本日、社団法人日本外国特派員協会での講演が無事に終わりました。 | 鈴木あきひろ 一言日記

本日、社団法人日本外国特派員協会での講演が無事に終わりました。

 午前11:45 オーストラリア新聞のリック・ウェルス特派員(今回の責任者)と打ち合わせ、昼食後午後12:30から、彼の進行により講演が始まりました。

 私の他に、一緒に上陸をした和田有一郎兵庫県議会議員、小坂英二荒川区議会議員が同席され、今回の経緯と「国を守ることは、日本人としての誇りを守ること」との内容で話を致しました。特に原稿は用意しませんでしたが、思うことの80%はお伝えできたと思っております。

 講演を振り返り、私は改めて次のように考えております。


①弱腰外交は、法治国家日本の危機

 「義を見てせざるは勇なきなり」 これは、人として正義と知りながらそれをしないことは勇気が無いのと同じである、という意味であります。今回の政府の最大の汚点は、同胞の慰霊を現地で許さず、中国人犯罪者(日本海域の領海侵犯、不法入国、公務執行妨害、凶器準備集合罪、器物損壊罪など)を我が国の領土である魚釣島へ上陸させてしまい、中国の圧力に怯え、起訴することもなく、何もなかったかのように不問に伏し、挙句の果てにビジネスクラスの飛行機で英雄のようにして帰すという、愚かな対応でありました。

 このことは、2010年9月7日の尖閣諸島中国漁船体当たり事件の対応と同じで、この時は海上保安庁が漁船の船長を公務執行妨害で逮捕し、石垣島へ連行し、那覇地方検察庁石垣支部へ送検しました。

 しかし中国政府は、「尖閣諸島は中国固有の領土」という主張を根拠に、北京駐在の丹羽宇一郎大使を深夜呼び出し、日本側の主権に基づく司法措置に強硬に抗議し、船長・船員の即時釈放を要求。これを受けて13日に政府は、船長以外の船員を中国に帰国させ、中国漁船も中国側に返還しましたが、船長に対しては、国内法に基づく司法手続きの方針を固め、19日に勾留延長を決定しました。すると中国はこれに強く反発し、即座に日本に対し様々な報復措置を実施してきました。

 これに屈する形で24日、国連総会開催中で菅直人総理・前原誠司外務大臣不在の中、那覇地検・鈴木亨次席検事が、船長の行為に計画性がないとして、更に日中関係を考慮したとして、こんな重大な問題を地検支部の判断に任せ、中国人船長を処分保留での釈放にすると突如発表し、仙谷由人官房長官がこれを容認、25日朝、石垣空港を無理矢理開けさせ、中国側が用意したチャーター機で中国へ送還させました。

 当時政府は中国への配慮から、漁船衝突時の動画を非公開としていましたが、元海上保安庁一色正春氏によって44分間の傍若無人な体当たりシーンが公開され、伝えられていた以上の事件の大きさを知ることができて、改めて暴力団まがいの中国人の危険性を身に染みて知ったわけであります。

 しかしこの時も政府は中国の抗議に屈し、報復措置に怯え、我が国の領土、主権を侵されても、中国に配慮した対応しか取らず、このことにより、日本人の誇りは大きく踏みにじられました。

 そして今回も全く同じケースであり、中国政府の差し金で行動する反日組織とやらを動かし、中国に人質として取られている日本人民間人に対し破壊行動をさせ、脅すという正に暴力団、ヤクザと同じ連中に屈しているわけであります。(暴力団排除条例で、民間人が頑張っているのに情けない話です。)

 このことは法治国家日本の危機であり、民主主義国家日本の危機であります。ご承知のように、幕末に結んだ列強国との不平等条約を解消するために、維新政府がどれだけ腐心し苦労されたかを考えてみれば、その解消に大きく結びついて行く大津事件(1891年(明治24年)、日本を訪問中のロシア帝国ニコライ皇太子に、警察官 津田三蔵が斬りつけた暗殺未遂事件。当時列強の1つであるロシア艦隊が神戸港にいる中での事件で、発展途上国の日本が報復されないか緊迫した状況の中で、行政の干渉を受けながらも、大審院院長 児島惟謙が司法独立を維持し、三権分立の意義を広めた事件。)は、法治国家として正義を貫き、民主主義国家として日本を見直す大きな契機になったわけであり、一連の弱腰外交はこの国を滅ぼすと強く感じております。

