責任ある積極財政で、日本を再び成長国家へ ―東京から日本の成長を広げる―
日本経済はいま、大きな転換点を迎えています。
長く続いたデフレと低金利を前提とする経済から、物価上昇と金利のある経済へと、我が国を取り巻く経済環境は大きく変化しています。日本銀行も物価や賃金の動向を踏まえながら、金融政策の正常化を進めており、企業や家計にとっても、これまでと異なる経済環境への対応が求められています。
その一方で、日本は人口減少と少子高齢化という構造的な問題に直面しております。働き手の減少や社会保障の負担の増加が見込まれる中、限られた労働力で、いかに生産性を高めて、持続的な経済成長を実現するかが、これまで以上に重要になっています。さらに、我が国を取り巻く国際環境も大きく変化しております。ロシアによるウクライナ侵略や中東情勢など、地政学的リスクが高まる中、エネルギーや重要物質の安定確保を含め、経済安全保障の重要性が一段と増しています。世界的にもエネルギー安全保障やサプライチェーンの強靭化が重要な課題となっています。加えて、AIや半導体、デジタル技術などの急速な進展によって、産業構造そのものが変わりつつあります。米国・中国・欧州をはじめとする国々が、先端技術や戦略産業への投資を強化する中、日本も国際競争力を維持、強化していかなければなりません。こうした変化は、それぞれが別々に起きているのではありません。人口減少という国内の構造変化に、物価・金利環境の変化、地政学的リスク、エネルギー・経済安全保障、そして技術革新と国際的な産業競争が重なっています。
まさに、日本はこれまでの「デフレ・低金利を前提とした経済」から「物価と賃金が持続的に上昇し、投資と成長を生み出す経済」へと、経済のあり方そのものを転換していく局面にあります。目先の物価高への対応だけでなく、将来の成長力を高めるための投資、人への投資、技術革新、エネルギー・経済安全保障の新たな成長軌道を作っていくことが求められています。
そのために、いま必要なのは、過去の政策を単純に肯定することでも、否定することでもありません。
何が成果だったのか。何が課題として残ったのか。そして、その教訓をこれからの日本の成長にどう生かすのか。
この視点が重要です。
その意味で、私はアベノミクスを検証することが、現在の「責任ある積極財政」を考えるうえで非常に重要だと考えています。
2012年末から始まったアベノミクスは、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」という三本の矢を掲げました。
その中心となったのが、日本銀行による大規模な金融緩和です。
2013年、日本銀行は消費者物価の前年比上昇率2%を「物価安定の目標」として掲げ、長く続いたデフレからの脱却を目指しました。
当時の日本では、物価も賃金も上がらず、企業も家計も将来に慎重になっていました。
金融緩和によって実質金利を低下させ、企業の借入・設備投資を刺激し、住宅投資・個人消費を刺激し、資金調達環境を改善させ、円高・デフレから経済を動かしていく。
これがアベノミクスの大きな狙いでした。
この政策には、当然、功罪の両面があります。
しかし、少なくとも、長く続いたデフレによって縮小均衡に陥っていた日本経済を、再び動かすきっかけをつくったことは評価すべきです。
企業収益は大きく改善し、設備投資や研究開発も増え、雇用環境も改善しました。
財務省「法人企業統計調査」の金融・保険業を除く全産業でみると、2012年度を100として、2024年度までに経常利益は約237、実額で114兆7288億円まで増加しました。
アベノミクスには、こうした明確な成果がありました。
しかし課題も残りました。
企業収益が増加した一方で、その利益が十分に賃金上昇や国内設備投資、新しい産業の創出へと循環したとは言い切れませんでした。
先の資料によると、2012年度を100として、2024年までに設備投資は約160にとどまり、実額で55兆5159億円、経常利益の伸びに比べ、設備投資の伸びはかなり小さいことが分かります。
そしてその分、企業の利益剰余金が大きく増えました。もちろん、内部留保そのものが悪いわけではありません。企業が将来への備えとして財務基盤を強化することは重要です。しかし、日本経済全体として考えれば、企業に蓄積された資金が、賃金、設備投資、研究開発、新規事業、スタートアップなどへ、さらに積極的に回っていく仕組みをつくることが必要でした。つまり、金融緩和は経済を動かす「エンジン」にはなりましたが、エンジンを回すだけで、新しい産業や国内の供給能力そのものが自動的に生まれるわけではありませんでした。ここに、アベノミクスから学ぶべき大きな教訓があります。金融政策と財政・成長政策を組み合わせなければ、持続的な成長にはつながらないということです。
更に、日本経済を取り巻く環境は変わりました。アベノミクス以降の円安は、輸出企業の収益改善やインバウンドの増加など、日本経済にプラスの効果をもたらしました。
しかし、2022年以降は、世界的なインフレやエネルギー価格の上昇と重なり、円安が輸入物価を押し上げる側面が強くなりました。
原油、天然ガス、食料、原材料などを海外に依存する日本にとって、過度な円安は家計を圧迫します。
つまり、円安が企業にとって追い風となる局面から、円安が国民生活にとって物価高の負担となる局面へと、経済環境が変化したのです。
今こそ、「低金利に依存しなくても成長できる経済」へ政策も変えていかなければならないのです。
現在は、物価上昇を抑えるため、日米協調の為替介入により円安のスピードを抑え、段階的に政策金利を見直すという金融政策の正常化が進んでいます。
2024年7月に政策金利を0.25%程度へ見直して以降、現在は1.0%程度になっています。今週(9/17~18)に予定されております、日銀金融政策決定会合で更なる利上げが予想される中、日本と米国などとの金利差が縮小すれば、円高方向への圧力が生まれ、輸入物価を抑える効果も期待できます。
しかし利上げには、住宅ローンや奨学金の返済、企業の借入負担が増えるというマイナス面もあります。
「物価を抑えるために利上げをすれば、それで終わり」という政策であってはなりません。金融政策によって生じる痛みを、財政政策によってどう緩和するのか。ここに「責任ある積極財政」の重要な役割があり、正に地域を知る地方議員の出番であると考えております。更に、長引く中東情勢に起因する「コストプッシュ型インフレ」への懸念が高まり、「物価は高い、金利も高い、しかし景気は強くない」という事態への備えも必要になってきております。
