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21 神を救う人という

神を救う人という

変な考えが浮かびました。

ここで云う「神」とは子供たちのことです。

子供の魂といっても良いと思います。

私たち大人は社会的教育により

社会的規範に従うよう本来自由な魂を鋳型に填める学習をしてきました。

みんなが自由に幸せになるための教育ならば良いのですが、

今も昔も、その鋳型は、ある支配体制であり、それに従わせる教練が教育であるように思われます。

黙って与えられた仕事をこなす大人を育成するのが人を使う人たちの欲望です。

おさない頃は皆、自由で元気で笑顔だったのではないでしょうか。

その子供たちの笑顔の中に神が輝いているように感じます。

そのような子供たちが見ていても可愛いと感じるように思われます。

しかし、大人になるに連れて私たちは魂の自由を意識しなくなってしまったのではないでしょうか。

この年になって反省するのです。

もっと自分は自由であっていいはずだ、

人生は一度きりで、残りの人生もわずかになってきた。

子供の自由な魂を支配的教練から救ってあげること、

年老いた自分の魂を自由にしてあげること、

これが神を救うことにならないだろうか。

人間の支配から神を救う人がいても良いのではないだろうか。

少なくとも自分は自分の神を救う人になろうと思うのです。

もうじき春が来ます。

僕はあと何回桜の花が咲くのを見られるのだろう。

20 英雄といわれたり売国奴といわれたり

英雄といわれたり売国奴といわれたり、

それが坂本龍馬のような歴史上の人物ならば良いのだけれど。

でも、龍馬は幕府方の愛国者に暗殺された。

いま私たちと生きている人に暗殺の危険を感じるのは嫌なものだ。

竹中平蔵氏は今、東洋大学で教授をされているんですね。

彼は自民党小泉内閣のブレーンで改革の中心的人物でした。

改革派にとっては英雄でしたでしょうね。

ご本人にも英雄という意識があったかもしれません。

しかし、派遣労働者を増やし非正規雇用を促進させた結果、

若者が就職難に陥り、不満を募らせているのは事実だ。

有名大学を出たのに正規雇用につけない。

その若者の不満を煽り、怒りに誘導している経済評論家もいて、

今、竹中氏は売国奴と呼ばれている。

確かに小泉氏と竹中氏は既存の安定を不安定に変えたことは事実だ。

その不安定な生き方を安定に導くためにカウンセリングの世界も一翼を担っている。

ワークライフバランスもナラティヴ•カウンセリングもアメリカ的な自由な生き方を示唆する役割を負っている。

しかし、この根本的問題は、労働者を生産する現今の教育を維持するのか、

それとも天才を育成する教育に改革するかの二者択一にかかっている。

天才教育という観点から見れば

小泉•竹中改革には天才教育が必要となる。

労働者生産教育は今の体制が維持しようとしている。

さて、困ったな!

これまで労働者になるために教育されてきた若者たちをどうするのでしょうか。

彼らは親の期待を受けて大学まで進んだけれど急には天才にはなれないのです。

多くの若者たちはそんなに楽天的にはなれないのです。

だから、不満と危機感を怒りに変えて、

竹中氏に敵意を抱く結果となります。

巷では、「やりたいことをやる」、

今は多くの人たちがそう思っているのではないでしょうか。

就職のできない人たちに新しい生き方を指導する教師たちが必要かと推測します。

人の人生を明るく導ける人たちが今必要な英雄なのではないかと思うのですが。教育が徐々に変わる事を期待します。そういえば、尾木ままが頑張っていますね。

 

19 友人が長年のポストを辞任するそうだ

友人が長年のポストを辞任するそうだ。

何にでも始まりがあれば終わりがある。

僕が29年務めた職場にも定年を待たずに終わりがきた。

職場を去ることには様々な矛盾した気持ちが去来した。

苦労してやっと掴んだ幸運、

思う存分研究に打ち込んだ日々、

若い人たちとの心からの交流、

政治がらみの反目、

会議での駆け引き、

それでも働けば働くほど年収は増え、経済的には贅沢だった。

自分はお金を使わず、家族のために使い、家族から信頼された。

そんな人生にも別れを告げる時が来て、

僕自身の判断でその人生を終わらせた。

終わりが来ても、生きている限り、また始まりがある。

一から出直すのも楽しいと今なら言える。

自分のやりたいこと、

それを追い求めることに変わりはない。

何を始めても、また終わりが来る。

やがて僕の人生も終わる。

僕の友人に新しい始まりがあることを祈ろう。

そしてお互いが生きていてよかったと笑い合える日がくることを願おう。