さて、昨日東京高裁でNGT筑波大事件の控訴審第二回口頭弁論が開かれました。

控訴審ともなると、書面の量が膨大になり、当事者は書面の海への対応できっと大変と思います。

おそらくは控訴審での攻撃と防御に手一杯で、なかなか一審の書面を見返す時間もないことでしょう。

というよりも、一審の書面なんて、もう穴のあくほど読み込んで、もう読み返す必要がない状態だと思います。

 

こういうときは、私のような外部の人間が一審の書面に目を通し、新しい視点を開くことも重要ではないでしょうか。

 

なんて、おせっかいを厚顔無恥にも思いついて、一審初期の書面に目を通していました。

 

すると、ありました!   「密約」の証拠!!!

 

灯台下暗しですね。

 

被告会社第一準備書面によると、被告大学が被告会社にあてた令和2年4月21日付回答書に「本リポジトリから本論説の登録削除のための手続きを進めることになった」と記載があったようです。

この「登録削除」を4月21日になされた「仮の公開停止」とみるか6月14日になされた「正規の公開停止」とみるかは判断が難しいですが、原典に特段の断りがないところをみると、「正規の公開停止」と思われます。文脈的にもそう解釈することが相当です(「論文削除」と「公開停止」が混在しますがここでは同義です)。

 

つまり、沼田報告書すら作成されていない4月21日の段階で、大学の方針として「公開停止」があり、そのことを被告会社に約束してしまっていることになります。原告に断りもなくです。

 

結局、これは密約と思います。この密約から大学の迷走は始まりました。

 

さて、

判決を踏まえて、平山先生のブログが更新されました。

たぶん、多くの方には何が何だかわからないと思うので、

わたしが、「勝手」に解説してみます。

(文責 さらしな)

 

 

これは私の解釈ですが、本件は、刑事事件に見立てるとわかりやすいです。

 

本件はAKSが送ってきた 通知書(甲15) から話が始まります。

刑事なら「訴因」であり、起訴状で被告人に告げることが義務づけられるものです。

被告人の防御権に鑑み、「訴因」は、みだりに拡大したり変更したりしないのが原則です。

 

で、本件はコンプライアンス違反の疑いがあるとして、コンプライアンス推進規則に基づき「調査委員会」の設置が決まり、調査が始まります。ここで気を付けて欲しいのは、「調査委員会」の調査の範囲は「訴因」に限られるということです。

 

その後、調査委員会は、当該論文は名誉毀損にあたらない結論しました。が、なぜか「論文中に被疑者の実名、顔写真があるためプライバシーの疑い」があるとしました。

 

このとき、調査委員会は平山先生に「論文中に被疑者の実名、顔写真があることの必要性」を尋ねました。平山先生は、

 

「こ と の 本 質 は 、 稲 垣 副 学 長 が学問 の 自 由 や 表 現 の 自 由 と い う憲 法 で 保 障 さ れ た 私 の 権 利 を、 学 内 の 権 力 構 造 を 利用し て 侵 害 し て い る (リ ポ ジ ト リ 公 開 が 差 し 止 め ら れ 、 学問 の 自 由 の うち 研 究 発 表
の 自由 と教 育 の 自由 が 侵 害 され てい るな ど) とい う こと だ と私 は 理解 し てお り ま すので、 回 答 す る の は 間 違 っ てい ると 判 断 い た しま す」

 

と回答しています。

 

AKSでさえ主張していない「被疑者のプライバシー権の侵害」がなぜ「調査委員会」の調査事項になるのか 

 

ここは、後々まで先生の疑念となっていきます。

 

 

--------

 

 

裁判以降も、先生の疑念は同じです。

 

先生は、訴状第7において、論文が名誉毀損にあたらないことを主張しました。

AKSの通知書の挙げた項目がいずれも名誉毀損にあたらないとの主張です。

これに対する被告大学準備書面は訴状第7に直接応答せず、通知書さえ挙げていない項目を挙げて、

論文の内容を名誉毀損にあたると主張しました。

もちろん「被疑者へのプライバシー権の侵害」もこれに入っています。

 

先生にとっては、「通知書」の内容こそ「訴因」であるわけで、これは余計な事柄です。

そこで、この「余計な事柄」に関し、特に具体的反論をしませんでした。

 

