ジャーナリスト 石川秀樹 -11ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


★iPhone7のテストユーザー詐欺に新手口! スマホに「通知」、Appleからと思わせる
http://denhon-charisma.com/dc/newcomer-of-iphone-fraud/



完全にしてやられた。
だまされる一歩手前で、「念のために」にGoogle検索してようやくバカな自分に気づかされた。
甘かった!
なんて私は信じやすいんだろう!!


iPhone7を発売するために「テストユーザー」を募っているのだそうだ。
私が当たった!
ランダムな選択で「あなたのiPhoneが当たった」と。
メールでそんなことを言って来たら、一発で見抜いてやった。
詐欺へ誘導するメールの手口はあらかた知っている。





だが今回は、iPhoneの開始するとすぐに出てくる画面で、「通知」として届いたのだ。
2016年、iPhone7のリリース、いかにも今年ありそうだし、iPhoneユーザーなら誰だって「人より先に」使いたくなるじゃあないか。
それに「Apple Watch」まで”お礼”として届けてくれるという。
送料わずか1ドルで。


facebook詐欺やLINE詐欺が舞い込むたびに、私は「またこんな手口で来たよ」と、したり顔で警告してきた。
今回も、いつものようにiPhoneの画面が切り替わるたびに”証拠となる画面”をせっせとキャプチャーした。
でもそれは、詐欺をあばくためではなかった。
「iPhone7のさぁ、モニターになったよ」と友達に自慢するつもりで摂っていたのだ。


なんて間抜けなんだろう。
クレジットカードの情報、最後の項目「自分のフルネーム」まで入力し終えて、後は送信ボタンを押すだけだった。
そこで念のために、深夜なのにわざわざ階下までパソコンを立ち上げに行き、Googleを開き
[iPhone6_詐欺]と打ち込んだ。


ドジな私を最後に救ってくれたのがこの「ルーティン」だった。
詳細はブログで─────

★父の「鼻からチューブ」で考えたこと。延命の可否、軽々には決められない!
http://yuigonsouzoku.net/selection-of-tube-feeding2/



父は脳梗塞発症から5日目にして経鼻経管栄養法(鼻からチューブ)により「延命」をはかるかどうか、選択を迫られた。
私は楽観的に、どうしたらリハビリへ意欲を向けさせることができるか、というようなことばかり考えていたので、医師の提案は不意打ちに感じられた。


経管栄養を選択すると、父の場合は高齢でもあり、口からの飲食を回復することなく人工栄養で生かされ続けることになる可能性が高い。
どんな生き方(生かされ方)でも私は、「それは人間らしい人生とは言えない」などとは言わない。しかし自分がの場合なら、もし自分に選択権があるのなら、「それはご免だよ」と思っている。





だからと言って、自分がそんなに潔い、覚悟備わった人間でないことも知っている。たぶん迷うと思う。いやになるほど逡巡すると思う。
<父はたいへんだったなあ>
今さらながら、そう思っている。


●以下、本文から抜粋

鼻からチューブ(経鼻経管栄養法)や胃瘻造設が老人の延命のために使われている、という批判が一部にある。
これまでの私の認識もそのようなものだった。
そして今多くの人が、経管栄養は決してQOL(生活の質、充実した生)につながるものではなく、不必要な延命措置である──と考えるようになった。


その結果として、尊厳死宣言書や治療の事前指示書によって「不必要な延命を避ける(拒否する)」という動きも出てきている。
私もこれまでそのように考えてきたし、今も基本的には「自分の身に起きることなら、不必要な延命はしないでもらいたい」と考えている。
しかし母を見、父の新たな闘病に接するにつけ、<これは安易には決められない>と思ったし、<一度決めたことでも人間だから、前に後ろに何度でもグラつくことはあるだろう>と思うようになってきた。


終活、エンディングノートなどで、介護や医療の項目で「選択肢」が用意されているものをまま見かける。
その中には「尊厳死」の考え方を採りいれているノートもある。
しかし、その発想は「ノー」だ。
断じてうなずけない!



<★延命したいなら「鼻からチューブ」。父が脳梗塞、家族は突然に最終決断を迫られる!>
http://yuigonsouzoku.net/selection-of-tube-feeding/






90歳を目前にして、父が脳梗塞で倒れました。
右手、右足のマヒ、そして口元にも影響が・・・・・
でも当初、症状は比較的軽いと思っていたのです。


だから私は楽観的で、
リハビリのことばかり考えていました。
意思能力ははっきりしている。
でも何かしゃべるってもなかなか内容がわからない。
というわけで、右手、右足に負荷をかけるより、とりあえずは動く左手で筆談ができるようになれば、とあくまで前向きに。


ところが発症から5日後、医師に「鼻からチューブを入れて胃に栄養を届かせる療法」の打診を受けたのです。
経鼻経管栄養法。老化に伴う延命法の1つでもある方法。
確かにいま父は嚥下が難しく、口からは食べられない。
わずかにゼリー状の物を食べさせてもらっても誤嚥してしまう・・・・・


ということで医師は、何をするにもとにかく体力回復をしてから、という意味患者家族に選択肢を提供したわけです。しかし経管栄養法にはいろいろ問題もあります。
以前から私は「チューブを入れて延々と生かされるのは・・・・」と、この療法には否定的でした。老後の延命法としてひとたびチューブをつなぐと、意思能力を喪失した後も体が衰えて命の火が燃え続けるまで”生かされ”続けなければなりません。


