鈴木あきひろ 一言日記 -147ページ目

大国化する危険な隣国に囲まれた我が国を守るために

 この度の中国人による尖閣海域での領海侵犯、暴力行為、及び中国国内での異様な反日暴動、敵意剥き出しの強硬姿勢、また韓国大統領の竹島上陸、国民にとって許すことの出来ない天皇陛下への謝罪要求など、我が国に向けられた一連の行動は、ここに来てどれも常軌を逸したものであります。

 しかしこうしたことは、振り返れば今に始まったことではないのです。戦後我が国が国際社会への復帰を果たし(中国は当時頑なに反対)、その後中国、韓国との国交回復の後にも、彼らは執拗に我が国へ、歴史教科書問題などの内政干渉を行い、自国の利益のために様々な要求をエスカレートさせて来ているのです。我が国が両国への過ちを認め、話し合いにより謝罪、償いを行い、両国における過去のけじめは既に終え、未来志向での友好の決意を共に誓い合っているにも拘らずなのです。

 彼らは今、国際法上また歴史的にも、一点の曇りもない我が国固有の領土である竹島、尖閣諸島の領有権を主張し(竹島は実効支配されている)、更に歴史的にも全く根拠の無い、虐殺、慰安婦問題を持ち出し、国際社会で我が国を更に貶める活動を大々的に行っております。

 こうした状況を踏まえ、今私たちは、ロシアも含め危険で厄介な隣人との未来を、真剣に考えねばならない時がやって来たことを認識しなくてはならないのです。これまでのように、「国家」としての意識が希薄でも、逆にその方が国際社会で都合が良かった平常な時ではなくなって来たことを自覚しなくてはならないのです。

○「主権国家」とは

 17世紀西洋における近代国家理論の先駆けとなったトーマス・ホッブズの代表作である「リヴァイアサン」において次のように述べられております。

 「生物一般の生命活動の根拠は、自己保存の本能であり、人間固有の将来を予見する理性(他の生物にはない)において、現在の自己保存は、未来の自己保存の予見から導かれるものである。自己保存のために、常に他者より優位に立つことが絶対的に求められる。この優位性は相対的なものであるため、際限がなく、有限な自然資源の確保のために永遠に争いが続き、『万人の万人に対する闘争』が繰り広げFられるようになる。」

 つまり自己保存のための暴力は、自己における自然権として、善悪以前のものとして肯定されていたのです。「ところで、自己保存の本能が忌避するのは死であり、とりわけ他人の暴力による死であります。この他人の暴力は、他人の自然権に由来するものであり、ここに自然権の矛盾が生じてくるのです。そこで自己保存の理性による予見は、各自の自然権を制限せよという自然法を導くことになるのです。つまり自然法に従って人々は各自の自然権を国家または一人の主権者に委ねることを契約するのです。」

 このことは自己保存の放棄でも、その手段としての暴力の放棄でもなく、自然権の判断、すなわち理性に委ねることであります。ホッブスは、「主権とは、第一義的には国家理性であり、自然状態において自然法は貫徹されることはないと考えたのです。

 これが近代国家の論理であり、近代国家を構築するものであり、「主権」という概念であります。つまり国家の役割は何よりもまず、国民の生命、財産の安全確保、社会秩序の維持であり、それを実現するために要請されたものが、絶対的な権力である「主権」という概念であり、「主権者」は究極的な力を持つことになるのです。

 つまり国家とは、こうした役割を持って構成された集合体であり、その役割を果たすために「主権」という概念を欠いた「国家」は、あり得ないのです。しかし戦後のわが国は、「国家観」に「主権」という概念が全く喪失されたまま今日に至っているのです。

 それは戦勝国による戦後の日本に対する方針が、国家の弱体化にあったからであります。具体的には、GHQによる「主権国家」の概念を欠いた憲法を国家の柱に据えられ、国づくりを進めざるを得なかったことであります。そしてそれを帝国政府による弾圧により自由や権利を奪われたマスコミや知識人、またロシア(旧ソ連)や中国の影響のもとに活動していた左派勢力の者達の支持を受け、更に隣国にとっても安全保障上、我が国が「主権」を行使できないようにしておく方が都合が良いことから、政治的に憲法の見直しをされることはありませんでした。

