アバウト福田のこんな感じ -2ページ目

アバウト福田のこんな感じ

インターネット活用コーチ 福田浩です。
コーチングのこと、インターネットのことなど、思いつくままにお話しします。

夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^_^)v

 

姪っ子が、アーロと少年を見に行ったそうです。

感激して三回も泣いたんだそうですよ。

 

子供の頃に強い印象を持ったことは、何かあったときに思い出します。

そして、そういう経験をさせてもらえたことに感謝する気持ちが湧いてきます。

姪っ子も毎日楽しそうに見えますが、自称思春期だということでいろいろ有るようです。

良い思い出を作って欲しいですね。

 

さて、「話し方の心理学」を進めていきます。

 

人は同時に二つのことに集中することは出来ません。

 

聞き手の気を引こうと待ち構えているモノが無数にあります。

話し手は、そんな聞き手の関心を引き続けなければ、話に集中してもらうことは出来ません。

 

そのために本書では4つの方法を提案しています。

  1. 本題からそれない
  2. 一度の発言を短くし、相手に伝えたいことは一つずつ間隔を置いて伝える
  3. 相手がすでに知っていることは話さない。
  4. 出来るだけ具体的な言葉を使う

本題からそれない

思ってることを要領よく伝えるためには、無関係な情報をそぎ落とすことです。

話の冒頭で、だいたいの方向性を知らせ、続いて核心部分を伝えます。

相手の思考をストップさせないように注意しましょう。本題に関係のあることでも聞き手にピンとこなければ、それは聞き手にとって無用な情報と取られます。

 

話し手が本題とは無関係な話をするのは、本題から逸れたくないという気持ちを上回る願望があるからです。

自分の感情を表現したい、単なる情報交換では無く相手との人間関係を築きたいといった話し手の願望が話をわき道に導きます。

しかし、話し手は自分の願望から話をわき道にそらしているという自覚はあんがいありません。

 

「今言おうとしていることは本題を理解してもらうために役立つだろうか」と自分に問いかけてみましょう。

自分の欲求を無理に抑える必要はありません。本題から逸れるときにはそれを意識し、いつでも本題に引き戻せるようにしましょう。

一度の発言を短くし、相手に伝えたいことは一つずつ間隔を置いて伝える

話の長さも重要です。聞き手の集中力は途切れやすいものです。

 

相手に何かを伝えるときには、一度に一つだけと決めましょう。

聞き手は一つ何かを言われたら、それを消化してからでないと次に言われたことを吸収することは出来ません。

また、何かを教えたりアドバイスするときは一度に20秒以上しゃべってはいけません。

それ以上長くなると、聞き手は聞いたことを飲み込めなくなります。

聞き手が話を理解するには、言葉を受け止めてからそれを自分の頭で考える時間が必要です。今聞いたことを考えようとしているのに、すぐに次のことを言われては考えることも聞くことも出来なくなります。

話し手は、内容を一つに絞り、一つの話題の後で相手にコメントを求めると良いでしょう。

コメントを求められると聞き手は話の内容を理解しようとします。

 

頻繁に話の内容を確認し、大事なことは続けざまに言わないことが大切です。

矢継ぎ早に断片的な情報を渡されても、聞き手はスピードに追いつけません。

修飾語の数は一度に二つ以下にしましょう。修飾語は頭の中に描くのに時間が掛かります。

修飾語を四つ以上使いたいときは、二つずつに分けるか、修飾語の間を開けて説明を加えます。

相手がすでに知っていることは話さない

同じ内容を繰り返されたり、分かりきったことを言われたりすると、聞き手は話を聞こうとする意欲が薄れます。

あまりに分かりきったことを聞かされると聞き手は退屈になり、こんなことも知らないのかと愚か者扱いされているように感じます。

あまりに同じことを何度も繰り返されることも、理解力に欠けているのかと思われているのではないかと気を悪くします。

 

なぜ話し手がそういう事をするのかというと、それは会話に情報伝達以上のものを求めているからです。

相手と気持ちを通じ合わせたい、感情を表現したい、相手が理解していることを確信して安心したい。そういう気持ちを抑えられないからです。

 

聞き手の関心があちこちに飛ぶ中で、話し手が同じ内容を繰り返すことで、聞き手の頭に内容を残りやすくするという効果があります。

また、一度目に聞き逃したことを二度目にキャッチすることもあります。

 

同じ内容を繰り返すときには、新しい情報を加えることです。

そうすることによって、より豊かな情報を伝えることが出来ます。

伝えたい感情があるのであれば、エピソード、理由、予測される結果。背景や事例、代案を加えるなど、聞き手の頭に心地よい刺激を与えるようにそれを一工夫して伝えてみましょう。

出来るだけ具体的な言葉を使う

ものを表す言葉、行動を表す言葉はイメージが湧きやすい具体的な言葉です。

抽象的な言葉は、カバーする範囲が広すぎてイメージすることが困難で、話し手と聞き手の間で思い浮かぶイメージが食い違います。

 

しかし、複雑な思考や次元の高い知的活動を言い表すには、抽象的な言葉が不可欠です。

抽象的な言葉を使うときは、言いっ放しにせず、続けて具体的な言葉で例を挙げたり説明したりするようにしましょう。

夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^_^)v

 

