こんにちは、フォトグラファーの森藤ヒサシです。

 

 

 

本田健との出会い、

そして、自分の中でパラダイムシフトが起き始めている頃、

泰夢が生まれて、

1年が経とうとしていました。

 

 

子は春日井。

 

いやいや、間違え。

 

子は鎹(かすがい)

 

とは、よく言ったものです。

 

 

ちょうど私が、

仕事中心、自分中心で生きている頃、

夫婦喧嘩ばかりの日々の中で、

泰夢がいたことで、

どれだけ救われたことか!

 

 

それにしても、

鎹(かすがい)

って漢字、

超むずかしい。

 

見ても書けない!!

 

 

泰夢1歳のバースデー!

 

 

 

 

泰夢が生まれて、

生活がガラッと変わりました。

 

 

それまで、

外食中心だったのが、

外に出かけられなくなり、

家での食事が中心になりました。

 

まあ、当たり前っちゃ当たり前ですが。

 

 

 

会社の事務所が1Fで、

自宅が3Fなので、

仕事の休憩時間に自宅に戻り、

泰夢と遊んだり、

仕事が終わってすぐに3Fに上がって、

泰夢をお風呂に入れたり、

そんな毎日でした。

 

いいパパしてるやん!私!

 

 

泰夢が0歳の時には、

海外も2度連れて行きましたし、

那須にある大好きな

二期クラブ

というホテルにも、

何度か旅行に行きました。

 

 

大好きな二期クラブにて!

 

筑波山にも登りました。

 

 

お正月明けには、

初めて、伊勢神宮に、

家族で行くこともでき、

まわりから見たら、

すごく幸せそうな家族だったと思います。

 

初めての雪

よくある、洗濯カゴに入る子供

 

 

 

でも、

夫婦で一緒に仕事をしていると、

24時間、一緒にいるようなものなので、

つまらないことでも、

ついつい喧嘩になってしまい、

言い争いの絶えない状態になっていました。

 

 

多額の借金をして、

パセオヌエボという新スタジオを建てたのはいいのですが、

売上が上がっても、

借金返済をするだけで、いっぱいいっぱい。

 

 

税金を支払わらなければならない時期になると、

お金をかき集めて支払わなければならず、

経理をしていたまっきーは、

いつもイライラしていましたし、

私も、忙しくてやることが多く、

イライラしていたのです。

 

 

お互いに余裕がないと、

あかんですねー。

 

 

だからこそ、

パスポート事件の時は、

私も、すごく怒ってしまったし、

ちょっとしたことで、

すぐに暴発してしまうような状態だったんですよね。

 

今思うと・・・

 

 

そんな時に、

泰夢の笑顔を見ているだけで癒され、

イライラした気持ちも落ち着くので、

どれだけ、泰夢の笑顔に助けられたかわかりません。

 

 

 

そして、

泰夢の1歳の誕生日を迎えます。

 

 

パスポート事件もひと段落し、

本田健セミナーにも行った後だったので、

バタバタした中でも、

3人で、ゆっくりと泰夢のバースデーを過ごすことができました。

 

 

 

 

 

夫婦だけではなく、

子供がやってきてくれたことで、

今までにない、

幸せな気持ちを、

感謝と共に送れたのです。

 

 

 

家族って、本当にいいなー!

 

この家族、守っていきたいな!

 

家族写真、撮り続けていきたいなー!

 

 

そんなことを思うことができた、

泰夢1歳のバースデーでした。

 

 

 

そして、

泰夢が1歳になり、

保育園にも通い始めます。

 


つくばインターナショナルナーサリーの入園式にて

泰夢の節句のお祝い


 

 

とは言え、

まだまだ、

仕事&業界と、

忙しい日々は続くのです。

 

 

 

 

この時期は、

写真がいっぱいあって、

見ていて、ほっこりします。

 

 

 

 

 

2005年から2006年にかけて、

色々と行動していました。

 

水戸での写真館経営、

東京での会社のビジネス、

写真館業界での役職、

ビジネスセミナー参加、

そして、子育てなど、

 

そりゃ、

仕事中心の生活になるわなー。

 

 

とにかく忙しく、

やっていることもうまくいかず、

イライラばかりしていたからこそ、

家庭でも、喧嘩が多かったんですよね。

 

 

