こんにちは、フォトグラファーの森藤ヒサシです。
関東PGCの代表を2年間つとめ、
ますます、このPGCの面白さに引き込まれていました。
人間って、
何かに所属したい欲求ってありますよね。
マズローの欲求5段階説でいうと、
3段階目の所属と愛の欲求ですね。
孤独にはなりたくない
人と一緒にいたい
会社に所属したい
何かのコミュニティに入りたい
というもの。
さらに、4段階目の承認欲求も、
このPGCで満たされていたんですよね。
所属して、
仲の良い仲間がいる、
という3段階目の欲求が満たされ、
さらに、PGCで運営委員になり、副代表になり、代表になる、
と言うことで、
承認欲求も満たされるのです。
すごいですねー。
だからこそ、
PGCにはまっていったのです。
まあ、PGCの集まりと言っても、
運営委員会や、研究大会、その他プロジェクトや委員会の集まり、
などで出ることも多いのですが、
せいぜい1ヶ月に1回くらい。
それが楽しかったんですよねー。
PGCは全国の組織もあります。
私は、全国PGCでも、
執行部に入らせていただいてました。
全国のメンバーと知り合うこともできるし、
めっちゃ上手い活躍しているカメラマンとも、
仲良くなることができるのです。
おかげさまで、
荒木さん、石黒さん、中川さん、長谷川さんなどの大先輩とも
仲良くさせていただきました。
さらに、全国の委員会の委員長にもなり、
同世代の
北海道の岡村くん、
仙台の阿部さん、
群馬の秋葉くん、
徳島の立木くん、
山口の林くん、
福岡の吉岡くん、
長崎の大久保くん、
など、生涯の友人ができたのです。
関東PGCだけではなく、
全国PGCでも勉強と飲み会、
ほんと、楽しかったー!
関東PGCの代表を終わった後、
すぐに、尊敬する佐藤親分からのご指名で、
なんと、全国PGCの議長になったしまったのです。
約700名いるPGCのトップです。
そりゃ、大変です。
自分たちの決めた方針やプロジェクトを、
進めていかなければならないのです。
業界全体の発展を思いながら、
会員全体のことを考えながら、
どうすれば、PGCも発展しながらみんなに喜んでもらえるか、
考えても、
思ったように進みません。
もちろん、自分の会社の経営もあります。
めっちゃ、忙しい日々を送ります。
しかし、この全国PGCの執行部のメンバーは、
とても優秀な人ばかり。
なので、いろいろ考えた企画やプロジェクトも、
ゆっくりではありますが、
着実にやっていくことができたのです。
一つ一つ、実現できていることを考えると、
マズローの欲求5段階説でいう
5段階目の自己実現の欲求
が満たされている感じ。
PGCで、自分たちのやりたいことを
実現させることができたのは、
本当に夢のようでした。
大きなプロジェクトとして、
家族写真の本の出版。
『オヤジの教科書』
と言うタイトルで、
普段は、なかなか家族一緒にいられない、
働くお父さんを対象に写真を撮って、
そのお父さんの家族に対する思いを、
メッセージに書いてもらい、
本にしたのです。
素晴らしい本になりました。
これも、登里委員長、そして、いろは出版のキムのおかげ。
感謝です。
しかし、
相変わらず、
何か起こるのが、
私らしいところ。
この後、大大大事件が起こるのです。
んー、トラブルメーカーやね。
自分でブログ書いていると、そう思う。
自分でトラブルを作ってるとしか思えん。
人生には、3つの坂がある。
って、よく結婚式の挨拶で、
誰かが言ったりしますよね。
登り坂
下り坂
まさか
この3つ。
わたしの人生の中で、
まさか
という坂がやってきたのです。
東日本大震災後の自宅
2011年3月11日
忘れもしない東日本大震災。
この大震災をきっかけに、
私は、なんと、
㈱小貫写真館を追い出され、
東京でゼロからスタートすることになります。
㈱小貫写真館の会長で、
大株主である父親との確執がベースなのですが、
まさか、私が一生懸命大きくしてきた会社から、
追い出されるとは、
思ってもいませんでした。
あまりにも私の人生の中で、
インパクトが大きいので、
数回にわたって、
お伝えいたします。
この頃、私は、
本田健関係で出会った、
ビジネスバリバリの友人と、
新しいビジネスをやるため、
全国を飛び回っていました。
ただでさえ、
全国PGCの議長として、
写真館業界を盛り上げるために、
多忙な日々を送っていたのですが、
さらに、自ら忙しくしていたのです。
3月初旬に、
その集まりで、タイツアーがありました。
タイツアーといっても、
真面目なツアー。
いかがわしくないですよ!!