すると、裁判長は「控訴審に備える意味もあるので念のため当該箇所(「余計な事柄」)について具体的に検討してほしい」としました。

 

先生は「余計な事柄」に関して言及するのは本意ではありませんし、その義務はありません。でも、裁判長が特に勧めてくれたので「余計な事柄」に関しても反論しました。

 

そしたら、まさにその部分を根拠に原告敗訴の判決が導かれたのです。

 

私はこれを先生のように「検閲」とは思いません。が、許される訴訟指揮の範囲を逸脱しているのではないかとは思います。

 

先生はこれを「信義に反する騙し討ち」と表現されました。控訴用に起案したの準備書面の記述で一審で敗訴したら当然そうなります。

 

以上が私の解釈による、平山ブログの解説です。

【論評】NGT筑波大事件判決

 本件裁判は、大学教授に係る「学問の自由」と大学の持つ経営権が対立するなか、その適正な均衡点を探る作業であった。
 大前提として、「学問の自由」は日本国憲法が保障する基本的人権の一つであり、特に最高学府である大学においてその恩恵を強く受ける。戦前の美濃部の天皇機関説を待つまでもなく、施政者は常に学問を都合よく利用しようとするのであるから、学問のそれからの独立は民主主義を担保する大切なプロセスとなる。
 本件は、学問の自由の具現者たる大学が、こともあろうに所属教授の研究成果発表権を侵害し、機関リポジトリから削除するという「学問の自由の侵害」を行ったことにある。
 ところで、ほかの基本的人権がそうであるように、「学問の自由」も無制限に有効なわけではなく、「公共の福祉」に反しない範囲で尊重される。そして、「公共の福祉」の名のもとに不当な弾圧が加えられることがないよう、「学問の自由」をやむを得ず規制する場合にあっても、必要最小限の範囲で、適切な手続きの下でなされなければければならない。ましてや憲法擁護義務のある国立大学であれば、仮にリポジトリから削除するにせよ、被処分人たる平山教授の権利を尊重し「法定手続きの保障」(憲法31条)に配慮して、リポジトリからの削除手続きを進めなければならない。
 柳原弁護士が、裁判の早い時期に本件論文削除の学内手続きは行政手続法の趣旨に即してなされなければならないとした。これは、前記「法定手続きの保障」と同旨である。即ち、刑事で言うところの「訴因」が当初の「名誉棄損」から「プライバシー侵害」、「論文としての体さい」ほかと変化してゆき、罰条がコンプラ推進規則なのかリポジトリ規則なのかOA規則なのかもわからないなかで、厳格性を欠いた裁決で論文を過去に遡って「不受理扱い」にするという処分は平山教授の防御権が著しく侵害されているのは明白であって、広義行政組織の一つである筑波大学において許されるものではない。この点をも踏まえた国家賠償請求なのに、判決は言及していない。
 もう一つの問題は、学内各組織がその裁量権なり決定権なりをなにものにも忖度することなく、自由に行使できたか、である。乙11号証(青木レポ-ト)からもあきらかなように、学内各組織は「稲垣副学長の削除の方針」の影響を受けている。稲垣副学長のコンプラ担当副学長としての責任はコンプラ通報者(ここでは通知会社)と平山教授の間の中立的な立場に立脚すべきところ、判決30ページ付近が言及する範囲でも、稲垣副学長は論説が名誉棄損にあたるとの「予断」をもっている。推定無罪の原則に立てば、いわば「未決囚」として論説が一時公開停止になる.にせよ、調査委員会(沼田委員長)が結論を出すまでは、推定無罪(名誉棄損不成立)である。まして沼田報告書(乙4号証)が名誉棄損とはいえない」と結論した以降は、速やかに一時公開停止の解除、平山教授の名誉回復がはかられなければならない。ところが沼田報告書が「通知会社において名誉棄損に感じてもやむを得ない」と変に通知会社に同情的であったとこもあり、その後平山教授の名誉回復ははかられて行かない。考えてみると沼田報告書の通知会社への同情は、これ自体心情として沼田氏が中立的でないことの証明でもある。
 このあと触れるが、名誉棄損は論点が多岐に渡るので、「悪口イコ-ル名誉棄損」のような単純なものではない。このことが分かっていれば、不用意に「稲垣副学長の削除の方針」にばかり気を使い、平山教授の名誉に配慮しないのはバランス感覚としておかしいのである。このあとの2/1会議もこの延長にある。
