弓道ひとすじ山本忠欣 | 頂点を目指すアスリートのコンンディショニングするトレーナー 山本高史

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令和6年4月11日22時15分

89歳の生涯を終えた父は、

1962年に広島県立広島工業高等学校へ赴任し

弓道同好会を設立して後、令和6年3月21日の最後の指導まで

父にとって弓道は単なるスポーツではなく、一生を通じて追求する生き方そのものでした。

 

弓道の道具である

弓・矢・弦・かけの開発等を弓道具店と共に作り上げ

競技としての弓道カタチを変化させ、

時には、当たりすぎるので禁止となった広工射法

 

インターハイ3回の優勝

国体・選抜大会の優勝・準優勝は数々

しかし、シルバーコレクターと言われるくらい、

苦い思いをすることも多かったようです

 

弓道同好会の時から父を支えてくださっていた

同窓会副会長の方の弔辞
現在も広島工業高校で弓道部をしてくださっている顧問の先生のお話

父山本忠欣の弓道の功績をスライドショーにして説明してくださったり

 

513名り卒業生の中、偲ぶ会は100名以上が参加してくださってました。

 

家庭を顧みず大変ですねって言われるくらい

遠的の道場は、広島県内の高校では唯一のようで

日々練習できる環境づくりには尽力してきたことが成果につながっているようです

 

会の終りに、普通の会なら皆さんの献花がありますが

弓の弦音を献花がわりにする、献弦というのを弓の弦を弾いて行われました

 

弓の経験のない、子ども達は戸惑いましたが

それなりに弦音を出してましたね

 

 

その後は、追悼射会へと移り

卒業生の方の納射、初めてみました。

 

甥っ子達は弓道経験者ですので、

彼らがまずは、矢を射ることからOBOGの方がどんどん弓をひかれ

在校生達、そして、1年生はまだ矢を射るところまでは至っていないそうで

ゴム弓で今の成果を披露

 

そして、最後に納射をして会は閉会していきました。

 

遠くから来られた方は、久々の県工道場で練習をされてましたね

 

この道場には、小さいころは、キャンプ代わりに合宿に来て

生徒の足元をくぐって怒られたりしてました思い出の場所

 

 

広島工業高校の校長先生は、会の最初から最後までご参加頂いて

「これだけの人を集めることができる方はいらっしゃらないですね」

とご挨拶の時に一言いただきました。

 

OGの方が父の後を継いで、外部指導者として弓道部を支えてくれることになっています

彼女は、現役時代は、インターハイ・国体・選抜を優勝しているメンバーの一人

実力もあって、追悼射会では、生徒の見本となるようにされてらっしゃいました

 

父の使っていたものを、道場に置いて欲しいですと

卒業生の方々に言って頂きましたので、

色々持って道場に挨拶に行きたいと思います。