基本的に昼間は、
会議室で勉強をしたり、
企業を見学したり、
現地で起業している日本人と会ったり、
そして、夜はみんなでタイフードを食べながら、
めちゃめちゃ飲む感じ。
もちろん観光もしましたが、
勉強が目的。
ぞーっとする!
最終日の3月11日。
タイのチェンマイ
ホテルのセミナールームで
みんな経営のセミナーを受けていました。
昼休みに、仲間の一人が、
自分の部屋に戻って、
ニュースをつけてすぐに、
セミナールームに戻ってきたのです!
日本が大地震で大変だ!!
私たちは、すぐに部屋に戻り、
ニュース番組に釘付けになりました。
ありがたいことに、
ここのホテルでは、
3つの日本語チャンネルがありました。
どのチャンネルでも、
地震速報しかやっていません。
そして、各地の津波の映像が流れてきました。
まるで映画の1シーンの出来事。
しかし、これは映画でも夢でもなく、
紛れもない現実。
まっきーに国際電話をかけると、
なんとかつながりました。
なんとか、泰夢をピックアップし、
マンションに戻れたと聞き安心ましたが、
地震の凄さを、
恐怖いっぱいの声で説明されたので、
マジ心配です。
さらに、会社に電話かけても繋がりませんでしたが、
一人の社員と連絡がついて、
どのくらい会社の被害があるか聞くと、
事務所は大散乱、壁が落ち、ヒビが入っていて、
生きた心地がしなかったとのこと。
早く日本に戻らなければ!
焦ってもしょうがないのに、
心はめっちゃ焦っています。
その後、荷物をまとめ、
飛行場に向かいました。
しかし、心の中では、
日本に戻れるかどうか?
それが一番心配。
だって、日本で大地震があって、
成田空港がちゃんとあいているか、
わからないのです。
一緒にいた仲間は、
全員が関西空港着。
成田着は、私一人です。
グランドホステスにたずねると、
まずは、チェンマイからバンコクまで、
国内線で飛び、
そこで、成田空港まで行けるか聞いてください!
とのこと。
こんなに、大変な状況なのに、
関西メンバーは、焦る様子もなく、
私一人だけ焦っている感じ。
そりゃそうですよね。
茨城の㈱小貫写真館も心配でしょうがないですし、
東京の家族も心配でしょうがない。
早く戻りたい!!
その一心でした。
バンコクの空港で、
仲間とは別れ、
私一人になりました。
成田行きの飛行機は、
なんと2時間遅れでフライトするとのこと。
この大地震にもかかわらず、
成田空港に飛べるのは、
まさに奇跡!
さすが日本!!
1分でも早く、飛んでほしいと願いながらも、
さらに1時間フライト時間が延び、
真夜中の2時過ぎに、
ようやく成田行きの飛行機に乗ることができたのです。
そして翌朝無事に成田に着いたのです。
この成田空港で、また奇跡的な偶然が起こります。
とまあ、そんなわけで、
私は、東日本大震災を実際に体験はしませんでした。
タイにいたんでね。
それが、よかったのか悪かったのか?
