私はサッカーが好きである。見るスポーツとしては一番好きだと言っても良い。


欧州のリーグ戦の高度なサッカーも楽しいし、Jリーグも観るが、特に日本代表戦を見るときはどこか違う感情が湧いてくる。オリンピックで日本の選手が金メダルを取って感動していても、表彰式に流れる君が代自体には特別な感情がわかないのに、サッカー日本代表が戦う前に国歌吹奏で流れる時の君が代には心震わされ、この時だけはこの曲が最高に思える。


そんな私も今回のワールカップ1回戦のカメルーン戦の前は、決して前向きな気持で迎えられた訳ではなかった。それがどうだ、第1戦をどんな形であれ、なんとか勝ち、第2戦は強豪オランダに1点差の善戦をし、そしてデンマーク戦では、今までに見たことのない堂々とした素晴らしい戦いぶりを見せてくれた。


岡田ジャパンが1戦ごとにチームとしてまとまりを見せ、成長していったこと、そして魂を持ってファイトしていたことはテレビの画面を通じても十分に伝わってくるし、そこに多くの人達が感動したのだと思う。


そして、決勝トーナメントに入ってのパラグアイ戦でも、やはりチーム一丸となって戦う姿勢は変わらなかったし、負けても賞賛を得るには十分な試合だったと思う。


しかし、「よくやった」ムード一色の感がある日本だが、冷静になって考えると、もう少しなんとかできたのではないか、という残念な気持ちも消えない。


よく言われているように、ある意味どん底だった日本を立て直したのは、岡田監督が下した英断とも言われる戦い方の変更に拠るところが大きい。すなわち、それまで不動のレギュラーであった楢崎、中村俊輔、岡崎をスタメンからはずし、代わりに川島、松井、本田を起用した点と、阿部をディフェンスとボランチの間に加えてディフェンスに落ち着きをもたらしたシステムの変更である。


特に、勝つことよりも負けないこと優先し、失点することを極力避けることが重要な予選リーグでは、しっかり守ることから始めるという考え方は、今の日本にとっては正しい選択であり、むしろそうするしかない戦略とも言える。

それが、実際にまんまとはまったのだ。


しかし、16強のトーナメントでは勝たなくてはならない。点を取らないと、どう転ぶか判らないPK戦になってしまう。PK戦に持ち込む作戦が無いとは言わないが、現実的ではないし、そこまでPKに自信が持てるチームとも思えない。


パラグアイ戦では、それまでと異なる戦い方を選択することはできなかったのだろうか。勿論、結果論ではあるのだが、試合内容を見る限り、パラグアイに対して予選リーグと同じレベルでディフェンシブになる必要はなかったのではないか。前半は様子見をするとしても、後半の早い時間で作戦の変更を行うことはできなかったのだろうか。


私が思うのは、阿部に換えて中村憲剛を投入し、ワールドカップ前に使っていた形に近い布陣になったあの形を、好調を維持していた松井や大久保の足がまだフレッシュなうちにできなかったのだろうか、ということだ。前線から相手を追い回しながら攻撃も行うため、前の3人の疲労が激しいことは想像がつく。しかし、松井のドリブルやトリッキーな動きは有効だっただけに、そこへボールを供給できる中村との組み合わせは、攻撃の違った局面を創れたのではないか。松井を岡崎に代えたのは、彼の裏への飛び出しを期待してのことだろうが、それなら突進力が期待できそうな森本という選択肢もあった。松井に代えて森本か玉田のフォワードを投入し、大久保に代えて守備的な稲本か今野をボランチに投入して、遠藤を攻撃的に上げる。本田・森本(玉田)の2トップにして、遠藤・中村が攻撃的MF、長谷部・稲本で守備的MFとする442で本来日本が目指していたであろうパスサッカーで勝負!


指揮官や意思決定者にとって、上手くいっていると思われていることを変更するのは非常に勇気の要ることである。だが、どうせ負けるなら、という言い方は良くないが、そこまで納得のいく形でやってみても良かったように思えてならないのである。


スペインをあそこまで苦しめたパラグアイ。そのパラグアイと対等以上に戦えた日本。素晴らしい戦いだったことに疑問はないが、もっと異なる戦い方もできたのではないかという残念な気持ちがどうしても残ってしまう。


それが監督という指揮官、意思決定者が下した判断に拠るところであるだけに、全く関係のない自分にも少しだけ投影しながら、深く考えてしまうのである。