リピーター医師なるもののドキュメンタリー番組を見た。

 まず思ったのは、変な言葉だな、だ。

 

 昔「KY」という言葉があった。

 「空気・読めない」という意味らしい。

 

 「読める」でも「読めない」でも同じ「Y」だが、KYの用法は「読めない」である。

 ここに多少の違和感をおぼえた。

 

 リピーターという言葉もいろいろな文脈で使われるが、基本的にいい意味や、機械的な意味が多いと思う。

 商品や観光地を、「くりかえし」利用してくれる顧客だ。

 

 ではリピーター医師とは?

 その医師は、くりかえす──医療「事故」を。

 

 事故かよ、と内心で突っ込んだ。

 つまりこの言葉は、かなりネガティブな意味ということだ。

 

 

 医師が事故をくりかえす状況を考えてみよう。

 その「A医師」は何人もの患者を殺し、また取り返しのつかない後遺症を与えていた。

 

 昔、外科医が手術を録画することを拒否していた時代があった。

 刑事が取り調べの録画を拒否するのに似ているが、自分には自分のやり方があるので、ごちゃごちゃ言われたくない、ということだろう。

 

 若者は失敗をして育っていくものだ、という文脈もあったと思う。

 それが録画をされ、小さなミスまであげつらわれると新しい医師が育たない、と言いたいらしい。

 

 もちろんそんな妄言は時代に押し流され、いまではすべての手術が基本的に録画される。

 多少の失敗はあっても、それは多くの後進の学びに役立つ。

 

 もちろん医療事故が起これば、訴訟の材料にもなりうる。

 そうなると、あまりにも失敗する医者は「外される」はずだ。

 

 ところが周囲は、彼を外さなかった。

 その責任は、度外視できない。

 

 

 以前、「最強の敵は無能な味方」という話を書いたが、これも構図としては似ている。

 無能な味方の失敗が、軍を敗走させることもある。

 

 彼ら自身は、あくまでも味方として努力をしているが、能力が足りない。

 同様に、失敗する医師も、けっして「わざとではない」。

 

 敵、犯罪者、スパイが、自分の仲間たちを殺しているとしよう。

 その犯人を捕まえたら、二度と殺せないように制裁を加えるのは当然だ。

 

 一方、事故を起こした医者は、ただ「失敗しただけ」だ。

 悪意もなにもなく、ただ「低能だっただけ」なのだ。

 

 

 もちろん低能でもダメなものはダメなのだが、ここで「晩成」の議論が出てくる。

 若者は失敗をして育つという、要するに「期待」だ。

 

 ──彼は敵ではなく、ただ下手なだけである。

 だったらこの失敗で未来を閉ざすより、見逃して大器晩成を期待したほうがいいのではないか?

 

 さまざまな理由はあっただろうが、そういう考えも一抹、あったにちがいない。

 そうして医師は、リピーターとなった。

 

 

 大器晩成、いい言葉だ。

 いい言葉だが、あらゆる状況に適用できるとはかぎらない。

 

 芸術家は、問題ないだろう。

 早熟だろうが晩成だろうが、だれにも迷惑をかけない。

 

 晩成の芸術家は、もしかしたら家族に迷惑をかけるかもしれないが、せいぜい自分や家族が苦しむだけだ。

 当人が死んでからでも評価されれば、遺族は喜ぶだろう。

 

 私は物書きとして可能性を追求しているが、だれにも認められていないので晩成ですらないのかもしれない。

 しかしそのことで、だれにも迷惑をかけていないことだけは胸を張って言える。

 

 

 技術者を考えてみよう。

 入社したばかりの社員が、失敗作を量産している。

 

 会社としては困ったことだが、失うのはお金だけだ。

 彼が晩成だとすれば、将来、ものすごい技術を開発して会社に利益をもたらすかもしれない。

 

 晩成は、けっしてわるいことではない。

 よって、いま失敗してばかりいる人間、成果を出せていない人間を、否定してはいけない。

 

 彼らには可能性がある。

 そういう目で生暖かく見守ってもらいたいと、成果の出せない人間のひとりとして思う。

 

 

 が、ダメな仕事もある。

 人間の命を直接あずかる仕事だ。

 

 いろいろあるだろうが、とくに「医者」はダメだ。

 晩成の医者が将来、たとえ百人の患者を助けるからといって、いま一人の患者を「殺していい」とはならない。

 

 たとえA医師が晩成タイプ「だとしても」許されない。

 いわんや「ただの低能」であったとすれば、彼を速やかに排除できなかった組織構造の問題は、非常に大きい。

 

 

 画面にドリルで脊髄を削っている動画が流れて、絶望的になった。

 巻き込まれた神経がずるずると引き出され、断ち切られていく。

 

 そうして患者は一生の痛みと、取り返しのつかない半身不随の生活を強いられた。

 彼が「不器用なせい」で。

 

 さすがに、気分がわるい。

 無能は犯罪だ、とすら言いたくなる。

 

 

 ノーベル賞受賞者の山中伸弥さんは、はじめ「臨床」の医師だった。

 そこで彼は、自分が医師として患者を助けることに向かない、と判断して「研究」の分野に転じた。

 

 性格的、技術的、能力的に「向いていない」人間は、どの業界でも必ずいる。

 彼らに速やかなオルタナティブ、代替案を提示する、より強力な義務があるのが臨床の世界であると考える。

 

 失敗しちゃった、ごめんね。

 それで許されない世界は、厳然としてあるのだ。