海外旅行の思い出をあとで人に語るとき、面白いのは、現地言語で交わしたはずの会話が、記憶のなかでは日本語になっていることです。
もちろん日本のなかで外国人と外国語で交わした会話でも同じことです。よっぽど印象的なフレーズだと外国語のまま覚えているけど、記憶のなかに蔵われているのは、向こうのセリフもこちらのセリフも日本語になってます。
それだけ、「意味」を担う言語機能の部分が、わたしの場合、母語にしっかり結びついているということなんでしょうね。
逆に言えば、外国語とは結びついていません。だから(かどうかわかりませんが)わたしの場合、外国語を話すことが極端に苦手です。簡単なフレーズでさえなかなか口をついて出て来ません。

で、話を受験にくっつけますが、センター英語などでリスニングが苦手だという人、読み書きの部分では全く問題のない、むしろすごく能力の高い人のなかにも結構いますね。あれ、不思議で仕方ないです。
多分、聞き取った英語をいったん英文に直して、それから日本語に変換して理解するので、頭の処理能力が追っつかないのではないでしょうか?
センター程度のリスニングなら、そんなに複雑なことを言ってないので、いったん頭の中で英文に直さなくても、意味がぱっと頭のなかに入ってきそうなものですが…。

このあたりの脳の機構はわたしも専門家ではないのでよくわからないのですが、外国語を聴くとき、はじめのうちは意味のない音の羅列としか聞こえないものが、あるときから少しずつ意味のある単語が聞こえ始め、それから突然、そのフレーズの意味の全体が頭に響くときが来ますね。
もちろん、簡単なフレーズから順々に、であって、意味がぱっと頭の中に響いた瞬間から、そのあと全てのフレーズがそうなるというわけではないのですが…。
小さいときから英会話に慣れてるちびっこなどは、そういう意味の響かせ方で英語を理解してると思います。いちいち英文を頭の中で再構成してから逐語的に理解しているわけではないでしょう。バイリンガルのお子さんなら、意味を担う部分がしっかり英語の方にも結びついているかもしれませんが。
(わたしの生徒さんにも、小さい頃から英会話習ってたりホームステイに行ってたりするお子さんが何人かいますけど、そういうちびっこさんたちに、よく使う英語のフレーズなどを「いまの日本語で言うとどういう意味?」って訊いてみると面白いです。彼女彼らはいちいち日本語に変換してその言葉を使ってるわけではないので、一瞬「エッ?」って顔になり、それからとんでもない日本語訳が出てくることがあります。いや、間違っているわけではないんですけどね(笑)。)

わたし自身、英語がいつ頃からそういう風に聞こえ始めたかは、もうはるか昔のことなので覚えていませんが、新しい外国語の勉強を始めるたびごとに、その、意味が頭に響く瞬間というのが楽しくて仕方がありません。これって、不思議なことに自学自習でテキスト付属のCDを聞いたり、テレビやラジオのナントカ語教室を見たり聞いたりでは、味わえない感動です。
例えばですが…わたしは中国語は本格的に勉強したことないのですが、漢字の筆談と英語でなんとか乗り切った初めての台湾旅行のとき、あるちょっとした緊急のシチュエーションで(いや後から考えるとそれほど大変でもなかったのですが)、それまで(挨拶など以外は)一言も分からなかった中国語が、ぱっと頭の中に意味とともに響いた瞬間がありました。
なにか、感動的でしたね…。
イタリア旅行した人が誰でも経験してることだけど、イタリアで列車に乗るときに重々注意しないといけないのが、プラットホームが乗る直前になって変わること。しかも駅の構内アナウンスのみで知らされ、しかもイタリア語のみ!!
こんな調子です。「ご注意ください。列車番号〇〇どこそこ行き何時何分発は本日△番ホームから◇番ホームに変更になりました。ご注意ください」。
しかもしかも、非常にしばしば、電光表示板の方は古い情報そのまんまなのよ。イタリア語聞き取れない旅行者はぜったい間違える。トレニタリアtrenitalia さん、なんとかしてほしい…。
実際わたしも、初めてイタリア旅行したとき(その時はイタリア語勉強前だったので)みごとに違う列車に乗ってしまいました…。
でもそこから学習しましたよ。こういうことがあるので、イタリア語知らなくても、数字だけは聞き取れるようにしておこうと。何番ホームから何番ホームに変更になりました、の部分だけはね。
知らない言語の地を旅行するときも、最小限「こんにちは」「ありがとう」「ごめんなさい」「はい/いいえ」に加えて、現地言語の数字を覚えておいたほうがいいかもしれないですね。
大抵の土地は、観光にまつわる部分は英語で足りるんですが…。
でも、世界中の観光地で、日本人観光客は現地言語もできなければ英語も拙いことで名を馳せているらしいですよ。心しましょう。