 また、当時の焦土化した我が国において、国民が一日も早く食べていけるようになるためにも、安全保障を考えることなく、内政にだけ目を向けていられることは、政治的に大変都合が良かったのです。

 つまり国家の根本である国の安全保障(国民の生命と財産を守る)を米国に委ねることにより、ただただ富の形成と社会秩序の維持にのみ邁進することができた都合の良さから、国家としての国づくりを政治の不作為により、全く行って来なかったのです。

○「憲法」と「主権」の優位性について

 ここで整理しておかねばならないのが、政治権力の正統性のすべてを規定する「憲法」についてです。特に近代憲法では、フランス革命などで示されたように、国家権力に対して「自然権」である基本的人権を守るものとされております。また一方で生命・財産を保持することが自然権としての基本的権利の最たるものであり、、それを守るのが近代憲法であるということから、ここに2つの立場による根本的矛盾が生じます。

 特に、日本国憲法では、主権は国民に存し、その発動は国会を通してなされるとされております。そして個人の生命、財産は、それ自体として尊重されなければならないとされております。

 しかし現実において、昨年の東日本大震災において、緊急輸送道路を確保するために、それを遮る個々の家を壊してでも、押しのけてでも、一刻も早く作業に取り掛からなければなりませんでした。

 また時には、都市計画道路の整備のように、個々の財産権を規制することをしなくては、国民の福祉の向上に繋がらないということになります。

 つまり、法治主義に則った通常の社会秩序の維持が不可能になった状態、国民の生命、財産の安全が脅かされる事態、また著しく国民に不利益を与える状況において、「主権」の役割が決定的になるのであります。

 このことから、非常事態の法的秩序が欠落した日本国憲法は、社会生活が一定の秩序を保って営まれている時のみ有効な憲法であり、政治権力の正統性のすべてを規定する「憲法」として、重大な欠陥があるのです。

 「主権」を欠いた国家はあり得ず、「憲法」は国民の名のもとに付託を受けた、国家の「主権」おいて作り出されるものでなければならないのです。言い換えれば、「主権」が「憲法」を生み出し、「主権」が「憲法」を停止することもできるのです。それは「主権」という絶対的な権力が、人々の生命や財産を守るものだからであり、これが西洋近代国家の理論になっているのです。

 だからこそ私たちは、国家に対して、政治に対していい加減であってはならないのです。戦後の日本人が「主権」「主権」を連発し、「国民主権」から始まり近頃では、民主党による「地域主権」などととぼけたことを言い、一方では「憲法」「憲法」と「憲法」さえ押し頂いていれば何でもよいと思っている能天気さが、自己保存のための自然権の他国とのバランスを、著しく損なわしており、最も危険で厄介な隣国に対する隙になっていると言えるのです。

(京都大学教授 佐伯啓思著 『反・幸福論』 参照)

 最後に、平和を望まない国民はいないと思います。しかしながら相手がある平和という概念において、平和的で友好的な関係を維持、構築していくには、意識的にも体制的にも、一定の緊張関係が不可欠であります。それが国民の生命、財産を保持していくための絶対的要件として必要となってくるからであります。

 我が国は今、大きな脅威と国難に直面しております。正に国家の安全保障上、重大な局面を迎えております。しかしながら我が国は、歴史的にも大きな困難にぶつかればぶつかるほど、驚異的な力を持って乗り越えてきました。子供たちの未来に、この素晴らしい我が国を継承していくことが、私たちの責任であります。その為に今こそ、主権国家の自覚を国民一人一人が持つことが重要であります。そしてそこにこそ、今日の厳しい国際社会で生きていく力が生まれるのだと思います。

天は自ら助くる者を助く、他力本願では国は守れない!