甥っ子が子供を連れてきました。。。もう赤ちゃんと言わない方が良いのかなぁ。

姪っ子と約束していたようです。優しいお兄ちゃんですね。

姪っ子はしばらく固まっていましたが、お兄ちゃんが自分の部屋に誘うと、三人で遊んでいたようです。

「パパァ」と言いながら、甥っ子を追いかけ回しています。

姪っ子に感想を聞くと、「楽しかった」そうです。

長い時間ダッコしていたので、腕が痛かったんだって。

 

さて、「話し方の心理学」ですね。

 

今日のお題は、「解釈を確認する」としました。

 

同じ言葉でも、人それぞれ異なったイメージを抱きます。

例えば、「椅子を買った」と言えば、機能としての「椅子」が思い浮かびます。

「茶色いレザーの安楽椅子」と言えば、もう少しイメージが絞り込まれます。

話をすると言うことは、こういうピースのやりとりです。もっと詳しく知りたい、伝えたいとなるとピースを増やしていきます。

 

一方で、私たちの思考はより詳細な、具体的なところからスタートします。

普遍的な「椅子」をイメージすることは出来ません。とりあえずある特定の椅子をイメージし、それを普遍的な椅子の代わりにします。

そして、その椅子は人によってさまざまです。

 

話をすると言うことは、話し手が頭の中にあるイメージのある側面を言葉にして伝えることから始まります。

聞き手はその説明から自分なりのイメージを描きます。

このとき、話し手と聞き手のイメージが重なることはまずありません。

なぜなら聞き手が話し手から受け取っているのは、話し手のイメージのごく一部だからです。

残りの部分は聞き手の願望や関心、これまでの経験から補われます。

 

多くの場合、イメージのズレがあることは必ずしも問題にはなりません。

ところが場合によっては、このイメージのズレから大きな誤解が生まれることがあります。

 

私たちは、言葉の力を過大評価しがちです。

言葉が伝えるのは、ものごとの一断面に過ぎません。

肝心な点を言葉で明確にしないままで会話を進めていくと、自分のイメージが相手に伝わっているという錯覚を抱いたまま、話がどんどんズレて行ってしまいます。

 

本書では、このような誤解を防ぐ方法として、以下を提案しています。

  1. 「事実」と「解釈」とを混同しないように内容を確認する
  2. 会話の途中で互いが抱いているイメージを比較する
  3. 相手の言葉に対する解釈をフィードバックする
  4. 確認して考えを改める

「事実」と「解釈」とを混同しないように内容を確認する

話し手が何かを伝えるとき、事実に自分なりの解釈を織り交ぜてしまうことはよくあります。

聞き手は事実と解釈が細切れに入り混じったモノを全て事実と解釈してしまいます。

話し手は、聞き手が混乱することが無いように、事実だけに限定して言葉にし、状況説明や解釈は区別して話しましょう。

 

正確な事実を見分けるには、相手の話をすべて事実だと仮定して頭の中で再現し、「それならこの部分はこうですか?」「こうは考えられませんか?」と自分なりに補足して相手にフィードバックします。

会話の途中で互いが抱いているイメージを比較する

会話とは本来食い違いの連続です。会話が進むにつれて頭の中で抱くイメージは変化しますが重なることはまずありません。

ですから、正しく伝えるには、ときどき互いのイメージを比較し、確認する必要があります。

相手の言葉に対する解釈をフィードバックする

話し手は、正しくイメージをしているのか聞き手が確認するよう催促しましょう。

その際に、相手が使った言葉をそのまま使わないことがポイントです。同じ言葉をそのまま使うと「言葉が伝わった」と安心しますが、「イメージが伝わった」ことは確認できていません。

別の言い回しで「私はこのように受け止めた」と説明しましょう。

 

相手に確認しないかぎり、相手の意図が伝わったとは言えません。

相手の言っていることを自分が理解しているという思い込みは捨てましょう。

確認して考えを改める

自分の考えはこうだというはっきりしたイメージが無いまま会話をしているとき、相手からのフィードバックがきっかけで曖昧になっていた部分が明確になることがあります。

また、表面上は辻褄が合っているようでも、実は理屈に合っていないことを言ってしまうことが有ります。聞き手が話し手に確認することで、話し手が考えを改めることがあります。

 

相手の言葉から相手の意図を100%知ることは出来ません。

私はあなたの言葉をこう解釈しましたと確認し、相手にもこちらの発言を確認してもらいましょう。

 

相手のことは「分からない」からこそ「分かろう」とします。これがコミュニケーションです。

分かった気になってしまったら、コミュニケーションは上手く行きません。

言葉に対して謙虚になること、これがコミュニケーションをより良いものにする秘訣かも知れません。

夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^_^)v

 

姪っ子とリップスティックの練習です。

ずいぶんと上手になりました。

 

乗ってみるとね。意外と難しいんですよ。

「どんな感じ?」って聞いてみると「楽しい」って言うんですね。

「怖くなかった?」「最初から楽しかった」

 

これからどんどん上達するんでしょうね。

 

さて、「話し方の心理学」ですね。

 