 ところで、判決は「論説が遡及して不受理扱いされた(2/1会議)ことによりリポジトリ管理者たる図書館長が論文を削除したことに付き、図書館長の裁量の範囲で適法」とした。が、平山教授は20年4月に一時公開停止したことを含めてそれ以降の手続きの違法性を主張している。訴状でも指摘されているこの事項に、判決は答えていない。
 過去に遡って論文規則が改定されることは、これ自体おかしい。罪刑法定主義の立場からもおかしいし、一事不再理の立場に立てば、いったん受理された論文は不受理扱いとされ得ない。民事実務でも、過去に遡っての規則変更は、その有効性が限定的である。少なくとも直接的な当事者(平山教授)の同意は不可欠で、甚大な被害を受ける平山教授の同意なき論文規則の変更は無効である。いまも国会図書館に不受理扱いのはずの論文が蔵書されているのは、不受理であれなんであれ現実に存在するものを過去に遡ってないことには出来ないからである。法律の不遡及原則を熟知しているはずの裁判官は、不思議にもこの遡及変更を是認している。
 ここで、「名誉棄損」について触れる。公共性の高い事項は、国民の知る権利にも鑑み、名誉毀損とされにくい。通知会社の「総選挙」「リクアワ」に関しては、結果に下馬評との大きな乖離があり、不特定多数が課金し、国民的アイドルグループとさえいわれたAKB48の出来事であることを踏まえると、プロデュース48での不祥事との関連もあいまって国民的関心が高く、名誉毀損を構成するとは思えない。また、法人の名誉毀損には「慰謝料」の概念がなく、名誉毀損にかかる法人の損害額を算定して求償する。平山教授の考察によれば、この論説により通知会社等の法人価値はむしろ高まっており、通知会社に損害は存在しない。「総選挙」「リクアワ」が中止されたのは、経営方針の変更によるもので、この論文の影響ではない。そもそも、学者の研究成果は学者個人に帰属するので、大学において使用者責任論的な賠償責任は及ばない(正確には、教育者としての大学教授は大学の使用者責任が及ぶのでパワハラ案件で大学は賠償責任をおい得るが、研究者としての大学教授は大学に独立で大学に使用者責任は発生しない)。大学は事あるごとに大学のリポジトリ運営上の責任を強調するが、オ-プンアクセスそれ自体が、研究成果その他を広範に公開するものであって、登録された論文の品質や真実性は大学において 保証しているものではない。本件は、本来、平山教授と通知会社の間で解決されるべき紛争に、リポジトリから論文削除することによって、大学が通知会社に肩入れしすぎたともいえる。大学が産業界とは一定の距離を置くべきことは、言を待たない。
 最後に蛇足を。
 どうも判決は「被疑者のプライバシー権」の侵害を以って本件論文削除を相当としているように見える。そして新潟の裁判記録の一部が「本人申立により非公開」になっていることを以って、新潟地裁が被疑者のプライバシー権を重大視しているかの事実認定をしている(判決34ページ)。しかし、 民事の裁判官(鈴木わかな氏含む)には周知のとおり、裁判記録の非公開許可決定は疎明によって足りるとされ、比較的簡易に許可される。従って、このことは「新潟地裁が被疑者のプライバシー権を重大視している」ことを意味しない。
 「被疑者のプライバシー権」は人権問題の重大なテ-マではあるが、国民の「知る権利」とのバランスは常に考慮されている。で、本件では、アイドル界隈の厄介ヲタの形態を論ずるに必要な記号として被疑者の実名が言及されており、言ってみれば民俗調査のオ-ラルヒストリーの登場人物のようなものだ。だから、直ちに実名にしていいとはいわないが、実名に記号的意味がおおきいとき、アルファベットへの置換は意味をなさない。医学論文の臨床例が患者のプライバシーに配慮するような規範は、社会学にはない。よって実名の取り扱いはケ-スバイケ-スとなる。このとき、本件で論文削除が 必要なほど被疑者のプライバシーが重要とは私は感じない。この点判決は「被疑者のプライバシー権」を大きくとらえ、特段の検討を経ずに論文削除の原因とすることを認めている。
 以上、一審判決は錯誤が多く、控訴審では価値ある審理が期待される。       (了)
 

