また暫くエントリするのに時間があいてしまった。少し反省。

しかし、この間に株主総会やら取締役会やら色々あって、気が抜けない日々が続いていたのだ。その上、ワールドカップで日本が頑張っているし、地上波で色々な試合の放送もあったりで、、、、、と言い訳はこのくらいにして。

iPadを使い始めて3週間ほどになるだろうか。(この頃、日にちのが感覚がよく判らない。)

上に書いた言い訳のような日々を送っていることもあって、余り充分に使いこなしていると言うわけではない。まだアプリもそれほどDLしていない。それでも、やはり電子書籍モノを中心に少しずつコンテンツは増えてきている。

先日は出張の折に新幹線へ持ち込んで使ってみたりもした。

今のところの感想として言えるのは、私にとって一番使えるのは結局ブラウザで、メーラーが凄く良くできていることに感心しつつ、楽しいのは簡単なゲームだということ。そして、慣れないこともあるだろうが、私は電子書籍としては、あまり使う気になれないということだ。

新聞にしても、雑誌にしても、ましてや文学系の読み物にしても、どれも程度の差こそあれ書面に集中できないのである。慣れのせいだけなのかもしれないが、今のところ慣れる気がしない。

雑誌はページをパラパラとめくったり、大きくしたり小さくしたりして、もてあそびはするのだが、ぜんぜん読んでは居ない自分に気がつく。読みたい気がする記事を見つけても長続きしない。

逆にハマりそうな予感がしているのはゲームだ。予感というのは、実際にまだ余りやっていないからだけど、カジュアルなゲームをやる端末としては、とても使い易いことは間違いない。

何よりも、結局一番便利で凄いなと感じるのは、アプリがすぐに起動して使えるようになることで、この快適さはPCはもちろん、ゲーム機にもケータイにも無かった。この理由だけでも、色々と使ってみる気になるから凄い。

考えてみれば、ものすごく単純なことなのに、改めて、ものすごく大切なのだと思い知らされるのである。
このところ色々なところで「日本のガラパゴス化」という言葉を良く聞く。“ガラパゴス”の対局の言葉としては、“グローバル”が近いのだろう。

比較的最近で、日本のガラパゴス化の話題でひと盛り上がりしたのが、ケータイのSIMロック解除の件だった。関連する色々な話が飛び交っているが、一つ叫ばれていたのは、このままキャリアがSIMロックをしたままだと、日本のケータイは特殊なままで、ユーザーに不利益になる、といったことであったように思う。そして、日本は益々特殊化して、孤立し、グローバルから取り残されると。

これも最近、でもないが、フォローしている佐々木俊尚氏がガラパゴス化に関してツイットしていたことがあり、気になったので、コピーしておいた;

sasakitoshinao
日本の消費者は家電に高機能と高性能、分厚いマニュアルを求めてきたが、グローバル市場ではシンプルで直観的な製品が好まれている。これがガラパゴスの壁と捉えられてきた。
ところがシンプルで直観的なiPadがこれほど日本で受け入れられているということは、日本の消費者の好みがグローバル市場に寄ってきているということではないか。
ただしWSJの書くように、海外ベンダーからは「日本の消費者は高機能多機能が好き」と思われていて、これが日本市場のハードルと捉えられてきたのは事実だと思う。
そうするとなぜその「多機能と分厚いマニュアルを求める日本の消費者」というイメージが崩壊し、海外の製品が日本に流入しやすくなって来るであろう事態になりつつあるのかを、もう少し考えないといけない。


日本の消費者は、べつにすき好んで厚いマニュアルを求めている訳でもないし、多機能だけを求めているわけではない。WSJの指摘は単に彼らが日本をそう見ていたというだけだろうが、そこが日本市場に入りにくかった障壁だと思っていたのなら、勘違いも甚だしい。

確かに機能が充実した商品を好む人は多いし、売る方もわかりやすい。実は機能を増やしてマニュアルを厚くしているのはユーザーが望んでいる訳ではなくて、日本のメーカーであって、メーカーはそれで商品を差別化しようとしてきた結果なのだ。

しかし、海外の製品が日本で余り人気が出ないのは、機能が不足しているのが原因ではない。殆どの場合、我々日本人にとって海外の製品が、単に使いにくかったからに過ぎない。

PCだって海外の、あるいはグローバルな基準で作られているわけだが、OSやアプリの日本語対応が充実してきてから初めて日本の市場で積極的に受け入れられてきたのだと思う。WindowsにしてもMacにしても、ハードもOSも勿論グローバルな標準だけれど、十分な地域対応、ローカライズがされていると言える。日本語入力の機能がが不十分なままではPCの普及は違ったかもしれない。

iPadがすぐに日本でも受け入れられているとすると、それは日本人にも使い易いローカライズがすでに十分配慮されているからだろう。もちろん、シンプルで直感的な使い勝手は、その点で非常に有利なことは間違いない。

