★「タグ付け」の基礎の基礎を知って、Facebookをもっと楽しもう! | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

★「タグ付け」基礎の基礎。毛嫌いせず使ってほしい、Facebook流”拡散する宅急便”だ!
http://denhon-charisma.com/dc/basic-knowledge-of-tagging/



タグ付けはFacebookの醍醐味の1つだと思う。
でも「いいね!」ほど人気がない。
むしろ「私生活が思わぬ人に見られてしまい、なんだか不気味」と毛嫌いされてしまう。



「それは誤解だ」と思うのだが、アレルギーができてしまった人にはどう説明しても、まったく聞いてもらえない。
えらそうに書いてしまったが先日、私自身が不用意にタグ付けをして迷惑をかけてしまった。
それで「基礎の基礎」をあらためて書こうと思った次第。



記事を書いたり写真をアップしたときに「友達」にタグを付ける。送りたいものに「荷札」を付けるようなものだ。
郵便物や宅急便は書かれた住所に確実に届く。
「タグ」も同じ。名指しされた友達のタイムラインに届く。
ねっ、荷札でしょ?



でもFacebookは一味違う。とびきり個性的なソーシャルメディアだもの、そんな常識的な範囲で終わるわけがない(?)
もっと”ひねり”があるはずだ。






期待にたがわずFacebookはおかしなことをやってくれる。
届け先の「友達」のその先にいる「友達の友達」にまで、同じものを届けるのだ。なんと大きなお世話をしてくれるものか!
こういう余計な(?)お世話が「不気味」に思われる原因だ。



でも、Facebookの意図は常に”善意”である。「友達」を絶対的に信じている。友達性善説。タグ付けされるような投稿は、その友達も見たいはずだ、それなら見せてあげようではないか──これがFacebookの発想である。



これを「Facebookめ、勝手なことをする!」と否定したら、醍醐味の1つをわざわざ消してしまうことになる。
「タグ付け」は世界標準だ。
多くの国で歓迎されている。
もちろん多少のプライバシー侵害まがいの”事故”はあるだろう。でもそういう不快を超えて、「便利でよい機能だ」と思われている。



日本の及び腰の方が奇妙に思えてくる。
原因は「基礎の基礎」を理解していないことにあると思う。
タグ付けは拡散機能がある宅急便だ。
このことを押さえていれば、食わず嫌いでいる必要がない。
「タグ」を使えば友達との交流はいっそう豊かになる。



わかりやすく書いたつもりなので、ぜひ一読してほしい。