ミラノからヴェネツィアへ向かう特急列車は、いろんな国籍の人がいて賑やかです。
わたしの隣席は、ベトナム人の若い女の子。両親を連れてヴェネツィア旅行に向かう孝行娘さんで、すご〜く素朴な雰囲気の女の子なのに、達者な英語を操ります。
途中の駅で乗車してきた老夫婦、言葉の響きからドイツ人かなと思ったのですが、よくよく聞くとドイツ語ではない、どこかわたしの知らないヨーロッパ言語でした。席を探すのに手間取っておられるご夫君と、足がご不自由で片方松葉杖をつかれている妻君を思わず手助けしたところ、Merci とフランス語でお礼を言われました。わたし一言もフランス語使ってないのに。フランス人に見られたかな?(まさかね)。
斜め向かいの4人席は、それぞれ見知らぬ人々が乗り合わせたようで、それでもなんだかどこかの都市の音楽フェスティバルの話題で盛り上がっていたようです。
手前の中年女性二人はどうやらイタリア語ネイティブ、向かいの通路側の初老の男性は国籍聞き逃したけど英語ネイティブらしく、でも流暢にイタリア語を操ってます。窓際の黒人青年は、マルペンサからの列車に乗ってた(前回のエントリーで言及した)おちゃらけた雰囲気の黒人とはまるで雰囲気違って黒と白でビシッとお洒落に決めたインテリ風。フランス語圏カナダ人であると名乗り、フランス語が母語だけど英語も同じぐらい使う機会があるといい、それでもその席ではイタリア語を流暢に操っていました。
たまたま隣り合わせた同士で、ちゃんとそういう会話が成り立つところがいいですね!

ヨーロッパのどこにいても羨ましいと思うことのひとつに、子どもが多言語環境に慣れて育つだろうなてこと。ヨーロッパだとヨーロッパ系言語が主になるし、世界のあちこちにいろんな多言語環境あるだろうけど…。アメリカのような英語帝国主義みたいな国(ちなみにイギリスはその点ちがうのよ)とか日本のように日本語環境だけで内向きに閉じた国だと望めない…。(日本もだいぶマシになったとは思いますけどね。)
今朝ミラノMalpensaの空港に降り立ってMilano Centrale駅に向かうまでの電車の中で目にした光景。
わたしの通路隔てた横の、向かい合わせの4人席には、当初黒人の太り気味のかな〜りおちゃらけた格好したお兄さんが一人で座って、イヤホン越しに電話などかけていました。もちろんビジネス電話とかではない。イタリア語のラフな会話ね。
そこに、金髪白人のこれも太り気味の母子がやってきて、その席に座る。子どもは日本で言えば小3ぐらいか?メガネをかけている。スマホ手から離さず一生懸命ゲームやってる模様。
わたしの向かいの席には金髪の中年と初老の女性二人連れ。ずーっとお喋りしていて年嵩の方は中年の方のお母さんらしく、どうやらお母さん相手に職場の人間関係愚痴っている模様。
そっちに気をとられていると、アレ?横の席で男二人が語り合ってる声が?あの黒人青年と白人の親子連れ、知り合いとは見えなかったけどな? そっと横見ると、なにやら男の子が自分のスマホ見せながら、黒人青年にしきりに話しかけている。わたしにはわからないなにかゲームの話?(日本人の母親だとその時点で止めるのではないだろうか?)
さらに驚いたことには、会話がアレ?いつのまにかイタリア語からフランス語になっている?お母さんもフランス語でところどころ参加してたりして…。黒人の青年もフランス語で返している。なにやらフランス語学習のコツみたいなこと喋っていたような…。そういえばその黒人青年の恰好、フランス人によくいるような感じなのよね。もともとフランス人なのか?
で、最後には青年と少年とスマホで連絡先交わし合っている様子。たまたま隣り合わせた席で友情が生まれたのか?