とにかく、無事に、
2011年3月12日に日本に戻れたのです。
よくみると、ただの汚いデスクの上のようにも見える
実は、前日まっきーとの国際電話で、
うちの両親がハワイに行くので、
成田に向かったと言う話を聞きました。
しかし、両親は成田までバスで行く途中に地震に遭い、
バスは成田まで到着はしたものの、
そこからの交通手段が全くないというのです。
バスもなく、電車もない、
そして、ハワイ行きの飛行機はキャンセル、
と言うことで、
うちの両親は、成田空港で一晩過ごすことになりました。
でも、さすが成田空港。
空港にいる何千人分もの寝袋と食糧を配ったのです。
それだけ準備しているんですねー。
そして、私が12日早朝、
タイから成田空港に到着。
母親と携帯で連絡しあい、
なんと、合流することができたのです。
私は成田空港まで自分の車で来ていたので、
両親を車に乗せ一緒に水戸に帰ることができました。
奇跡的!!
もし、飛行機が飛ばず、
私がタイから成田まで戻ってこれなかったら、
うちの両親は、あと2,3泊、
成田にから出れなかったことでしょう。
また、車で成田空港まで来ていなかったら、
私も、成田から数日出れなかったと思うと、
偶然に偶然が重なった結果、
両親と会うことができて
一緒に帰ることができたのです。
しかし、
わたしは、この偶然に驚いていたのですが、
両親は、まあまああっけらかんとした感じ。
奇跡的に会うことができて、
水戸に帰れることになったのに、
それもよくわかっていない様子。
さらに、水戸に帰ってくる途中にスーパーによると、
飲み物がすでにほとんどなくなっているので、
私も焦って、
水を買っておこうよ!
と言ったのですが、
うちの父親は、
大丈夫だよ、ここで買わなくたってあるから!
と言うのです。
まあ、ここで買わなかったことで、
後で困ることになるのですが・・・
うちの両親のノー天気ぶりに、
イライラが募るのでした。
ようやく水戸に到着。
会社に入るなりビックリです!
ここまでひどいのか!
事務所の棚の物が落ち、
お客様の商品なども散乱していました。
壁はヒビが入り、
スタジオに行くと、
いろいろなものが倒れています。
さらに、3階の自宅のドアを開けた途端、
遭いた口が塞がらなくなってしまいました。
約1mの地層ができていたのです。
壁一面がオーダーメイドの棚で、
壁に固定してあったのですが、
棚は壁から剥がれ、
棚の中のものがすべて落ちていて、
何層もの地層となっていたのです。
これ、片付けるのに、何日かかるんだろう・・・
呆然と立ち尽くし、
その日は、そのまま東京に戻ったのです。
東京に戻って、
まっきーと泰夢と会うことができ、
一瞬は安心したのですが、
どれだけ大変だったかを聞きながら、
これからのことを思うと、
どうしたらいいものかわからず、
途方に暮れるのでした。
水道、ガス、電気は、いつまで止まっているのだろうか?
食料は、大丈夫なのだろうか?
今入っている予約のお客様は、
どうなるのだろうか?
会社は、この後、
やっていけるのだろうか?
社員は、1週間は休ませなきゃならないし、
お給料は払えるのだろうか?
考え出したらキリがありません。
久しぶりに家族三人揃うことができたのに、
その晩は、なかなか眠ることができなかったのです。
この大震災がきっかけで、
私の人生が大きく変わります。
しかし、
この時は、
ただただ、不安の中にいるのでした。
震災後、なぜか、北海道へ
2011年3月12日、
久々に、家族三人で過ごすことができ、
ほっとしたのも束の間、
これからの経営のことを考えると、
なかなか眠れずにいました。
今後の事業計画を、
最悪のシナリオ
最悪にならなかった時のシナリオ
を考えました。
とはいえ、
会社はどう考えても最低1週間は休業。
お客様もすぐに来てくれるとは思えず、
どんなに状況が好転したとしても、
経営状態が悪くなるのは当然。
最高のシナリオは考えられずにいました。
また、最悪のシナリオを考えてみると、
どう考えても、2011年年末には、
会社は、倒産するだろうという結論。
あかん、このままだと倒産する!!
倒産したらどうなるんだろう??
まわりからはなんて言われるのか??
全国PGCのリーダーをしている場合じゃないんじゃないか??
みんなから、ダメなやつと思われるんじゃないか??
