世界(この世)は、気づくべきことに気づくことが出来ます。
世界(この世)は相対的です。裏があり表があり、原因があり結果があります。裏だけ、表だけのもの原因だけ、結果だけというのはありません(存在出来ません)(詳しくは、この世とは。(1)を参照下さい)。
そうしたことから、世界(この世)は気づこうとしさえすれば、気づけるようになっています。
そもそも、心がこの世に生まれた目的は、自分が「絶対的な愛であると気づくため。そのために心は絶対的な愛やそれにもとづく個性(性格や能力)を世界(この世)に表現して、そうであることに(本当にそうなのだと証明して)気づこうとしています(詳しくは、絶対的な愛やそれにもとづく個性の表現に気づく(2)を参照ください)。
もちろん、気づこうとしなければ何も気づけません。
気づこうとするのは気づくためのきっかけです。そのきっかけによって、気づくことが「今」あらわれます。
気づこうとするのは心です。なぜなら、気づこうとすることは心が表現(絶対的な愛の表現)するべきことだからです。
身体(頭)は気づこうとはしません。過去や未来のもと、相対的な愛によって世界から自分を守る、自分が快適な状態にあろうとするために考え、その答えを出しますがそれは上記の気づくこととは違い、問題が生じます。
なぜなら、自分のためだけに(相対的な愛、自己中心的な愛のもとに)生きようと考え、行動するからです。世界を、誰かを、自分のために動かそうとするからです。
そうして起きた問題は、当然そのままだ(頭で考えても)解決することは出来ません。
そのまま解決しようとすれば、問題に問題を重ねるようなもの、問題が増えたり、厄介な問題へと発展します(世界をみればそれがわかるのではないでしょうか)。
そうした問題はストレスとなるので、身体にはストレス反応が生じます(詳しくは、すべての人を愛する(愛さなければいけない)。を参照ください)。
また、その問題を忘れようと(一時でも)それに関する愚痴を言ったり、ストレス反応によって強くなる欲求を満たそうとしますが、それをすればするほどその反応が強く生じ、やがて身体に重篤な問題が生じます。
そうならないように、あるいはそうなっているようであれば、「今」在る。そうして気づこうとする。ただそうするだけで、気づくべきことに気づき、そうした問題は問題ではなくなり、心のまま、心が表現するべきことを表現して生きることが出来るようになります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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