今日は、「言葉に託されたメッセージを読む」と言うところですね。

 

僕も最近は「なぜ相手がその話をしてるんだろうか」というところに興味を持つようになってきました。

ちょっと前まではね。そういう事は分かっていても無視していたかも。

「論理的な正しさ」を第一義にしていたように感じます。コンピュータのプログラミングであればそれでOKですからね。

ここに「相対の絶対化」という罠が潜んでいるなぁと...このことは別にブログに書こうかな。

 

話を戻して

一般に、会話の中で伝えられるメッセージには、直に伝わる明快なメッセージと、水面下で伝えられる潜在的なメッセージがあります。

潜在的なメッセージは発言者の本音です。

話し手には、聞き手の言葉の裏にある真意を推し量ることが求められます。

 

潜在的なメッセージは文脈全体から判断しなければなりません。

また、話のスピードや間の取り方にも潜在的なメッセージは隠されています。

他にも思い当たることはいくつかありますね。

 

人が明快なメッセージと潜在的なメッセージを使い分けるのには、理由があります。

社会の一員として暮らすには、法律や道徳、習慣、エチケットなどのルールがあります。

こうした人為的なルールは必ずしも私たちの本性と一致しません。

そこで、ルールに従うためには自分を曲げなければならないことがあります。

 

こうして人は「ルールを侵害しないメッセージ」は明快な言葉として表現し、「ルールを犯すかも知れないメッセージ」は水面下に潜るようになりました。

 

私たちは潜在的なメッセージを巧みに使います。

自分を持ち上げたり、相手を拒絶したり、権威を貶めたり、要求したり、好意を伝えたり、コントロールしたり。

 

本書では潜在的なメッセージの活用法として5つ挙げています。

  1. 自分をアピールする
  2. 人を攻撃する
  3. 要求を出す
  4. 人をコントロールする
  5. 愛情を表現する

自分をアピールする

認められたいという強い願望と謙虚であらねばならないというルールの間に挟まれて、人は高度に自慢の技を磨いてきました。

人はさまざまな自画自賛のメッセージを間接的に伝えます。それは「認められたい」という気持ちの裏返しです。

こうした潜在的なメッセージを受けとったら、相手の正当な能力を言葉でしっかりと肯定してあげましょう。

そうすれば、気持ちを察してくれたと、相手からは評価されるでしょう。

 

人を攻撃する

怒りにまかせて罵る、罵倒する、などあからさまな攻撃では人は案外傷つかないものです。

それより怖いのは、客観的な批判を装い潜在的なメッセージでぐさりと刺す、冷静な言葉のほうです。

ここでは間接的な攻撃を4つ挙げています

  1. 人と比べて貶める
  2. 軽視する(うわべだけの賞賛や辛辣な批判もここに入る)
  3. からかい(あてこすり、皮肉)
  4. 悪口

誰かと比べて貶めることは、人をうんと傷つけます。

なぜなら、人は良くも悪しくも人との違いを気にするからです。

まず、相手の人格を攻撃したり、相手を誰かと比べて貶めることは止めましょう。

怒ることは良いけれども、攻撃の対象は行動そのものに限定し、相手の人格を否定しないこと。

攻撃の対象にされた場合は、相手の言葉がそのまま自分に向けられたと思わないこと。

相手が怒りを抱えていることを見逃さないで、相手に話をさせて怒りの発散を助けてあげましょう。

 

次に軽視する。人を取るに足りない存在だとして扱う。

これは当事者に自覚が無いこともあります。特に自分のことが気になっている、自分のことに意識が向いているときにこういうことがあるように僕は思います。

 

誰かを褒めるときは心の底から褒める。

人に対して何か100%気に入ることは少ないもので、プラスの気持ちとマイナスの気持ちがあるものです。

それを平均すれば、誰でも平凡な人、取るに足りない存在に見えてしまいます。

素晴らしいと思うところは称え、気に入らない部分は率直に批判する。

プラスとマイナスとキチンと分けてこそ、その人への関心を示すことが出来ます。

 

からかいの狙いは、相手を挑発することです。

からかっている本人には「怒り」を抱え込んでいます。

正攻法で発散することが憚られるときに、怒りをさりげなく「からかい」「あてこすり」「皮肉」にすり替えます。

 

多少の悪口には害はありません。面白くない気分を発散しているだけです。

しかし、執拗な個人攻撃を企むのであれば別です。

 

人を攻撃されたときは、相手が率直に表現できない怒りを察してあげましょう。

こうして相手の気持ちを解してあげているのだと思えば、ムキになってやり返そうという気持ちも無くなるでしょう。

 

要求を出す

相手に明示的に何かを頼むかわりに、自分の欲しいものを述べることがあります。

この場合、要求が叶うかどうかは相手の善意に掛かっています。

このような要求を巧みに使えば、こちらは欲しいものが手に入り、相手は自分の方から相手の要求を叶えてあげるような喜びを味わうことが出来ます。

 

これは優雅な方法ではあるけれども神経を使います。

要求するときは明確に要求しましょう。人は率直に頼まれることを望むものです。

 