実際、2026年上半期の全国倒産件数は5,346件と、上半期として12年ぶりに5,000件を超え、倒産企業の77%が負債1億円未満の小・零細企業が中心に増加しています。
そうした状況において、これまで政府の痛みに対する対応が遅いと言われてきた中で、「利上げをすればインフレが収まる」という従来型の発想だけではなく、一時的に痛みを和らげながら、持続的に賃金を上げられる「稼ぐ力」を高める、経済構造をつくることがとても重要になってきております。更に原材料価格の上昇に伴う価格転嫁を適正に行う指導を積極的に行っていくことです。金融政策によって物価を抑え、財政政策によって、その痛みを和らげ、民間投資を促す。単に補助金を配るだけでなく、「守る政策」と「成長する政策」を同時に進めていく。これこそが、今求められている「責任ある積極財政」だと考えています。
また、日銀の金融政策によって、物価の安定を図る一方で政府は、家計の負担に対し、必要な支援を検討しています。
それが、令和9年4月からの実施を軸に検討されている消費税減税と、2年後に予定されている給付付き税額控除です。
食料品にかかる消費税の負担を現在の8%から1%へ引き下げ、更に所得に応じた給付を組み合わせ、実質的に2年間、食料品の消費税をゼロにすることで、家計の可処分所得を下支えし、その後に、「所得に連動したきめ細かな給付」を行い、恒久的な所得再分配、社会保障改革へ移行するための給付付き税額控除の制度設計に取り組んでおります。給付付き税額控除は単純に一律給付を行うのではなく、「税」と「社会保険料」と「社会保障給付」を一体として見直し、現役世代の過度な負担を抑えながら、必要な人には確実に給付する制度で、よりきめ細かく生活を支えることができます。
もちろん、財源や制度設計については、慎重な議論が必要ですが、重要なのは、政策によって生じる「痛み」を国民に押し付けるだけにしないことです。
物価を抑えるための利上げを行う一方で、住宅ローン、中小企業の借入、奨学金返済など、金利上昇によって負担が増える人々にしっかりと目配りをすることが、政策への信頼を高めることにもつながっていくものと考えます。
そして目指すべきは、「適正な金利がある中でも、企業が投資し、賃金が上がり、経済が成長する日本」です。金利が正常化しても成長できる経済をつくること。そのために、AI、半導体、量子、GX、バイオ、ロボットなど、将来の成長分野への投資を進め、国内の供給能力そのものを官民で高めていく必要があります。そして、生産性の向上を賃金上昇につなげ、実質所得を増やしていくことが重要です。日本経済の持続的な成長の鍵は「内需」と実質所得の回復です。日本のGDPを考えるうえで、国内需要の重要性は非常に大きなものがあります。
特に重要なのが、GDPの5割強を占める個人消費です。
物価が上昇しても、賃金の伸びがそれを上回れば、実質所得が増え、消費が拡大します。
賃金が上がることだけでは十分ではありません。物価上昇を上回って実質的な購買力が増えることが重要です。
実質所得が増える。
消費が増える。
企業の売上が増える。
企業が投資する。
生産性が向上する。
そして、さらに賃金が上がる。
この好循環をつくることが、これからの日本経済の核心です。
だからこそ「単年度PB黒字化」から考え方を変える必要がありました。
これまで日本では、基礎的財政収支、いわゆるPB(プライマリーバランス)を重視し、「いつ単年度で黒字化するのか」という目標が強く意識されてきました。
PBとは、国債の利払いなどを除いた政策経費を、税収などでどこまで賄えているかを見る指標です。
財政規律を維持するためにPBを見ること自体は重要です。
しかし、単年度のPB黒字化だけを機械的に追い求めると、景気が悪いときでも必要な投資や景気対策を抑制してしまう可能性があります。
実際、OECDによれば、2023年にPBが黒字だったのは対象36か国のうち10か国にすぎません。OECD平均のPBもGDP比マイナス2.4%でした。つまり、PBは重要な指標ではありますが、それだけで財政の健全性を判断するものではないということです。大切なのは、単年度の数字だけではなく、数年間の経済成長、税収、歳出、金利、そして政府債務残高がGDPに対してどう動いていくのかを総合的に見ることです。
そして複数年度で財政を管理することです。
経済は毎年同じように動くわけではありません。
景気後退、自然災害、感染症、戦争、エネルギー危機など、予期せぬ事態が発生します。
そうしたときに、「今年だけPBを黒字にしなければならない」というルールに縛られてしまえば、必要な財政対応が遅れる可能性があります。
一方、複数年度で管理すれば、景気が悪い年には必要な投資や対策を行い、景気が回復した年には税収増などによって財政を改善するという、より柔軟な運営が可能になります。
重要なのは、中長期的に財政の持続可能性を確保しながら、必要なときには経済を支え、成長につながる投資を行うことです。
これは「財政規律をなくす」ということではありません。
むしろ、単年度の帳尻合わせから、複数年度で財政の持続可能性を確保する、より現実的な財政運営へ転換するということです。
そして、もう一つ重要なのが、政府債務残高を見る物差しを変えることです。
日本の政府債務が大きいことは事実です。
OECDの2026年資料では、日本の政府の総金融債務残高は2024年にGDP比205.6%でした。これは非常に高い水準です。
しかし、ここで重要なのは、総金融債務残高だけを見るのではなく、政府が保有する金融資産も考慮することです。
同じOECD資料では、日本の2024年の「純金融債務」はGDP比86.4%となっています。
もちろん、総債務と純債務はそれぞれ意味があり、単純に「日本の借金は86.4%しかない」と考えるべきではありません。
政府が保有する金融資産のすべてが、すぐに債務返済に使える現金ではないからです。
しかし、だからこそ、「総債務だけを見る」のではなく、「政府の資産も含めた財務全体を見る」
という視点が必要なのです。財政を正しく評価するためには、グロス(総額)の債務とネット(実質)の債務を区別し、そのうえで経済成長率、金利、税収、政府資産などを総合的に見る必要があります。
