やっぱり書いとこ。「鼻出しマスク」で共通テスト失格になった受験生が話題になってたけど、なんだかコロナ禍であちこち顕著になってる非寛容が如実に現れた例のような気が・・。「ルールはルールだから守るべき」とか「眼鏡が曇るなら曇り止めぐらいいくらでも売ってるんだから同情しない」とか「変な人のせいで普通の受験生に迷惑かかってかわいそう」とか、ましてや年齢とか「変な」行動とかをあげつらって笑い物にしたり、挙句に失格とか逮捕とか、なんなん??
いろんな情報から判断して、いったんこうすると決めたら自分の行動をなかなか変えられない、状況に応じて柔軟に振る舞ったり臨機応変に対応したりが難しいタイプの人なんじゃないかなぁ・・。マスクに眼鏡だと眼鏡が曇って受験できない!と思い込むと、もう、誰に何言われようが周りがどうなろうが鼻出しで押し通す・・。尾崎豊とかトイレに籠るとか、彼がもう「どうしようもない」状態に追い込まれていく様子を彷彿とさせていっそ気の毒です。
こういうタイプの人には、周りの「普通の」人たち、柔軟に対応できる人たちが柔軟に対応してあげればいいだけのことやないのと思う。少なくとも動機も気力も学力もあって受験しに来てるんだから、受けた分だけでも得点カウントしてあげればいいんじゃない?と思うんだけど・・。
「ルールはルールなんだから(何がなんでも)従うべし」という日本人の変な癖もあるかな。SHARPと印刷されたマスクがルール違反か否か問題なんて笑っちゃったもの。四角四面にルールを適用すれば抵触するかも?なだけで、そもそものルールの目的からしてそんなもん何の支障にも害にもなるわけないやん。
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ちなみにわたし自身も小さい頃からうまく状況に適応できない、臨機応変に対応できない癖がありました。大人になってだいぶマシになったけど、今でもときどきある。予想しなかったこと、通常のルーティンにないこと、困ったこと、が起きた時に対応ができなくて「かたまってしまう」。どうしたらいいかわからなくなって、文字通り、言葉が出ない、身体がかたまる、あるいはなんか変な行動を繰り返してしまう・・。心身の凝り固まり、あるいはある種のパニックに陥っているんだと思う。・・けど振り返ってみると特に恐慌を来しているわけでもないんだな・・。
国語
拍子抜けした。だって実用文が出なかったんですもん!実用文苦手、表やグラフ苦手、どうしよう?という受験生何人か抱えて四苦八苦してきた身には、え?出なかったのお!!!と肩透かし。でもま、ホッとしたとこもある。センター過去問ちゃんとやり、普通に国語の過去問ちゃんとやってきた生徒さんたちには、むしろ歓迎すべき問題だったろう。表象論、記号論的な文章はたくさん読んでもらってきたもんね。(べつに「妖怪」が問題なのではない)。設問方式が新傾向であったとはいえ、本文をきちんと読んでまとめる内容だったんでそれほど難しくはなかったろう。『歯車』読解もその範疇を出ていなかったしね。大問2の小説文もなんのこたない、センターで続いてたちょっと古めの近代小説。しかも大して読みにくくもない心情問題。設問新傾向で改めてそれなりの文章量を読まされるのはいらつかされるかもしれないが、落ち着いてやれば普通にできたろう。古文は歴史物語、つまり普通に中古の古文なんだけど短いけど物語がないぶんかえって読みにくかったかも?『大鏡』なんかは読んでもらってたし、これも落ち着いて読んでもらえばよかったのかな。
詩が出るかも?現代詩?漢詩?やっぱり漢詩で出たねの漢文は2年連続漢詩の出題(わりと漢詩好きで何年も何年ももうそろそろ漢詩出るぞーと言い続けてたわたしにしてはなんかなんでここに来て・・って感慨もあるけど)。でもそれほど読み取りにくい漢詩でもなかったんじゃない?韻の問題もそれほど難しくなかったし・・とか、どうしても、生徒さんたちの顔思い浮かべながらこの程度ならクリアできたのでは・・と楽観視楽観視していくので、大手予備校さんらが軒並み「難化」とされてるのには、にわかに与することはできないのでありました。ま、設問がめんどくさかったので時間かかったかもしれん。でも普通に対策してきた普通の実力の子らには「標準的な」難度ではなかったかと思います。ま、週明けてから実際に生徒さんたちに確かめてみよ。
英語
どーでもいい発音アクセントなど細かい問題がなくなったのはむしろよかったと思う。ず〜っとその傾向続いてた実用的な英語文をどれだけ速く正確に(必要な情報を的確に)読み込むかの問題だったね。つまりは読解処理能力が問われる内容でした。スマホメールとかファンクラブとかむしろやめてと思う。そういうわざわざ(受験生の年齢層に媚びるような?)実用シチュエーションにせんでも、ちゃんとした英文を読ませる問題はできるんじゃないの?
