◆あの日あの時… | 心と身体を整えて覚醒へ❣️心屋系〜アカシック透視カウンセラーhiromi

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心屋系アカシック透視カウンセラー♪
招福師 倭魔女・蓉妃院久絽 



2021年3月…

東日本大震災から10年。




その日、

私の住んでいる宮城県多賀城市にも

津波がきた。



自宅付近の津波の高さは1〜2m位。




自宅付近は川が近く、水害があるので

建て替えする家は1〜2m高く作ってる。




自宅も高く作っており、

それでも津波は、自宅の玄関上まで来ていた。



実際は、

近くの高台の小学校に

子供達を迎えに行ったまま避難したので、

津波が来たのを学校から見ていて、

自宅付近の状況は、

水が引いてからの翌日以降に分かった。




自宅から海までは4〜5キロ。

海なんて全然見えない所なんで

まさか津波が来るとは…




私も主人も、

長男の中学校の卒業式で

たまたま仕事を休んでいた。




卒業式で、身体が冷えたので

自宅から10分の銭湯に行っていた。



いつもは、

お風呂から上がって

ゆっくりするのに、

その日に限って何故か

主人に「すぐ帰ろ!早く早く」と促された。

と、車に乗った途端、地震‼︎



その後、

大通りを通って帰宅したが、

20分後、その大通りは、

渋滞となり、津波に襲われ

沢山の人が犠牲になっていたんだと

分かったのは、しばらく経ってから。




私と主人が休みだったので、

所有車2台もすぐ高台に移せて助かったし、

子供達とすぐ一緒に居る事ができた。




津波の到達時間前に、

近くの自衛隊駐屯地の方々が

大声で「津波が来る!逃げろー‼︎」と

騒いで回ってくれていた時の声は

今も鮮明に思い出せる。

 

避難所の小学校では、

当時の野球チームの皆んなと一緒だったので

親も子も、心強かったのを覚えてる。



子供達同士も一緒に居られたので、

寂しい思いもあまりせずに良かったのかも。




そこから、

ライフラインが復旧するまで

2週間位だったか、不便な日々だった。



当時勤めていた信用金庫で

3日後には仕事していたが、

ガソリンが無く、各自が

近隣の支店に歩いて出勤していた。   



沿岸部の支店は、連日、

亡くなったお客様や

流された通帳や印鑑の対応で大変だった。



食べるモノもままならなく

他県から本部に届いた支援物資を

各支店に届けてもらったり。



沢山の人に助けられて、

色々な方の協力を頂いて

生かされているを実感した日々。




不便だけど、

生きてるから、何とかなる!

そんな思いを持ちつつ過ごしたとき。




当時の同僚は、

家族を亡くしてる者も少なくなく、

何の力にもなれない自分の無力さを感じた。



生かされている命を大事に

これからも進んでいかないと、と思う。




そんな、あの時の事も、

ついつい日常の生活に惑わられ

忘れてしまう…




今日は、命を考える日。

そんな1日にしたい。

と思った10年目の震災の日。











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