そして最も重要なのは、債務残高のGDP比を持続的に低下させていくことです。GDPが成長すれば、同じ債務額でもGDPに対する比率は低下します。だからこそ、「借金を減らすこと」だけではなく、「経済を成長させ、債務残高GDP比を安定的に低下させる」という発想が必要なのです。
財政健全化というと、「できるだけ政府支出を減らすこと」と考えがちです。しかし、それだけではありません。将来の成長につながる投資を削ってしまえば、将来のGDPや税収が伸びず、結果として財政がさらに厳しくなる可能性があります。反対に、成長分野への適切な投資によって生産性が上がり、企業収益が増え、賃金が上昇し、税収が増えれば、財政の改善にもつながります。つまり、「使わないことで財政を守る」だけではなく、「成長することで財政を持続可能にする」という考え方も必要なのです。何よりも「投資しないリスク」も考えるべきです。財政を議論するとき、政府がお金を使うリスクばかりが注目されます。しかし、私はもう一つ、**「投資しないリスク」**を考える必要があると考えております。
半導体に投資しなければ、海外依存が強まります。
AIに投資しなければ、世界の技術競争から取り残されます。
エネルギーに投資しなければ、安全保障上のリスクが高まります。
防災投資を先送りすれば、災害時の被害が大きくなる可能性があります。
教育や研究への投資を怠れば、将来の人材不足はさらに深刻になります。
つまり、何もしないことも、未来の世代に大きな負担を残す可能性があるのです。
だからこそ、いま「責任ある積極財政」が求められています。
重要なのは、単に政府がお金を使うことではありません。
将来の成長につながる分野に重点的に投資し、政府の投資を呼び水として民間企業の投資を引き出すことです。
現在の成長戦略では、17の戦略分野、62の主要な製品・技術を対象として、2040年までに官民合わせて370兆円を超える投資が見込まれています。
これは政府だけで370兆円を支出するという意味ではありません。
官民一体となって、日本の供給能力を高め、将来の成長産業を育てていくということです。
ここに「責任ある積極財政」の意味があります。
将来の税収と所得を生み出すために、いま必要な投資を行う。
そして、その投資によって経済成長を実現し、債務残高GDP比を安定的に低下させていく。
これが、これからの財政運営に求められる姿ではないでしょうか。
この考え方は、東京の発展にもつながります。
アベノミクスの時代、東京都も「世界から選ばれる東京」を目指して、海外から企業、投資、人材を呼び込む取り組みを進めてきました。
「Invest Tokyo」などを通じて、海外企業に対して東京の市場規模、技術力、都市機能、暮らしやすさなどを発信し、企業進出を促すための優遇策やオフィス支援なども行ってきました。
さらに、インバウンドの拡大にも力を入れてきました。
外国人観光客が東京を訪れれば、ホテル、飲食、小売、交通、文化、エンターテインメントなど、幅広い産業に需要が生まれます。
東京に海外から企業や投資を呼び込み、さらに世界から、観光客を呼び込む。
東京はこうして、世界とつながる国際都市としての機能を高めてきました。
しかしこれからは、さらに一歩先を目指す必要があります。
これからの国際都市間競争で重要になるのは、企業や資本だけではありません。
世界の大学、研究者、技術、人材、そして知識を東京に集めることです。
その意味でも、東京都とニューヨーク大学が2026年7月に、教育・研究、スタディ・アウェイ・プログラム、東京におけるキャンパス整備の検討などについて合意したことは大きな意味を持ちます。東京都は武蔵村山市を候補地の一つとして、新たな教育・研究拠点の可能性を検討しています。ニューヨーク大学は、社会科学、ビジネス、デジタル分野で強みを持ち、グローバル大学として世界120ヶ国から学生や研究者が集まり、ネットワークを広げています。そうした世界的な大学と東京が結び付けば、海外から学生や研究者が集まります。
そして大学と企業、スタートアップ、研究機関との交流が生まれれば、新しい技術や産業を生み出す可能性も広がります。
これは単なる教育政策ではありません。
世界から「人・企業・資金・知」を東京に呼び込み、それを新しい産業、雇用、投資、経済成長につなげる都市戦略です。
私は、「責任ある積極財政」を通し、高市政権と東京都がしっかりと連携して日本の成長を作っていくことが重要だと考えています。
国がAI、半導体、量子、GX、バイオ、宇宙、ロボットなどの成長分野に戦略的な投資を行う。
東京が世界から企業、資本、大学、研究機関、人材を呼び込む。
そして、東京で生まれたイノベーションを全国へ広げていく。
国の成長戦略と東京の国際都市戦略を車の両輪として進めることです。
ニューヨーク大学との連携も、その一つです。
世界から優秀な人材と知を呼び込み、東京で新しい研究やビジネスが生まれ、それが日本全体の産業競争力を高める。
こうした循環をつくることで、東京のさらなる発展と日本全体の成長につなげていくことができると考えております。
ここまで、「責任ある積極財政」の意義について、経済の専門家でもない私自身が、公表されている資料やデータ、そして東京都の職員とのやり取りを通じて得た情報を基に、皆様と一緒に考えてまいりました。
大切なのは、立場や考え方の違いを超えて、まず事実に基づく正確な情報を共有することです。そしてその情報を基に、一人ひとりが自らの立場で何ができるのかを考え、行動することだと思います。
今、日本も東京も、経済や社会の大きな転換期を迎えています。
こうした時代に、地方議員に求められるのは、国の政策をただ見守ることでも、経済指標だけを追うことでもありません。地域の現場に立ち、中小企業やそこで働く方々、地域で暮らす皆様の声に耳を傾け、現実に何が起きているのかを自ら確かめ、その声を政策につなげていくことです。
農政家 二宮尊徳は、「遠くをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す」と説かれました。
政治もまた、目先の課題への対応だけでなく、10年後、20年後、その先の日本と東京を見据え、今何をすべきかを考えなければなりません。
経済を成長させることも、単に数字を大きくすることが目的ではありません。企業が成長し、雇用と所得が生まれ、投資が広がり、その成果が人々の暮らしと将来への希望に繋がることが重要です。
