話をすると言うことは、相手の注意をこちらに引こうとする綱引きのようなものである | アバウト福田のこんな感じ

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インターネット活用コーチ 福田浩です。
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今、読んでいる本は、こんな本です。

 

昔読んだ本を引っ張り出してきました。

 

こんなふうに線を引いています。

 

定規を使って、きっちりと引いていますね。

スゴいなぁ。これを読んだ頃の自分に戻ったような気がします。

 

さて、今日のお題は、「話をすると言うことは、相手の注意をこちらに引こうとする綱引きのようなものである」としました。

 

この本からの引用です。

 

 

話を聴くと言うことは、意外としんどい作業です。

 

聞き手には、聞き手の関心事があります。

そして、聞き手の関心事は一所に止まらずに,あちこちと飛び回り、聞き手を脱線させようとします。

話し手は、それを意識して話さなければなりません。

 

例えば、書き言葉と違って、話し言葉は「意図的に内容を繰り返す」ことが大切です。

同じ内容を言い方を変えて繰り返す。

聞き手は、相手の言葉の全てを聴いているわけではありませんから、「何度も言わないと分からない」のが普通です。

 

書き言葉は「無駄なく簡潔に」と言えますが、話し言葉は「言葉をたくさん使って話す」ことを意識した方が良い場合があります。

 

ということは、「何度言ったら分かるんだ!」というのは、「何度も言わないと分からないだ」ということなんでしょうね。

これを「話し手」のほうから考えたとき、相手は「ロボット」じゃないんだということを意識すると言うことなのでしょう。

相手を観察しながら「話す」。相手は人間なんだと言うことを意識して「話す」ということですかね。

 

著者は、聞き手の注意力が散漫になっていることを示す三つの兆候を挙げています。

 

  1. 不必要な質問をする
  2. 見当違いの発言をする
  3. 解決済みのことを蒸し返す

まず、不必要な質問をするのは、聞き手が理解していないからですね。

 

話を聴くと言うことは、頭の中でジグソーパズルをするようなものです。

言葉を聞くとは、ジグソーパズルのピースを受け取ること。

聴いて理解するとはピースを組み合わせて一枚の絵を仕上げること。

 

そう考えると、「聴く」「話す」という作業の難しさがよく分かりますね。

 

次に、見当違いの発言をするのは、聞き手が「自分のピースを使ってしまう」からです。

 

聞き手にとっては、話し手の伝えようとする絵よりも、自分の考えのほうが重要です。

聞き手が別の何かについて考えたがっているとき、自分の考えを話したがっているとき、そういう気持ちが優先されます。

そういう気持ちを一刻も早く出したいと思っているとき、話し手が語り終えるのを待てなくなります。

 

最後に、聞き手が解決済みのことを蒸し返す場合ですね。

 

これは、話し手が「解決済み」だと思っていることを、聞き手が受け入れていない。

聞き手はそこから離れることが出来ず、話し手から見ると「聞いていない」ように見える。

 

聞き手は常に、話し手の伝える「ピース」に自分の都合の良い「ピース」を加えます。

話し手の断片的な「ピース」から、即座に「結論」を引き出してしまいます。

 

「話をする」ということは、常に聞き手を観察することなのかもしれませんね。

 

じゃぁ、具体的にどうしようか、という話が次回以降に出て来るかな。