任天堂株が連日の大幅高らしい。
5日に発売した家庭用ゲーム機「スイッチ2」の売れ行きや、米関税への耐性を好感した買いが集まっている、という。
きのうは一時7.1%上昇、データを確認できる1983年以降での日中高値をつけた。
この2日間の上昇率は約12%──。
飛ぶ鳥を落とす勢いの一方、スイッチ2の転売、譲渡のニュースには事欠かない。
芸能界でも「魔女狩り」がはじまっている。
象徴的なのは中川翔子氏の件だろう。
スイッチ2入手しました、と喜びをあらわにするポストが、あっというまに1億ビューを超えたらしい。
必然的に「炎上」案件、いわゆる転売ヤーから買ったのでは、と指摘されたせいだ。
当人は否定、結局、編集者・箕輪厚介氏が当選した本体を中川翔子氏に譲渡(あるいは貸与)したとして、謝罪に追い込まれたようだ。
個別の事象についてコメントするつもりはないが、全体的に醒めた目で眺めている。
売るほうについても、買うほうについても。
スイッチ2について、私はそもそも抽選に応募する権利すらなかった、という記事をちょっと前に書いた。
必要なときに本体を買い、ゲームをクリアしたら売る、という生活をしている私にとって、Nintendo onlineに有料加入する必要がそもそもなかったからだ。
この一件は、現代における「所有」の概念そのものが問い直されている象徴のように思っている。
スイッチ2の「譲渡禁止」規約──そもそもなんなの、これは。
本来、ゲーム機を遊び終えたら売るのは、ごく自然な生活様式だ。
いやゲーム機にかぎらない、あらゆる「道具」は必要に応じて当然に(法的権利として)、売り買いされてしかるべきだ。
ところが任天堂の仕組みでは、それが「契約違反」とされる。
譲るのもダメ、売るのもダメ、貸すのもアウト──企業による利用契約が、われわれの所有の自由を抑圧している。
前述のとおり、私はゲームを「遊ぶ」ことを目的として、しかたなくゲーム機を購入している。
それを「所有」したいのではなく、ただ「体験」したいだけだ。
ならば、最初から貸してくれればいい。
レンタルで、あるいは期間限定で使わせてくれるだけでじゅうぶんだ。
任天堂にはそういうシステムがないので、しかたなくゲーム機を「買わされ」てきた。
それでも遊びたいときだけ本体ごと買い、終わったら売る、という選択肢が担保されるならいい。
ところがどうだ。
企業は「売っておきながら、貸すことすら禁じる」。
もしこれまでの私の行為が契約違反になるなら、それはもう所有とは言えない。
任天堂が「使わせてやっている」だけの構造であり、われわれは高額な利用料を払って、期限も自由もないリース契約を結ばされているようなものだ。
箕輪氏の「貸したということにします」という謝罪は、まさにその矛盾を突いている。
善意であっても、規約がそれを受け止めないなら、私たちはますます閉じられた契約空間のなかで生きていくことになる。
もちろん任天堂にも、厳しく縛る理由がある。
最大の要因は、転売ヤー対策だろう。
初代スイッチ発売時、需要の加熱と品薄が重なり、フリマやオークションサイトでは2〜3万円以上のプレミア価格がつけられる状態がつづいた。
これに対しスイッチ2では、多くの徹底した対策を打って、いまのところそこそこ成功している……ように見える。
企業として、「転売されず、本当に遊びたい人の手に渡ってほしい」という方針のもと、抽選制度と規約の強化に踏み切った。
これはある意味で、フェアな試みではある。
よろしい、任天堂の規約は企業として理にかなっている、としよう。
転売防止、公平性、ユーザーの体験価値の保護──それじたいを否定するつもりはない。
しかしそれでもなお、「所有した後の自由」をここまで制限することに、私は抵抗を感じざるを得ない。
現代における「所有」は、もはや「自由」ではなくなりつつある。
使い終わっても売れない、譲れない、貸せない。
そこにあるのは、「契約で管理された所有」という矛盾だ。
デジタルライセンス、クラウドサービス、サブスクリプション……。
すべては「アクセスする権利」に置き換わり、所有とは「気分」にすぎなくなっている。
ならば「所有しない」ことこそが、もっとも自由な態度なのではないか。
そう、これは正解探しではなく、態度の問題なのだ。
欲しがらない。
欲しければ借りる。
返せないものは持たない。
それはケチでも投げやりでもなく、ミニマリストが選んだ「自由の守り方」だ。
企業が売って、縛って、貸すことすら禁止するなら、私は最初から欲しがらない。
大政翼賛会ふうにいえば「欲しがりません遊びたいソフトが出るまでは」だ。
考えてみれば、あたりまえの話だと思う。
それができていない社会(転売ヤー)のほうにも、たしかに大きな問題がある。
「スイッチ2が欲しいか?」と問われれば、私はこう答えるかもしれない。
「いえ、私が欲しいのは、クリアするまで使わせてくれる誰かです」。
それが叶わないなら、最初から距離を置く。
持たないことで、所有よりも強く自由である……気がする。
私はそういう生き方を、これからも選びつづけるだろう。
もちろん任天堂は痛くもかゆくもない、なにしろ業績は絶好調なのだから……。