そのために、国、東京都、区市町村がそれぞれの責任を果たし、力を合わせていく必要があります。
とりわけ東京には、日本経済を牽引する都市として、「稼ぐ力」を高め、企業の成長、雇用、投資を生み出し、その力を日本全体の成長へとつなげていく役割があります。目先の利益だけを求めるのではなく、将来の成長の種をまく。今を生きる私たちには、次の世代に何を残すのかを考え、未来に責任を持つ覚悟が求められています。
私自身も政策の転換期を見誤ることなく、現場の声を大切にし、東京が果たすべき役割を見つめ直し、未来の東京のために、全力で取り組んでまいります。
民泊の規制強化を見据え、今から考えるべき課題
近年、民泊施設の増加に伴い、騒音やごみ出し、喫煙、不審者の出入りなど、地域住民の生活環境に関わる問題が顕在化しています。こうした状況を背景に、自治体による民泊規制の強化が進んでいます。
特に新宿区では新たに、住宅地や学校周辺の立地規制に加え、年間営業日数を現在の180日から120日程度へ制限することなどを検討していると報じられました。こうした事を受け、先日国会議員で作る「民泊議連」の方と意見交換を行い、国会でも今後規制強化の方向で検討しているとの話を伺いました。
新宿区では、住宅宿泊事業法(民泊新法)に基づく届出住宅が、令和6年度末の3,070施設から令和7年度末には3,749施設へ増加し、それに伴って住宅宿泊事業に関する苦情も561件から924件へ、違法民泊に関する苦情も231件から410件へ増加しています。
一方、大田区でも特区民泊は増加しています。
特区民泊の認定件数は、令和5年度末の168件から、令和6年度末には292件へ増加しました。さらに、令和7年8月末時点では、実際に稼働している施設が357件となり、令和8年2月16日現在の区公表の認定施設一覧では、420施設が掲載されています。この420施設は、「420戸」という意味ではありません。同一施設の中に複数の部屋・住戸を持つ施設が多数あり、客室・住戸数は1000戸を大きく超えています。
また、大田区議会での区の答弁によれば、特区民泊に関する問い合わせを含めた区民からの相談・苦情等は、令和4年度から令和6年度までの3年間で126件に上っています。内容では、騒音が最も多く、ごみ出しのルールや苦情連絡先への連絡がつかないことなどが挙げられています。
こうした状況を踏まえ、大田区は令和8年4月から特区民泊のガイドラインを改正しました。新規・増室時の説明会の義務化、近隣周知の拡大、緊急時の徒歩10分以内の駆け付け、24時間365日の苦情・問い合わせ対応、ごみ回収頻度の引き上げなど、規制を強化しています。区自身も「騒音・ごみ問題に関する苦情や新規の施設計画等に対する懸念が増加している」と説明しています。
つまり、大田区においても、民泊施設の増加とともに、地域住民からの相談・苦情が生じ、それを受けて行政が規制を強化する段階に入っていると見ることができます。
実際にこのガイドラインの改正により、事業進出を躊躇する事業者や住民の方々の多大なご尽力によって、撤退を余儀なくされた事業者も出てきており、悪質事業者が減少する傾向もありますが、そこには地域の不安を克服するために立ち上がられた方々のご尽力があります。
だからこそ、ここで考えなければならないのが、地域の不安を生じさせる民泊の必要性と、将来的な規制強化の可能性に対する課題への対応です。
「今後、さらに規制を強化する必要が生じる可能性がある中で、現在の段階で特区民泊の施設を増やし続けてよいのか」という問題です。
そもそも民泊は、民間事業者が勝手に始めたものではありません。訪日外国人の増加や宿泊需要への対応など、行政が抱える政策課題に対応するため制度化され、行政が一定のルールの下で事業者の参入を認めてきたものです。大田区自身も、羽田空港を抱える地域として、宿泊施設不足の解消や地域経済の活性化、国際都市の推進を目的として特区民泊を導入してきました。
事業者は、その制度を信頼して土地や建物を取得・賃借し、改修や設備投資を行い、多額の資金を投じて事業を開始しています。
したがって、将来、社会情勢の変化を理由に規制を強化する場合、単に「条例やガイドラインを改正すればよい」という問題ではありません。制度を信頼して投資した事業者の信頼利益をどのように扱うのかという問題が生じます。
ここで重要なのは、「規制の必要性」と「既存事業者の救済」は別の問題であるということです。
住民の安全・安心を守るために必要な規制は適切に行うべきです。一方、既に適法に認定を受け、その制度を信頼して事業を行ってきた事業者については、規制によって生じる不利益を別途検討する必要があります。
例えば、新たな規制によって、
- 既存施設が新基準に適合できない
- 他用途への転換が困難になる
- 数千万円規模の投資を回収できない
- 金融機関への返済が困難になる
- 営業を継続しても採算が取れない
といった事態が生じれば、単なる営業上の不利益ではなく、事業そのものの存続に関わります。
さらに、大幅な営業制限を導入する場合には、憲法22条1項が保障する職業選択の自由との関係も考える必要があります。
もちろん、職業選択の自由も無制限ではなく、公共の安全や生活環境を守るための合理的な規制は認められます。
その際に重要な先例が、最高裁の薬局距離制限事件(昭和50年4月30日大法廷判決)です。規制の目的だけではなく、その目的を達成するために、当該規制手段が必要かつ合理的であるかが問題となりました。
民泊規制についても、
「住民の安全・安心という目的は正当か」だけではなく、
「その目的のために、なぜこの規制まで必要なのか」
「より緩やかな方法では目的を達成できないのか」
「適正に運営している既存施設まで一律に規制する必要があるのか」
という論点が考えられます。
そして、もう一つ大切なのが、**「これから増やす施設をどうするのか」**という視点です。
仮に、今後さらに施設が増えた後で、住宅地や学校周辺の立地規制、営業日数の大幅な制限などを導入すれば、その時点で影響を受ける既存事業者も増加します。
100施設の段階で規制するのと、500施設、1,000施設に増えてから規制するのとでは、経過措置や事業者への救済、行政が負う可能性のある財政的・法的負担は大きく異なります。
だからこそ、規制を強化してから既存事業者への対応を考えるのではなく、施設を認定する段階から、将来の規制まで見据えておく必要があります。