 現代の日本の状況は第一次世界大戦後のイギリスやフランスに似ています。第一次大戦で若者が大量死し、あまりに悲惨だったため、戦後は二度と戦争しないとの雰囲気が蔓延しました。その結果、ドイツの興隆に対し英仏が宥和主義に傾き、更なる悲惨な戦争を招きました。同じように日本は、第二次大戦後、平和主義に徹するのが正しいと考え、日米安全保障条約を活かしつつ限られた軍備を合わせて、何とか安全を保ってきました。

 しかし、今や日本の隣り近所が世界でも危ない地域となりつつあります。湾岸戦争を機に、中国が軍の近代化に目覚めました。軍拡を続ける中国は、戦後日本と違って軍事力を否定的なものとは見なさない。国益にプラスと判断すれば使い得る。東シナ海の島々や尖閣諸島を国内法で中国領土と定めている。これは「機会があれば奪う」ことを意味しているのではないでしょうか。(五百旗頭真氏 平成24年5月14日読売新聞 新旧防大校長「国防と人材」より)正鵠を得た、端的で鋭い説得力のある指摘であります。氏のこの指摘を、政府関係者がどの程度真剣に考えているのでしょうか。

 これまで日本が専守防衛に徹し、合理的対処にのみ傾注できたのは、日米安全保障条約という強い後ろ盾があったからであります。しかし、日米安全保障条約の第5条は、共同防衛を規定したものであり、日本が戦わなければ米国も戦う必要がなくなるということは、前回も触れた通りなのです。

 先日北京の丹羽宇一郎中駐日大使の車が襲撃され、国旗を奪われた事件が発生しました。中国はその容疑者を、国内の世論を配慮し不起訴としました。

 駐在大使の護衛はその国の責任であり、このことは中国の治安の悪さをさらけ出す醜態であるわけですが、日本は再発防止のためにも、もっと強く抗議すべきであり、全く情けない話であります。

本日、社団法人日本外国特派員協会での講演が無事に終わりました。

 午前11:45 オーストラリア新聞のリック・ウェルス特派員(今回の責任者)と打ち合わせ、昼食後午後12:30から、彼の進行により講演が始まりました。

 私の他に、一緒に上陸をした和田有一郎兵庫県議会議員、小坂英二荒川区議会議員が同席され、今回の経緯と「国を守ることは、日本人としての誇りを守ること」との内容で話を致しました。特に原稿は用意しませんでしたが、思うことの80%はお伝えできたと思っております。

 講演を振り返り、私は改めて次のように考えております。


①弱腰外交は、法治国家日本の危機

 「義を見てせざるは勇なきなり」 これは、人として正義と知りながらそれをしないことは勇気が無いのと同じである、という意味であります。今回の政府の最大の汚点は、同胞の慰霊を現地で許さず、中国人犯罪者(日本海域の領海侵犯、不法入国、公務執行妨害、凶器準備集合罪、器物損壊罪など)を我が国の領土である魚釣島へ上陸させてしまい、中国の圧力に怯え、起訴することもなく、何もなかったかのように不問に伏し、挙句の果てにビジネスクラスの飛行機で英雄のようにして帰すという、愚かな対応でありました。

 このことは、2010年9月7日の尖閣諸島中国漁船体当たり事件の対応と同じで、この時は海上保安庁が漁船の船長を公務執行妨害で逮捕し、石垣島へ連行し、那覇地方検察庁石垣支部へ送検しました。

 しかし中国政府は、「尖閣諸島は中国固有の領土」という主張を根拠に、北京駐在の丹羽宇一郎大使を深夜呼び出し、日本側の主権に基づく司法措置に強硬に抗議し、船長・船員の即時釈放を要求。これを受けて13日に政府は、船長以外の船員を中国に帰国させ、中国漁船も中国側に返還しましたが、船長に対しては、国内法に基づく司法手続きの方針を固め、19日に勾留延長を決定しました。すると中国はこれに強く反発し、即座に日本に対し様々な報復措置を実施してきました。