そんな不安でいっぱいになっていたのです。
また、そんな経営のことばかり考えるのではなく、
これからの日本のことや、
津波で被災された人、
亡くなられた人のことを考えるだけと、
自分自身の無力さにも向き合い、
やりきれない状態が続いていました。
さらに、福島第二原発が津波の被害に遭い、
放射能漏れのニュースが入ってきて、
気が気ではありません。
そう思うと、
こんな時期に経営のことばかり考えているのは、
不謹慎なんじゃないか!
とも思っていました。
何もできない自分に苛立ちもするのですが、
本当は、東北の人たちの被災の方がひどいのはわかっていても、
茨城での被害は、大したニュースにもならず、
うちだって、こんなに大変なのに!
と情報番組を見て、
まわりに同情されないのも、
苛立っていたのです。
この辺りは、
自分勝手ですねー。
現代の新型コロナの影響と同じで、
まわりの被害の方がひどくても、
自分が大変だと、
自分はこんなに大変だ!
と、認めて欲しくなる人って、
多いですよね。
私もその一人。
自分が大変だと、
まわりが大変でも、
自分中心になってしまいます。
情けないです。
でも、一つ言えるのは、
ただただ、不安と恐怖にやられまくっていた、
ということです。
こんな、大変な状況にもかかわらず、
2日後の3月13日には、
岡山の友人が、
ブライダルの撮影で東京にきてくれたのです。
まあ、関西方面だと、
この大変さは、まだ伝わってなかったのか、
そして、よく新幹線も動いていたなー、
と今思うと、驚きます。
わたしの感情的には、
なかなか、撮影に集中できる状態ではなかったのですが、
でも、撮影に入ると、
それまでの不安も忘れることができ、
集中することができたのです。
ありがたかったですねー。
さらにこの後、
北海道でのセミナーも予定していたので、
北海道にも家族で行って、
セミナーをし、
そして、せっかく北海道に行ったのだからということで、
洞爺湖まで足を伸ばし、
ゆっくりと時間を過ごしたのです。
マッキーとセミナー
写真館仲間のまさるのところへ
私たち以外誰もいない、洞爺湖のホテル
本当は、
倒産するかもしれない
という、自分のも会社のことを真剣に考え、
日本の一大事だからこそ、
もっと、何か人の役に立つことを考えたほうが
よかったのかもしれません。
でも、あまりにも不安の感情が大きすぎて、
そこから逃げ出したかったんですよね。
みなさんから見たら、
男らしくない、と思ったかもしれませんね。
私もそう思います。
私って、こんなに弱い人間だったっけ??
そんなことも思いながら、
本当は弱い人間なのに、
強がってばかりいたんだなー!
と、自分ではよくわかっていました。
ようやく、弱い自分を認めることができたんですよね。
とは言え、
社長として、やらなければならないことは山積み。
北海道から戻り、
これからのことを相談するために、
この後、メンターに会うため
この後日本各地を飛び回るのです。
それが、大きな引き金に・・・・
沈むのがわかっていても、ジャンプしてみる
つづく
BLISS応援のお願い
現在ブリスは 5/6まで臨時休業をしております。
私たちも応援いただいている皆様のおかげで、ブランディングフォトや家族写真で、多くの「笑顔」を撮影し、皆さまの幸せの一瞬を写真に残してまいりました。 そしてこれからもずっと皆さまの「最高の思い出になる1枚の写真を残していきたい!」と心より強く思っております。
しかしながら、新型コロナウイルスという目に見えない脅威により、このまま休業が続けば、皆様の心の支えになる写真を撮影させていただくこと自体が難しくなってまいります。皆さまの「笑顔」を撮り続けていくため、みなさまにお願いがございます。
この度、休業期間後から2020年年末まで、ブリスで使用していただける「応援チケット」を3種類ご用意させていただきました。
また、写真集も販売しております。
是非とも皆様には、この写真集の写真とメッセージで、
少しでも心を癒していただけたらと思います。
この写真集は、メッセージと写真の組み合わせになっています。
適当に直感で開いたページのメッセージは、
その時のあなたに響く言葉になっています。
是非ご購入しおていただけると嬉しいです。
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写真の基本をお伝えしているので、
勉強になりますよ。
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最後まで、お読みいただきありがとうございました。