また、経過措置も「1年間」「2年間」と一律に決めればよいものではありません。投資額、残存耐用年数、借入金の返済期間、投資回収の見込み、他用途への転換可能性などを踏まえ、事業者が現実に対応できる期間なのかを検討する必要があります。
大田区は羽田空港を抱え、今後も宿泊需要が見込まれる地域です。他自治体で規制が強化されれば、事業者や宿泊需要が大田区へ流入する可能性もあります。
だからこそ、問題が深刻化してから対応するのではなく、今の段階から将来を見据えた民泊政策を構築することが重要です。
大田区に求められているのは、
住民の安全・安心を守ること。
適正な事業者の営業を確保すること。
既存事業者の信頼利益に配慮すること。
そして、将来の行政上・財政上・法的な負担を抑えること。
これらを総合的に考え、民泊を「増やすか、規制するか」という二者択一ではなく、将来の規制まで見据えた持続可能な制度設計を行うことです。
民泊の問題は、深刻化してから対応するのでは遅い。
今ある制度を信頼して投資する事業者にも、地域で暮らす住民にも、そして将来の大田区にも責任を持つために、今から考えることが必要です。
日本の国柄を守り、伝統を未来へ
令和3年12月、政府の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議が最終報告書を取りまとめ、当時の岸田文雄総理に提出してから約4年半が過ぎました。この間、安定的な皇位継承をいかに確保し、我が国が長い歴史の中で育んできた皇統と皇室の伝統を将来にわたって守っていくのか、様々な議論が積み重ねられてきました。
そして今回、「皇室典範等の一部を改正する法律」が成立し、7月24日に公布されました。皇族数の確保に向け、女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持できる制度や、一定の要件を満たす旧皇族系の男系男子を皇族の養子とする制度などが盛り込まれました。
この長い議論を経て、一つの結論に至ったことは、我が国の将来を見据え、粘り強く取り組んでこられた関係者のご尽力の賜物であり、深く敬意を表します。
しかし、皇位継承の問題は、単なる制度論や一時的な政治課題として捉えるべきものではありません。
日本という国が、長い歴史の中で何を大切にし、どのような価値を次の世代へ受け継いできたのか。皇位継承を考えることは、まさに「日本の国柄」を考えることにつながります。
だからこそ、伝統を守ろうとする考えを、ただ「時代錯誤」と決めつけるのではなく、なぜこの伝統が今日まで受け継がれてきたのか、その歴史的背景と意味を冷静に見つめ直すことが必要です。
一方で、皇室や皇位継承をめぐる議論について、歴史的経緯や制度の背景を十分に踏まえないまま、対立を煽るような報道や議論が見られることには、強い危惧を覚えます。
大切なのは、賛成か反対かを先に決めることではありません。まず、日本の歴史と皇室制度について正確に知り、その上で将来を考えることではないでしょうか。
日本人の心とは何か
国内外で様々な価値観が交錯する時代だからこそ、私たち日本人自身が、外から与えられた価値観だけで自国の歴史や伝統を判断するのではなく、自らの国の歩みを学び直すことが重要です。
外国人の識者からも、「日本人は日本人としてのバックボーン、日本人の心を失ってしまったのではないか。いかに経済的に豊かになっても、精神的な土台を失えば、やがて国は崩れてしまう」という趣旨の指摘を耳にすることがあります。
大変考えさせられる言葉です。
それでは、日本人の心とは何でしょうか。
一言で定義することはできません。しかし、長い歴史の中で、太陽の恵みに感謝する心、自然を敬い、自然と共に生きる心、祖先を大切にする心、家族や地域を思う心、相手を慮る心、和を重んじる心などが重なり、日本人の精神的な土台を形づくってきたのではないでしょうか。
その中でも、太陽は古来、日本人の生命観や自然観を考える上で重要な存在でした。
太陽の恵みによって生命が育まれる。その恵みに感謝し、自然と共生しながら生きる。こうした感覚は、日本人の精神文化の底流にあるものと考えられます。
また日本人の心を知る上では、日本語に目を向けることも大切です。
例えば「こんにちは」という挨拶について、思想家の境野勝悟氏は、「今日は」という言葉に太陽への意識が込められているという独自の解釈を示しています。古くは「今日様(こんにちさま)」を太陽の意味で用いる地域があったことも、国立国会図書館のレファレンス事例で確認されています。
「今日は、太陽とともに明るく元気に生きていますか」
そうした相手の無事や健やかさを思いやる心が、日常の挨拶の中にあると考えると、日本語の奥深さを改めて感じます。
もちろん、これは「こんにちは」の語源についての一つの解釈として受け止めるべきものです。しかし、こうした言葉の背景に日本人の自然観や生命観を重ねて考えることには、大きな意味があると思います。
日本語を知ることは、日本人の心を知ることにつながる。
そして、日本人の心を知ることは、自らのアイデンティティを知ることにつながります。
日本文化に深い関心を寄せた外国人として、ラフカディオ・ハーン、すなわち小泉八雲も忘れてはなりません。
外国人であったからこそ、日本人が当たり前のものとして受け止めていた自然との関わり、家族や祖先を大切にする心、祭り、人々の暮らしの中にある精神性を見つめ、それを私たち日本人に改めて気付かせてくれました。
天照皇大神と皇統
こうした日本人の精神文化を考えるとき、天照皇大神の存在が浮かび上がります。
『古事記』『日本書紀』に描かれる天照大御神は、太陽と深く結び付いた皇祖神です。そして興味深いことに、その神格は女性として描かれています。
古代日本では、女性が祭祀を担い、宗教的な権威を持つ例が見られました。『魏志倭人伝』に記された卑弥呼も、その代表的な例として挙げられます。
もちろん、天照大御神と卑弥呼を直接結び付けることはできません。しかし、女性が祭祀的な役割を担う文化が古代日本に存在したことは、日本の精神文化を考える上で興味深い点です。
ここで重要なのは、天照大御神が女性神であることと、皇位が男系で継承されてきたことは、別の問題だということです。
天照大御神は神話上の皇祖神であり、皇位継承の原則は、歴史の中で形成され、制度として受け継がれてきたものです。
