スマートフォンのことを考えることが最近多い。


ケータイに関係した業界では、今後ケータイのスマートフォン化がどんどん進むと予想している、というような話をよく聞く。スマートフォンでないケータイ端末のことを「ガラパゴス・ケータイ」、縮めて「ガラケー」と呼ぶらしい。


では、何がスマートフォンで、何がガラケーなのかというと、ガラケー科に属すると思われる種族にも大画面のタッチパネルやフルブラウザーのようなPC的な機能を持ったものもあって、よく判らない側面もある。ま、分類することには余り意味が無いので、スマートフォンの元祖のひとつと思われるBlackberryを軽く無視して、とりあえず今の日本で話題になっているスマートフォンは、iPhoneとAndroidケータイ、それにWindows Mobile/Windows Phone 7のことだと考えてよいだろう。


ガラケーという言葉を私も最近チョクチョク使うのだが、その言葉を使うたびにそこに少し蔑んだような少し不快な感覚が耳に残るのが気になっている。もともとガラパゴスという言葉を使ったのは、日本のケータイが世界の他の地域と異なる独特の進化を遂げてきたことを表現したのだけれど、それが故に日本の携帯電話メーカーがグローバル化に遅れて競争力を失っているというような話になって、ガラパゴス化が良くないことのように語られているようだ。


ところが、ユーザーの視点からすれば、日本のケータイは次から次へとキャリアやメーカが日本のユーザに使いやすく価値のある(中にはそうでないものも多く含まれるが)機能を追加した結果、海外の人達には使いこなせない「進化」をしてしまった。おかげで日本の非常に多くの人たちが、色々なネットサービスの有益性やコミュニティサイトやCGMの楽しさを自分たちのものとして取り込むことができた。もともと余りキーボードで文字を打ってコミュニケートする人が限られていたと思われるこの日本において、ケータイのガラパゴス的進化がネット時代のリテラシーに果たした役割は非常に大きいと言えるだろう。


一方、対比としてのスマートフォンでは、ハードやOSといったプラットフォームはグローバル対応である。今スマートフォンが日本の市場に参入し浸透して来ているのは、決して日本人がグローバルに対応して来たのではなく、プラットフォームだけでは十分でない部分をアプリケーション、つまり「アプリ」で日本人向けの対応をしているからである。ガラケーが積み重ねてきた進化をアプリがグローバル標準のプラットフォームの上に実現し、さらにガラケーが果たせなかった進化もそこに加える。


これからはガラパゴス・アプリがどんどん出てきて、進化する。

「ガラプリ」とでも呼びますか。


私はサッカーが好きである。見るスポーツとしては一番好きだと言っても良い。


欧州のリーグ戦の高度なサッカーも楽しいし、Jリーグも観るが、特に日本代表戦を見るときはどこか違う感情が湧いてくる。オリンピックで日本の選手が金メダルを取って感動していても、表彰式に流れる君が代自体には特別な感情がわかないのに、サッカー日本代表が戦う前に国歌吹奏で流れる時の君が代には心震わされ、この時だけはこの曲が最高に思える。


そんな私も今回のワールカップ1回戦のカメルーン戦の前は、決して前向きな気持で迎えられた訳ではなかった。それがどうだ、第1戦をどんな形であれ、なんとか勝ち、第2戦は強豪オランダに1点差の善戦をし、そしてデンマーク戦では、今までに見たことのない堂々とした素晴らしい戦いぶりを見せてくれた。


岡田ジャパンが1戦ごとにチームとしてまとまりを見せ、成長していったこと、そして魂を持ってファイトしていたことはテレビの画面を通じても十分に伝わってくるし、そこに多くの人達が感動したのだと思う。


そして、決勝トーナメントに入ってのパラグアイ戦でも、やはりチーム一丸となって戦う姿勢は変わらなかったし、負けても賞賛を得るには十分な試合だったと思う。


しかし、「よくやった」ムード一色の感がある日本だが、冷静になって考えると、もう少しなんとかできたのではないか、という残念な気持ちも消えない。


よく言われているように、ある意味どん底だった日本を立て直したのは、岡田監督が下した英断とも言われる戦い方の変更に拠るところが大きい。すなわち、それまで不動のレギュラーであった楢崎、中村俊輔、岡崎をスタメンからはずし、代わりに川島、松井、本田を起用した点と、阿部をディフェンスとボランチの間に加えてディフェンスに落ち着きをもたらしたシステムの変更である。


特に、勝つことよりも負けないこと優先し、失点することを極力避けることが重要な予選リーグでは、しっかり守ることから始めるという考え方は、今の日本にとっては正しい選択であり、むしろそうするしかない戦略とも言える。

