私の故郷・京都府京丹後市は、大飯原発から西へ、直線距離にして約50キロにあります。かつて、京丹後市にも関西電力による原発建設計画がありました。
京丹後市の合併前の1975年、関電から旧久美浜町へ事前環境調査の申し入れがあってから、2006年に京丹後市長が関電に正式に撤回を申し入れ中止決定するまで、約30年の紆余曲折がありました。
幼く不勉強だった私は、詳しいことを知りません。それでも、1997年の久美浜町長選挙で、反対派の岡下宗男候補(当時66才)が推進派の候補に敗れたときのことは覚えています。岡下さんは、私が小学1~2年のときの母校の教頭先生で、大好きな先生でした。当時高校生だった私は岡下さんが負けたことがショックで、「これで原発ができてしまう」と暗澹たる気持ちでした。
旧久美浜町の人口は約1万2000人、旧網野町は1万6000人です。もちろん人口の問題ではないのですが、隣町の政治によって地域全体の未来が決められてしまう現実に、理不尽と無力を感じました。原発推進教育のため、行政が「電気が無い生活がどれだけ不便か知る」ことを目的にタイ奥地へのツアーを組むなど、呆れるような話もありました。
それでも、最終的に原発は建設されませんでした。約30年間の間に、旧久美浜町は国から電源立地等初期対策交付金として約4億2000万円を受け取っています。それでも中止されたのは、画期的なことだったと思います。
中止の理由は、表面的には2004年、近隣6町が「京丹後市」に合併し、合意形成が難しくなった点が報じられていますが、そんな単純なことではないだろうと思います。
以下の大石たつみさんのブログによると、当時、反対派の住民は「金は一時、土地は万年」という大看板を掲げたそうです。民俗研究家の結城登美雄氏がよく引用される、柳田国男氏の言葉を思い起こします。
「美しい村など はじめからあったわけではない 美しく暮らそうという村人がいて 美しい村になるのである」
そして、「美しい村を守ろう」とする人達がいます。久美浜が、名実ともに今も美しい町であることに、感謝したいと思います。
京丹後ふるさと応援団 三浦慶太
>>京丹後市のホームページ「原発立地に頼らない地域づくり」(2006年2月10日)
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/shisei/shicho/shichotop/message/20060210/index.html
>>関西電力のプレスリリース(2006年3月8日)http://www.kepco.co.jp/pressre/2006/0308-1j.html
>>2006年2月10日の朝日新聞(記事引用があるサイト)http://www.asyura2.com/0505/genpatu3/msg/344.html
>>大石たつやさんのブログ(2011/7/25)http://oisi.mo-blog.jp/blog/2011/07/post_42b3.html