このような要求を受けた場合は、明確に要求されたときと同じ対応をしましょう。

要求を理解したこと、どこまで答えられるかを伝えましょう。

知らぬふりをして無視すると、あらぬ誤解を受けるかも知れません。

 

人をコントロールする

相手の自尊心をくすぐって、それと引き替えにこちらの要求をのませる巧妙な手法です。

人から賞賛されたいという気持ち、自信の無い人に対する「そんなことは無いですよ」という言葉、自分の価値観や下心に訴える言葉に人はコントロールされがちです。

 

そういう気配を感じたら、相手が薦めていることと相手の本当の目的を切り離して考えましょう。

薦める内容をよく点検して、薦めに乗ることが自分にとってプラスになることなのか考えましょう。

 

愛情を表現する

自己主張、攻撃、要求、相手をコントロールするための会話を除けば、全ての会話は愛情を表現していると言えます。

相手を否定しようとする気持ちが無い限り、相手に愛情を伝えることは出来ます。

 

相手に愛情を届けたいのであれば、自分のことを自慢する、相手を攻撃する、相手に要求を出す、相手をコントロールしようとする、と言ったことを会話から無くしてしましょう。

 

相手の伝えてくる「潜在的なメッセージ」に注意を向ける練習をしてみましょう。

会話がより豊かなものになることでしょう。

夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^_^)v

 

リップスティックを手に入れた姪っ子は、夢中みたいです。

YouTubeでリップスティックの乗り方を覚えようと言っているのに、見ていると乗りたくなるんでしょうね。ベランダに出て練習しています。

今日は、友達と遊びに行ったのですが、すぐに自分のリップスティックを取りに戻ってきました。

「だいぶ乗れるようになったで!」とご機嫌です。

 

上手に乗れるようになると良いですね。

いつかお兄ちゃんの子供に教えてあげているのかもしれません。。。そのまえにお兄ちゃんに教えているかな。

 

さて、「話し方の心理学」のお話しです。

今日は、「感情と向き合う」というお題にしました。

 

 

人は何かを強く感じると、身体に緊張が走り、それをどうにかしたいと考えます。

特に不快な感じを覚えると、それから逃れようと行動を起こし、快適な状態を作ろうとします。

怖れを感じるとそれを取り除こうとして行動をするように、喜びに対してもそれを発散できないと不快な感じを覚えます。

 

そして、現代の抑制的な社会では、感情を発散するための最強の手段の一つは「会話」です。

つまり、会話は単に「意見を交換する場」だけではなく、「感情を発散する場」としても機能しています。

 

ところで、こんな話を聞いたことがあります。このブログでも紹介したことが有りますね。

ヒトは昔、アフリカで木の上に住んでいました。そして、ある時から木から下りてきて草原で猛獣とともに暮らすようになりました。

ですから、ヒトは脅威を感じると「ライオンに襲われた」ときのことを思い出すんだそうです。

ところが、現代のヒトは、ライオンと違って、「ずっと隣に居る脅威」と暮らしている。

現代人の「ストレス」は、昔の比では無いんだそうですね。

ヒトはその時代の変化に耐えられるように進化しているわけでは無い...

 

アンガーマネジメントの6秒ルール、このブログでも紹介しましたね。

6秒間待てば、ライオンに追いかけられているわけでは無いと言うことに気付くのでしょう。

 

一般に、どんな状況でどんな感情になるのか…ということは予測できません。

感情と現実社会は必ずしも連動していません。

感情には、本人が意識していない原因…アドラーは目的というのでしょう…が、現実社会のキッカケによって表面化するという側面があります。

したがって、相手の感情を予測することは不可能です。

 

本人が意識していない「原因」を隠蔽して、キッカケになった事柄を「原因」にすり替えられてしまうことが往々にしてあります。

聞き手の不快な感情に出会ったとき、話し手はなんとか「説得」しようとしたくなります。

理を説けば考えを正してくれると信じたいところですが、それは聞き手の罠に嵌まっただけのこと、的外れな説得は上手く行きません。

 

そういった人の感情に対処する方法を本書では三つ挙げています。

  1. 感情を表現させる
  2. 相手に自分自身の感情を自覚させる
  3. 批判せず、相手の感情を受容する

1.感情を表現させる

感情は緊張を呼び、発散する場所を求めます。

感情を発散させて緊張を緩和するまでは、聞き手は話し手の言葉を受け止めることは出来ません。

ですから、話し手は、聞き手に「話をさせる」ことに集中します。

 

2.相手に自分自身の感情を自覚させる

感情を表現しているうちに、聞き手は自分の感情を自覚することもあります。

しかし、自分でも知りたくない、相手にも悟られたくない、無意識のうちにそういう感情を持っている場合は、話し手は聞き手の気付きを促すことが必要になる場合も有ります。

 

相手が自分の感情を点検できるように働きかけましょう。

ダイレクトに指摘するのでは無く、さり気なく尋ねてみます。

また、相手が話しやすい状況を造り、助けになれるかも知れないと協力を申し出ます。

 

3.批判せず、相手の感情を受容する

自分の気持ちを強く主張しているとき、感情が高ぶっているとき、その気持ちが暴走して止められなくなることを、多かれ少なかれ人は恐れ不安になります。

 

