紀元前 大陸から 3000人

約2200年前、徐福は霊薬を求めて渡来しました

3000人の童男童女を連れ渡来し、この地に自生する「天台烏薬(てんだいうやく) 」を発見しました

しかし気候温暖、風光明媚なこの土地に魅かれ、ついに永住の地と定め、農耕・漁法・捕鯨などの技術を伝えました

徐福は斉(中国)の出身で、秦の始皇帝に方士(仙術者)として仕えた

紀元前3世紀に始皇帝の命令で、不老長寿の霊薬を求めて、熊野に渡来したと伝えられている

この時徐福は数千人の童男童女、金銀珠玉、五穀、器財とともに、蓬莱という島に向かって船出し、現在の阿須賀神社のあたりに上陸した

その背後の蓬莱山には、徐福が採取したという「天台烏薬」とよばれる薬草が生育している

熊野地1丁目1番地

千穂ケ峰

材木は 浜から祖父が 担ぎ上げ

庭のコンクリート平面が北に下がった

祖父が浜から全て担ぎ上げた材木

増築した台所を切り離し残した

子供の頃にも大きな地震があった

地震にも大雪にも耐えた

一つひとつ村人の人力によって積み上げられた

解体は重機で一瞬

納戸の2階に米貯蔵庫

雲間に月夜

祖父が見つめているようだ

火伏の神 愛宕神社を 勧請す

愛宕神社

祭神は火之迦具士命

主要な建物は社殿・拝殿・参籠舎・神輿庫などです

名張の町をことごとく焼き尽くした宝永の大火から、火伏せの神である愛宕神社への信仰が高まりました

毎年7月24日以降直近の土曜日は愛宕の火祭りと名張川納涼花火大会が盛大に行われ、大勢の人で賑わいます

寛政、文化、天保、数度にわたり遷宮・修復を重ねてきた

昭和24年台風水害のため新町橋流出、架け替えにあたり神域狭隘、かつ低地となり現在の景勝の地に鎮座した

氏子さんたちが正月の準備をされていました<m(__)m>