大寝殿 竹内栖鳳 障壁画

大寝殿は東本願寺の正殿として、重要な法要儀式の場として使われています

座敷の最奥は全面上段として使われ、床・棚・書院・帳台構(ちょうだいがまえ)などがあります

1868年(明治元年)頃に建立された大寝殿は、かつて幕末(江戸時代末期)に江戸幕府第14代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)の将軍後見職だった江戸幕府第15代将軍・德川慶喜(とくがわよしのぶ)の宿所でした

竹内栖鳳の世界が、大広間の奥、一面に広がっています

竹内栖鳳が描いた大寝殿の広間奥の障壁画1939(昭和9)年の制作で、三つの画面で構成されており、向かって右(北側)から「風竹野雀」、「歓喜」、「古柳眠鷺」

德川慶喜は1863年(文久3年)に約230年振りの将軍上洛に先立って上洛し、攘夷実行などの国政を今まで通りに江戸幕府に委任するか、大政奉還によって政権を朝廷に返上するか、朝廷との交渉にあたりました

大寝殿は建築面積約945平方メートルで、入母屋造の桟瓦葺(さんがわらぶき)です

一般的に寝殿は住職などの寝室・居室です

寝殿は客間として使われることもあります

平安時代から室町時代に寝殿造)が多く用いられ、室町時代後期から書院造に変化していきます

山間地 防獣柵で 対策す

石畳道から広川町井関方向

1回目の防獣柵

照葉樹林帯

桧樹林帯

高低差350㍍を登る

2回目の防獣柵

石畳道

広川町側の石畳は近代のもの

大峠の地蔵「痔の神地蔵 (縛られ地蔵)」

尋ね人が見つかるよう地蔵に縄をかけ、見つかると縄を解いた

宮御殿 大宮御所を 移築した

明治13(1880)年に大宮御所(上皇の后の御所)から下賜されたもので、部材のまま保管されていましたが、明治34(1901)年に現在地に建てられました

内部は畳のヘリが赤色で、御所にあった建物を思わせます(京都御所の諸大夫の間の中の”桜の間”の畳のヘリが赤色です)

大宮御所時代には女官が使用した部屋だった

襖絵や欄間彫刻の写真撮影ができました

襖絵は宮中の行事を描いた美しい大和絵の「四季行事絵図(作者不明)」で、春の「子日遊図(ねのひのあそびず)」、秋の「撰虫図(むしえらびず)」、冬の「大鷹狩図」があります

「撰虫図」は、秋草茂る嵯峨野で松虫や鈴虫を捕り、宮中に献上する“虫合(むしあわせ)”を題材に描かれた襖絵

御殿の広間に描かれた絵を間近で見ることができます

宮御殿の南側は、築山と池の庭園となっていますが、築山の南側は約5mの防火壁(石垣)に作られています

歴史上の東本願寺の火災は北側が火元となっており、万が一の火災の際、御影堂などへの延焼を防ぐため、池と防火壁が設けられたとのこと

池の水はかつては琵琶湖疏水の水を引いた本願寺水道からの水だったそうですが、現在は地下水を汲み上げているそうです