特に怒りは暴力を連想させます。

しかし、話し手はそんな聞き手の激しい感情におののいたり、危険を回避しようとして相手の要求をのんだり、やりたいことを諦める必要は多くの場合ありません。

 

怒りが暴力に結び付くことは実際には例外的なケースで、しかも一時的なものです。

怒りは決して危険なものでは無く、私たちの身体に備わったごく自然な反応に過ぎません。

 

相手の感情が高ぶっている時には、とりあえずそれを受容して相手を楽にさせてあげることです。

感情を抑えられないのは当たり前のこと、私たちに出来ることは感情と上手く付き合うこと。

大切なことは、相手の怒りや不安が自然な感情であり、何も心配することは無いと相手に伝えることです。

 

自分の感情を否定すると、知らず知らずのうちに感情にコントロールされてしまいます。

自分の感情に目を向け、判断を加えずに受容するよう努めましょう。

自分の感情も相手の感情も上手く引き出しましょう。

 

感情を内側にためていると、それを引き起こした原因を大げさに考えるようになってしまいます。

感情を言葉にして表に出してしまえば、原因を実物大に捕らえることが出来ます。

 

上手く行けば、緊張が和らぎ、冷静に対処できます。

そうなるまで、話し手は聞き手を待ちましょう。

夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^_^)v

 

姪っ子の友達の間で、「リップスティック」なるものが流行っているらしい。

Lipstick?口紅?

そういうことで、今日は姪っ子とハーバーランドのトイザらスへ。

 

これがリップスティック、ようするにボードですね。

ひねることで前に進めるようになっているようです。

 

ハーバーランドからとんぼ返りで帰ってきた姪っ子は、電車から降りるとすぐに友達に電話。

「行ってき」というや否や、友達の遊んでいる公園に走っていきました。

 

「上手に乗れたん?」「まだ」。。。明日は練習に付き合わされることでしょう。。。寝不足になりそう(^_^;)

 

「話し方の心理学」ですね。

 

 

ええっと、前回は「話に乗ってもらう」というところでしたが、今日は「相手の考えを引き出す」です。

「話し方」と言っているのに、相手に話をさせるのか! 僕もそう思いながら読んでいました。

でもね。読み進めていくと、その意味が腑に落ちてきます。

 

私たちにとって、最大の情報源は人ですね。

そして、情報を出してくれるかどうかは、相手次第です。

たとえ権威を振りかざしても、強引な態度に出ても、話すかどうかは相手次第。

から、相手が「話したい」と思わないと、情報を得ることは出来ない。

 

どうすれば、相手に話をしてもらえるか。

いろんな事があると思うんですね。

相手に充実感を持ってもらう。相手に関心を持つ。自分の話を交える。相手の心配事を除く。。etc...

質問は相手への要求ですから、相手の気持ちを無視した態度をとると、途端に答えたくなくなります。

 

もちろん、相手は質問に無関係な話をすることがあります。。。僕も最近そういう事がありました(^_^;)

そういうときは、無関係だと思っても話しに耳を傾ける。相手もそれを楽しんでいると思うし、なぜ相手はそういうことを話すのかというところにも興味があります。

 

情報を仕入れることに必死になると、一問一答の形になりやすい。

そういうときは、相手は、なにかモノを調べられているような気持ちになりがちです。一生懸命なのは分かるんですけどね。

そういうときは、「一緒に会話を創り上げているんだ」ということを思い出して、自分のことを話したり、感じたことをコメントするなど、相手を人として信頼していること、関心を持っていることを表す。要するに「会話をする」ことを考えると良いかもしれません。

 

質問をするときには、まずウォーミングアップが必要です。

答えやすい質問から、迷わずに答えられる質問からはじめましょう。

会話が進み始めるまで、核心の質問はちょっと置いておきましょう。

 

次に「具体的な質問」と「抽象的な質問」を組み立てていきます。

 

具体的な質問とは、特定の事実を尋ねるもので、回答の範囲は絞られます。

「範囲を絞っている」のは質問者であって、回答者はあまり考える必要はありません。

抽象的な質問とは、単純な問いかけ、相手に何かを話してもらうための刺激です。

話がどう転がるかは、質問者から見て、ある程度成り行き任せになります。

 

もちろん、具体的な質問と抽象的な質問の間には、無数のレベルがあります。

 

抽象的な質問と具体的な質問、それぞれの利点について、本書は以下のような例を示しています。

抽象的な質問の利点

  • 相手の意見を大まかにつかむことが出来る
  • 相手の考えの意外な側面を知ることが出来る
  • イエスかノーかで答える質問ではカバーしきれない相手の思いを知ることが出来る
  • 相手をもっと活発に会話に参加させることが出来る

具体的な質問の利点

  • 有る特定の事実を確認する
  • 両者の考えを比較検討しコンセプトにズレが無いことを確認する
  • 相手の立場を明確にする

具体的な質問は答えやすく、抽象的な質問は相手に何かを考えることを要求します。

ですから、答えやすい「具体的な質問」からはじめ、相手が会話に入ってきたら抽象的な質問に移り、相手の答えを手がかりに具体的な質問をする、といった質問の組み立てをします。

