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今回は、「感謝」と「音楽表現」についてです。

 

 

「感謝」を取り上げたのは、

「音楽表現」において重要と思われるものの、

一般的にはあまり話題になることが無い為です。

 

「感謝」は、

喜怒哀楽とは別で、受け身の感情ではありません。

 

自分から発信する情報であり、

行動にも繋がるものです。

 

非常に高度で、ポジティブな感情です。

 

 

宗教で考えてみても、

どの宗教でも「感謝」は重要です。

 

当然ですが、

神道でもキリスト教でも神への「感謝」は、

信仰の根本です。

 

仏教でも、

「有難い」という言葉が仏教語源ですし、

すべての存在は関係しあって存在していて、

それへの「感謝」は大本のものでしょう。

 

さらに老子の言葉にも、

「足るを知る者が富む」という言葉があり、

現状への感謝の重要性を指摘しています。

 

宗教で重要な「感謝」ですが、

どんなことに感謝するものでしょうか。

 

 

私自身の例で恐縮ですが、

思い付くままに挙げてみます。

 

・五体満足五感がある

・日本に住んでいる

・食べ物として、命をいただいたこと

・自然

・宇宙

・ご先祖様

・両親

・普段周りにいる人たち

・自分が生きていること

 

という感じです。

ここら辺りならば、

1日に一回以上は感謝してます。

 

生きててラッキー、ありがとう、得した~、

って感じです。

 

幸福のハードルを下げるほど、

「感謝」できるようになります。

 

と、少し話がそれました。

 

 

音楽の話に移ります。

 

 

具体的に、音楽で感謝を表現したものに、

どんなものがあるでしょうか。

 

まず、相当古いもので、

讃美歌の起源と言われるもので、

紅海を渡った後に、

エジプト軍から救ってくれた神への感謝として、

モーゼとユダヤの民が歌った歌があります。

(残念ながらどんな歌かは知りません)

 

同じく古いもので、

雅楽があります。

自然への畏敬の念も含んだ感謝が表されています。

 

クラシック音楽では、

これは感謝の音楽だ!

というのは少ない気がします。

 

個人的に感謝が現れているかなと感じるのは、

 

例えば、

ベートーベンの交響曲第6番「田園」でしょうか。

嵐の後の最終楽章の、

牧歌的かつ感動的な曲想の中に、

自然への感謝を感じます

(人によると思いますが)。

 

また、

マーラーの交響曲第3番の最終楽章

(愛が私に語ること)

なども、

自然とか神などに対する感謝を感じます。

 

パッと考えてみても、

意外と多くはない感じがします。

 

 

クラシック音楽では、

宗教から開放されて自由になってから

発展していることもあって、

 

もしかしたら「感謝」

することから自由になった

ということかもしれません。

 

 

良い悪いとは別として。

 

西洋の音楽や

影響を受けている

他のジャンルも似た感じだと思います。

 

 

曲という枠組みでは、

「感謝」が前面には出ているものは多くありません。

しかし、演奏ではどうでしょうか。

 

私が思うに演奏こそ、

実は「感謝」に満ちていると思います。

 

私にとって近しい、

チェリストで見ていきます。

 

例えば、

偉大なチェリストのヨーヨーマ。

 

音楽全体が光輝いている様に、

それも東洋的な光を感じます。

その光は、

世界や音楽や人類に対する「感謝」と「愛」

の様に感じられます。

 

同じく偉大なチェリストの、

ロストロポーヴィチ。

 

圧倒的な感謝のエネルギーに包まれた様な音です。

 

曲に書かれた喜怒哀楽とは別に、

そこに、感謝のエネルギーが吹き込まれています。

 

そして、カザルス。

高い魂の打点から音を出す、

と思想家の松岡正剛さんは書かれていましたが、

まさに、

感謝のエネルギーを高い魂の打点から表現して、

それが音になっています。

 

世界の頂点の演奏家たちとは、

同じにできるわけではありませんが、

 

 

自分の演奏の中で、

どうやったら

曲の中に感謝のエネルギーを降ろせるのか?

という視点を持つことにも意味があると思います。

 

それでは。