もっと以前の体験では、電車内でたまたま4人席に座り合わせた3人の親子連れ。父親はイタリア人、母親はロシア人、息子は9歳で、見事にバイリンガルなのよ! 母親と喋るときはロシア語、父親やわたし(たまたまイタリア語少し喋る)のようなよその人と喋るときにはイタリア語。もっと大人になると英語とかも普通に喋るようになるんだろうなぁ…。

バイリンガルで育つとそれはそれで苦労も多いと聞きます。でも、そこまでいかなくても、多言語な環境が周りにあって、しかも見知らぬ人同士で気軽におしゃべりしたりする、こういう国っていいなぁと思われた一コマでした。

お盆休みを利用して海外旅行へ行こうと計画していたのですが、香港国際空港の全便欠航と、台風の影響で、予定していた飛行機が変更に次ぐ変更…。これはもう、天の声が「行かんとき」と言うてるのやと諦めようか…。
とも思ったのですが、諦めの悪いわたし。関空便を成田便に変更してもらって、3日遅れで旅立つことになりました。
いま成田の搭乗口にて搭乗待ちながらこれ書いてます。発ってしまえばもう後戻りはきかない。覚悟を決めなければ…。


「天の声」をみなさん聞きますか? そして従いますか?
わたしは聞くときもあり聞かないときもあり…。

聞くときは、やっぱり自分にとって都合の良いときで、「これは天の声がgo!と言うてるに違いない」とか、おまじないのように自分に言い聞かせます。
聞かないときは自分の意志を通したいとき。結局自分の思う通りにしたいのですね。


1点差で旧帝大に不合格だった生徒さんがいて…。彼女は「1点差というのはもうご縁がなかったということで、諦めます」と、意外とサバサバした表情で、第二志望進学を決められました。
わたしも実は現役のとき1点差で落ちてますが、それを天の声だと思わず(笑)、一浪して合格しました。

予備校の集団授業2コマ

そのあと個別指導2コマ

そのあと移動して個人の家庭教師2時間。

このあたりがわたしの限度だな。

最後はもう声がかれて頭が働かなくなってる。

でも、個人の家庭教師の生徒さんが、わたしのお気に入りの生徒さんなので、わりと頑張っちゃう。

(表立って依怙贔屓することは決してないけど内心ではやっぱりある)

ちょっと心配ごとがあって心がざわざわしてます。更新が遅れてすみませんでした。

 

さて、英語の話をもう少し続けます。
わたしは速読を教えるプロではないので、自分なりの速読法のレベルでしか言えませんが、日本語の速読ってわりと簡単ですよね。漢字とカタカナ語にさーーーーーっと目を走らせていけばいいのですから。(ひらがな語が多く使われてる文章ではそうもいきませんが・・)。
重要な自立語はおもに漢字(またはカタカナ語)で書かれていて、ひらがなは付属語(助詞・助動詞)や送りがなが多いので、頭の中で適当にくっつけて意味のある文章にしていけます。
(そういう意味でも漢字かな交じりの表記ってすごく機能的だと思います。だから、その大元となった漢文の勉強も大切です。
 たとえば韓国語って、漢語由来の言葉がやたら多いので、聞くと日本人でも意味の見当つく言葉ってわりとあります。でも読むのに慣れてないうちは、全部ハングル表記にされるとわけわかりませんもの・・)。