 これに屈する形で24日、国連総会開催中で菅直人総理・前原誠司外務大臣不在の中、那覇地検・鈴木亨次席検事が、船長の行為に計画性がないとして、更に日中関係を考慮したとして、こんな重大な問題を地検支部の判断に任せ、中国人船長を処分保留での釈放にすると突如発表し、仙谷由人官房長官がこれを容認、25日朝、石垣空港を無理矢理開けさせ、中国側が用意したチャーター機で中国へ送還させました。

 当時政府は中国への配慮から、漁船衝突時の動画を非公開としていましたが、元海上保安庁一色正春氏によって44分間の傍若無人な体当たりシーンが公開され、伝えられていた以上の事件の大きさを知ることができて、改めて暴力団まがいの中国人の危険性を身に染みて知ったわけであります。

 しかしこの時も政府は中国の抗議に屈し、報復措置に怯え、我が国の領土、主権を侵されても、中国に配慮した対応しか取らず、このことにより、日本人の誇りは大きく踏みにじられました。

 そして今回も全く同じケースであり、中国政府の差し金で行動する反日組織とやらを動かし、中国に人質として取られている日本人民間人に対し破壊行動をさせ、脅すという正に暴力団、ヤクザと同じ連中に屈しているわけであります。(暴力団排除条例で、民間人が頑張っているのに情けない話です。)

 このことは法治国家日本の危機であり、民主主義国家日本の危機であります。ご承知のように、幕末に結んだ列強国との不平等条約を解消するために、維新政府がどれだけ腐心し苦労されたかを考えてみれば、その解消に大きく結びついて行く大津事件(1891年(明治24年)、日本を訪問中のロシア帝国ニコライ皇太子に、警察官 津田三蔵が斬りつけた暗殺未遂事件。当時列強の1つであるロシア艦隊が神戸港にいる中での事件で、発展途上国の日本が報復されないか緊迫した状況の中で、行政の干渉を受けながらも、大審院院長 児島惟謙が司法独立を維持し、三権分立の意義を広めた事件。)は、法治国家として正義を貫き、民主主義国家として日本を見直す大きな契機になったわけであり、一連の弱腰外交はこの国を滅ぼすと強く感じております。

 

②尖閣諸島領有を主張する中国・台湾には、正当な根拠が1つも無く、米国政府内では解決済みな案件

 「領土問題は互いの正当な主張があるから、相手の言い分にも耳を貸さねばならない」などと述べられている方がいらっしゃいますが、外交問題は必ず相手の思惑があるわけであり、、事実を基にして内容を正確に認識することが重要であり、このような事態でのこうした呑気な発言こそ、平和ボケ日本の象徴であり、改めていかねばなりません。

 まず台湾の尖閣諸島の領有権の主張は、戦後米国統治下で、日本が沖縄周辺の漁業ができなかった頃から、集団で尖閣諸島周辺海域で漁業(乱獲)を行うようになり、更に1969年秋に、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が周辺の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性が高いという海洋調査の結果の発表の後であります。同年11月22日の佐藤栄作総理とリチャード・ニクソン大統領との会談で、沖縄復帰が合意された後、台湾(中華民国)が米国に、これらの島々を日本に復帰させるのを保留するよう求めてきたことから始まっています。

 こうしたことにより、米国は沖縄復帰と尖閣諸島の帰属の判断を同時にするよう迫られることになりました。

 その後中国は、翌1970年12月3日になって、初めて尖閣諸島の領有権を主張してきましたが、これに関して米国は、何ら考慮する根拠が無いとして、取り上げることすらしておりません。その後中国は、尖閣諸島は台湾のもので、台湾は中国のものであるから、従って尖閣諸島は中国のものであるとの三段論法を使い始めて来ました。理屈にもならない因縁を付け、脅して見せ、相手を従わさせようとする暴力団やヤクザのような国としか言いようがありません。(この様な国に、しっかりと立ち向かう気概が、今こそ日本人に求められているのです。

 台湾の主張については、1971年3月15日、中米台湾大使周書楷が米国国務省に提出した文書が残されております。論点は3つあります。


・15世紀の明の時代から琉球に冊封使を送っており、その使節団の旅行記に台湾との境界線は、赤尾嶼(大正島)であると記されており、更に地質学的構造は台湾のものと似ていて、地理的にも台湾と隣接しており、沖縄よりも近いと主張しております。