そんな私にいきなり「最終決断」が突き付けられたのです。
あまりに個人的な体験、家族の話だけにこれを書くかどうか迷いました。
しかし私のこのたびの体験は、今後、患者家族の多くが遭遇する問題であるに違いない、とも思ったのです。
「私の迷い」はある意味で普遍的な悩みであるかもしれない・・・・・。


父の脳梗塞発症から数日の、私の心の行きつ戻りつをつづってみました。





★Excel住所録で早わざ年賀状! Wordで読み込み宛名面印刷、「連名」にも完全対応 !!
http://denhon-charisma.com/dc/make-a-card-in-excel/




きょう郵便局に書留を出しに行ったらごった返していて、1時間も待たされました。「年賀状」間際に出す人、少なくないんですね。
僕もそのクチ。昨夜ようやく書き上げ、夜中にポストまで歩いて肩の荷を下ろしました。



例によって今年も年賀状ソフト”探索”で時間をつぶしました。
秋にデスクトップをWindows10に換え、そのとき「筆王」を捨てちゃったのでした。これまで筆王ソフト、何度買い換えたんだろう。お金はともかく、そのたびに「住所録」を作り直し。



今年はばかばかしいのでコンビニで400円台の年賀状ソフトを買って、「住所録はExcelのを使おう」と。
ところがどうもデータの取り込みがうまくいかない。
やっきりしましたよ、本当に。



それでまた「筆王」ダウンロード版を買って、「住所録はExcelからコピペかァ」と思ったのでしたが、『どうせやり直しならExcelをそのまま使えばいいじゃないか』と意を決し、ネットを調べてみました。「差し込み印刷でできるはず・・・・」。





あった、あった。
でもめんどくさそう。
しかし、もう元には戻りたくない。
やってみれば何とかなるもんですねぇ。
できることはできたんです。
Excelの住所録を一種のデータベースにして、Wordで情報の吸出しとはがきへの割り付け(レイアウト)を行う方法。



ところが、2つだけうまくいかないところがある。
宛名を「連名」にするところと、住所3(会社名を僕は入れたんだけど)これが全然反映されない。
ほぼ修整をあきらめて、とりあえず今年の年賀状は刷っちゃいました。反映されないところは手書きです(まあ、仕方ない)。



でも、気になりますよ、やっぱり。
それでもうひと踏ん張り調べてみました。
原因と解消法、分かりました。
Excel側の項目をWordのデフォルトが取り込む設定になっていないというアンマッチが原因でした。
それで解消法を実際に試してみると・・・・。



できた、できた!
満足のいくものでした!!
どうせ来年やり直したら、すっかり忘れているに違いない。
それで自分へのメモとして、ブログにまとめました。



もう年末。今さらお役に立たないかもしれないけれど、これ(Excelデータではがきを大量印刷する方法)知っていて損はないです。
一見難しそうですが、手順通りやれば簡単です。
興味のある方はお試しください。





★「タグ付け」基礎の基礎。毛嫌いせず使ってほしい、Facebook流”拡散する宅急便”だ!
http://denhon-charisma.com/dc/basic-knowledge-of-tagging/



タグ付けはFacebookの醍醐味の1つだと思う。
でも「いいね!」ほど人気がない。
むしろ「私生活が思わぬ人に見られてしまい、なんだか不気味」と毛嫌いされてしまう。



「それは誤解だ」と思うのだが、アレルギーができてしまった人にはどう説明しても、まったく聞いてもらえない。
えらそうに書いてしまったが先日、私自身が不用意にタグ付けをして迷惑をかけてしまった。
それで「基礎の基礎」をあらためて書こうと思った次第。



記事を書いたり写真をアップしたときに「友達」にタグを付ける。送りたいものに「荷札」を付けるようなものだ。
郵便物や宅急便は書かれた住所に確実に届く。
「タグ」も同じ。名指しされた友達のタイムラインに届く。
ねっ、荷札でしょ?



でもFacebookは一味違う。とびきり個性的なソーシャルメディアだもの、そんな常識的な範囲で終わるわけがない(?)
もっと”ひねり”があるはずだ。






期待にたがわずFacebookはおかしなことをやってくれる。
届け先の「友達」のその先にいる「友達の友達」にまで、同じものを届けるのだ。なんと大きなお世話をしてくれるものか!
こういう余計な(?)お世話が「不気味」に思われる原因だ。



でも、Facebookの意図は常に”善意”である。「友達」を絶対的に信じている。友達性善説。タグ付けされるような投稿は、その友達も見たいはずだ、それなら見せてあげようではないか──これがFacebookの発想である。



これを「Facebookめ、勝手なことをする!」と否定したら、醍醐味の1つをわざわざ消してしまうことになる。
「タグ付け」は世界標準だ。
多くの国で歓迎されている。
もちろん多少のプライバシー侵害まがいの”事故”はあるだろう。でもそういう不快を超えて、「便利でよい機能だ」と思われている。



日本の及び腰の方が奇妙に思えてくる。
原因は「基礎の基礎」を理解していないことにあると思う。
タグ付けは拡散機能がある宅急便だ。
このことを押さえていれば、食わず嫌いでいる必要がない。
「タグ」を使えば友達との交流はいっそう豊かになる。



わかりやすく書いたつもりなので、ぜひ一読してほしい。