖いですね。

 

「ドリームキラー」になる理由は簡単で、

自分のコンフォートゾーンを乱されるから、

です。

 

 

「ドリームキラー」への対処法は、

 

「夢を話さない」のが一番です。

 

ただ、どうしても話さざるを得ない場合、

例えば大学受験なら親には話さざるを得ません。

 

この場合も、

やり取りは無駄なので放置するのが一番です。

 

可能であれば距離をおく、

実家なら家を出る等ができれば、

その方が望ましいです。

 

そして、結果を出せば、

「ドリームキラー」はいなくなります。

 

 

また、自分が自分の

「ドリームキラー」になる場合もあります。

人の批判を受け取って自分を攻撃したり、

過去の記憶から、自己評価を下げたりなどてす。

 

 

自分も含めて「ドリームキラー」は

あちこちにいるわけです、

とにかく、自分の「エフィカシー」を

守り抜くことが大事です。

本当に最優先です。

 

エフィカシーが高いほど、

パフォーマンスが高いことは自明ですから。

 

 

 

人間は、

無意識とか脳とかが、

楽をしたいが為に、

また、コンフォートゾーンを維持するために、

意識せずに、いつのまにかエフィカシーが下がります。

 

なので、

エフィカシーが下がるメカニズムを知っておく

だけでも効果はありますし、

 

常に自分のエフィカシーを観察しつつ、

維持する努力が必要です。

 

また、

「ドリームキラー」に関わる要素は、

できる限り排除することです。

 

 

 

ここで、音楽の演奏についての話です。

 

 

演奏会の成功とか、

自身の演奏のステップアップとか、

こんな曲弾けるようになりたいとかの、

夢とか目標があったとして、

 

これを否定しようとする

「ドリームキラー」は、たくさんいます。

 

演奏というアウトプットにダメ出ししたり、

方針、感性、意見が合わず理不尽に否定してきたりで、

 

 

音楽否定される→人格否定されたと感じる

→エフィカシー低下→練習減る→下手になる

→音楽否定される→・・・

 

というループが出来て、

しまいには演奏から離れてしまいます。

 

どこで断ちきるか、

切実な問題です。

 

一方、

 

楽しさが上回る人、

音楽できることに常に感謝できる人

は、演奏を続けられます。

 

結局、演奏において、

すべての「ドリームキラー」を避けるのは無理なので、

 

音楽の「演奏体験」の価値を理解して、

感謝できること、

 

つまり、

「自分軸で音楽を楽しむ」ことが、大切です。

 

 

ルドルフ・シュタイナーによれば、

 

神とダイレクトに繋がれる芸術は、

「音楽」だけだそうです。

 

特に演奏によって、

聴くだけよりさらに強く繋がれます。

 

そもそも、学校の授業の演奏を除いて、

人に聴かせるような演奏をできるというだけで、

何十人に1人の選ばれた人間です。

 

もし、演奏が好きならば、

音楽の価値を理解して、

人間関係なく、

「音楽による神との繋がり」と「エフィカシー」とを接続して、

 

「ドリームキラー」に影響されにくくなれるとよいと考えます。

 

人ではなく、音楽と向き合うということです。

 

もちろん、非常識なパワハラレベルは別で、

積極的に自分を守る必要があります。

 

 

「ドリームキラー」、こんなところです。

 

このシリーズも、あと1回くらいです。

 

では。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

 

今回は、「ビジュアライゼーション」です。

 

 

ルー・タイス、苫米地英人式で言われる

「ビジュアライゼーション」とは、

どんなものでしょうか。

 

積極的に視覚的なゴールのイメージを作って

成功の助けとするのが、

「ビジュアライゼーション」な訳ですが、

 

 

ここでは、強い視覚的イメージのことを

「ドミナント・ピクチャー」と言います。

 

この「ドミナント・ピクチャー」を強くイメージすることによって、

 

無意識のクリエイティビティが発揮されやすくなり、

ゴールに近づいて行きやすくなります。

 

また、副交感神経優位の状態、

つまりリラックスした状態でやる方が、

想像力を駆使しやすい様です。

 

自然界で危機に面している様な状況に対応した、

交感神経優位の状態では、

想像力のスイッチは入りづらいのです。

 

 

 

「ビジュアライゼーション」 が特に効果が上がっているのはスポーツの分野ではないでしょうか。

 

例えば、

水泳で多くの金メダルを取ったフェルペス選手は、

ルー・タイス、苫米地英人式の

コーチングを学んでおり、

寝る前に精度の高い「ビジュアライゼーション」を

していたとのことです。

 