現在の皇室典範第一条も、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めています。
ここでいう「男系」とは、歴代天皇を男系によって神武天皇につなぐ、いわゆる『万世一系』の皇統という考え方です。
したがって、天照大御神が女性神であることをもって、皇位継承が女系でなければならないということにはなりません。
皇統が守られてきた歴史
日本の歴史の大きな特徴の一つは、政治の実権を担う者が時代ごとに変わってきたにもかかわらず、天皇という存在が連綿として続いてきたことです。
天皇は、歴史上、単純な意味での政治的権力者だけではありませんでした。
古来、新嘗祭や大嘗祭をはじめとする祭祀を担い、国家と国民の安寧を祈る存在として、その役割を受け継いできました。
皇統の継承は、日本の歴史と文化を理解する上で極めて重要な意味を持っています。
もちろん、皇統が常に安泰であったわけではありません。
皇位継承が危ぶまれた際には、近親の皇族だけに限らず、遠い傍系の男系皇族から皇位継承者を迎えることによって、皇統の連続性が保たれてきた歴史があります。
皇位とは、単に天皇に近い血縁関係にある者が継承するという意味ではありません。
皇位には、歴代の天皇から次代の天皇へと受け継がれてきた「皇統」という系譜があります。
皇統とは、歴代天皇をつなぐ系譜であり、現在の皇室は、皇統譜上、男系によって初代神武天皇につながる系譜として位置付けられています。
皇位継承において重要なのは、単純な「血の近さ」だけではなく、歴代天皇から続いてきた皇統の連続性をいかに維持するかということです。
もちろん、皇位継承のあり方については様々な意見があります。しかし、初代神武天皇以来の皇統を男系によってつないできたという日本独自の歴史は、世界の王室・皇室を見渡しても極めて稀有なものです。
長い歴史の中で、幾度もの政治的変動や社会の大きな変化を経験しながら、皇統が今日まで続いてきたことは、我が国が誇るべき歴史的な財産ではないでしょうか。
だからこそ、男系男子による皇位継承を守るということは、単に「男性を優先する」という問題ではありません。
日本の歴史の中で形成されてきた皇位の正統性と、皇統の連続性を、将来にわたって維持するという問題なのです。
その代表例が、武烈天皇の後に即位した継体天皇です。
『日本書紀』によれば、武烈天皇の後継者を求める中で、応神天皇の五世孫とされる男大迹王が越前から迎えられ、第26代継体天皇として即位しました。継体天皇は、当時の皇位継承において、非常に遠い傍系から迎えられた存在でした。
また、室町時代には、称光天皇の崩御後、伏見宮家につながる彦仁王が迎えられ、第102代後花園天皇として即位しました。伏見宮家は、北朝の崇光天皇の皇子、栄仁親王を祖とする世襲親王家であり、その後も皇統と深い関わりを持ちました。
江戸時代には、伏見宮・桂宮・有栖川宮・閑院宮という四つの世襲親王家が存在しました。これらの宮家は皇統を支える重要な存在であり、歴史上、宮家から皇位を継いだ例もあります。実際、閑院宮家からは第119代光格天皇が即位し、現在の皇室へと続く皇統につながっています。
こうした歴史が示しているのは、皇統を守るということは、目の前の皇族数だけを見ることではなく、将来、皇位継承が困難になった場合にも備え、皇統の連続性を支える仕組みを維持しておくことが重要だということです。
戦後に失われた宮家
戦後、皇室制度は大きく変わりました。
昭和22年、現行の皇室典範の施行などに伴い、11宮家の皇族が皇籍を離脱しました。これによって皇族の規模は大きく縮小しました。宮内庁の年表でも、昭和22年10月14日に11宮家の皇族が皇籍を離脱したことが確認できます。
この歴史を抜きにして、現在の皇族数の減少と皇位継承の問題を考えることはできません。
旧宮家の方々はその後、一般国民として生活されてきました。一方で、旧皇族と現在の皇室との親族関係や交流がすべて消えたわけではなく、戦後も皇室と旧皇族の間には親族としての交流が続き、その一つの基盤となったのが、昭和天皇のご親族を中心とする交流の場である菊栄親睦会です。
旧宮家の男系男子をめぐる議論についても、個々人の現在の意思や考えを尊重しながら、同時に、歴史上、宮家が皇統を支えてきた役割について正確に理解する必要があります。
今回の改正法では、現に皇族ではない、一定の旧皇族系男系男子を皇族の養子とすることができる制度が設けられました。ただし、養子となった男子本人には皇位継承資格を与えないこととされています。
この制度をどう評価するかについては様々な意見があるでしょう。しかし、少なくとも、皇族数の減少という現実に対して、歴史的な皇室・宮家の在り方を踏まえた制度的対応を検討したことには大きな意味があります。
現在の皇位継承を揺るがせにしない
そして、何より大切なのは、現在の皇位継承の流れを揺るがせにしないことです。
今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下へ、そして悠仁親王殿下へ。
現在の皇位継承の流れを安定的に維持することが大前提です。
その上で、悠仁親王殿下以降の皇統を将来にわたってどのように支えていくのかを考えなければなりません。
今回の改正法には、そのための皇族数確保策として、二つの大きな柱があります。
一つは、一定の旧皇族系男系男子を皇族の養子とする制度。
もう一つは、内親王・女王が、天皇および皇族以外の男性と婚姻した後も皇族の身分を保持できる制度です。
後者について、重要なのは、婚姻した女性皇族の配偶者や子は皇族とはならないという点です。これは、皇族数を確保し、女性皇族の活動を継続していただくことと、皇位継承の資格を誰に認めるのかという問題を分けて考える制度設計です。
女性皇族が皇族として活動を続けることと、その子を皇位継承者とすることは、同じ問題ではありません。
歴史を振り返っても、皇族の女性が皇族ではない男性と婚姻した場合、その配偶者が皇族となるという制度ではありませんでした。
その一例が、仁孝天皇の皇女である和宮親子内親王です。和宮は、江戸幕府第14代将軍・徳川家茂と婚姻しましたが、家茂はあくまで徳川家の当主として将軍の地位にあり、皇族である和宮との婚姻によって皇族身分を得たものではありません。
このことからも、女性皇族の婚姻と、その配偶者や子が皇族となるかどうかは、別個の制度上の問題であることが分かります。
