昨今、目にすることが多くなった、リベラル終焉論。

 たしかに、ブレグジット、トランプ、日本の選挙まで、最近のリベラルはしくじっている感が強い。

 

 私自身、リベラルのバイアスに毒されていた自覚がある。

 8年前、トランプが勝つなんておかしい、と「思わされていた」からだ。

 

 さすがに今回は、トランプいけるだろうな、と思っていた。

 案の定、彼は勝った。

 

 とはいえ私自身は、リベラルに近い考え方を多く持っている。

 なぜ彼らが、現在のような体たらくに陥ったのか、そこにある病理について考えたい。

 

 

 保守もリベラルも同じだが、情報を受け取る側は、自分の気に入る情報ばかり集めようとする(エコーチェンバー)。

 一方で伝える側も、自分の気に入る情報「だけ」を伝えようとする傾向がある。

 

 左寄りの毎日新聞が両論併記のスタンスへと転じるかのような姿勢を示したとき、とあるリベラルの言論人は「保守の意見を載せるべきではない」と言い切っていた。

 毎日や朝日は、自分たちの広報誌でなければならない、というわけだ。

 

 もちろん読売や産経も同様のバイアスをもっているし、あらゆる事象が「程度問題」ではある。

 この件については、どちらの側だろうと「異論を封殺」しようとする姿勢には強い嫌悪感をおぼえる。

 

 どちらの意見を多く載せるか、それじたいが判断材料だ。

 そうして彼らが「どこに導きたいか」、考えてみよう。

 

 

 選挙が自分の思い通りにならない理由は、民衆がバカでアホだから。

 これは左寄りの「論客」が、よく使用する論法である。

 

 じっさい「導き手」という意味では、保守よりリベラルのほうが「バカに判断させてはならない」という姿勢を示すことが多い。

 もっとも極端な例は、自分以外の「考える能力のある人間」を大虐殺した、共産主義者のポルポトだろう。

 

 わたしの言うことに従っておけばよい、おまえたちは考えるな、なぜなら愚か者に判断力はないからだ──。

 そんな姿勢で語る「意識高い系」の論客を、かつてはよく見かけたし、現在もまあまあいる(お年寄りが多い)。

 

 もちろん右翼にも、軍国主義で兵士の思考力を奪う壮大な実験が、悲惨な結末を導いた歴史がある。

 だがそれは、左翼も同じだ。

 

 

 社会主義にいい部分はたくさんあるし、かつては一億総中流の日本が「もっとも成功した社会主義国」と表現されたこともある。

 それが「いいこと」だと信じて突き進んだ人々は、それなりの結果を出した、といってもいいかもしれない。

 

 ただし、やりすぎた。

 昨今のリベラルの失敗は、そのバックラッシュだ。

 

 戦争と同様、平和にも「やりすぎ」がある。

 だからこそ、平和というものは「長続きしない」のだ、と言ってもいいかもしれない。

 

 先の戦争への反省と嫌悪が、リベラルを甘やかしすぎた。

 だが民主主義と同様、社会主義や資本主義、なかんずくリベラル、保守、いずれも「不完全なシステム」であることを忘れてはならない。

 

 リベラル自身、ほんとうに自分たちが正しいと思っているのか?

 その真剣な問いが、いよいよ表面化してきたといってもいい。

 

 

 昨今、机をたたいて叱責する知事をパワハラだとつるし上げて、失職させた県がある。

 兵庫県知事選の話は前回の記事にも書いたので、よかったら読んでいただきたい。

 

 この選挙戦のさなか、新たな候補者を推薦する人間が、机をバンバンたたきながら前知事には「資格がない」、新しい知事を推して「何が悪い」などと声を荒げた。

 パワハラを糾弾する側が、パワハラまがいのことをしていたわけだ。

 

 新たな候補者にとっては、背後からマシンガンで撃たれたような心境だろう。

 そもそも市長が特定の知事を批判し、対抗馬を応援するというのも、なにか変だ。

 

