鈴屋地区 二重災害 雪景色

2025.2.23(日)・9:43分町野町上鈴屋

アップしそびれていました(>_<)

家屋の倒壊と山の崩落、9月には豪雨災害

鈴屋地区の奥には寺山集落がありますが、この時点では通行止めで立ち入りできませんでした

西も東も大崩壊

山間を流れる鈴屋川は、珠洲市との境にある宝立山が源頭です

何軒か家が建っているが復旧は困難を極めるでしょう

父の知人がいたようだが情報は無い

悲惨な状況は雪で隠されている

地震発生から1年1ケ月、日曜日も雪の中を復旧工事

青空が覗いた

山頂部から崩壊

水山、松ケ瀬山にも登り状況を確認したい

県道40号線

震災前に珠洲市との境界にある寺山、北山最深部の集落を訪ねた

道路が復旧したら宝立山まで訪ねてみたい

大規模工事が行われており引き返しました

ふるさとの形は変わりますが、形を変えて22世紀に残して欲しい

有子山 険しい直登 心して

国の史跡「有子山城」

続日本百名城

天正2年(1574)、山名祐豊が築城したとされる

一時、六分一殿として知られた山名氏は元来此隅山城を居城としていた

永禄12年(1569)、織田信長配下の羽柴秀吉の攻撃を受け落城したため、堺から帰国した有子山に城が築かれた

六分一殿:源姓新田氏族山名氏。山名郷(現在の群馬県高崎市山名町周辺)を本貫として山名三郎と名乗ったことから、山名氏を称した。全国66か国のうち11か国で山名氏が守護領国となり「六分一殿」と呼ばれた

ロープ場が何カ所かあります

観光気分では無理です!

北第六曲輪跡まで直登が続きます

スニーカー以上は必携

雨天時は登るのは止めましょう

落城した此隅城が「子盗」(此隅)を連想させることを嫌って「有子」と名付けられたという

山頂に主郭があり、主郭の西方に6段の階段状の郭、主郭の東南に千畳敷と呼ばれる郭が置かれた

稲荷社 市民とともに 城護り

本丸西隅櫓

1696年(元禄9年)、小出英及が幼くして死去したため小出氏は無嗣改易となり、翌1697年に松平忠周が入封した

1706年(宝永3年)、忠周の転封に伴って仙石政明が信濃上田から入封し、以後は廃藩置県まで仙石氏が出石藩を治めた

江戸時代後期には藩内の権力争いである仙石騒動が起こり、1835年(天保6年)に藩の石高は5万8千石から3万石へ減封された

有子山稲荷神社

最上段の本丸のさらに一段高い場所にある曲輪稲荷郭に1604年の築城時から現在地に鎮座する城の鎮守

城郭内にありながら、江戸時代から身分を問わず参詣が許可されていた

城の麓から始まる石段の参道には、37基の鳥居が並び、157段上った右手に稲荷郭があり、その奥に社殿がある

井戸

御神木

境内から出石城下

本丸東隅櫓跡