今回の制度も、女性皇族が婚姻後も皇族として公的な活動を継続できるようにする一方、その配偶者や子を皇族とはしないという考え方に立っています。
また、女性天皇と女系天皇も、明確に区別して考える必要があります。
女性天皇とは、女性が天皇に即位することです。これに対して女系天皇とは、母方を通じて皇統につながる天皇を指します。
歴史上、女性天皇は8人、10代存在しますが、女系天皇が即位した例はありません。
したがって、女性天皇の歴史があることと、女系による皇位継承を認めることは、同じ問題ではありません。
こうした基本的な事実を国民が正しく理解することが、冷静な議論の出発点だと思います。
憲法と皇位継承
また、男系による皇位継承について、日本国憲法第14条の「法の下の平等」や「門地による差別」との関係を指摘する議論があります。
しかし、ここでは一般国民の権利や社会的機会における差別と、国家の基本制度である皇位継承の問題を同じものとして扱うことはできないという点を踏まえる必要があります。
憲法第1条は、天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定め、第2条は、皇位について「世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定めています。
つまり、憲法自身が皇位について世襲という特殊な制度を予定しているのです。
したがって、皇位継承資格を皇統に属する者に限定することは、一般国民を家柄によって社会的に差別する制度とは性質が異なります。
もちろん、皇位継承制度が憲法上どのように位置付けられるかについては、法学上の議論もあります。しかし、少なくとも「門地による差別」という一つの言葉だけで皇位継承制度の歴史的・憲法的性格を否定するのではなく、憲法第1条、第2条を含めて総合的に考える必要があります。
伝統を守るとは、過去に戻ることではない
この度の皇室典範改正をめぐる議論を通して、改めて感じることがあります。
それは、日本人が日本の国柄、歴史、文化、伝統について、もっと知ることの大切さです。
自分たちの国がどのような歴史を歩み、何を大切にしてきたのかを知らなければ、何を守るべきなのかも、何を変えるべきなのかも判断できません。
伝統を守ることは、「昔に戻る」ことではありません。
伝統の意味を理解し、その中にある価値を大切にしながら、時代の変化に対応し、次の世代へより良い形で受け渡していくことです。
氏族、家、地域、祭祀、自然との共生、そして皇統。
これらは、日本人が長い歴史の中で育んできた文化の一部です。
もちろん、時代が変われば制度も変化します。しかし、変えてはならないものまで、時代の変化だけを理由に失ってしまってよいのでしょうか。
大切なのは、変えることと守ることを対立させるのではなく、何を守り、何を時代に合わせて変えていくのかを、歴史を踏まえて考えることです。
皇統を守るということは、単に皇室という一つの制度を守ることだけではありません。
それは、日本が長い歴史の中で大切にしてきたものを、次の世代へどのように伝えていくのかという、私たち自身の責任に関わる問題です。
私たちの世代が受け取った日本を、私たちの世代だけのものにしてはなりません。
先人から受け継いだ日本を、次の世代へ良い形で渡していく。
それが、今を生きる私たちの責任ではないでしょうか。
皇位の連綿たる継承を基盤として形成されてきた日本の歴史と文化。
その伝統を大切にしながら、時代の変化に対応していく。
激動する時代だからこそ、自らの歴史と文化を知り、日本人としての心と誇りを持つことが、未来を切り開く力になると私は確信しています。
新井宿出張所前の交差点改良工事がほぼ完了しました
8月29日(土)午後、以前より地域の皆さまから改善のご要望をいただいていた、大田区新井宿出張所前の交差点の横断歩道の移設と、道路の段差の改良工事が、ほぼ完了しました。
残るのはガードレールの設置のみで、交差点の安全対策が大きく前進しました。
今回の改良には、地域の皆さまから寄せられていた切実な声がありました。
これまで横断歩道が「文化の森」前に設置されていたため、歩行者や自転車と臼田坂方面から左折してくる車両との接触事故が何件か発生していました。
もちろん、自転車の斜め横断など、利用者側の交通ルールにも原因があります。しかし、そもそも横断歩道が通常とは異なる形で設置されていたこと自体にも、安全上の課題がありました。
この変則的な横断歩道は、過去の馬込幹線の工事に伴って一時的に変更されたものが、その後の新井宿出張所の建設なども重なり、工事終了後も元の位置に戻されないままとなっていたものです。
今回、地域の皆さまからのご要望を受け、現場の状況を改めて確認し、関係機関とも調整を重ねながら、ようやく横断歩道の移設を実現することができました。
また、工事が予定より時間を要したのには理由がありました。
工事を進める中で、道路の地下から過去の構造物が見つかり、その撤去作業が必要となったためです。
安全を確保しながら工事を進めるため、一定の時間を要することとなりました。
そして今回、秋の交通安全運動を迎える前に、横断歩道の移設と段差の改良を終えることができました。
道路や交差点は、そこを日々利用する地域の皆さまだからこそ気づく危険があります。
行政の図面や数字だけでは見えない、「実際に歩く人、自転車に乗る人、車を運転する人の目線」で街を見直すことが、安全・安心なまちづくりには欠かせません。
今回の交差点改良も、地域の皆さまの声が一つの形になったものです。
これからも、皆さまからいただく一つひとつの声を大切にし、皆さまの目線で地域の課題を見つめ、皆さまと一緒に、安心して暮らせる安全なまちづくりを進めてまいります。
引き続き、地域の皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。
大田区中央4丁目の民泊計画が白紙に ― 住民の安心・安全を守る民泊制度の見直しを ―
6月24日のブログでご報告した、大田区中央4丁目の私道の奥に計画されていた民泊について、このたび計画が白紙となりました。
これまで、地域の住民の皆様とともに、3回にわたる説明会の開催を粘り強く申し入れ、事業者に対して様々な疑問や懸念を伝え、回答を求めてこられた関係者の皆様に、心より敬意を表するとともに、感謝申し上げます。
