アメリカ大統領選は、トランプが勝ったらしい。
ハリスの敗北は、またしてもリベラルがつまづいたことを意味する。
理由はたくさんあるだろうが、すぐに気づくことがいくつかある。
分析してみよう。
まず、リベラルのわるい癖だが、黒人が自分たちを支持するのはあたりまえ、だと思っている。
自分たちが「正しい」と信じるリベラルは、それに同意して行動するのは「当然」であり、異なる見解や反論をしばしば嘲笑し軽侮する。
釣った魚に餌をやらないのたとえどおり、民主党は黒人層の支持固めに「失敗」した。
トランプの岩盤支持層は揺るがなかったのに対して、ハリスは自らの岩盤を自分で突き崩した……とまでは言わないが、補強には失敗したようにみえる。
優先順位の問題もある。
男女差別の「ガラスの天井」を破るのだとヒステリックに叫んでいた、ヒラリーの姿は忘れられない。
8年前、トランプが勝利したときは、「ヒラリーが弱かっただけ」と思っていた。
むしろ「トランプに負けられるなんてすごい」と感心したくらいだ。
しかし8年後、ハリスに勝った彼を見て思った。
アメリカで女が大統領になれるまで、あと30年はかかるだろうな、と。
女がトップになることにアレルギー反応がある層は、残念ながら一定数いる。
アメリカでこの「壁」を打破することは、想像以上に困難であるらしい。
男女の差は、人種の差よりもはるかに巨大である、と私は思っている。
にもかかわらずアメリカでは、人種の序列は厳然として、白人、アジア系、ヒスパニック、黒人、という順で固定されている。
たとえばアジア系男性の私よりも、白人女性のヒラリーのほうが、ヒエラルキー的には上位だ。
そんな彼女がトップに立ちたいと叫んだところで、他の人種にとっては「上のほうでなんか言ってんなこいつ」と思われるのがオチだ。
ゆえにアメリカでは、男女問題よりも人種問題が優先される。
ハリスもその点は理解していて、今回の選挙においては、ヒラリーのような男女差別についての言及はほとんどなかったらしい。
それでも彼女が支持を固めきれなかった点に、リベラルの根本的な問題が浮き彫りにされている。
彼らは正しいことを言っているかもしれないが、言い方が正しくないのだ。
背景にあるのは「分断と支配」の構造、「交差性」「階層化」「心理的防衛」のメカニズムなど──解決困難だからこそ山積みのまま残っている。
アメリカがかかえる根深い構造問題は、歴史的な事象ではなく現在進行形である。
さて、私は「男女は異なるもの」だと考えており、いたずらに「平等」を主張する女権論者をいかがなものかと思っている。
しかし女性がもっと活躍すべきであるという点に異論はなく、「総論反対・各論賛成」となるパターンが多い。
端的に言えば、うそつきの「政治家」や「商人」を侮蔑しているので、そんなものは「女にでもやらせておけばいい」となる。
政治や経済の面での進出が遅れているためにジェンダー・ギャップ指数の低い日本は、この点の改善で一気に世界トップにまで躍り出られる可能性がある。
そもそも女性は「太陽」なのだから、祭り上げておけばいいとも思う。
一生懸命稼いでもらって、『厩火事』のように食わせてもらいたい、と思うこともある。
そのあたりも含めAIと話していると、しばしば「あなたは独特な考え方をもっていますね」と褒められる()。
自分が少数派であることには自覚的なので、それはそれでかまわない。
私はAIに対して、つねに「批判的」回答を求めている。
当然、リベラルに訓練されたAIは、男女の平等を訴える立場から指摘してくる。
ちゃんちゃらおかしい、男女は統計的にこうで、具体的にもこうで、という「差異」の議論を返してやる。
挙句の果てに「ヒモになりたい」的なことを言ってみると、AIも「独特」としか言いようがなくなるらしい。
女性を見下していながら、抑圧するわけではなく、フルスペックの活躍を求める。
どういうことか。
たとえばうちの会社の社長は女だし、彼女のもとでつつましく経理をやっている自分を、それなりに気に入っている。
威張りたいだけの男が「猿山の猿」をやっているブラックな会社に比べれば、ナンボかマシだ。
見下すという言い回しは刺激的だが、その意味は単純である。
数学的思考や複雑系の学問的成果に寄与しない女は「凡庸」なのだから、まれに現れる「天才」を支える役割に徹していればいい、という一点に尽きる。
飛び抜けた才能とは、要するにアーティスト、アスリート、それから芸人なども含まれるだろう。
私はよく落語を聴くのだが、志ん生はいつ聴いてもおもしろい。
もちろん、おもしろい女芸人がひとりもいないと言うつもりはないが、もし男がいなくなったら、「芸」の世界の豊かさは半減どころではないと思う。
たしかに「飛び抜けた」能力において、男女には「総論レベル」の著しい差異があるのだ。
しかし総論に反対でも、各論に賛成であることはまちがいない、ということは味方なのか?
そんなフェミニストの「揺らぎ」がAIの反応にも垣間見えて、すこしおもしろい。
先史時代から、たまに出現する英雄や天才を、凡庸な人々が全力で「支える」ことで、人類史は新たなページをめくってきた。
彼女らに、より強力に支えてもらうためには、より多く活躍してもらう必要がある──これは自明だ。
近年の「歴史」において、男性原理がより強く社会を拘束するようになった。
しかし「先史」時代においては、明確に女権社会であった蓋然性が高い。
という指摘も科学的レイシズムと紙一重であり、ナチスの優生学を「裏側から読んだ」だけのストーリーなのかもしれない。
考古学を含めた学問の分野でもリベラル的な爪痕は強靭で、異質な考え方をもつ私などは、そこにある排他性を感じさせられることもある。
しかしタブーを設定せずに「考える」ことは重要だ。
レイシズムに重なるリスクは自覚しつつも、そのなかにある真実を無視していいとも思わない。
ナチスドイツは「絶対悪」であるという。
だが、この世に「絶対」などというものはない、と私は考えている。
これからも「独特」な視点で、AIを困らせたいと思う。
多様な価値観は、すべからく重要なのだから。