ふつう私はこの手の三面記事に反応しないのだが、今回はちょっとおどろいたので書く。
この事件に付随して、なにか異常なモメントが発生している気がしたからだ。
配信で稼いでいた未婚のシングルマザーが、借金を踏み倒した相手の男に惨殺された。
生配信中の事件で、当初の報道では同姓同名の声優が巻き込まれ、なんか変な感じになっていた。
徐々にあきらかになってきたのは、よくある中年男と若い女のカネ絡みのイザコザ。
中年男は裁判まで起こして、お金を回収しようとしていた。
その顛末はどう見ても「若い女にのめりこんで殺害まで至った中年男という悪」の話だ。
しかし世の中、どうもそうではないらしい……。
記事についたコメント欄をみて、びっくりした。
加害者に対する「同情」がすごすぎる。
「加害者はお金を取られ、裁判まで起こして勝訴したが、返済されなかった。
お金を返さずに、配信して大金を稼いでいる、許せないから殺した、当然だ」
「加害者はどん底に突き落とされ、どうにもならなくて殺してしまったのだ。
加害者の被害は回復されず、借金を踏み倒した相手は平然と人生を満喫している、激しい怒りを感じて許せない気持ちはよくわかる」
……なるほど、部分的にはそうだが、待てと。
そいつ人殺しだぞ。
なんでこんな「ひどい目に遭ったんだから殺してもしかたない」みたいな流れになってるんだ?
これは「異常」ではないか?
じっさい、それらのコメントがついた元記事には、ある種の「意図」が透けてはいた。
被害者はこんなひどい人でした、という部分をこれでもかと掘り下げていたのだ。
若くしてなにも考えずに子どもを産んで児相の世話になる、男をだまして稼いでいた、裁判で負けたのに無視して逃げていた、しかも大金を稼いでいたらしい。
被害者の母親の人格もひどかった、娘に飲み代を払わせるような母親で家庭環境は最悪だ、負の連鎖がこのような事件をもたらしたのだ、という背景まで勝手に推し量ってくれている。
とはいえ、彼は人殺しなのだ。
いかなる理由があっても殺すべきではない、という意見は──残念ながら、あまりにも少なかった。
びっくりするほど、みんな「気持ちはわかる」らしいのだ。
世の中の多くの人々が、似たようなケースで痛い目をみてきたのだろうか?
「かわいそうだと思えるのは、被害者ではなく加害者のほうだ。
彼女とかかわることがなければ、こんなことになっていなかったのに」
待て待て、40過ぎのおっさんが、若い女の子に下心まるだしで近づいて金を貢いだって話だろ。
なんで純真な中年の心をもてあそんだ、みたいな流れになってるんだ?
──私は死刑反対派ではない。
人を殺したら自分も殺されるべきだし、「命には命」「精神崩壊には精神崩壊」で報いを受けるべきだ、と思っている。
ところで今回の場合、彼女はただの「物乞い」だった。
言い方がわるければ、過剰な「おねだり」女子だった。
かつて話題になった「頂き少女」は、もちろん犯罪者であって刑罰を受けているが、けっして「死刑」ではない。
たとえ被害者がお金を盗まれ、絶望のあげくに自殺したとしても、それは「殺人」にはならない。
彼女らは、あくまでも被害者をだまし、あるいは借金を踏み倒した、せいぜい「詐欺師」でしかない。
殺されるほどの理由にはならないはずだが、なぜか殺した側が圧倒的な「同情」を集めている。
だまされた加害者は「かわいそう」というより、ぶっちゃけ「愚か」だと思う。
遊女の言葉を真に受けるな、というのは江戸時代の昔からくりかえされてきた警句だ。
逆に裁判に訴えたという時点で、この加害者には女衒《ぜげん》の本性があるのではないか、とすら思えてくる。
この手の女の子を相手に、契約書を取って借金でがんじがらめ、なんてのは女衒のやることだからだ。
じっさい被害者の背後には本物の女衒がいて、あらゆる手練手管で彼女を利用していた可能性がある。
裁かれるべきは、むしろ背後にいる連中のほうだろう。
ともかく賢い人間なら、自分の生活を圧迫するほどのお金を、キャバ嬢みたいな女の子に出すわけがない。
それをやってのけた加害者は、殺人という極めつけのオマケを付け足してもらうまでもなく、ほんとうに「愚か」だ。
まあ「愚か者」と「かわいそう」は両立できるのかもしれないが、私はあまり「かわいそう」とは思えなかった。
ヤフコメにおける「共感した」嵐のなかでは、私の意見は「うーん」なのだろうが……さあ問題は、まさにそこだ。
私がここに、こうして記事にした理由。
それこそ彼がこれほどの「共感」を集めている、この事実に対する違和感だ。
愚かな人殺しに、なぜここまで共感が集まるのか?
キャバ嬢が男をだまして、裁判を無視して、お金をぶんどることがそんなに悪いのか?
いや悪いよ、悪いに決まってる、決まってるが、だ。
彼女だって、もっと悪いやつにだまされて、搾取されてるだけかもしれないではないか?
だまし、だまされる関係のなかで、加害者はいきなりサバイバルナイフを出して、めった刺し。
この時点でもう、「悪」の桁が変わっている。
記事では、そんなことをするような人間には見えなかった、植物のような人間で、暗めの友だちとカードゲームをやっているようなタイプだった、と書かれていた。
そんなおとなしい人間を凶行に駆り立てるほど、この女はひどいことをやったのだ、という論旨が、私の見たコメント欄では完全に優位に立っていた。
これは、かなりマズイんじゃないか?
と、心から思ってしまった勢いで、この記事を書いた、いまは反省している……。
『12人の優しい日本人』という映画があった。
鍵になるのは、自分の家庭内のいざこざを被告に投影し、逆恨みする陪審員だ。
被告に同情し、心象で「無罪」と決めていた陪審員たち。
しかし逆恨み陪審員の誘導で、徐々に「計画殺人による有罪」に傾いていく。
終盤は、被告の不利に見えていた証拠が、逆に無罪の証拠になるという展開。
三谷幸喜さんうまいなと思わせつつ、最後には「無罪」に落ち着いてハッピーエンド。
今回の事件になぞらえると、加害者への同情がまさに「被告への投影」にあたる。
私の違和感の正体は、その感情がかなり歪んでいるのではないかという部分なのだが、なんのことはない、彼らから見れば私のフィルターのほうが歪んでいるのだろう。
まあ私も、それほど網羅的に記事を読み込んだわけではないので、彼に同情すべき決定的な理由を読み抜けている可能性はある。
そうとうひどい目に遭わされたのだとしたら「かわいそう」だとは思うが、どう考えても殺したらあかん。
目には目を、歯には歯を、カネにはカネで報復しなければならない。
彼はその最強のルールを破ったので、厳しく裁かれるべきだと思う。
そのあたりも含めて、司法当局が正しい判断をしてくれるだろうとは思うが、じつのところこの「当局」とやらも問題だ。
加害者が犯行に至った背景に、「裁判で彼を勝たせておきながら、なんの手助けもしなかった」事実は、たしかに同情に値する。
とはいえ被害者は、裁判を無視する程度には悪人だったかもしれないが、殺されるほどではなかった。
もっと殺されたほうがいいやつが背景に隠れている、最大の問題はその「見えない部分」にあるのではないだろうか……。