心が表現するべきことを世界に表現すれば世界が変わります。
その表現の一つが絶対的な愛であることはこれまで何度も書いて来ました。
絶対的な愛とは、自分と他を区別しない(出来ない)ということであり、心そのものであることをいいます(詳しくは、絶対的な愛とは(2)を参照下さい)。
「今」に在れば何をせずともそれが表現され、また、他のそれを感じることが出来ます(自覚できます)。
そう在れば、それにもとづく個性である性格や能力を表現することも出来ます。
そうした性格や能力がいったい何なのか、どういうものなのかわからなくても、そうしたものが自然と表現されるか、そうしたものを表現したくなってそれを表現することになります。
たとえば、「今」に在り(頭の中に過去や未来などがない)、電車のシートに座っているとき、近くに高齢者が立ったとしたら、「席を譲らなければいけない」「ここは優先席じゃないけど・・・・・」などと考える間もなく(そう考えるのは身体(頭)です)、席を立つ、それはその表現の一つです。
※ そうした能力を「優しさ」や「気遣い」とするならば、その能力はみんな持っていますが、その思いや、そのやり方などは、それぞれ似ていることはあってもみんな違います(心の思い、性格がみんな違うからです)。そうしたことからその能力も他の能力と同様に唯一無二です。
そのように、心が絶対的な愛やそれにもとづく個性を表現して生きることが、心のままに生きること、自分らしく生きることです。
そう生きていれば世界が変わります。そう生きることがどういうことなのか世界が教えてくれます。
まず、自分の周りの世界が変わり、やがてその輪が広がってゆきます(多くの場合、相対的な愛(自分中心の愛)が表現されている世界でそれを表現するのですから、変わらないはずがありません)。
そうしていれば、その世界に自分を(心を)もっと表現したくなります(というよりも、世界がそれを求めます)。さらに、それまで表現していなかった能力を表現するようにもなります。
また、そう生きていると、生きるべき人生を生きることになるので来ている実感が湧いて来ます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
多くの方に読んでいただきたいと思っています。
もしよろしければ↓クリックをお願いいたします。