UK英語が出たことが話題になってるけど、これってUK英語を特に勉強する話ですか〜?centerとcentreの綴りの違いなんて気づかんでもどーってことないことだし、設問に影響する「地下鉄」は米語だとsubway、英語だとunderground、仏語だとmetro、って、一般常識じゃないの?って思うのは、大人だから? みなさん、知らなかった?
でも知らなかった生徒さんも多いかも・・ですね。知らなくても文脈でわかった子は幸いですが・・。
ちなみにロンドンの地下鉄がtubeと呼ばれてるのは知ってる? これは一般常識?
緊急事態宣言下での大学入学共通テスト、中学受験、いきなり中止になるよりは決行で良かったのかも知れないけど、しかし受験生のみなさんも、保護者の皆様もお気をつけて。
感染しない・させない対策はもちろん、体調にはくれぐれも気をつけて、無理をしない・させないように、それでも気分は普段通りにリラックスして普段の実力を発揮できるように・・って、第三者の立場で書いてるだけでも緊張する。ほんまに大変だ。とにかく「がんばってね」としか言いようがないな・・。
しかも共通テスト、初回だもんね。国語教師としてはあれこれ予想して対策も考えて生徒さんたちにはできるだけのアドバイスをしてきました。ただ、国語も、英語も、試行試験などの傾向を見ていると、ある傾向が続いていることは気にかかる。これは高卒認定試験も含めて世の中の傾 向なのかな?
明日どんな問題が出るか、楽しみでもあり怖くもある。また、実際に出された問題を見てからあらためて。
昨年は後半腰砕けでしたが、今年はもう少しがんばっていろいろ投稿しようと思います。2020年は新型コロナの流行で大変な年になりましたが、今年は落ち着くといいですね。しばらくおいてから、この厄災の歳のことを振り返ることができればいいなと思います。
窓の外にまだ除夜の鐘が聴こえてます。みなさんのお家もそうですか?何度引っ越してもどこかしらからか除夜の鐘が聞こえるのは、江戸時代の寺請制度からかしらん? イタリアに旅行すれば朝の教会の鐘が聞こえ、マレーシアに旅行すれば朝夕コーランの声が聞こえる。日本はそんな信心深い国ではないですが、なんせ煩悩の多すぎる身ですもんで、この鐘の音だけは神妙に聴いています。
みなさまのご多幸をお祈りします。
動画は大晦日の夜の十六夜の月
長いことブログ更新サボっててすみませんでした。こういう時には過去に書いたことをリエントリーしても良かったのかな?(今度からはそうしよう)。
コロナ禍の今年も暮れつつあります。これからは来年春まで続く入試シーズン、今年は大変だなぁ・・。感染まだまだ拡大しているし、入試のあり方を変更する学校もたくさんあるだろう。既に変更が発表されたところもあるけど、これから先いきなり変えられたりしたら受験生ら大変だなぁ・・なんとかできるだけサポートしてあげたいと思う。
受験生だけでなく、今年論文書くは ずだった(書いている/書き終わった)院生らも大変だったと聞く。今年大学に入学した新入生も大変だったね。もちろん先生方も大変だったね。
大変大変というとホントにみんながみんな大変だからキリがない。コロナの年は厄災には違いないけど(また今年限りで終熄ではなく来年も続くだろうし、経済への打撃はむしろ後からやってくるとも聞く)そこから得たことを先へ先へと生かしていければいいと思う。わたしも生徒さんたちも先生方も人間みんなも日本も世界も・・。
わたしについていえば、この教える仕事に限らず日常の一つひとつを、いちばん根っこから見つめ直す作業が多かったように思う。今年から始めた新しいこと、ずっと忘れていたけど再開したこともあったね。
いま教室に来ていただいているのはお二人だけ(やっぱり会わずにはおれない成人の生徒さんたち)。あとはSkypeレッスン。子どもは慣れるの早いね。私もようやく慣れました。
出講先の方は講義録画(一方的に喋るだけ)以外はずっとお休みで、連休明けに復活する予定だったのが、緊急事態が続くとのことで、Zoomレッスンをやることになった。
個人でやってるSkypeレッスンは1対1だけなので、複数人相手のZoomは初めて。同僚の先生方の中にはそもそもパソコン苦手な方も少なくなく、そういう方々のためにまず予備校が先生方相手に研修やるらしい。ご苦労なことで・・。わたしはパソコンの扱いなどは多分大丈夫だと思うのだが、レッスンそのものはさてどうなるか・・ちょっとドキドキ。まぁ、これもひとつの勉強(わたしにとっての)であろう。
あ、てなわけで、もちろんわたくし個人(というか自前の塾経由の)Skypeレッスン、Zoom使っての複数人レッスン、承りますので・・。
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あと、ま〜ったく脈絡ないけど、今夜の素晴らしい満月の夜の散歩。月と京阪電車、月と環状線の映像をおまけにて。
京阪電車の方、お魚がタイミングよく跳ねるのが見えるかな?