 

抽象的な質問を上手く使いこなせると、相手から情報を効果的に引き出せるようになります。

ここで、本書から面白い表現を見つけました。

真実をまったく話せないことよりもつらいのは、事実を半分しか話せないことである。

相手からたくさん情報を引き出すためには、相手にたくさん話してもらうことです。

そのために抽象的な質問は役に立ちます。

 

1.イエスかノーかで答えられない質問をする

相手が詳しく説明をしなければならないような質問をします。

 

2.「どう思いますか?」「どうやって?」という問いかけの言葉をつける

何かの説明を求める言葉を使います。

「いつ」「どこで」を尋ねる質問は具体的な質問に分類されます。

 

3.キーワードを復唱して相手に返す

相手の言葉を復唱することは、その件についてもっと知りたいというサインになります。

 

4.要約して返す

相手の話した内容を自分なりに要約して投げ返します。

異議があれば理由を説明するでしょうし、相手が別の新しい情報を追加することもあります。

 

今日の内容は、コーチングの教科書によくあるようなお話しになってしまいました。

この「具体的な質問」と「抽象的な質問」を意識すること、組み合わせること、これはとっても大事。

これが出来ると会話はぜんぜん変わってきますね。

本書には、実際の会話例などが載っていて、とても分かりやすいです。

 

シャイン先生の「プロセス・コンサルテーション」を読みたくなったので、注文しました。

「話す」ためには「聞く」ということが、とても大事なんだと、最近は本当にそう思います。

 

 

 

 

夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^_^)v

 

最近、会話の中に「ナチュラルプランニングモデル」という話題が出てきたので、整理しておこうと思います。

これは、GTDという考え方から知ったアイディアです。

 

ナチュラルプランニングモデルですが。

僕はいつもお気に入りのLIFEのメモを持っていて、「すぐに出来ないこと」については、日付・内容と「次に何をするのか」を書くようにしています。

ToDoリストのように一枚に何項目も書くのでは無く、一枚に1項目というのがポイントです。

そのメモの最初の一枚に「ナチュラルプランニングモデル」を書いています。

 

 

ナチュラルプランニングモデルというのは、脳の自然な思考プロセスですね。

このプロセスを意識してコーチングをしたり、自分の行動をするように心がけています。

 

まず、目的と価値を見極める。

 

行動の前には「なぜ、それをするのか?」ということがあります。

なぜそれをするのかを考えることの価値について、「全面改訂版 はじめてのGTD ストレスフリーの整理術」には、このように書かれています。

  • 成功の基準が定まる
  • 意志決定の基準が出来る
  • 必要なリソースが分かる
  • モチベーションが上がる
  • 焦点が明らかになる
  • 選択肢の幅が広がる

次に結果をイメージすることです。

結果がイメージできる、成果物が見えてくると、そこに至るためのアイディアが浮かんできます。

そうすると、頭は自動的にそれを整理しはじめます。

 

次のブレインストーミングでは、頭の中に出て来るアイディアを頭の外に出します。

頭の中だけでブレインストーミングをすると数分で疲れてしまいますが、それを外に出すことで長時間、多くのアイディアを整理することが出来ます。

 

そうして、頭は自然と思考を整理しようとし、足りないところを補おうとします。

大切なことは、それを「頭の外に出す」つまり、記録することだと思います。

 

最後に「次にとるべき行動は何か?」という質問に答えます。

 

ほとんどのことは、頭の中だけで、「項目と次にとるべき行動」だけで済みます。

複雑な問題であれば、紙に書くだけでもずいぶんと違います。

 

コーチを付けると、グンと効率よく出来ると思いますよ。

夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^_^)v

 

今日は姪っ子がクレープを作っていました。

 

最近は、台所で何かしていることが増えてきたように思います。

姪っ子が作ってくれたモノは、まだまだ崩れていたりしますが、それでもだんだん上手になっていくように思います。

なによりも楽しげに作っているところが微笑ましいです。

 

さて、「話し方の心理学」のお話しです。

 

 

前回は、相手がロボットだったらコミュニケーションは簡単なんだと言うことから、伝えることの難しさについてお話ししました。

 

今日は、じゃぁ、どうやって相手に話しに乗ってきてもらうかというところですね。

 

会話は「意見を伝える」ものであると同時に「感情を伝える」ものでもあります。

論理的に伝えたいという気持ちと、自分の感情を発散させたいという気持ちが会話の中で争っています。そして感情が会話をぶつ切りにしてしまいがちです。

 

上手く話をするコツは、感情を無理に抑え込むのでは無く、情緒的な要素を上手に話しに取り込むことだと筆者は言います。

 

相手が「聴く耳を持たない」とき、理屈では無く、ただ拒絶するために抵抗しながらも、微笑み、頷き、共感の態度をしめしているという場面はありがちです。

シャイン先生の「人を助けるとはどういうことか」にも詳しく書かれていますが、話をする前に「相手との関係を作る」「相手に気を配る」というところがありますね。

 

 

会話に乗ってもらうための三つの方法が紹介されています。

 