では、新店舗をオープンした頃の話をしますね。

 

まあ、反省点ばかりですが・・・

 

だいぶ、ビジネスよりの話です。

 


パセオヌエボつくば

 

 

 

2004年頃、

水戸で2000年にオープンしたスタジオパセオヌエボも、

いい感じで売上も上がり、

ブライダルスナップ関係の仕事も順調。

 

しかし、多額の借金をしているせいか、

現金は残らず、

キャッシュフローの非常に悪い経営が続いていました。

 

 

 

その頃、

船井総研の井口さんに、

ビジネスのコンサルとしてきていただいてました。

 

おかげで、

水戸のスタジオは良かったのですが、

個人的には、

 

何か新しいことをしたい!

 

と思っていたんですよね。

 

 

地方の写真館の売上としては、

1店舗あたり、1億5千万円がリミットだと、

感じていました。

 

これ以上の売上を上げるためには、

 

 

お客様の予約をもっと詰め込んで数を増やすこと

客単価を上げること

店舗を増やすこと

 

 

この3つでした。

 

 

お客様の予約を詰め込むと、

サービスが行き届かなくなり、

クォリティが下がりますし、

 

もともと、うちのスタジオは料金が高いので、

客単価をこれ以上あげると、

お客様が離れる心配がありました。

 

なので、

もう1店舗出したい!

と言うのが結論。

 

そう思い、

コンサルの相談したところ、

 

まあいいんじゃないかな!

 

と言うことで、茨城県南にスタジオの場所を

探し始めました。

 

 

と言うよりも、

私の性格で、

 

思ったら考えず、すぐ行動してしまう

 

と言うところもあったので、

まあ、反対されても出店していたと思います。

 

 

 

先輩の不動産屋さんにお願いし、

(あー、この先輩も若くして、亡くなってしまった、

と思い出した・・・)

つくばの不動産屋さんを紹介していただき、

たくさんの物件を見てまわりました!!

 

 

しかし、当時のつくばは、

茨城県の中で、唯一と言っていいほど、

人口の増加している場所で、

(だからこそ、ここに出したいと思ったのですが)

見て回る物件、どこも高いのです。

 

いい場所では、坪単価1万円が相場でした。

 

 

 

つくばの西大通沿いに、

とても気に入った物件がありました。

 

もともと、

レストランだった場所で、

最初のオーナーは、

つくばの資産家のお嬢様らしい。

 

このお嬢様が音楽をやっていて、

自分で音楽をできる場所を造りたい、

と言って、

この建物を造ったのようなのです。

 

すごいねー。

 

 

バブル当時の建設費が約6億円近く。

 

めっちゃバブリーな建物です。

 

敷地面積は160坪。

延べ床面積は300坪。

 

 

予算が軽くオーバーなので、

無理だと思っていましたが、

2005年当時のオーナーは、

ブライダルドレスの会社の社長。

 

同じ、ブライダル業界と言うこともあり、

格安で借りることができたのです。

 

まあ、この会社も倉庫としてしか、

この建物を使うことができていなかったので、

とてももったいないのですが・・・

 

 

その後、2ヶ月改装をし、

新規スタッフを募集し、

2005年の10月1日に

パセオヌエボつくば店がオープンしました。

 


つくばのカフェでスタッフと

 

 

とまあ、

いい話はここまで。

 

 

 

オープンしたのはいいのですが、

お客様が来ません。

 

10月という、

写真館としてはハイシーズンなのに、

数えるほどしか、

お客様がきてくれないのです。

 

 

めっちゃ悩みました。

 

 

どうしよう!

 

 

 

今思うと、

水戸で100年以上続けてきたので、

つくばでも少し知名度があるだろうと、

おごっていたのかも知れません。

 

水戸で100年続けていても、

つくばでは誰も知らないのです。

 

 

なので、しっかりとマーケティングもせずに、

出店したのが失敗の原因。

 

料金も、知名度がないのに、

強気な料金体制。

 

 

さらに、私自身がスタッフを教育するのが、

とても下手だったので、

スタッフも成長しないまま、

任せてしまったのです。

 

 

あかんですねー。

 

そりゃ、お客様が来るはずもありません。

 

 

 

 

そんなわけで、

初年度の売上は、

目標売上の三分の一。

 