外出自粛がさらに1ヶ月続きそうな勢いですね・・。塾や学校の態勢はどうなるのか??
こんな時こそライバルに差をつけよう、みたいな言い方もあちこちで目にしますが、そもそもこの受験産業に特徴的な「人を出し抜く」「人に差をつける」「人を蹴落とす」みたいな発想、わたしは嫌いです。
そういう発想って、こんな時だからこそ人の弱みにつけこんでやろう、弱っている人から毟り取って自分だけは儲けてやろう、自分だけは得をしよう、みたいな詐欺商法とか汚職政治家とかに直結しません?
いや、世の中そもそもそういうふうにできてるんだから、幼い頃から「人を出し抜く」姿勢を身につけておかないといけないという人もいらっしゃると思います。まぁ、そういう人を「間違ってる」と決めつけるつもりはありません。遊びとかゲームとかスポーツとかで、「人の動向を窺って人を出し抜く」「敵の弱みを突く」みたいな要素は必ずあるし、それも生きることの一部だとは思います。
でもやっぱり、こんな非常時に必要なのは、世界のあちこちで言われている、英語で言えば「solidarity」「連帯」だと思うんですよね。この言葉、日本語の「一丸となって」みたいな言葉とはニュアンスが違ってて、それぞれ一人ひとり個として独立しながら、共通の目的、共通の利益にむけて、横並びで繋がって協力しようみたいな感じです。それぞれ自分のできることを考えて連帯する。
自分のできることを、他者を蹴落としたり他者から毟り取ったりするために使うんじゃなくて、他者を助けるために使う。今こそ。・・綺麗事かもしれませんが。
でも、例えば東日本大震災だったらすぐ現地へボランティアに飛んでった人も、今は何もできなくて辛い思いでいるかもしれない。いまのコロナ禍ではいわゆるエッセンシャルワーカーの人たちや医療従事者以外、自分のできることって限られてきちゃうんですよね。
その場合も、「自分のできること」をしっかり見つめ直して、その「自分を豊かにする」ことを考えればどうかと思います。大人も子どもも。
勉強も「ライバルに差をつける」ではなく、いま自分のできること、やっておきたいことをしっかり考え「自分を豊かにする」ためにする。普段できない長篇の読書とか、ネット配信の映画や教材で教養つけるとか、身の回りのことを丁寧にやってみるとか、ふだんテキストのかたちでしか学んでいないものを実地で経験してみるとか、いろいろできるやん。むしろ大人の方が仕事のことや家計のことなどいろいろ不安も多く、何かやろうと思っても手につかないことが多いかもしれませんが、子どもには、この時こその貴重な経験をさせてあげたいです。
前回のエントリー、阪急千里線、JR京都線から先がいい加減でした。
正確にいえば、淀川の河口に向かって、阪急千里線、JR京都線、大阪メトロ御堂筋線、阪急京都線・宝塚線・神戸線、JR神戸線・福知山線(宝塚線)、JR東西線、阪神本線、阪神なんば線、です。
前回も書いたように左岸が工事中だったので、長柄橋を渡って(わたしの自宅のある側からは)向こう側の右岸をずっと下流に向かって歩いてみることにしました。実はこの右岸の河原を歩くのは初めて。下流に行くにつれて葦原が広がり、あるところでは河畔近くまで下りて行って川の波打ち際も楽しむことができました。靴は泥だらけになったけど。
十三(じゅうそう)大橋まで歩き、あとはこちら側に渡って中津から茶屋町の街中を歩いて帰って来ました。
十三大橋を渡るのは初めてではないですが、この行程を歩いたのは初めて。距離的にはそれほどないのですが、初めての道だったこともあって、ずいぶん歩いたような気になりましたね。
先日アップした蕪村の碑のところから右へ歩けば淀川の上流へ、左へ歩けば下流へ向かう。
上流へ向かうと、ほどなく淀川名物(イタセンパラが生息していたことでも有名な)「わんど」のある地形に入る。
わんどを見下ろすようにかかっているのが赤川鉄橋。赤錆びた感じが風景にぴったり。しかし、あれ?この鉄橋って徒歩で、あるいは自転車で渡ったことなかったっけ? その通りで、数年前までは貨物線と人が渡れる鉄橋になっていた。いまは「おおさか東線」の電車が通っている。
下流へ向かうとまず阪急千里線の鉄橋があり、そのすぐ向こうが長柄橋、その下流は順にJR京都線、阪急京都線・宝塚線、JR神戸線、阪神電車の鉄橋が続き、電車が渡る大きな音とともに遠くの方からも電車の姿が見渡され、なかなかいい感じ。どこまで歩けるかなと思ってたら、なんと長柄橋から下流の淀川堤が全て通行止め。左岸の整備工事が進んでいるようで、完成するのはなんと6年先とか。残念!