さて、NGT筑波大事件の判決日が近づいてきました。

 

2024年3月27日  13:10

東京地方裁判所   631号法廷

 

ここで、事件の主な争点と今後についておさらいをしておきたいと思います。

 

事件の主な争点は

1 論文は、名誉棄損であったのか

2 大学内での手続きは適法であったか

です。

 

これは、裁判長から心象として発言されており、原告も同じ意見です。恐らく両被告とも同じ認識です。

 

で、これまでの第1審では争点2「大学内での手続きは適法であったか」については、込み入った審理がなされてきました。

が、名誉毀損の成立そのものについては、あまり踏み込んだ審理はなされなかったように感じます。

 

 

ところで、被告大学は、原告本人尋問の反対尋問で、平山教授がどの程度調査を行ったのか質問しました。

 

 
これは、一見すると、被告大学が原告平山教授を責めているようみえます。
しかし、そうではありません。この反対尋問を通じて、むしろ原告平山教授が必要な調査を尽くしていることが立証されてしまいました。
 
被告大学代理人は
 
「関係者(今村、中井、荻野の各氏)へ取材しなかったのはなぜか」
と問い平山教授は

「直接調査は警察のような捜査機関でなければ難しい」

「今村さんは説明責任を果たさずメディアに出てこない。取材拒否は明白と考えた」

 

と答えています。

 

あまりにも当然の応答ですが、ここで平山教授が可能な限りの調査は尽くしていることを証言しています。

これは、質問する前から予測される証言です。

訴訟法上しなくてもいい反対尋問で、あえてふれなくてもいい事柄です。

 

本来なら被告大学は、

平山教授が調査を尽くしていない、

と立証して、平山教授の論文の妥当性を否定する立場です。

しかしながら、実際には「調査を尽くしている」旨の証言をさせてしまったのです。

なんで、こんなオウンゴールにみたいな質問をしたのでしょうか。

 

それは 論文が名誉棄損に当たることの立証を、そう主張しているヴァ社に求めたからです。

 

もとはといえばヴァ社(当時AKS)が

 

論文が名誉棄損に当たる

 

と主張して大学と平山教授に内容証明を送ってきたことに始まった本件において、学内手続きにおいてはもちろん、裁判開始後もヴァ社から論文が名誉棄損に当たる旨の積極的な立証がありませんでした。

ヴァ社からは、

「インタ-ネット上の根拠希薄な噂によって書かれた論文で、事実と異なるから名誉棄損に当たる」

と主張はありました(消極的立証)。しかし、事実を事実たらしめるような立証(例えばAKB総選挙の投票実績の細かいデ―タやその計数過程を挙げて、世に言われるような「不正」がないことの証明)について、積極的立証はありませんでした。

 

わざわざAKSの希望どおり論文削除してやった被告大学にとっては、AKSの立証活動の弱さは、歯がゆかったはずです。

 

このことは平山教授が論文執筆にあたって「関係者」に取材したとしても、インタ-ネットの噂を否定するような素材にたどり着かなかったであろう、ということでもあります。

 

いままで、本件は平山教授と筑波大学の間の「お家騒動」の様相をていしていました。この流れのなかでヴァ社は平山教授や被告大学に比べると主張、立証をしていませんでした。冒頭あげた 事件の争点1「論文は、名誉棄損であったのか」が、あまり審理されなかったことはすでに述べました。そして、裁判長の心象によれば「コンプライアンス委員会の調査委員会」(乙4号証)から「系委員会での論文不受理決定」(乙11号証)への連続性が不明であるとされており、争点2「大学内での手続きは適法であったか」ついては裁判所の心象は良くないのです。

 

すると、大学は 争点1「論文は、名誉棄損であったのか」に賭けたくなります。争点2で負けても、争点1で勝てれば裁判に勝てます。「名誉棄損被害の救済」は、「正当な学内手続き」より法益が高いからです。

 