 しかし冊封使制(琉球王国が中国皇帝に対し、臣下の礼を取ることで王に封じられた体制)下の旅行記に、境界線が尖閣諸島と考えられていたからと言って、それと台湾への帰属とは何ら関係なく、地理的に台湾に近くてもそうした島国はいくらでもあり、それと帰属とは全く関係がありません。特に日本政府は、尖閣諸島の領有状況を1885年から1895年まで調査し、世界情勢を考慮した上で、閣議決定し、沖縄県に編入しています。尖閣諸島には1884年以降、古賀辰四郎氏が、かつぶし業、アホウドリ羽毛業をしており、1895年以降政府から正式に許可を得て事業をしており、こうしたことから領土主張の最も有力な根拠となる先占の法理により、尖閣諸島が日本に帰属していることは間違いなく、こうした歴史的事実を米国も認めております。


・釣魚台列嶼(中国表記)は、長年に渡って台湾漁民の漁場であり、嵐を避けるためや船や漁具を修理するために使っていたと主張しています。

 日本は当時、こうした不法行為を取り締まるよう琉球列島米国民政府に再三要求しており、1968年の要求の後、台湾漁民は尖閣諸島周辺に入域する際、琉球列島米国民政府の指示する手続きを取っていたもので、当時は領有権を主張することはありませんでした。自国の領土であれば、何らかの主張をしているはずであります。


・第二次世界大戦の終結以来、北緯29度以南の島々は、サンフランシスコ講和条約第三条に従って米国の占領下に入り、その中には釣魚台列嶼も含まれていました。台湾政府はこの地域の安全保障への配慮から、それまで異議を唱えませんでしたが、そのことが、釣魚台列嶼が琉球の一部であることを黙認したわけではないと主張しています。

 これは日本が尖閣諸島を沖縄県に編入したのが1895年で、日清戦争とほとんど同時期であることを突いておりますが、日清戦争を終結させた下関条約には、尖閣諸島を日本に割譲することは記されていません。もしこの時割譲したのなら、カイロ宣言の条項(日本は台湾と澎湖島を台湾に返還する。)を履行すべしとしたポツダム宣言第8条に基づき、日本は尖閣諸島を台湾に返還しなければなりませんが、そうではなかったわけであります。尖閣諸島は日本が清から台湾の一部として割譲を受けて沖縄県に編入されたのではないと言うことであります。また米国が北緯29度以南の南西諸島を委託統治すると規定したサンフランシスコ講和条約(1951年締結 1952年発効)の第3条によると、南西諸島とは、条約締結時の日米の了解で、1939年の日本の地図で日本の領有となっているものをいい、これには沖縄の一部として尖閣諸島が明記されています。またこの講和条約を日米が結んでから1971年3月15日になるまで、台湾が異議を唱えなかったことを認めていると明らかにしています。

 こうした事実は、1971年6月7日に大統領首席補佐官のアレキサンダー・ヘイグがキッシンジャー国務長官に送ったメモの中でも言及されており、米国は重視していたことがわかります。

 これを踏まえ、佐藤・ニクソン合意に沿って、尖閣諸島を復帰させることになったわけであります。これに反発した沈剣虹外交部次長が同年9月15日に台湾の米国大使館を訪れ、尖閣諸島について何の声明も出さないよう求めましたが、この時も沈次長から、これらの島々に対する領有権の要求は出ませんでした。

 その翌日、今度は米国務省に中米台湾大使 周書楷がやってきて、尖閣諸島のことを口にした時、マーシャル・グリーン東アジア課長は、尖閣諸島は琉球諸島の一部であり、従って日本に復帰させると断言しております。

 このように、1895年以来、日本は尖閣諸島に主権を持ち続けており、これらの島々を含めた沖縄は、米国による軍事的占領と委託統治を受けておりましたが、それは日本の主権に影響を与えるものではありませんでした。これに対し、台湾の領有権の主張は、1971年2月に入ってされるようになり、十分な根拠に基づくものではありませんでした。そして米国もそれを十分認識しており、尖閣諸島を沖縄に含めて日本に復帰させたのです。

