山間地 防獣柵で 対策す

石畳道から広川町井関方向

1回目の防獣柵

照葉樹林帯

桧樹林帯

高低差350㍍を登る

2回目の防獣柵

石畳道

広川町側の石畳は近代のもの

大峠の地蔵「痔の神地蔵 (縛られ地蔵)」

尋ね人が見つかるよう地蔵に縄をかけ、見つかると縄を解いた

宮御殿 大宮御所を 移築した

明治13(1880)年に大宮御所(上皇の后の御所)から下賜されたもので、部材のまま保管されていましたが、明治34(1901)年に現在地に建てられました

内部は畳のヘリが赤色で、御所にあった建物を思わせます(京都御所の諸大夫の間の中の”桜の間”の畳のヘリが赤色です)

大宮御所時代には女官が使用した部屋だった

襖絵や欄間彫刻の写真撮影ができました

襖絵は宮中の行事を描いた美しい大和絵の「四季行事絵図(作者不明)」で、春の「子日遊図(ねのひのあそびず)」、秋の「撰虫図(むしえらびず)」、冬の「大鷹狩図」があります

「撰虫図」は、秋草茂る嵯峨野で松虫や鈴虫を捕り、宮中に献上する“虫合(むしあわせ)”を題材に描かれた襖絵

御殿の広間に描かれた絵を間近で見ることができます

宮御殿の南側は、築山と池の庭園となっていますが、築山の南側は約5mの防火壁(石垣)に作られています

歴史上の東本願寺の火災は北側が火元となっており、万が一の火災の際、御影堂などへの延焼を防ぐため、池と防火壁が設けられたとのこと

池の水はかつては琵琶湖疏水の水を引いた本願寺水道からの水だったそうですが、現在は地下水を汲み上げているそうです

彼岸花 猛暑乗り越え 真赤に咲く

9月21日11:43分、河瀬地区田んぼの土手に咲く彼岸花

暑さ寒さも彼岸まで

前日までの真夏日も影を潜めた

河瀬王子から南下し、鹿瀬(ししがせ)山麓にあるのが馬留王子(うまどめおうじ)の跡地

『紀伊続風土記』は馬留の名の由来を、熊野御幸の時代に、この先の鹿瀬峠が険しいために馬で越えることが出来ず、馬を留めたことにあるとしている

広川町の馬留王子を東ノ馬留王子、日高町の馬留王子を西ノ馬留王子と称する

立場跡 熊野古道 乗り物中継地

『和歌山県聖蹟』には、1メートル角位の小さな社や数個の階段石、社殿跡と見られる玉砂利があったという

12時を過ぎていたので日陰の支道で昼食を取った

前に古びた一軒家があった

ヒノキ林帯

熊野参詣道の難所、鹿ケ瀬峠