自宅から歩いて行ける文学名所シリーズ・・というわけではありませんが。こちらも別の散歩道。
露 天神社(「ろてんじんじゃ」と読まないように。「つゆのてんじんしゃ」)通称「お初天神」です。
普段ならば夜に歩けばちょっといい雰囲気の呑み屋街が境内から連なってるんですけどね。昼間来るのは久しぶり。いつの間にか「恋人たちの聖地」になってました。個人名が書いてあるのでここにはアップしませんが、絵馬もハートマークで恋の願掛けが大半。その中に「コロナウイルスが広がりませんように」という絵馬もあって、ちょっとじんときました。
もちろんここは、近松門左衛門『曾根崎心中(曽根崎心中)』のお初徳兵衛が最期を遂げた場所。作品の最後の言葉が「戀(恋)の手本となりにけり。」なので、まぁ恋人たちの聖地となっても不思議ではないわけか。しかしラストで凄惨な相対死つまりは心中を遂げるわけだから、これも悲劇です。今で言えば週刊誌ネタみたいに人口に膾炙した実際の心中事件を近松が脚色したもので、大当たりの芝居になったのだとか。
そういえばイタリア旅行でヴェローナを訪ねたとき、そこにも「恋人たちの聖地」がありました。ヴェローナはシェイクスピアが『ロミオとジュリエット』の舞台に設定した街。「ジュリエッタの家」はジュリエット(イタリア名ではジュリエッタ)のモデルとなった女性の家とされているんだとか。お初天神にもお初と徳兵衛の銅像がありますが(すみません。似合わない・・)、「ジュリエッタの家」にはジュリエッタの銅像だけあって、その右の乳房に触ると恋の願いが叶うんだそうで、観光客みんな盛大に触りまくっていましたよ。(実はわたしも触ってきました。)しかしヴェローナも北イタリア。どれほどの被害が出たのだろうと思うと心が痛いです。
右上がバルコニー。左下に両の乳房が(みんなに触られて)ぴかぴかのジュリエッタの半身が見えるのがわかりますか?
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『曾根崎心中』に戻ると、わたしは道行の場面冒頭の名調子が大好きです。
「此世(このよ)の名殘(なごり)夜も名殘、死に(しにに)行く身を譬ふれば、仇しが原の道の霜、一足づつに消て(きえて)行く、夢の夢こそ哀れなれ。あれ數(数)ふれば曉の、七ツの時が六ツ鳴りて、殘る一ツが今生の、鐘の響きの聞納め、寂滅爲樂(じゃくめついらく)と響くなり。
鐘ばかりかは草も木も、空も名殘と瞰上れば(みあぐれば)、雲心なき水の面、北斗は冴て影映る、星の妹脊(いもせ)の天の川、梅田の橋を鵲(かささぎ)の橋と契りて何時(いつ)までも、我と和女(そなた)は夫婦(めおと)星、必ず添ふと縋(すがり)寄り、二人が中に降る涙、河の水嵩も増るべし。・・」
昔は大阪の空にも天の川が見えたわけか・・。
文楽(人形浄瑠璃)の方が好きですが、歌舞伎もいいですよね!成駒屋さんの当たり狂言です。













