定期的に書いているが、献血を無料の健康診断として活用している。
世の中には偽善的な献血者もいるらしいが、私は「自分の利益のために」献血していることを、あらかじめ申し述べておく。
だれにも褒めてもらう必要はない、「情け」は「自分のために」かけるものだからだ。
というわけで、先日の血液検査の結果が伝えられたので参照してみよう。
まず、「基準値から外れている項目」を表示する。
これまではすべて基準値内だったが、ひさしぶりに「白血球 WBC」という数値が赤文字になった。
「白血球は細菌などを貪食し、免疫情報を伝達し、さらに免疫能を発現して生体防御にかかわっています。細菌感染症があると一般に白血球数は増加しますが、ウイルス感染症の場合はかえって減少することもあります」
という説明で、基準値: 38~ 89 x10^2 /μLのところ、下限を割った34だった。
わずかな差なので、べつだん健康を損なっているわけではない。
それより気になったのは、γ-GTPだ。
世の大酒呑みの方々にとっては、気になる数値でもあるだろう。
「肝、胆道、膵、腎などに多く含まれる酵素です。上昇する疾患は閉塞性黄疸、肝炎、アルコール性肝障害などです。病気がなくても長期飲酒者では上昇することが多く1ヶ月位禁酒するとある程度正常化します」
この基準値が 9~ 68 IU/Lのところ、私は10だった。
ぎりぎり、下限値を割りかけている。
以前はかなり高かったのだが、どうやら禁酒が効いているらしい。
肝臓というのは、ずいぶんと正直な臓器だ。
最近、寝しなによく上方落語を聴いている。
なかでも笑福亭松喬(6代目)の枕が、いろいろと勉強になる。
古典落語の歴史や落語家のエピソードなど興味深い話のなか、晩年の枕でひんぱんに出てきた自身の話(末期の肝臓がん)について考えさせられた。
ちなみに松喬は、2013年に肝臓がんで亡くなっている。
──落語家と酒は、切っても切り離せない印象がある。
酒を愛した落語家として金原亭馬生が有名だが、54歳の若さで食道がんにより早世した。
アルコールがダメージを与える臓器は、肝臓だけではない。
その強い刺激を受けつづけた結果、咽頭がんや食道がんが誘発されることもある。
落語家がいちばんおもしろい時期は、40代から50代のような気がしている。
芸がこなれ、無駄な力が抜け、とはいえまだ声に張りもある。
その最盛期に死ぬのは、なんといってももったいない。
くだんの松喬も享年62歳で、すこし早かったように思う。
私が落語家で5本の指に入ると思っている名人の志ん朝も、肝臓がんで亡くなった。
享年63歳。
その父親の志ん生は80代まで生きたので、酒が好きだからといって必ずしも早死にするわけではない。
百薬の長とまで言われる酒のメリットを認めないわけではないが、とはいえ猛毒であることもまちがいない。
私も一時、かなりの酒を飲んだ。
ほぼ毎週、4リットルのペットボトルを消費していた時期もある。
厚労省によると、1日の純アルコール摂取量40グラムが、生活習慣病を高める飲酒量らしい。
単純計算で、その2~3倍かそれ以上、飲んでいたことになる。
それでも平気でいられたのは、献血のたびに知らされる血液検査のせい……というか、おかげもある。
推奨量の数倍の酒を飲んでも、γ-GTPが基準値を超えたことがなかった。
正常範囲内ということは、私は酒で健康を損なっているわけではない。
だったら吞んでもいいじゃない?
問題は記憶力や対人関係が損なわれるリスクだが、さほど自覚はなかった。
とはいえアルコールのせいで能力が低下するようなら、禁酒は必要かもしれない、とは思っていた。
γ-GTPは正常範囲の上限あたりに貼りついていたが、痔が悪化したので禁酒を決めた、という話は以前書いた。
アルコール代謝には個人差があり、私は比較的強い体質なのだろう。
沈黙の臓器である肝臓も、回復力は高い。
私の数値もみるみる低下し、いまは2桁を切りかけている。
べつにγ-GTPが下限を切ってきたところで、問題はないような気もする。
とはいえあまりにも低下するようなら、また酒を飲もうかなという気にもなる。
ちょっとくらいならいいか──。
世界中に「断酒会」というものがあり、断酒の誓いを立てた人々にとって、これは禁断のフレーズだろう。
じっさい「ちょっとくらいなら」問題ない、という点にはほぼまちがいない。
問題は、たいてい「ちょっと」では済まなくなることだ。
恥ずかしながら、この猛毒の魅力のすさまじさについて、あらためて語らなければならない事態となった。
去年の暮れあたりから、飲酒を再開したのだ。
まず言い訳をさせてもらいたいが、「呑むと書ける」のだ。
理屈はともかく、酩酊の勢いに任せて筆が進むというのは、事実ある。
それが最悪の出来であればもちろん飲まないのだが、しらふで読み直して、べつだん問題がないようにみえる。
というわけで、書くために飲む、というパターンが最近構築されつつある。
身体の具合がわるくなったら、簡単にやめられる。
そう思っているので、焼酎を箱買いした。
やることが極端な自分にゾッとするが、まあ、とりあえずいまは書きたいことがあるのだ。
あとすこしで書き上がる、それまで飲ませてくれ──。
と、自己管理能力だけは高いと自負している私さえ、再び引き寄せようとする酒の魔力については、認めざるをえない。
世にアルコールの被害がなくならないのも、よく理解できる。
重ねて言い訳のように聞こえるかもしれないが、酒や、あるいは麻薬さえ(私はやったことないが)「うまく使えばいい」だけだ。
あとはそれをコントロールできるかどうか、資質の問題にすぎないと思うが、いかがなものだろう……。