 2010年10月27日、米国務長官ヒラリー・クリントンが、「改めてはっきり言いたい。尖閣諸島は日米安保条約第5条の範囲に入る。日本国民を守る義務を重視している。」と断言しているのも、こうした事実を踏まえてのことであります。

 しかし、一番重要なのは、日本が何もしなくても米軍がこれらの島々を守ってくれるわけではなく、この条項は共同防衛を規定したものであり、日本が戦わないならば、米国も戦う必要はないということであることを、十分認識すべきであります。


③尖閣購入と今後の日本の課題

 尖閣諸島の領有権については、日本には竹島同様これだけの正当な理由があるわけです。しかし、なぜこうした事実があるにも拘わらず、日本政府は何もしなかったのでしょうか。

 尖閣についての中国の主張は、今から40年前、沖縄が返還され日中国交正常化交渉が行われた頃から始まったわけであります。米国占領中には一言も言及しなかった中国が、日本の中国支配に絡めて言いがかりをつけ、対する日本も当初は根拠のない要求は突っぱねていたわけですが、最終的には中国の揺さぶりに屈し、鄧小平副首相来日時の「尖閣は棚上げしよう。」の提案を政治合意とし、以来日本政府は「尖閣を領有すれども活用せず」とし、今日まで金科玉条のごとく守っているわけでありますが、中国にとっては単なる時間稼ぎで、機を見て力をつけて奪い取る。ここ数年中国は、領土的野心をむき出しにして強硬路線を取っています。

 しかしそのことに対し、何の戦略も持たず、日本は怯えているだけの状態であります。石原知事は、政府が何もしないから、弱腰・卑屈外交は何も生まない、国を滅ぼすとの思いで、尖閣購入を決意し、手続きをしています。

 領土的野心をむき出しにしている中国に対し(韓国には竹島を実効支配されている)、国が何もできないなら、都を使って打開させるべきであり、その都の測量の為の上陸申請を却下するとは、全く考えられない事であります。

 野田総理は、自分が総理となり初めて訪問し、日韓の重要性をアピールした韓国に、大統領による竹島上陸という暴挙に及ばれ、苦しまされ、竹島・尖閣諸島に対する中国・韓国への非難決議をしたにも関わらず、都の上陸申請に対しては不許可というチグハグな対応で、全く国を守る、領土を守る気概がありません。こんなチグハグな対応をしているからこそ隙を与えていることをもっと真剣に受け止めるべきであります。

 そもそも国の尖閣上陸禁止の根拠は、栗原家(所有者)との賃貸借契約(2001年契約)前文の「尖閣諸島の平穏かつ安定的な維持管理のため」という文言にかこつけているだけで、来年の3月末で国とのこの契約も切れるわけであり、その後は何の根拠もなくなります。

 私たちが上陸不許可となったのも、この前文の為だけでありますが、中国人犯罪者は上陸させ、日本人には慰霊もさせないことが、平穏かつ安定的な維持管理なのでしょうか。弱腰・卑屈外交は、竹島が象徴的なように、この国を孤立させかねません。税金(1年間2,450万円)で借りている尖閣諸島は何のために借りているのか、自治体なら間違いなく住民監査請求が出るはずであります。 今後都は上陸しなくても、財政価格審議会にかけて、売買価格の相場について検討することができますので、粛々と手続きをしていくことになります。そして都民の皆様だけでなく、国民の皆様にご理解いただけるような事業として、一刻も早く実際に安定的に使用できる島にしてまいります。

 今回私たちを尖閣諸島まで連れて行ってくれた漁船の船長さんによると、尖閣周辺で一日も早く安心して漁が出来るよう、魚釣島に、海が荒れた時の漁船が一時的に避難できる施設や港を整備し、無線電波の中継管理場を設けるなどしてほしいと話しておられました。周辺海域や島の安全のためにも、これらの整備には国が関わっていくことが不可欠であり、ここで改めて日本の外交防衛戦略を立て直すべきであります。