 

でもそういう日本語速読術は、わたしが日本語ネイティブで、いろんな文章を読み慣れてて、単語を拾っていけばだいたい文章の文脈が掴めるときに限られます。(日本語の文章でも難解な文にはこういう速読法通じません。)

英語の文章の場合、音読しながら意味を頭に入れていけるぐらいまでの速度が目標になるかな。
もちろんいちいち日本語に直して意味を理解しているのでは、ものすごく時間がかかってしまいます。
英語のままで、理解していって欲しいのです。
英語と日本語では語順が違いますから、英語の語順のままで、順々に文の意味を理解していく。
読み方の工夫としてスラッシュ・リーディングとかありますけど、それをやって読みやすくなる方は、やられたらいいと思います。
わたし自身はスラッシュ入れません。ただ、この関係代名詞節はどこまで続いてるとか、この文の述語動詞はどれかとか、そういうのは括弧でくるんだり、線を引いたりしたほうが読みやすいかもしれないですね。
とにかく自分なりの工夫をしながら、英語がかなりの速度で読めるようになるまで訓練して欲しいのです。
細かい内容まで理解しなくても、サッと目を走らせて、その段落がどういうことの書いてある段落かだけを把握する。
すると、飛ばし読みして良い箇所、じっくり読まねばならない箇所の区別が、つくようになってきます。

ご要望に応じて(だれも要望してない?)センター英語のコツね。

 

ある日の授業の一コマ。

「ほら、この問題。この段落とこの段落は、実は読む必要ないのわかる?

 受験生、みんなここに引っかかって必死に読むんだろうけど、それで時間とエネルギーを無駄にするのよ。

 実は、この段落とこの段落は、誤った選択肢が誤っていることを検証するためには役に立つけど、正しい選択肢を選ぶための役には立たない。だって、正しい選択肢が正しいことを知るには、次の段落のこの一文を読むだけでいいんです。この一文読めば、瞬速で正解を選び出せる。そうすると他の間違った選択肢を読むまでもない。」

「・・ええええええっ!センター英語ってそんなもんなんですか?」

「そんなもんなんです。慣れると相当省エネで解けるよ」

 

もちろんわたしだって超能力者じゃないので、何にも読まずに「読む必要のない」段落がわかるわけではありません。

「読むまでもない」選択肢だって、読まずにそうとわかるわけではありません。

最初にさーっと速読で読む。すると、丁寧に読まないといけない部分と、サッと読み飛ばせばすむ部分との区別がつきます。

センター英語なんて問題のパターンが決まってるんだから、問題ごとにどこを詳しく読まないといけないか、どこは読まなくてもいいかなんて、すぐにコツが掴めます。

必要なのは、速読して、その強弱がつけられるか、です。

設問を解くのに必要な重要な情報はどこにあるのか、速読したときにそれがパッと見つけ出せるか、です。

 

これはセンター国語の問題を解くときにも共通することだけど、その重要な情報が

「どこにある?」

と聞くと、点数の取れない受験生は、それがなかなか探し出せませんねぇ・・。

一度読んでいるはずなのに、「えーと」とか唸りながらもう一度最初から一生懸命読んでて、それでもなかなか見つからない。

そんなにぜんぶ丁寧に読まんと見つからんかぁ・・。

 

だから、わたしの英語の指導は、速読がすべての基本になります。

速読して、それぞれの段落で何を言ってるか、どの段落にどういう情報があるか、どこは読み飛ばしてよい部分で、どこを丁寧に読まないといけないか、どこに重要な情報があるか、それを見つけ出す能力を養うこと、です。