被告大学による反対尋問のあとヴァ社による反対尋問がありました。傍聴していた私から見て代理人はかなり感情的になっていました。被告大学がボールを原告でなく、ヴァ社に投げたからだと思います。

 

論文が名誉棄損に当たることの立証するためと思いますが、選挙結果の数値に関する質問で、ヴァ社代理人から

 

地球に生物が住める確率

 

という珍論が出てきました。ヴァ社において論文を名誉棄損とすることの「積極的立証」が困難であることが発露した瞬間です。

 

判決がどうあれ、本件は確実に控訴されるでしょう。そして、控訴審での争点は「名誉棄損の成立」となり、「選挙違反の有無」がクロ-ズアップされていきます。

 

考えてみると、大学が無理くり論文を削除したのはヴァ社から「名誉棄損である」という強い主張があったからです。

学内調査委員会で「名誉棄損でない」という結論(乙4号)がでているのに論文削除を維持したのは、とりもなおさずヴァ社が名誉棄損だといったからです。

 

一審では

原告 vs 被告大学 & ヴァ社

でした。

 

控訴審では、名誉棄損の立証に関しては、

原告 & 被告大学 VS ヴァ社

となる可能性があります。

 

被告大学とヴァ社、ともに被告ではありますが、実は

同床異夢

なのです。

 

判決日が待ち遠しいですんね。

 

 

 

 

 

本日は、高島屋のいちごケーキ問題について私見を述べたいと思います。

まず、ご存じない方は、高島屋いちごケーキ問題ついて、こちらをご覧ください。

 

 

その後高島屋が会見を開き調査したものの原因特定は不可能としています。

 

 

 

さて、ここからが当垢の分析です。

まず、イチゴの相場をご覧ください。

 

 

例年10月から始まるイチゴの相場は、11月上旬に高値圏ながら安定し始め、その後流通量の増加とともに下落し、11月下旬から12月上旬に「底」を迎えます。そして、クリスマス、歳末、正月向けて再値上がりして、年明けは改めて値が下がっていきます。

すると、冷凍イチゴケーキを作る場合、11月下旬から12月上旬までの安値でイチゴを仕入れてケーキを作っておけば、クリスマスに製造することに比べて原材料コストを削減できます。実際去年は2週間程度の冷凍期間を設けていたそうなので、12月上旬にケーキを作っていたはずです。

しかし、今年(2023年)は気候の影響でイチゴが高騰し、本来底値が付くはずの時期に価格が思うように下がりませんでした。このような場合、高島屋の思惑としては、「もう少し待てば、下がるのではないか」と感じるはずです。ケーキに使うような大粒のイチゴをケーキ2900個分仕入れるのですから、わずかなイチゴ調達価格の上昇が大幅な荒利低下を招くわけです。そこは高島屋にとって「賭け」だったと思います。

そして、12月中旬、さすがに「底値」になるであろう時期に、非情にもイチゴ相場はクリスマスに向けた上昇を始めます。高島屋は調達のチャンスを逃しました。こうなってくると、調達コストを度返ししてもイチゴを集めなければなりません。ところが、この時期、大玉のイチゴはまとまった量を手配しにくい状況があります。何しろ他社もイチゴが欲しい時期なのです。

そして何とかイチゴを調達できたのは12月20日ころだったのではないでしょうか。そこから頑張ってケーキを作ると何とか23日に間に合うように出荷できますが、冷凍は不十分になりがちです。

 

もちろん、以上は私の私見であり推測です。

ただ、部外者の私でさえイチゴの相場データからこれだけ考察できることはわかっていただきたいのです。安易に「原因特定は不可能」なんて言ってはいけない。

恐らく、高島屋オンラインショップのイチゴケーキ担当バイヤーが、生鮮担当者のイチゴ流通に関する意見を聞いて、早い段階でイチゴを仕入れていれば、防げた事故です(生ものを物量的に多く手配するには早めに手配するほかないわけで、クリスマス納期厳守なら「待つ」という選択は、生鮮担当者ならしないはずです)。

私のつたない分析が当たっているかは不明ですが、デティールに踏み込み、背景要因まで分析してこそ「原因究明」が「原因究明」になるのはお判りでしょう。

製造元と運送会社に報告させた結果だけを見てで「原因特定は、不可能」なんて、私には調査不足に見えてしまいます。