 「敗北を招く最大の要因は、最強の敵ではなく、無能な味方である」と喝破した男がいたが、まさにそれを地で行く事態だった。

 ──リベラルの失態も、構図としてはまったく同断である。

 

 

 末端の人間が格差に苦しんでいる社会で、意識高い系のセレブを呼んで派手に選挙活動をする。

 アメリカ大統領選における民主党のこのような選挙戦略が、非現実的な理想論を伴って全体を失速させ、無残な敗北を招いたという反省が出ている。

 

 極端なことを言う意識高い系の責任が、このさい非常に大きい。

 トランプももちろんかなり極端で、「トランプに負ける」ことはそうとう「むずかしい」はずだ、と私はいまでも思っている。

 

 現に「現職が圧倒的有利」にもかかわらず、トランプは一度負けている。

 その後、またぞろトランプを出すしかなかった共和党も、かなり苦しんでいた気配がある。

 

 だが結果として彼は、3度のうち2度も勝った。

 だれに? 女にだ。

 

 ある種のフェミニストは、そろそろ反省すべきだろう。

 おおむね正しいことを言っているリベラル全体を巻き込んで、けっして強くない保守を増長させる「無能な味方」になってはならないと。

 

 

 人種差別の歴史が濃いアメリカで、強いトーンで指弾されるものに「ステレオタイプ」がある。

 フェミニストにとっては、「女のくせに」とか「女は黙ってろ」みたいな言葉が、弾劾すべきステレオタイプになる。

 

 そもそもこの時点で、すこしおかしいと気づいたほうがよい。

 ステレオタイプを押し付ける、とネガティブな文脈で使われることが多いが、もっとポジティブな意味に使っていこう、という考え方があまり見えてこないことをだ。

 

 たとえば「シナ」という言葉に、もともとネガティブな意味はない。

 それが一時、差別的に使われた。

 

 リベラル論壇による言葉狩りが、保守の重箱の隅を突いた。

 べつに言葉そのものは悪くないのだから、もともとの意味に戻そう、これからいい意味を付与していこう、という考え方もあっていいと思う。

 

 だが寡聞にも、その手の発想を聞いたことがあまりない。

 事実、リベラルはそんな遠回りをしない。

 

 無能な政治家が政府機関の名前を変えるだけで仕事をしたつもりになるように、言葉を狩るだけで簡単に「やったった」感が出せるとしたら、こんなお手軽な仕事はない。

 言い換えれば、そんな簡単な活動にばかり汲々としている「知識人」とやらの程度が知れる。

 

 リベラルへの違和感は、「言葉を狩るだけの簡単なお仕事」に代表されるネガティブ・キャンペーンの成果だ。

 伝統的なものを必要以上に否定しつづけることで、長い年月をかけて、失望や反発を着々と醸成してきた。

 

 保守が、なにか意味のあることをやったわけではない。

 リベラルが無意味なことをやって、勝手に自滅した。

 

 昨今の状況をひとことで言えば、そういうことだ。

 最後に、あまり関係ないが、私の好きな小説の例を出しておこう。

 

 

 『銀河英雄伝説』という、スペースオペラ小説がある。

 そこに出てくる自由惑星同盟のヤン・ウェンリーという提督は、魔術師と呼ばれる天才軍師だ。

 

 彼は第13艦隊という縁起のわるい数字の艦隊を与えられたが、結果を出しつづけることで「13」という数字をポジティブな意味に変えていった。

 第13艦隊に配属されれば、死ななくて済む、と。

 

 縁起のわるい言葉を使った人間を狩るより、迷信を否定する文化活動でもすればいい。

 ステレオタイプを押し付けるのはけしからん、などと言っている暇に、新たなステレオタイプを構築する努力をすべきなのだ。

 

 フェミニズムに対して言いたいことは、たくさんある。

 次回あたり、まとめて出しておこうと思っている。