それが、実際にまんまとはまったのだ。


しかし、16強のトーナメントでは勝たなくてはならない。点を取らないと、どう転ぶか判らないPK戦になってしまう。PK戦に持ち込む作戦が無いとは言わないが、現実的ではないし、そこまでPKに自信が持てるチームとも思えない。


パラグアイ戦では、それまでと異なる戦い方を選択することはできなかったのだろうか。勿論、結果論ではあるのだが、試合内容を見る限り、パラグアイに対して予選リーグと同じレベルでディフェンシブになる必要はなかったのではないか。前半は様子見をするとしても、後半の早い時間で作戦の変更を行うことはできなかったのだろうか。


私が思うのは、阿部に換えて中村憲剛を投入し、ワールドカップ前に使っていた形に近い布陣になったあの形を、好調を維持していた松井や大久保の足がまだフレッシュなうちにできなかったのだろうか、ということだ。前線から相手を追い回しながら攻撃も行うため、前の3人の疲労が激しいことは想像がつく。しかし、松井のドリブルやトリッキーな動きは有効だっただけに、そこへボールを供給できる中村との組み合わせは、攻撃の違った局面を創れたのではないか。松井を岡崎に代えたのは、彼の裏への飛び出しを期待してのことだろうが、それなら突進力が期待できそうな森本という選択肢もあった。松井に代えて森本か玉田のフォワードを投入し、大久保に代えて守備的な稲本か今野をボランチに投入して、遠藤を攻撃的に上げる。本田・森本(玉田)の2トップにして、遠藤・中村が攻撃的MF、長谷部・稲本で守備的MFとする442で本来日本が目指していたであろうパスサッカーで勝負!


指揮官や意思決定者にとって、上手くいっていると思われていることを変更するのは非常に勇気の要ることである。だが、どうせ負けるなら、という言い方は良くないが、そこまで納得のいく形でやってみても良かったように思えてならないのである。


スペインをあそこまで苦しめたパラグアイ。そのパラグアイと対等以上に戦えた日本。素晴らしい戦いだったことに疑問はないが、もっと異なる戦い方もできたのではないかという残念な気持ちがどうしても残ってしまう。


それが監督という指揮官、意思決定者が下した判断に拠るところであるだけに、全く関係のない自分にも少しだけ投影しながら、深く考えてしまうのである。



ワールドカップ南アフリカ大会準々決勝 ブラジル-オランダ戦は、まさに最高の試合だった。


少なくとも記憶にある限り、見た中で最高の興奮と感動を与えてくれたと思う。どうしてもある種の重苦しさと緊張がともなう日本代表の試合とは異なり、純粋に試合を楽しむことができた。


私が試合のことを論じても何の意味もないが、なぜか文章にしておきたくなった。



前半は完全にブラジルのもの。あのオランダが為す術も無く、ブラジルの選手がピッチを支配し圧倒する。それにしても、なんという技術、スピード、判断力、局面打開のクリエイティビティか。


パッと目を惹くのはスピードだろう。決して遅くないオランダの選手たちがついていけない。ブラジルの大型ディフェンダーがスピード豊かに駆けあがり繰り出すパスの何と正確なことか。かと思えば、あのロッベンのコースを完全に消してしまう。抜くことも、パスすることも、ましてやシュートも前には飛ばさせない。


地味であるはずのトラップやパスの基礎技術が素晴らしい。よくあんなところを完全なタイミングでパスを通すものだ、パスだけで見ていて何度も声を上げてしまった。どんな玉でもスッと収まるトラップもあわせて、ブラジルとスペインの2強が基礎技術でも2強なのではないだろうか。


全く次元が異なる。そんな感覚が観るものを魅了する。


ところが、後半に事態は一変する。この完璧なブラジルのほころびを、じわじわと泥臭くオランダが崩し始める。オランダは極めて幸運であったとも思う。2つの得点はいずれも運なしには生まれていない。


それにしても、前半は完璧であったブラジルが全く別のチームのようにバランスを崩し、焦り、チームとして機能しなくなってゆく。それでもスーパースターたちの個人技で打開を図るが、それをガチガチと阻むオランダ。これが試合の流れというものなのか。


恐らくはオランダの選手たちもある種の絶望感すら感じたのではないだろうかと追うほどの前半の逆境から諦めること無くファイトし続けたオランダは最高の賞賛に値する。ハーフタイムで立ち直ったのだとすると、監督やチームメイト、スタッフのベンチワークも見逃せないのだろう。


これぞ世界!


できる事なら、どんなにボロボロにされていたとしても、岡田ジャパンにこのレベルのチームと戦わせてみたかったという思いが湧いてくる。


最後に、この難しい試合の主審を務めた西村さんは、凄い!