 

②尖閣諸島領有を主張する中国・台湾には、正当な根拠が1つも無く、米国政府内では解決済みな案件

 「領土問題は互いの正当な主張があるから、相手の言い分にも耳を貸さねばならない」などと述べられている方がいらっしゃいますが、外交問題は必ず相手の思惑があるわけであり、、事実を基にして内容を正確に認識することが重要であり、このような事態でのこうした呑気な発言こそ、平和ボケ日本の象徴であり、改めていかねばなりません。

 まず台湾の尖閣諸島の領有権の主張は、戦後米国統治下で、日本が沖縄周辺の漁業ができなかった頃から、集団で尖閣諸島周辺海域で漁業(乱獲)を行うようになり、更に1969年秋に、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が周辺の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性が高いという海洋調査の結果の発表の後であります。同年11月22日の佐藤栄作総理とリチャード・ニクソン大統領との会談で、沖縄復帰が合意された後、台湾(中華民国)が米国に、これらの島々を日本に復帰させるのを保留するよう求めてきたことから始まっています。

 こうしたことにより、米国は沖縄復帰と尖閣諸島の帰属の判断を同時にするよう迫られることになりました。

 その後中国は、翌1970年12月3日になって、初めて尖閣諸島の領有権を主張してきましたが、これに関して米国は、何ら考慮する根拠が無いとして、取り上げることすらしておりません。その後中国は、尖閣諸島は台湾のもので、台湾は中国のものであるから、従って尖閣諸島は中国のものであるとの三段論法を使い始めて来ました。理屈にもならない因縁を付け、脅して見せ、相手を従わさせようとする暴力団やヤクザのような国としか言いようがありません。(この様な国に、しっかりと立ち向かう気概が、今こそ日本人に求められているのです。

 台湾の主張については、1971年3月15日、中米台湾大使周書楷が米国国務省に提出した文書が残されております。論点は3つあります。


・15世紀の明の時代から琉球に冊封使を送っており、その使節団の旅行記に台湾との境界線は、赤尾嶼(大正島)であると記されており、更に地質学的構造は台湾のものと似ていて、地理的にも台湾と隣接しており、沖縄よりも近いと主張しております。

 しかし冊封使制(琉球王国が中国皇帝に対し、臣下の礼を取ることで王に封じられた体制)下の旅行記に、境界線が尖閣諸島と考えられていたからと言って、それと台湾への帰属とは何ら関係なく、地理的に台湾に近くてもそうした島国はいくらでもあり、それと帰属とは全く関係がありません。特に日本政府は、尖閣諸島の領有状況を1885年から1895年まで調査し、世界情勢を考慮した上で、閣議決定し、沖縄県に編入しています。尖閣諸島には1884年以降、古賀辰四郎氏が、かつぶし業、アホウドリ羽毛業をしており、1895年以降政府から正式に許可を得て事業をしており、こうしたことから領土主張の最も有力な根拠となる先占の法理により、尖閣諸島が日本に帰属していることは間違いなく、こうした歴史的事実を米国も認めております。


・釣魚台列嶼(中国表記)は、長年に渡って台湾漁民の漁場であり、嵐を避けるためや船や漁具を修理するために使っていたと主張しています。

 日本は当時、こうした不法行為を取り締まるよう琉球列島米国民政府に再三要求しており、1968年の要求の後、台湾漁民は尖閣諸島周辺に入域する際、琉球列島米国民政府の指示する手続きを取っていたもので、当時は領有権を主張することはありませんでした。自国の領土であれば、何らかの主張をしているはずであります。


・第二次世界大戦の終結以来、北緯29度以南の島々は、サンフランシスコ講和条約第三条に従って米国の占領下に入り、その中には釣魚台列嶼も含まれていました。台湾政府はこの地域の安全保障への配慮から、それまで異議を唱えませんでしたが、そのことが、釣魚台列嶼が琉球の一部であることを黙認したわけではないと主張しています。