 私たちは今、戦後積み残した課題にしっかりと立ち向かい、日本人としての誇りを持って対処すべき時を迎えております。まず外交においては、度を越した配慮、気配りに毒されて卑屈になっている政策を立て直していくことであります。

 そして、日本人が日本人としての精神を取り戻していくことが、東日本大震災を含めた日本の真の復興であります。更に、史実、科学的見地に立った歴史をもう一度見直し、その見直しの足かせになっている、歴史的根拠のない1993年の河野談話の破棄、歴史教科書が外国の内政干渉を許す契機となった、1982年宮澤喜一官房長官による近隣諸国条項の削除など、巧みにしくまれた負の遺産を取り除いていくことが大切であり、最終的には憲法改正を国民運動にしていくことが不可欠であると思っております。


⑤「アーミテイジ・ナイ報告書」の意味するもの

 アメリカのタカ派グループでありますが、先進国の条件として、報告書によると、①経済力 ②軍事力 ③リーダーシップ が挙げられております。これを見ると、殆どどの分野においても、日本は先進国の条件を満たしていない状態になっております。

 先日、韓国の李明博大統領が、血迷った天皇謝罪論を主張した中で、日本はもう先進国ではない旨の発言がされていました。こうした発言に対し、日本人はもっと真剣に受け止めていくことが重要であります。積み残した課題をいつまでも引きずっているうちに日本は、国際社会の中で取り残されていっております。

 尖閣諸島を守ることは、単に島を守ることだけでなく、日本人の意識を改め、強い精神を取り戻すことであります。世界はそんな日本を見ています。天は自ら助くる者を助く、努力しない者は滅び滅ぼされていく。

 今こそ日本人は、こうしたことを重く受け止め、子供たち世代への責任を真剣に考えるべきであると思います。


※記者会見はYou Tubeでご覧いただけます。


http://www.youtube.com/watch?v=sqf8Ft-SXUE  (講演・答弁のみ)

http://www.youtube.com/watch?v=B_lkLyLVxlE  (ノーカット版)




鈴木章浩のブログ



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明日、社団法人日本外国特派員協会で講演することに!

 この協会は、昭和20年に設立され、現在150社の新聞、通信社、ラジオ、TV、雑誌などの海外報道機関から派遣された在日外国特派員と日本の報道機関60社から合わせて約360名の記者が正会員として登録されており、監督官庁は外務省(驚き)であります。これまでにダライ・ラマ法王、フランス大統領ジャック・シラク氏、アメリカ大統領ジョージ・ブッシュ氏、フィリピン大統領マカレル・アロヨ氏、そして歴代日本の総理大臣17名の方々、また石原慎太郎知事、カルロス・ゴーン日産自動車社長、御手洗冨士夫キャノン会長など政治、経済、スポーツ、文化、芸能界など幅広い分野から多数講演をされております。

 以前、小泉元総理が講演されているのをテレビで見たことはありますが、自分も声を掛けて頂けるとは驚きです。本当に幅広い分野からであると改めて感心致しました。

 明日が楽しみです。

尖閣諸島から戻って

 まず今回の一行の代表である参議院議員山谷えり子先生とお会いする機会を頂き、「あの場に居合わせた者として、誰も責めることはできないわ。」というお言葉を頂きました。また気がかりだった地主の栗原家の方々からも、「有り難うございました。嬉しく思っています。」とのお言葉を聞かせて頂き、ほっと致しました。

 石原知事は、「どうせ行くなら、もっと大きな国旗を掲げて堂々と行け。」と話されていると聞き、改めて知事の尖閣購入への強い思いが伝わってまいりました。

 戻ってからの反響がこれ程大きいものとは思ってもみませんでした。時期が時期だったからでありますが、だからこそ、当然のことを当然に行ったまでのことであります。

 この時期の一連の流れが、日本人が真の日本人として目覚める契機となっていくことを、多くの同志の方々と一緒に願ってやみません。