  1. 会話の目的を告げてから会話に入る
  2. 相手の気持ちを尊重する
  3. 的外れな質問を受け止め、なぜそのような質問が出るのかを考える

まず、「会話の目的を告げてから会話に入る」というところですね。

もっと一般的に言うと、聞き手は話し手に対して警戒心を持っている。と言うことなんだろうと思います。

 

聞き手は、話し手がなぜそういうことを言うのか、推測しながら聞いています。

多くの場合、その推測は「ネガティブ」になりがち。。。その話に乗るな!という気持ちになり、身構えることになります。

 

ですから、話をする前というのが、とても大切ですね。

コーチングをしていると、これはね。本当にそうだと感じます。

「目的を告げる」というのは、その中の一つ。

相手の不安を解消する工夫をしたいものです。

 

次に「相手の気持ちを尊重する」

 

話をするとき、単に話に現れる「情報」だけではなく、「相手が自分をどう思っているのか」といった「言外の」情報もやりとりされています。

人は自分が敬意を払われていないと感じると、簡単に心を閉ざしてしまいます。

 

ここで、良い言葉があるので紹介します。

会話をするとき、頭の中で相手と入れ替わって自分の言葉を聞く立場に立ってみよう

なにか、自分が「正しいこと」を言っているときなどに、聴いている相手の気持ちになれないことがあるように思えますね。

 

最後に、「的外れな質問を受け止め、なぜそのような質問が出るのかを考える」です。

 

その質問を「的外れ」だと感じるのは、話し手の立場であって、聞き手にとっては意味があります。

話し手と聞き手の関心は必ずしも一致しません。聞き手の「的外れな質問」は話し手にとっては重要な情報源です。

 

会話は論理と感情のせめぎ合いの場であると考えてみる。論理的な話し合いをするためには、相手が会話に感情を持ち込むのを認めることだ。すると相手もこちらの論理に耳を傾けようという気になる

会話の途中で聞き手から本題と論理的に繋がらない話が出てきたとき、それは聞き手の頭の中で会話と同時進行で別の思考が進んできて、それが口に出たもので、決してその場の思いつきでは無いと筆者は言います。

会話の途中で話が飛ぶのは、話し手がそう感じるだけで、聞き手にとって必然的な流れだと言うことです。

 

会話の主導権を奪われまいとすると、こういう聞き手の言葉を聞き逃してしまいます。

会話はただ交互に言葉を交わすことではない、ともに歩み寄って考えるという行為なのである

会話は常に話し手と聞き手の共同作業であることを意識したいですね。

話し手は、つい自分の「立場」に由ってしまう。相手が見えなくなる。そんな傾向が有るように思います。

 

夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^_^)v

 

今、読んでいる本は、こんな本です。

 

昔読んだ本を引っ張り出してきました。

 

こんなふうに線を引いています。

 

定規を使って、きっちりと引いていますね。

スゴいなぁ。これを読んだ頃の自分に戻ったような気がします。

 

さて、今日のお題は、「話をすると言うことは、相手の注意をこちらに引こうとする綱引きのようなものである」としました。

 

この本からの引用です。

 

 

話を聴くと言うことは、意外としんどい作業です。

 

聞き手には、聞き手の関心事があります。

そして、聞き手の関心事は一所に止まらずに,あちこちと飛び回り、聞き手を脱線させようとします。

話し手は、それを意識して話さなければなりません。

 

例えば、書き言葉と違って、話し言葉は「意図的に内容を繰り返す」ことが大切です。

同じ内容を言い方を変えて繰り返す。

聞き手は、相手の言葉の全てを聴いているわけではありませんから、「何度も言わないと分からない」のが普通です。

 

書き言葉は「無駄なく簡潔に」と言えますが、話し言葉は「言葉をたくさん使って話す」ことを意識した方が良い場合があります。

 

ということは、「何度言ったら分かるんだ!」というのは、「何度も言わないと分からないだ」ということなんでしょうね。

これを「話し手」のほうから考えたとき、相手は「ロボット」じゃないんだということを意識すると言うことなのでしょう。

相手を観察しながら「話す」。相手は人間なんだと言うことを意識して「話す」ということですかね。

 

著者は、聞き手の注意力が散漫になっていることを示す三つの兆候を挙げています。

 

  1. 不必要な質問をする
  2. 見当違いの発言をする
  3. 解決済みのことを蒸し返す

まず、不必要な質問をするのは、聞き手が理解していないからですね。

 

話を聴くと言うことは、頭の中でジグソーパズルをするようなものです。

言葉を聞くとは、ジグソーパズルのピースを受け取ること。

聴いて理解するとはピースを組み合わせて一枚の絵を仕上げること。

 

そう考えると、「聴く」「話す」という作業の難しさがよく分かりますね。

 

次に、見当違いの発言をするのは、聞き手が「自分のピースを使ってしまう」からです。

 

聞き手にとっては、話し手の伝えようとする絵よりも、自分の考えのほうが重要です。

聞き手が別の何かについて考えたがっているとき、自分の考えを話したがっているとき、そういう気持ちが優先されます。

そういう気持ちを一刻も早く出したいと思っているとき、話し手が語り終えるのを待てなくなります。

 

最後に、聞き手が解決済みのことを蒸し返す場合ですね。

 