 これは日本が尖閣諸島を沖縄県に編入したのが1895年で、日清戦争とほとんど同時期であることを突いておりますが、日清戦争を終結させた下関条約には、尖閣諸島を日本に割譲することは記されていません。もしこの時割譲したのなら、カイロ宣言の条項(日本は台湾と澎湖島を台湾に返還する。)を履行すべしとしたポツダム宣言第8条に基づき、日本は尖閣諸島を台湾に返還しなければなりませんが、そうではなかったわけであります。尖閣諸島は日本が清から台湾の一部として割譲を受けて沖縄県に編入されたのではないと言うことであります。また米国が北緯29度以南の南西諸島を委託統治すると規定したサンフランシスコ講和条約(1951年締結 1952年発効)の第3条によると、南西諸島とは、条約締結時の日米の了解で、1939年の日本の地図で日本の領有となっているものをいい、これには沖縄の一部として尖閣諸島が明記されています。またこの講和条約を日米が結んでから1971年3月15日になるまで、台湾が異議を唱えなかったことを認めていると明らかにしています。

 こうした事実は、1971年6月7日に大統領首席補佐官のアレキサンダー・ヘイグがキッシンジャー国務長官に送ったメモの中でも言及されており、米国は重視していたことがわかります。

 これを踏まえ、佐藤・ニクソン合意に沿って、尖閣諸島を復帰させることになったわけであります。これに反発した沈剣虹外交部次長が同年9月15日に台湾の米国大使館を訪れ、尖閣諸島について何の声明も出さないよう求めましたが、この時も沈次長から、これらの島々に対する領有権の要求は出ませんでした。

 その翌日、今度は米国務省に中米台湾大使 周書楷がやってきて、尖閣諸島のことを口にした時、マーシャル・グリーン東アジア課長は、尖閣諸島は琉球諸島の一部であり、従って日本に復帰させると断言しております。

 このように、1895年以来、日本は尖閣諸島に主権を持ち続けており、これらの島々を含めた沖縄は、米国による軍事的占領と委託統治を受けておりましたが、それは日本の主権に影響を与えるものではありませんでした。これに対し、台湾の領有権の主張は、1971年2月に入ってされるようになり、十分な根拠に基づくものではありませんでした。そして米国もそれを十分認識しており、尖閣諸島を沖縄に含めて日本に復帰させたのです。

 2010年10月27日、米国務長官ヒラリー・クリントンが、「改めてはっきり言いたい。尖閣諸島は日米安保条約第5条の範囲に入る。日本国民を守る義務を重視している。」と断言しているのも、こうした事実を踏まえてのことであります。

 しかし、一番重要なのは、日本が何もしなくても米軍がこれらの島々を守ってくれるわけではなく、この条項は共同防衛を規定したものであり、日本が戦わないならば、米国も戦う必要はないということであることを、十分認識すべきであります。


③尖閣購入と今後の日本の課題

 尖閣諸島の領有権については、日本には竹島同様これだけの正当な理由があるわけです。しかし、なぜこうした事実があるにも拘わらず、日本政府は何もしなかったのでしょうか。

 尖閣についての中国の主張は、今から40年前、沖縄が返還され日中国交正常化交渉が行われた頃から始まったわけであります。米国占領中には一言も言及しなかった中国が、日本の中国支配に絡めて言いがかりをつけ、対する日本も当初は根拠のない要求は突っぱねていたわけですが、最終的には中国の揺さぶりに屈し、鄧小平副首相来日時の「尖閣は棚上げしよう。」の提案を政治合意とし、以来日本政府は「尖閣を領有すれども活用せず」とし、今日まで金科玉条のごとく守っているわけでありますが、中国にとっては単なる時間稼ぎで、機を見て力をつけて奪い取る。ここ数年中国は、領土的野心をむき出しにして強硬路線を取っています。

 しかしそのことに対し、何の戦略も持たず、日本は怯えているだけの状態であります。石原知事は、政府が何もしないから、弱腰・卑屈外交は何も生まない、国を滅ぼすとの思いで、尖閣購入を決意し、手続きをしています。