この大赤字で、

ただでさえ、

会社のキャッシュフローが悪いのに、

拍車をかけてしまい、

より経営が悪化していくのです。

 

 

 

当時、経営がうまくいかない理由を、

 

 

スタッフが成長できていない

知名度がない

近くの写真スタジオが強すぎる

いい広告が出せていない

 

 

などなど、

外的要因ばかりあげていました。

 

 

そんな時に

本田健のセミナーに行き始めるのです。

 

 

そこで解ったのは、

本当は、私自身が原因だと言うこと。

 

 

と、後から気づきました。

 

 

 

自分がきちんと戦略を立てられていない

数年後のビジョンがない

ただ売上をあげることしか考えていない

スタッフ教育ができていない

行き当たりばったりでの決定が多い

結果を想定しないですぐ行動する

人の言うことを聞かない

 

 

などなど、

経営者としては、最悪・・・

 

 

なんですよねー。

 

 

 

その後、

いろいろと改善はしていくのですが、

まだまだのところばかり。

 

 

 

ただ、当時は、

人のせいばかりにしていたのを

反省しています。

 

 

 

 

経営がうまくいかず、

イライラばかりしていたなー。

 

 

そう思うと、

今も、あまり成長していないかもです・・・

 

 

 


つくば店の階段で

 

 

 

 

 

2005年10月につくばに、

パセオヌエボつくばをオープン。

 

七五三の繁忙期にもかかわらず、

思ったように集客できず、

初年度は、

大赤字になってしまいました。

 

 

なんと、

つくば店新規出店と同時に、

もう一つ、水戸市に出店計画があったのです。

 

 

そりゃー、大変でした。

 

SoHoで撮影したクリスマスの写真

 

 

 

 

 

2006年3月

 

水戸市泉町一丁目の㈱小貫写真館の跡地に、

京成百貨店と言う、

大型デパートができました。

 

うちは、もともと泉町で、

100年以上写真館を続けてきたので、

会長である父が、

長年泉町という地で営業してきたので、

この地に㈱小貫写真館を残したい

と言う思いもあり、

新しいスタイルで写真館を続けようと思い、

そのデパートの1階のテナントとして、

Studio SoHoと言うスタジオをオープンしました。

 

 

 

 

もともと泉町1丁目にあった㈱小貫写真館は、

伊勢甚百貨店と言うデパートの隣にありました。

 

いわゆる、私の実家ですね。

 

立地的にはとてもいい場所で、

私は、子供の頃から、

そのデパートのおもちゃ売り場や本屋さん、

ゲームセンターに入り浸り、

毎日、自分の庭のように、

遊んでいたのを思い出します。

 

 

両親が忙しかったために、

学校から帰ってきたら、

すぐに、伊勢甚に行くという感じ。

 

贅沢な庭でしたねー。

 

好き放題、遊んでましたから。

 

屋上のゲームセンターでは、

インベーダーゲームが搬入されたその日から、

インベーダーゲームをやっていた気がします。

 

でも、今思うと、

ちょー迷惑な、餓鬼だったんだろーなー・・・・

 

 

 

 

それはさておき、

1980年代に、

伊勢甚百貨店はイオングループに統合され、

そのあとすぐ、1980年後半には、

泉町一丁目再開発計画が立ち上がり、

隣の伊勢甚デパートや、銀行、何店舗かの商店、

そして㈱小貫写真館を含め、

この一角を大きな商業施設にしよう

ということになったのです。

 

 

しかし、中には、反対する人もいるんですよね。

どこにでも、ひねくれ者、

そして、自己中の人がいるのです。

 

おかげで、再開発計画は頓挫しながら、

結局、20年と言う月日をかけて、

ようやく2006年に完成したのです。

 

 

 

うちでは、

その再開発計画が出た時から、

どうしたらいいか、

と話し合いをしてきました。

 

私が大学生の頃ですかね。

 

 

結局、私が実家に戻り、

地方都市の中心地がドーナツ化現象で、

人口も少なくなってきているので、

2000年にその場所から数km離れた郊外に、

パセオヌエボという新店舗を建てたのです。

 

 

 

㈱小貫写真館は、

今まで、ずっと独立店舗として、

路面店でしか営業してこなかったので、

テナントとしてははじめてのことばかり。

 