これは、話し手が「解決済み」だと思っていることを、聞き手が受け入れていない。

聞き手はそこから離れることが出来ず、話し手から見ると「聞いていない」ように見える。

 

聞き手は常に、話し手の伝える「ピース」に自分の都合の良い「ピース」を加えます。

話し手の断片的な「ピース」から、即座に「結論」を引き出してしまいます。

 

「話をする」ということは、常に聞き手を観察することなのかもしれませんね。

 

じゃぁ、具体的にどうしようか、という話が次回以降に出て来るかな。

夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^o^)

 

さて、「話し方の心理学」のお話しをはじめます。

 

 

僕は、基本的に「話す」のが苦手だと自分では思ってます。

子供の頃は、授業中でもほとんど話せない子供でしたし、話すことを避けて生きてきたこともあります。

だから、今、コミュニケーションについてお話しすることがとても不思議な気がします。。

 

と同時に、「コミュニケーションが得意」だと思われているような人のお話が、「下手くそ」だなぁと思うことが意外と多い。話す量が多いだけじゃ無いかって思うんですね。

 

逆説的ですが、僕は「話せなかった」からこそ、「話す」ことに敏感であったり、意識を持っていたのかも知れません。

当時は信じられなかったことなんですが、「営業で入ってくれ」って言われたことが何度かあります。今でも「イヤ」ですが。。。でも、最近はね。ちょっと調子に乗ってて、それもありかなぁなんて思うこともあります。

 

僕の話はこれくらいにして。

 

この本の話は、このブログでも何度かしたかな。

昨日はちょっと僕の感じていることお話ししましたね。

 

じゃぁ、さっそく、はじめたいと思います。

 

今日のお題は、「相手がロボットならば、コミュニケーションは簡単」としました。

 

この本の最初に、こんなことが書かれています。

意思疎通を阻む理由を根源までたどれば、そもそも人間と人間とが話すことにいちばんの問題がある。

相手も人間、こちらも人間。そのことを忘れているのだ。

相手がロボットであればね。指示通りに動きます。故障していなければね。

 

でも、人間はそうはいかない。そのことを話し手は往々にして忘れているんじゃ無いか。

 

う~ん、そう言われると、その通りなのかも知れません。

 

著者は、人間のコミュニケーションで意思疎通が出来ない原因を五つあげています。

1.変わることへの抵抗

2.自分の考えを優先させ、相手の意見に耳をかたむけない

3.先入観を持った聞き手

4.根拠の無い推測

5.根強い秘密主義

これらの「意思疎通を阻む要因」は、私たちの中にあるさまざまな思いや願望で、これが常に会話を脱線させようとします。

 

ロボットとの会話であれば、「意見」だけを伝えれば良いのですが、人間の場合は「感情」がそこに入ってきます。

ですから、「話し方の心理学」ということになってくるのでしょう。

 

では、明日以降、話を進めていきたいと思います。

夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^o^)

 

姪っ子の写真を撮ろうとすると、フードを被ってしまいました。

 

なんかね。思春期らしいですよ。自称。

毎日、楽しそうだから良いんですけどね。

 

「アドラーを読む」を読了しました。

 

 

岸見先生と話をしているような、そんな気持ちで読みました。

 

アドラー本がたくさん出ていますが、アドラーってね。難しいと思いますよ。

読みようによっては、矛盾しているように思えるところもあります。

「そんなこと言ったってさ」って思うところもある。

 

全体としては、とても厳しいと僕は感じます。

なんでこんなに本が売れるんでしょうね。

 

岸見先生がこの本の「あとがき」に書かれていること

 

こんなことをいうアドラーから私は何度も逃げ出したいと、思った。

ソクラテスは「吟味されない人生は生きるに値しない」と言っている。アドラーを読むことは、自分の生き方を吟味することである。

僕は、先生のこの言葉に、大きく頷きます。

その通りだと思う。

 

僕たちは、いろんな上っ面の知識、ドクサっていうのかな、をくっつけながら生きている。

 

外から来た刺激に単に反応していること。

深く考えること無く、なんとなくそう信じていること。

そういう諸々のモノに対して、「吟味する」という態度は、ソクラテスの言う「より善く生きる」ということと同義なんじゃ無いかな。

 

それを僕に教えてくれたのは、学生の頃に読んだ林竹二先生の著作でした。

 

何か新しい考えに触れたときに、それに単に反応し、なんとなくそう信じているのであれば、それはまぁ、物知りになろうとしている。あるいは自分の都合の良いところだけをとりだして喜んでいる。。。僕はそういう読み方はしない。

 

アドラーの言葉に触れたときに、「君はどう思うんだ」と迫られているように感じます。

それだけ、アドラーは厳しいと思うし、自分の考え方を「吟味」するには、格好の「好敵手」だと思います。

 

あとがきの最後の引用に、僕は深く共感します。

君たちは、もし僕の言葉に従ってくれるなら、ソクラテスのことはあまり気にしないで、それよりもずっと真理のほうを気にかけてくれたまえ。

そして僕の説くところに真実があると君たちに思えたな同意すればよし、もしそうで無ければ、あらゆる議論を尽くして反対してくれたまえ。