 領土的野心をむき出しにしている中国に対し(韓国には竹島を実効支配されている)、国が何もできないなら、都を使って打開させるべきであり、その都の測量の為の上陸申請を却下するとは、全く考えられない事であります。

 野田総理は、自分が総理となり初めて訪問し、日韓の重要性をアピールした韓国に、大統領による竹島上陸という暴挙に及ばれ、苦しまされ、竹島・尖閣諸島に対する中国・韓国への非難決議をしたにも関わらず、都の上陸申請に対しては不許可というチグハグな対応で、全く国を守る、領土を守る気概がありません。こんなチグハグな対応をしているからこそ隙を与えていることをもっと真剣に受け止めるべきであります。

 そもそも国の尖閣上陸禁止の根拠は、栗原家(所有者)との賃貸借契約(2001年契約)前文の「尖閣諸島の平穏かつ安定的な維持管理のため」という文言にかこつけているだけで、来年の3月末で国とのこの契約も切れるわけであり、その後は何の根拠もなくなります。

 私たちが上陸不許可となったのも、この前文の為だけでありますが、中国人犯罪者は上陸させ、日本人には慰霊もさせないことが、平穏かつ安定的な維持管理なのでしょうか。弱腰・卑屈外交は、竹島が象徴的なように、この国を孤立させかねません。税金(1年間2,450万円)で借りている尖閣諸島は何のために借りているのか、自治体なら間違いなく住民監査請求が出るはずであります。 今後都は上陸しなくても、財政価格審議会にかけて、売買価格の相場について検討することができますので、粛々と手続きをしていくことになります。そして都民の皆様だけでなく、国民の皆様にご理解いただけるような事業として、一刻も早く実際に安定的に使用できる島にしてまいります。

 今回私たちを尖閣諸島まで連れて行ってくれた漁船の船長さんによると、尖閣周辺で一日も早く安心して漁が出来るよう、魚釣島に、海が荒れた時の漁船が一時的に避難できる施設や港を整備し、無線電波の中継管理場を設けるなどしてほしいと話しておられました。周辺海域や島の安全のためにも、これらの整備には国が関わっていくことが不可欠であり、ここで改めて日本の外交防衛戦略を立て直すべきであります。

 私たちは今、戦後積み残した課題にしっかりと立ち向かい、日本人としての誇りを持って対処すべき時を迎えております。まず外交においては、度を越した配慮、気配りに毒されて卑屈になっている政策を立て直していくことであります。

 そして、日本人が日本人としての精神を取り戻していくことが、東日本大震災を含めた日本の真の復興であります。更に、史実、科学的見地に立った歴史をもう一度見直し、その見直しの足かせになっている、歴史的根拠のない1993年の河野談話の破棄、歴史教科書が外国の内政干渉を許す契機となった、1982年宮澤喜一官房長官による近隣諸国条項の削除など、巧みにしくまれた負の遺産を取り除いていくことが大切であり、最終的には憲法改正を国民運動にしていくことが不可欠であると思っております。


⑤「アーミテイジ・ナイ報告書」の意味するもの

 アメリカのタカ派グループでありますが、先進国の条件として、報告書によると、①経済力 ②軍事力 ③リーダーシップ が挙げられております。これを見ると、殆どどの分野においても、日本は先進国の条件を満たしていない状態になっております。

 先日、韓国の李明博大統領が、血迷った天皇謝罪論を主張した中で、日本はもう先進国ではない旨の発言がされていました。こうした発言に対し、日本人はもっと真剣に受け止めていくことが重要であります。積み残した課題をいつまでも引きずっているうちに日本は、国際社会の中で取り残されていっております。

 尖閣諸島を守ることは、単に島を守ることだけでなく、日本人の意識を改め、強い精神を取り戻すことであります。世界はそんな日本を見ています。天は自ら助くる者を助く、努力しない者は滅び滅ぼされていく。

 今こそ日本人は、こうしたことを重く受け止め、子供たち世代への責任を真剣に考えるべきであると思います。


※記者会見はYou Tubeでご覧いただけます。


http://www.youtube.com/watch?v=sqf8Ft-SXUE  (講演・答弁のみ)

http://www.youtube.com/watch?v=B_lkLyLVxlE  (ノーカット版)




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