そして、

パセオヌエボの形態とはかぶらないように、

カジュアルな写真館を造りました。

 

 

2005年につくば店をオープンしたばかり。

 

しかも、うまく経営できていない状態なのにもかかわらず、

京成百貨店内にStudio SoHoをオープンするのです。

 

もう、忙し過ぎて、訳がわかりません。

 

 

 

実は、この京成百貨店のテナントとして、

写真スタジオをやる話は、

つくばへの新規出店の話よりも、

前から進んでいました。

 

 

まあ、1980年代からの再開発計画ですからね。

 

 

なので、つくば店がうまくいっていないにもかかわらず、

こちらの話も進めていかなければならず、

お金がドンドン出ていくばかり。

 

 

うまく、人材も育てられていない中でのオープン。

 

ほんと大変でした。

 

こんなスタジオ!

 

 

料金は、今では一般的になっている、

撮影代が3000円で、あとはデータを購入してもらうシステム。

 

ただ、当時、田舎の水戸では、

写真を撮ってデータで残したいと言う人は、

少なく、なかなかお客様は来ません。

 

 

同じ場所でやれば、

お客様にきてもらえるかと思ったら、

まったく、お客様に振り向いてももらえず、

初月から、大赤字、

と言うスタートになってしまったのです。

 

 

つくば店で失敗し、

Studio SoHoで失敗。

 

 

 

これからどうすればいいのかわからず、

経営者としての才能のなさに、

ぶち当たるのです。

 

 

 

個人的に、

新しいものをつくるのは好きですが、

どのように売るか、

どのように成長させていくか、

と、戦略を立てて考えるのが、苦手なのです。

 

 

 

当時は、人を育てるのも下手でしたし、

自分の思いを貫き通せば、

なんとかなると思っていましたが、

思いだけでは、通用しないのが、

ビジネスの世界。

 

 

最終的に、

このスタジオは、

数年後に、

ライフスタジオの姉妹店となり、

店の権利を全て、姉に譲ることになるので、

結果的には、よかったなと思う部分も多いです。

 

 

 

しかし、このつくば店とStudio SoHoが

うまくいかなかった挫折感は、

しばらく続きました。

 

 

 

そして、このStudio SoHoオープンから1ヶ月が過ぎた頃、

本田健のセミナーに行き始めます。

 

 

今思うと、

全て運命だったのかもしれません。

 

 

ビジネスがうまく回っていたら、

自分のダメなところにも気づかず、

イケイケどんどんで大きくしていって、

その時以上に、大きな失敗をしたかもしれません。

 

 

 

この時の失敗があり、

本田健と出会うことによって、

私の人生の軸が、

変わっていき、

少しは人の気持ちをわかるようになりながら、

経営できるようになっていくのです。

 

 

 

自分で言うのもなんですが、

若い頃、

写真の才能は、あるかもしれませんが、

経営の才能は、なかったんですよねー。

 

 

 

 

それにもめげず、今は、

自分なりに努力しながら、

一生懸命、水戸店とつくば店、

そして、東京のスタジオを

経営してはいるのです。

 

 


改装した後のスタジオ

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

森藤ヒサシ&オヌキマキのeBook

アーティストライフという生き方: あなたの中にも眠る創造性を目覚めさせると一瞬で人生が変わる

Amazon(アマゾン)

780円

 

 

 

 

森藤ヒサシストーリー

1幼少期からアシスタント時代まで

2アメリカ編その1(フレズノ→まっきーとの出会い)

3アメリカ編その2(ニューヨーク&エミさん)
4アメリカ編その3(ナショナルパーク編他)

5アメリカ編その4(卒業そして帰国)

6帰国編からPGC入会編

7新聞連載→まっきー帰国

8写真館業界編→まっきーと結婚へ

9結婚式当日→初個展開催

10新婚生活→パセオヌエボオープン

11忙しい日々→BLISS開業

12写真の上達→社員を連れてアメリカへ→マンション購入

13泰夢誕生

14お宮参り→サンタバーバラへ

15本田健との出会い総集編1パスポート事件

16本田健との出会い総集編2 ライフワーク

 

 

 

 

幸せになる写真撮りたい方、

BLISSまたは、

パセオヌエボまで、

お問い合わせください!

 

 

 

 

最後まで、お読みいただきありがとうございました。