説明会では、住民の皆様から多くのご意見やご質問が出されました。一つひとつの質問について回答を求め、その回答を次回の説明会で確認するという形で、議論を重ねてまいりました。
また、現場の担当者だけでは十分な回答ができないのであれば、会社として責任ある説明をしていただくため、社長にも出席していただきたいとの要望も申し上げました。
特に問題となったのが、私道の奥にある施設へ、深夜に初めて訪れる宿泊者をどのように誘導するのかという問題です。
事業者からは「近くに看板を設置する」との説明がありました。
しかし、地域住民としては、その看板を設置する場所を提供することはできません。
また、
・緊急時に担当者が時間内に駆けつけられない事態が生じた場合、事業者はどのような責任を負うのか
・建物内外や私道、さらには近隣公園での喫煙にどう対応するのか
・深夜・早朝の出入りや騒音など、周辺住民への影響をどう防ぐのか
・宿泊者によるごみ出しや生活ルール違反に、誰が責任を持って対応するのか
など、住民の皆様が抱える不安や懸念について、具体的かつ責任ある回答を求め続けてきました。
今回、計画が白紙となったことは、地域住民の皆様が声を上げ、粘り強く話し合いを続けてきた結果であると思います。
民泊そのものに反対しているわけではありません
ここで、私の考えを明確にしておきたいと思います。
私は、民泊そのものを一律に否定しているわけではありません。
外国人観光客をはじめとするインバウンド需要に対応し、宿泊施設を確保することには一定の意義があります。また、適切に管理された民泊であれば、地域の観光や経済に貢献する可能性もあります。
しかし、問題は、どこでも、いつでも、同じように民泊を認めてよいのかということです。
特に私が見直すべきだと考えているのが、特区制度によって、住宅専用地域でも年間365日営業が可能となっている民泊です。
住宅専用地域とは、そもそも住民が安心して暮らせる良好な住環境を維持するために定められた地域です。
そこに、世界各地から不特定多数の人が入れ替わり立ち替わり訪れ、場合によっては深夜・早朝にも出入りする施設を、年間を通して営業できるようにすることが、本当に地域の住環境と両立するのか。
これは、改めて考える必要があります。
「基準を満たしている」だけでは、住民の不安は解消されない
行政が制度上の基準を定め、その基準を満たした事業者に許可を与える。
法制度上は、それで適法なのかもしれません。
しかし、法律上の基準を満たしていることと、地域住民が安心して暮らせることは、必ずしも同じではありません。
特に、私道の奥や住宅が密集した地域など、施設の立地条件によっては、一般的な基準だけでは地域固有の問題に対応できない場合があります。
事業者にとっては「営業できる場所」であっても、そこに長年暮らしてきた住民にとっては「かけがえのない生活の場」です。
だからこそ、民泊制度を考える際には、事業者の営業上の利益だけではなく、そこに暮らす住民の平穏な生活を守ることを第一に考える必要があります。
民泊をめぐる社会的な課題
民泊をめぐる問題は、今回の中央4丁目だけの問題ではありません。
訪日外国人観光客が増加する中で、民泊は宿泊需要を支える一方、住宅地における騒音、喫煙、ごみ出し、深夜の出入り、近隣住民とのトラブル、緊急時の対応など、様々な課題も生じています。
さらに、所有者が地域に住んでいない物件や、管理者が遠方にいる物件では、問題が発生した際に、誰が責任を持って迅速に対応するのかという課題もあります。
「外国人だから問題なのではありません」。
日本人であっても外国人であっても、宿泊者が地域のルールを守り、事業者が責任を持って管理することが大前提です。
重要なのは、観光客を受け入れることと、地域住民の生活を守ることを両立させる仕組みをつくることです。
大田区の民泊政策も、次の段階へ
大田区では、すでに1,000室を超える民泊が営業する状況となっています。
羽田空港を抱える大田区は、インバウンドの玄関口として宿泊需要が高い地域です。
しかし、宿泊施設が一定程度確保されてきた今、これから必要なのは、単純に施設数を増やすことだけではないのではないでしょうか。
昨日、国会議員でつくる民泊議員連盟の執行部の方とお会いし、今後の民泊制度について意見交換をさせていただきました。
国においても、インバウンドの宿泊施設については量的には一定程度満たされてきており、今後は民泊についても、質を担保し、適正な管理を徹底する方向での見直しが必要との考えが示されていました。
私は、この方向性は大変重要だと考えています。
大田区においても、これまでの「施設を増やす」という段階から、「地域と共存できる民泊にする」という段階へ、政策を転換する時期に来ているのではないでしょうか。
そのためにも、特区民泊については、今後のあり方を根本から見直し、特に住宅専用地域における365日営業については、廃止を含めた検討を行うべきだと考えます。
既存の民泊についても、単に営業を認めるだけではなく、
・管理責任者を明確にする
・緊急時の対応体制を強化する
・営業状況やトラブルについての報告を義務化する
・行政によるパトロールや実態確認を強化する
・騒音、喫煙、ごみ出しなどへの対応を徹底する
・周辺住民の安心・安全に配慮した営業を求める
など、実効性のある管理体制を構築していく必要があります。
住民の暮らしを守ることが、地域を守ること
今回の中央4丁目の民泊計画が白紙になったことは、一つの地域の問題が解決したというだけではありません。
地域住民が、自分たちの暮らしについて声を上げ、事業者と行政に説明と責任を求めることの大切さを示した出来事でもあります。
インバウンドを受け入れることと、住民の生活を守ることは、決して対立するものではありません。
観光客にも地域にも、双方にとって持続可能な仕組みをつくることこそ、本当の意味での観光政策であり、地域政策です。
事業者の営業上の利益よりも、そこで長年暮らしてこられた住民の平穏な生活を優先する。
これは、決して民泊に反対するということではありません。
「住民が安心して暮らせること」を大前提として、その上で適正な民泊を認めていく。
私は、これからの大田区の民泊政策は、そうした方向に進むべきだと考えています。
今回の問題を一つの契機として、大田区には特区民泊制度のあり方を改めて検証し、住民の安心・安全を最優先した制度へと見直していただくことを強く求めてまいります。