また、

スピリチュアル分野で最近よく目にする

「引き寄せの法則」の著作の中でも、

よく「ビジュアライゼーション」を目にしますね。

 

 

いずれにしても、

パワフルな手法なのだと思います。

 

 

 

私自身は、「ビジュアライゼーション」を、

音楽の演奏に取り入れています。

 

アマチュアオーケストラでチェロを弾いていて、

一番緊張し、失敗が許されないのが、

トップ奏者としてソロパートを一人で演奏する時です。

 

演奏が完璧にうまくいった映像を、

何度も心の中で再生すると、

確かに成功率がアップします。

 

また、

ほんの数小節先の音程の跳躍を成功させる為に、

一秒前くらいのタイミングで、

音程がピタッと合ったイメージをすると、

明らかに失敗が減ります。

 

逆にちょっとでも失敗のイメージを持つと、

それに引っ張られて実際に失敗してしまうので、

心の中を有益な視覚的イメージだけで

満たしてやると、

飛躍的に成功率が上がります。

 

スポーツとか演奏の様なもの、

身体的動きを伴うパフォーマンスを上げるには、

「ビジュアライゼーション」は非常に有効です。

 

 

一方、

年単位の様な、相当先の未来に置いた、

現状の外側のゴールに関して、

「ビジュアライゼーション」は有効なのでしょうか。

 

たしかに、

「ビジュアライゼーション」には、

少し遠い未来に働きかける力もありそうですが、

1+1=2の様な単純な世界ではなさそうです。

 

そもそも、未来に起こる事柄の原因は、

どういう風につくられるのでしょうか。

 

科学的な予測は難しいでしょうから、

宗教の世界でどう言われているのか、

見てみます。

 

 

まずは、「キリスト教」で、聖書からの抜粋です。

 

「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。 実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」

(マルコ福音書4章26-29節)

 

自分が蒔いた種を刈り取る。自分が未来への原因をつくると、良いも悪いも後でそれを体験する。

 

つまり、未来に経験することは、今の自分が原因を作っているということです。

 

 

次に「仏教」です。

 

善いのも悪いのも、自分が受ける結果のすべては、自分が作るのだという「因果応報」という考え方があります。

 

キリスト教とほぼ同じですね。

 

「善因善果、悪因悪果」という言葉もありますが、これも同じ意味です。

 

 

「神道」の世界は、

先の2つの宗教と少し違っています。

 

「不幸が起こることも自然の一部なのである。」

という見方です。

 

地震や雷のような自然災害も、

事故や病気のような人間社会で起こる不幸なことも、

あるのが自然である 、

 

できる限りのことはして、

あとは神に祈る、

そうすれば神はご加護を与えて下さる、

 

というのが人間にとっての自然な道。

 

という風に考えます。

 

不幸があっても自然なものとして受け入れる。

出来るだけのことはするが、

最後はお任せする。そして感謝する。

 

ということです。

 

 

キリスト教や仏教では、

因果応報という原理、ルールが言われ、

 

神道ではそれに対しての執着のない態度の

有効性を説いています。

 

これらから見ると、単純に、

 

望んだ → ビジュアライゼーション → 叶う

 

みたいにはならず、

それ以外のファクターも絡んでいると思われます。

 

 

ここで、少し脱線ぎみになりますが、

 

ヒンズー教を筆頭に、

輪廻転生思想があります。

 

前世のカルマの影響が現在に現れる。

ということは、

現在のカルマも、

前世のカルマも、

未来に影響を与えていることになります。

 

これに対しての私の立場は、

生まれる時点の条件で、

既にカルマの負債や貯金は反映されているので、

現在のカルマだけ考慮すれば良いという考えです。

 

カルマ返済の消化試合の為に、

現実世界にわざわざ人間が作られたのではなく、

未来をも創造しながら神を目指して

「成長」するために、

人としてこの世界に生まれてきたのだ、

 

と考えます。

 

なので、

神から見た「成長」の為に、

自分の未来の原因を作り、

現在において過去に作ったものを

受け取っているのが人間だと思います。

 

と、

相当脱線しましたが、

 

未来を作っているのは、

因果応報でも言われている通り、

現在の行動であり、

その行動をうまく導く為に

「ビジュアライゼーション」

を使うと良いということです。

 

ということで、

 

書くことが有りすぎて止まらなくなってきたので、

今回はこんなところです。

 

 次は、「ドリームキラー」です

 

それでは。