ところが、iPadで普及が期待されている電子書籍になると、ローカライズの配慮は未だ十分とは言えなさそうだ。iPadの標準電子書籍リーダーである(と思われる)iBookは今のところ縦書き文字に対応していないし、右開きにも対応していない。これらの問題に対応した独自開発の電子書籍リーダーは出てきているものの、アップルが電子書籍を自分たちの手でiBookStoreを通じて売ろうとしている以上、その対応や方針が見えないと、なかなか出版業界も動きにくく、日本という地域性やそこでの書籍文化に、そしてそこにいるユーザー、読者に対して十分な配慮がされた状態ではないように思える。

勿論、何時も、何処にも、そんな不便さとか快適さを度外視して新しいものを取り込もうとする人たちはいる。しかし、そういった快適さや使いやすさが十分でないと、一般化するところまでは広がらない。

iPadがもたらす快適さや便利さは非常に大きいから、商品としては相当普及する気はする。しかし、電子書籍端末としてどこまで日本で受け入れられるかは、今後次第と言えるのではないだろうか。

日本人には日本人独特の文化や習慣があって、書籍という意味では漢字、平仮名、カタカナ、ローマ字を併用することや、ルビがふられること、縦書きが多いことなど、グローバルではないことがたくさんある。それをガラパゴスと呼びたければそう呼んでも構わないが、私たちは元来、そういう辺境人であって、そういう人たちなのだと思う。


佐々木さんの言うように、日本の消費者の好みがグローバル化してきているとは、少なくともiPadに対する傾向からは、私には思えないのである。



ちょっと大袈裟なタイトルだけど、気がつくと私も我が家もかなりアップルに侵食されている。


反対に減ってしまっているのは、残念ながらソニーのようだ。


一番最初は、恐らくiPodだ。数えてみると娘のモノも含めると4台ある。最近ならともかく、5年くらい前だろうか、この時にソニーのWalkman系の選択はほとんど考えなかった。それ以来、iTunesのライブラリを置き換える気には中々なれない。(実は簡単なのだろうが)


次はMac。実は、私個人はパソコンに関しては3年前からWindowsPCとMacを併用している。普通に考えると、自宅用がMacで仕事用がWindowsだと思われるだろうが、私の場合はその逆。


3年前転職した際、PCを選択するのに、どうしてもVistaを使う気になれなくて、また面白いことにOffice系のファイル互換性に関しても、無理にOffice2007へのアップグレードを強要してくるようなMS+MSの組み合わせよりも、Mac向けのMS Officeの方が互換性が良さそうだったを理由に仕事用にMacを選択した。最近OSとMS Officeを最新版にアップして快適に使っている。


自宅の方はプリンタやデジカメなど古い周辺機器のドライバや色々な便利アプリを使い続けたいことと、家ではほとんどWebブラウジングしかしないことから、昨年秋にマシンを入れ替える際にも、最新のWindows7を選択せずに、わざわざXPにダウングレードして使っている。最新のハードで余裕をもって動いているためか、非常に快適である。(ちなみに、ハードはソニーから始まって今ではDell)


そして、iPadだ。


新製品が発売になってこれだけの短期間で飛びついてしまったのは生まれて初めてのことかもしれない。まだ手にして10日余りで、それほど熱心にはイジッテいないので、偉そうなことは言えないが、自宅のリビングで使うのには最高の端末だと言えそうだ。色々なアプリを導入してゆけば、どんどん楽しい使い方が広がることは容易に想像できる。


しかし、今の時点で一番感心するのは最も基本だと言えるブラウジングとメールだったりする。わざわざPCを分単位の時間を待って立ち上げるのではなく、スイッチひとつで家電のように(もしかすると、最近のTVやレコーダーなどの家電よりも早く)立ち上がって、検索したりニュースを読んだりできることは、ライフスタイルを変える。


そして、そして、iPhone。


今まで"パス”していたiPhoneだけど、iPhone4はヤバイ。自宅はキャリアがKDDI-AUだし、家族割みたいなバンドルもあるし、つい先日ケータイ端末をソニー・エリクソンに換えて、数少ないソニー系の製品の生き残り?だったりするし、簡単には変えられないけど、心穏やかではない。


私みたいな人って、世の中に沢山いるのでしょうね。

それにしても、恐るべきは、アップルの侵略。