もちろん単語力とか文法力とかは必要だけど、わからない単語が少々あっても、大まかなところが正確に読解できるか、それがセンター英語で高得点取るためのすべてですね。

英語、フランス語も教えられないことはないけど、積極的にはお引き受けしてません。

国語を教えている生徒さんなどに求められたときだけね。今年はたまたまお二人にセンター英語を教えてます。

 

というのは、外国語、例えば英語については、読解とリスニングはなんとかなるんですが、書くことと喋ることはまるきり自信がないからです。入試でいえば英作文ね。

 

もちろん文法的に正しい文章は書けます。でも、同じ意味だとしても、ネイティブだとこれを主語にして書くよりこの言い回し使うよね、とか、この構文よりこちらの構文がふさわしいとか、ましてや、同じような意味の言葉や言い回しが複数あったときに、どの言葉を採用すれば違和感ないかとか、そういうのにまるで自信がないからです。

意味は伝わるけれど、ネイティブが聞くとなんだか変な感じに聞こえるとか、ニュアンスがうまく伝わらないとか・・。

外国語で論文書くときなどは、最後にかならずネイティブのチェックを受けますが、そのチェックが必要ということです。

日本語の小論文と違って必ず結論を最初に書くといった、英語の小論文の作法ぐらいは心得ていますが、語の採用、構文の採用、文章のつながりなど細かい点は、ネイティブチェックが必要です。

入試英語を指導するときにいちいちネイティブチェックを受けることはできないので、その点はあらかじめご容赦いただいています。

 

例えば、ごく単純な例を挙げますと・・

「どこそこへ行く」「どこ行くの?」とかいった場合、英語ネイティブは go to よりも head to を使うとか・・。(これ、海外旅行するとすぐ気づきます。)

電話で相手を待たせるとき、フランス語だと "Ne quittez pas"と言うとか・・。日本語にすると「切らないでください」ですが、日本語でこう言うと逆に違和感ある。「少しお待ちください」ですよね。

こういう単純な例はすぐ覚えますが、もっとたくさんあるだろうし、書くとなるともっともっと複雑になります。

簡単な日常会話にしたって、短い期間なりとも現地で生活するとか、現地の大学や院に留学するとかしないと、なかなかうまくなりませんね。わたしは残念ながら留学経験がないもので・・。

 

でも、例えばセンター英語の入試対策といった場合。高得点を取るのはわりと簡単です。

その話はまた別の機会に。

 大阪は昨夜が天神祭の船渡御と花火。自宅から少し歩けば見物にふさわしい場所に出るので毎年少しずつでも楽しむのだけど、今年みたいにちょうど祭りが佳境の時間帯にお仕事でまったく離れた場所に居なければならない年もあって、まぁしゃーないでんな。

 そのかわりというか、今日の夕方、街中で綺麗な虹を見ました。ビルから外に出るとみんながこっち向いてスマホを(わたしの背後の)空に向けてカシャカシャやってるんで、なにごとならんと振り返ってみると、ビルの谷間に虹が見えた。わたしもすかさず撮ってインスタにアップしましたよ。ついでにここにも掲げておこう。

「こんな綺麗な虹、初めて見たわぁ」とかいう声もあったが、わたしはもっと綺麗な虹、見たことあるもんね。
 すごく印象的だったのが、ある中学受験塾に出講していたときのこと。小学4年生の授業中でした。その教室はビルの角部屋で、二方が大きなガラス張りの窓。ある夕刻の雨上がり、「あっ虹!」と一人の女の子が叫び、窓にかけよる。「え、なに?」「え?」とみんなつづいてかけよる。(ちなみに誰も「先生、立っていいですか?」なんてきかない(苦笑))。わたしもかけよって子どもたちの背後から見る。と、本当に大きな虹が、それも二重になって街の空の向こうにかかっていたのでありました。

 みんなでしばし「うわぁ・・」なんて声あげながら虹にみとれていた。わたしも一緒になってみとれていて、「さあさ早よ授業に戻ろ」なんて声かける気にならなかったな・・。
 美しいひとときでした。